"イスラーム”についてのまとめ

今回は拙稿“中東から見た世界史”に書き足らなかった“イスラーム”について私の感想を交えながら常識的なことを纏めておきたい

1.イスラーム教の開祖、ムハンマド
570年ごろ 
  メッカの有力氏族ハーシム家に誕生、誕生前に父を亡くし、6歳で母を亡くして孤児になる、
  祖父や叔父に育てられた
  商人となり隊商に加わる、商才と清廉な性格が気に入られたのであろう、25歳の時富裕な未亡人ハディージャと結婚(彼女は15歳年上)
  金持ちの奥さんの下で生活も安定、6人の子をもうけたが、虚栄の都市メッカの精神的退廃や貧富格差に欝々とする処が有ったのであろう、
  洞窟にこもって瞑想にふけるようになる
610年  
  ムハンマド40歳、洞窟でうとうとしていると、キリスト教の天使“ガブリエル”が現れ
 “汝は神の使徒である、この神の”言葉“を誦め”この“言葉”がコーランの原型となる
 つまりコーランはムハンマドを通して下された“神の言葉”そのものと言う事になる
 ムハンマドは“読み書き”が出来なかったそうだが、“大本教”の“お筆先”の様なものだろうか
 ムハンマドは啓示を得て預言者を自覚し布教活動を開始する
 根本理念は“唯一神アッラーに帰依せよ”“信仰者にはよい報い、アッラーを否定する者には裁きが下る”
 ある夜、ムハンマドは天使に導かれメッカからエルサレムまで飛翔しモーゼやイエスと邂逅(夜の旅と昇天、エルサレムが第3の聖地となる)
 アッラーはヤハウエと同義であるから、
  セム系一神教としてユダヤ教・キリスト教・イスラーム教は姉妹宗教
  コーランは後で詳しく見るが、私には結構現実的・即物的な匂いがした
  孤児であった事、商人であった事がムハンマドの思想に大きく影響している様に思う
 妻・親族から商人仲間と徐々に布教を広げていくが、旧来の多神教徒から迫害される
622年  
  メッカからメディナに移住、ヒジュラ(聖遷)イスラーム紀元元年
 メディナでの部族対立、ユダヤ教徒との対立、メッカとの対立など
  布教より商圏拡大あるいは擁護のために戦ったふしも大いにあったと思われるが
 ムハンマドは軍事的才能およびイスラーム共同体(ウンマ)の建設者としての政治的才能を遺憾なく発揮して
 イスラーム勢力を急拡大せしめた
 開祖自ら政教一致どころか軍の先頭に立って戦った、闘争の生涯だった 
630年 
  メッカを無血征服
632年 
  2番目の愛妻・アーイシャのひざを枕に死去

2.三大一神教の比較
ユダヤ教 
  BC500年ごろ、ペリシャによってバビロン捕囚から解放されパレスティナに戻ってきたヘブライ人の“民族宗教”、
  “神に服従すれば(戒律宗教)神が豊かな土地を授ける”との神との契約、ユダヤ人選民思想、
  ユダヤ人迫害からのメシア(救世主)待望信仰
キリスト教
 紀元前後、イエス(救世主)がユダヤ教の刷新を唱える、当時ユダヤ(イスラエル)はローマの支配下にあり
 メシアの出現を待望、イエスに期待したが、彼が説いたのは“神の愛による魂の救済”であり
  ローマの弾圧からの救済ではなかった
 神に対する愛とそれに基づく隣人に対する愛(人間愛)でユダヤ教の律法主義を超越する“愛の宗教”だ
 ユダの裏切りで十字架刑後、遺された弟子たちが“イエス復活”に再結集、
  ユダヤ教の唯一神を“三位一体”の神とし、神の子・イエスを世界の救世主と仰ぐ事になる 
  ペテロが教会組織を固め、パウロは異邦人への布教に勢力をそそぐ
 ギリシャ・ローマ更にゲルマン民族に教えが広まり、ユダヤ人の“民族宗教”から人類総体の罪と悪からの救いとして”“世界宗教”に脱皮
イスラーム教
 中東民族の発展とともに伸張、ヨーロッパ化してしまったキリスト教を再び中東に引き戻した感もある
 “唯一神”を厳守、神の子としてのイエス(三位一体説)は認めず(コーラン5章73節他)、
  イエスは“始祖の預言者・ムハンマド”に先立つ最高度の預言者と位置付ける
  (ムハンマド自身も最後の預言者と位置づけ)
  思想信条はキリスト教よりユダヤ教に近いが、それだけに両者の近親憎悪が激しい

3.イスラーム教の特徴
@ 厳格な一神教
神はアッラーのみ、イエスはもとよりムハンマドも預言者にすぎず崇拝の対象としない
神の前に平等、“偶像崇拝否定”と併せ、非常に合理的な考えです
A 偶像崇拝の否定
モスクの中は夾雑物が何もないガランドウだそうです
神様がお供えを食べたり人の形である訳がない、合理的です
ただイスラームは絵画彫刻等まで否定するところがある、ある一派は歴史遺産さえ公然と破壊する、
高度な芸術は芸術家を仲介とした神の恵みと思わないのだろうか
我々は人間を通してしか神様の声を聴けない、神の言葉コーランだってムハンマドの口を通してしか知りようがなかった
神の創造物人間が創るものを全て否定してしまえば、この世は“真っ暗闇”と思うのですが如何でしょうか
ちなみに私が”宗教”一般に魅力を感じている一つは、”神”と言う完全なものを措定する事で、自らが”不完全”である事を自覚する姿勢です
人間が生来”つみ人”であるかどうかは別として、神の前に人間は不完全、謙虚になるのが”信仰心”と言うものじゃないでしょうか
だが一方で、甚だ残念で不都合なことに、己の言葉は神の言葉、自分の行為は神の技とまで確言しないと宗教は広まらない
勝手に自分は神の代理人と思い込み、神が人を通して創り上げた歴史遺産を”アッラーの命ずるまま”と称して破壊する
B 政教一致
ムハンマド自身、政・教・軍を統括した
後継者・カリフは“イスラーム信仰の擁護者”であり厳密には宗教的権威はないかもしれないが、
教皇・聖職者など宗教的権威者を置かないことで、
カリフを名乗るだけで“世俗の王”が宗教指導者でありえた、ただし後継者争いは常に熾烈を極めた
C 厳しい戒律
アッラーを信じるとして、具体的にどうすれば信じたことになるのか
アッラーが下し給ったコーランに極めて具体的な戒律が述べられている
これだけの事を実践すれば来世天国行を保証されるという訳です
D 商人から生まれた宗教
私の感想に過ぎないが、イスラーム教は“愛”なんてややこしい事は言わない、商人ムハンマドを開祖とするだけあって、意外と“現実主義、即物的”な気がする
コーランも音楽性高く“奇蹟の詩文”と言われるが、言葉は世俗的であり、商人的表現たとえが随所にある
E “原罪”を認めない
“人間は生まれもって罪人である”と言うキリスト教的“原罪”の考え方はない
ただし“人は神の奴隷”と言う位置付けだろうか、ひたすら神に仕えれば来世の至福が約束されると言う
F “最後の審判”“天国・地獄”の観念
“最後の審判”の日、神は死者を天国行、地獄行に仕分けする(後述“終末と来世”参照)
現世で神を信じ神に仕えた者だけが天国に導かれる、“救済”は“来世”の様である

4.ムハンマド以降
詳細は拙稿“中東から見た世界史”を参照頂きたいが掻い摘んで復習
イスラームの歴史はジハード(聖戦)によってウンマ(イスラーム共同体)を拡大させ、その地をイスラーム化するという、
端的に言えば征服の歴史だった(改宗は強制しなかったが、それは征服技法の問題だろう)
今一つ注意すべきはイスラームが原始的砂漠の民ではなく商人が中心をなす都市の中から生まれたという事
@ 正統カリフ時代  632〜661年
  イスラーム史上正統な手続きを経て成立したカリフはこの4代のみ
  初代 愛妻アーイシャの父 アブー・バークル 
   カリフの称号(神の使徒の代理としての指導者、預言機能ないので宗教的権威は希薄)を使う
  二代 ウマル 軍才にたけ征服領土を急拡大  
    アラビア半島、現在のヨルダン・レバノン・イスラエルを含むシリア、エジプト、イランへ
  三代 ウスマーン 急拡大故の内部矛盾(官僚主義と格差拡大)に不満を持った反乱兵士に殺される
  四代 アリー ムハンマドのいとこ、女婿
   シリアの太守ウマイア家のムアウイアがアリーとその息子たちを殺して自分の息子をカリフにつけ 
   世襲制ウマイア朝を開設
   アリーの次男フサインの抵抗と敗北(カルバラーの悲劇)でシーア派が形成される
   シーア派はカリフによる治世を認めずアリーを初代イマーム(指導者)とする
   ちなみにフサインの一子(小アリー)の母はササン朝ペルシャの皇女(イランにシーア派が多い由縁)
A ウマイア朝カリフ時代 661〜750年
  ダマスカスを首都とし、西は北アフリカ、地中海沿岸、イベリア半島さらにピレネー山脈手前まで、
  東は中央アジアのシル河畔および西北インドのインダス河畔まで征服する“アラブ帝国時代”
  圧倒的兵力を誇り、抵抗する住民からは土地を没収して小作人におとし、
  自発的に降伏すれば土地所有を認めて税をとる
  “コーランか剣か”はたまた“貢納か”
  改宗を強制しなかったのは“アッラー以外人の心には立ち入れない”とする“現実的戦略”からだろう
  逆にそのことで恨みを買うことなく、改宗すれば減税されるうまみもあり住民は自発的に改宗していった
  ただし地方の旧諸侯には従来の地位と特権を許すこととなったので、ウマイア朝のアラブ専制に対する抵抗がくすぶり続けた
B アッバース朝カリフ時代  750〜1258年
 ムハンマドの叔父の子孫にあたるアッバース家がシーア派の支持を受けてウマイア朝を倒し政権樹立
 (後にシーア派とは対立、シーア派は過激度を強め分裂していく事になる)
 交通の要路、バグダードに遷都
 ウマイア朝のアラブ専制を改め“イスラーム帝国”として最盛期を迎える
 ただし多民族共栄が裏目に出た事もあって、
  過激化したシーア派やトルコ族などの独立政権の分立を許すことになっていく
 軍事態勢強化のためトルコ人を徴用して親衛隊を組織した、軍人奴隷“マムルーク”である
 後にマムルークはカリフの力さえしのぐ強力な軍閥勢力に成長していく
  ウンマは分裂、カリフは名目化
 946年バクダードを占領した“ブワイフ朝”
  シーア派系12イマーム派(12代イマームの再臨を信じ、それまでは法学者の統治を認める)
  対抗するアッバース朝カリフは“スンニー派(正統派)”を形成
   →1055年ブワイフ朝を滅ぼしたのはトルコ人“セルジューク朝”(スンニー派を復興)
  イラン・イラク・シリア・アラビアを含む西アジア一帯を再統一
  セルジューク朝はアッバース朝の承認を得て“スルタン”の称号を用いる
  スルタンはカリフから政治権力を委託された君主の事
    つまり、支配者は“信仰の擁護者”を称するが、全くの世俗権力と化していった
  シーア派・スンニー派と言っても、単に権力争いの名目のような気がする
 756年イベリア半島を制圧した“後ウマイア朝”
 969年エジプトの“ファーティマ朝”(シーア派イスマイル派、カイロの繁栄をもたらす)
    →1169年アイユーブ朝(英雄サラディンがスンニー派復興)→1250年マムルーク朝
 イスラームの中心はバクダードからカイロへ、覇権はアラブ族からトルコ族へ、
  支配者は宗教的権威を脱ぎ捨て世俗権力に
C 十字軍の侵略 1096年から200年にわたり三宗教の聖地・エルサレムをめぐって攻防
D モンゴールの侵略
 1219年から始まった征西、アフガニスタン・イランそして
 1258年にはバクダードを占拠、アッバース朝を完全に滅ぼしイルハン国建設
 1260年カイロのマムルーク朝バイバルスの反撃
 モンゴール政権は異教徒に寛大であったため、ムスリムは商人・官吏・技術者として活躍
 逆にモンゴールのイスラーム化がすすんだ
 その後マムルーク政権もイルハン国と交流を保った
E オスマン帝国の時代  1299〜1684年
 モンゴール帝国の衰退、13世紀末アナトリア半島に興ったオスマン・トルコが
 14世紀バルカン半島に進出1453年コンスタンチノーブルを占領してビザンチン帝国を滅ぼす
 コンスタンチノーブルはイスタンブールと改称、ここを首都としてオスマン朝はイスラーム世界の制覇に
 16世紀シリア・エジプトを征服、マムルーク朝を滅ぼし聖地メッカ・メディナの保護権を掌握
 スルタン自らカリフ兼任を宣言、軍事・政治・宗教の全権力を一身に集中せしめた(スルタン=カリフ制)
 スンニー派イスラームの再統一である
 オスマン帝国も異教徒(キリスト教・ユダヤ教を含め)には寛容で、“ミッレト”と言う宗教ごとの共同体を構成させ、
 納税の義務を課する一方宗教・言論の自由・裁判権等を認めた
 そのため帝国内では他民族・多宗教の平和共存が実現した
 だが分権勢力が無かった訳ではない
 イランの12イマーム派“サファビー朝”、ティムールの末裔を自称したインド“ムガール帝国”
F 西洋近代の圧力と植民地化そして独立 
  17〜19世紀怒涛のように押し寄せた近代西欧列強の前にオスマン帝国存亡の危機
 帝国の第1次世界大戦参戦と敗北、帝国は解体され分割統治
 後に独立を得た諸国家はそれぞれの近代化を模索する
 “トルコ共和国” ケマル・アタチュルクはスルタン=カリフ制を廃し宗教色を一掃、近代化を推進
 社会主義寄りの民族主義を掲げたナセル、さらに“ムスリム同胞団”
 シリア・イラクの世俗主義的“バース党”
 イランのシーア派“イラン革命”

5.イスラーム圏拡大の原動力
@ 遊牧民族固有の戦闘力および交易で鍛えられた経済力で諸国を制覇できた
まずは“世俗的な力”が制覇したのであって、イスラーム教が制覇したのではない
確かにカリフに象徴される共同体の連帯意識も戦力になったと思うが、“精神力”だけでは勝てません
A それにしても、何故被征服民が急速にイスラーム化したのか?
“俺たちは信じるだけで天国の快楽を保証してくれるアッラーの神を信じている、お前たちが信じるかどうかはお前たちが決める事、強制はしない”
ただ“お前たちは降伏したのだから、それなりの代償は払っていただく、ただしお前たちも俺たちのアッラーを信じるなら、
代償は少々まけてやろうじゃないか、地位や命も保証してやろうじゃないか”
現実的で解りやすい脅迫です
具体的物質的メリット・デメリットをちらつかせられれば、現実的に過ごしやすい方を選ぶのは人間の常
そのうち現世がどうにもならぬなら、来世の至福を保証するというアッラーを嘘でもよいから信じたくなる
イスラームには敗者を根絶やしにするような非合理的な発想はない
支配者の現実的・即物的・柔軟な支配方法がイスラーム圏拡大に貢献したと思われる

6.コーランと諸規範
神という絶対者の前に全信徒平等とみなすイスラームでは神と信徒を仲介する聖職階級は存在しない
宗教的儀礼や解釈は実質的に法学者・神学者(ウラマー)によって指導された
イスラーム法はコーランとムハンマドの言行録ハディース(スンナ)を法源として
イジュマー(合意)キヤース(類推)を加えウラマーの手で整備された、これを“シャリーア”と言う
神・天使・啓典・預言者・来世・天命の“六信”を奉持する事、
信仰告白・礼拝・断食・喜捨・巡礼の五行および聖戦、その他道徳律、結婚等人間関係全般に関する規定、刑罰等が詳細に決められている
ムハンマドを通してアッラーが直接下し給もうたと言うコーラン、その韻律の美しさは、勿論アラビア語の解せない私には解らない
ただ印象として、イスラーム教は商人としてのムハンマドの性格からか“随分現実的・即物的だな”との思いを深めた
しかも男臭い、生活規範に関する細々とした注意は全く口うるさい“頑固家長”そのままの口吻、
戦前右翼の大川周明などが親近感を持ったのも、このあたりにあるのかも?

@ 冒頭アッラーへの帰依を宣言

1章 開瑞章
1節.慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
2.万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、
3.慈悲あまねく慈愛深き御方、
4.最後の審きの日の主宰者に。
5.わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う。
6.わたしたちを正しい道に導きたまえ、
7.あなたが御恵みを下された人々の道に、あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく

A “終末と来世”
なぜアッラーに帰依するのか、現世の幸せは“偽りの快楽”、来世において天国に入れてもらうためである
ラッパが鳴る、終末の日は突然やってくる、すべての死者は復活されアッラーの前に引き出され天国行か地獄行か“最後の審判”を受ける事になる
(閻魔大王の裁定に似ているが、イスラームでは死後即ではなく、最後の審判日に全人類一斉に裁定を受けるらしい)

75章 復活章
36節. 人間は,(目的もなく)その儘で放任されると思うのか。
37. 元々かれは射出された,一滴の精液ではなかったか。
38. それから一塊の血となり,更にアッラーが,(均整に)形作り,
39. かれは,人間を男と女の両性になされたのではなかったか。
40. それでもかれには,死者を甦らせる御力がないとするのか。
82章 裂ける章   現世での生きざま一切が番人の手で帳簿に記されている
1節.天が、微塵に裂ける時
2.諸星が散らされる時、
3.諸大洋が溢れ出される時、
4.墓場があばかれる時、
5.それぞれの魂は、既にしたことと、後に残したことを知る。
10.本当にあなたがたの上には2人の看守(天使)がいるが、
11.かれらは気高い記録者で、
12.あなたがたの所行を知っている。
13.敬虔な者は、必ず至福の中にいる。
14.罪ある者は、きっと火の中にいて、
15.審判の日、かれらはそこで焼かれ、
16.そこから、逃れられない。
56章 出来事章
20.また果実は、かれらの選ぶに任せ、
21.種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。
22.大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、
23.丁度秘蔵の真珠のよう。
24.(これらは)かれらの行いに対する報奨である。
25.そこでは、無益な言葉や、罪作りな話も聞くことはない。
26.只「平安あれ、平安あれ。」と言う(のを耳にする)だけである。
27.右手の仲間、右手の仲間とは何であろう。
28.(かれらは)刺のないスィドラの木、
29.累々と実るタルフ木(の中に住み)、
30.長く伸びる木陰の、
31.絶え間なく流れる水の間で、
32.豊かな果物が
33.絶えることなく、禁じられることもなく(取り放題)。
34.高く上げられた(位階の)臥所に(着く)。
35.本当にわれは、かれら(の配偶として乙女)を特別に創り、
36.かの女らを(永遠に汚れない)処女にした。

天国は敬虔なクリスチャンが顔をしかめそうな“悦楽”の世界です
この天国切符を得るために“人間爆弾”に仕立てられた幼子さえあった
一方“地獄は業火と熱湯と煙の充満する灼熱の世界”
日本仏教にも似たような極楽地獄があるが、これほどの即物的な響きはないように思う

B 女性観
イスラームは女性蔑視か?少し詳しく見てみよう
当時は戦乱の世、未亡人・孤児対策としての多妻制だと言う事で、4人までの一夫多妻を認める
ただしすべての妻を公平に愛さなければならないから、それ相応の財力も要る(妻を所有するという感覚である)
後述の “右手が所有する者”の意味が解らないが、沢山の妻を持つ力がなければ、奴隷相手で我慢しなさいというところだろうか
(奴隷制も認めていた、問題はコーランに書いてあるからと時代背景抜きで妻妾や奴隷を持とうとするお金持ちが出てくることだ)
ムハンマド自身は14人以上の正妻を持っていたと言うから、財力もさりながらなかなかの絶倫家であったらしい。
その方面ではやけに話の解る“教祖様”も多いようです
ちなみに聖書に書いてあるかどうか知りませんが、キリスト教では“一夫一妻”制(一夫一妻制はキリスト文明によって成立したとも言う)

4章 婦人章
3. あなたがたがもし孤児に対し,公正にしてやれそうにもないならば,あなたがたがよいと思う2人,3人または4人の女を嬰れ。
だが公平にしてやれそうにもないならば,只1人だけ(嬰るか),またはあなたがたの右手が所有する者(奴隷の女)で我授しておきなさい。
このことは不公正を避けるため,もっとも公正である
34. 男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが,一方を他よりも強くなされ,かれらが自分の財産から(扶養するため),経費を出すためである。
それで貞節な女は従順に,アッラーの守護の下に(夫の)不在中を守る。
あなたがたが,不忠実,不行跡の心配のある女たちには諭し,それでもだめならこれを臥所に置き去りにし,
それでも効きめがなければこれを打て。それで言うことを聞くようならばかの女に対して(それ以上の)ことをしてはならない。
本当にアッラーは極めて高く偉大であられる。      

(女は男が扶養するのだから、不忠実な女は殴ってもよいと、穏やかならざることが書いてある
それ以上のことをするなと言うのは殺してはいけないと言う事でしょうが、殴れば死ぬこともある
後述のように姦通罪は死ぬまで“石つぶて”を投げられる
ちなみに私は石打ちの刑に問われた女性を助けるために言ったイエスの言葉
“なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て”が好きです)
同章11節では女性の遺産相続額は男性の2分の一と規定されている
女性は子を産むのが仕事、生活費はすべて夫の負担という時代背景からの規定である
コーランは財力が男に集約されていた男系社会の産物だから、女は男の持ち物と言う感覚も仕方ない、
むしろ金があるなら女子供を沢山扶養するのが男の勤めでもあったのだろう、その意味でムハンマドはフェミニストだという人もいる
いずれにしてもムハンマドの時代、男系社会での女性の地位である
倫理観より経済力の問題だ
ちなみに博識の小説家・古川愛哲さんは”中世ヨーロパでは妻子を殴って支配するのは男の義務、教会が奨励した”と書かれている
”夫は妻を鞭と棍棒で激しく殴ることができる”と法律で明記され、むしろ女の反撃を許した男が罰と辱めを受けたとまで書かれている
男と女の問題を離れてオバマ大統領は今年の2月”すべての宗教は暴力的だ”と言って物議をかもした
オバマの父がイスラム教徒だった事もあるのだろう、キリスト教関係者から大激怒をかってしまった
キリスト教徒あるいはキリスト国の歴史的暴力性は否定すべくもないが、聖書は勿論暴力を否定している
しかしコーランは”婚姻制”や”暴力”、歴史的産物としての社会関係を余りのも具体的に規範化してしまった
聖典化されたことで、それが現代にも適用される規範になってしまった、そこの所が問題だ
“原理主義者”はすべてを永久不滅の聖典コーランに照らして行動する
コーランに書いてあるから、女性は男の囲い者、不忠なら殴れ、性的奴隷もOK?
人が人を蔑視したり殴ったり殺したりする“共同体”が“共同体”として発展するはずがない
逆に言えばコーランは神が下された永久不滅の真理と言えるだろうかの疑いさえも出てきます
(私自身はムハンマドの思想・言葉と思っていますが、それを言っちゃあお終い?)

24章 御光章
31節. 信者の女たちに言ってやるがいい。
かの女らの視線を低くし,貞淑を守れ。外に表われるものの外は,かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。
それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい。自分の夫または父の外は,かの女の美(や飾り)を表わしてはならない。
なお夫の父,自分の息子,夫の息子,また自分の兄弟,兄弟の息子,姉妹の息子または自分の女たち,
自分の右手に持つ奴隷,また性欲を持たない供回りの男,または女の体に意識をもたない幼児(の外は)。
またかの女らの隠れた飾りを知らせるため,その足(で地)を打ってはならない。
あなたがた信者よ,皆一緒に悔悟してアッラーに返れ。必ずあなたがたは成功するであろう。

女性をスケベな男の視線から守ろうとの親切心?からであるが、現代女性から余計かつ不都合な束縛と顰蹙をかう
他人事ならまだしも、社会的進出が阻まれるイスラーム女性の死活問題
女の裸が商品になる世も善し悪しだが、何故女が魅力を振りまいていけないのか
一部の“原理主義者”たちは女性が教育を受ける事すら禁じる、そんなに女の“自立”が怖いのだろうか

C 食べ物
5章 食卓章
豚肉、豚肉以外でも正しい屠殺法によって殺された動物以外の肉を食することを禁じる
衛生上の配慮であったらしい
飲酒・酒類の製造・販売も禁止している、これを犯すと、鞭打ちの刑に処せられる

D 刑罰
同5章では復讐法的な規定(もともとはハムラビ法典)がある
45節. われはかれらのために律法の中で定めた。
「生命には生命,目には目,鼻には鼻,耳には耳,歯には歯,凡ての傷害にも,(同様の)報復を。
しかしその報復を控えて許すならば,それは自分の罪の償いとなる。アッラーが下されるものによって裁判しない者は,不義を行う者である


極力許せ、罰を与える場合は受けた以上のことをするなと言う規定である
ところがイスラームの刑罰の過激性はしばしば人道上の問題になっている
例えば姦通罪には死ぬまで“石つぶて”を打てとか窃盗罪には手首を切ってしまえとか
宗教は強制しない筈のイスラームだが棄教者は死罪、これが“原理主義者”の“人殺し”の名目となる

次は戦闘の仕置き、今も“戦闘”となればどの国でもそうある事が問題でイスラームだけが過激ではない
9章 悔悟章
5.聖月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。
だがかれらが悔悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をするならば、かれらのために道を開け。
本当にアッラーは寛容にして慈悲深い方であられる。

コーラン成立の当初でさえ、ムハンマドは当時の社会情勢に応じた刑罰執行の制限に気を配っている
今は今の社会情勢に応じた制限事項がある筈だが、過激な“テロ集団”は左様な事はお構いなしに、過激な“原理原則”で自己を正当化していないだろうか?

E 利子の禁止

2章 雌牛章
275節.利息を貪る者は、悪魔にとりつかれて倒れたものがするような起き方しか出来ないであろう。
それはかれらが「商売は利息をとるようなものだ。」と言うからである。
しかしアッラーは、商売を許し、利息(高利)を禁じておられる。それで主から訓戒が下った後、止める者は、過去のことは許されよう。
かれのことは、アッラー(の御手の中)にある。だが(その非を)繰り返す者は、業火の住人で、かれらは永遠にその中に住むのである。


さすがに“利子”なくては経済が廻らないから、色々な抜け道があるそうです

F  六信五行の具体的記述は“ハディース”を読まなければいけないそうだが
ネットによれば
六信とは、『アッラー』、『天使』、『啓典』、『預言者』、『来世』、『定命』を信じること。
五行とは、ムスリム(イスラーム教徒)に課せられた五つの義務行為のことである。
1.「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドは神の使徒である」という信仰告白(シャハーダ)を行う。
2. 夜明け、正午、午後、日没、夜半と1日5回の礼拝を行う。
3. 年収から一定額の喜捨(ザカート)をする。
4. イスラーム暦第9月のラマダン月に、夜明けから日没まで一切の食物並びに水を口にしない。
5. 第12月の巡礼月に(定められた方法で)メッカへ巡礼する。

神への服従と感謝の心は必ず形に表さねばならない、心で信じているだけだはダメ
浄土真宗の念仏、法華の太鼓、ユダヤ教もキリスト教も決まった日時の礼拝は宗教共同体の基本原則
一堂に顔を合わせ一緒に何かをするから共同体の意味がある
1日5回、時間を決めて一斉にお祈りするのだが、時間をずらしてもよい場合なども綿密に決められている
ただこれもムハンマドが生きていた時代に沿ったもので、今は今の時代が要請するものがあると思う
と言っても聖典に書かれた規範を現代社会に対応した規範に変えるべきと言うのではない
細々した規範を聖典化し戒律にすれば、過激な独善主義者が権力を振るい民衆の自由を奪い社会発展の妨げになるのを恐れる

“喜捨”はイスラーム共同体を象徴するとても大事な事
但しキリスト教的“恵み”心の問題ではなく、ウンマ(共同体)を守るための義務、一種の“救貧税”(所得の2.5%)であるのが如何にもイスラームらしい

神を忘れないための“断食”、むしろ“断食明け”の解放で生きている喜びを噛み締めるためにある様だ
ムハンマドも断食が明ければ大いに交われ、大いに食え、欲望を充たすがよいと態々言っている
(事実断食月には食料消費が年間最多になる)
巡礼もしかり、国籍人種を超えた人的邂逅を喜びとする
六信五行を実行できることがイスラームの歓びであり誇りなのだ
裸の女の子を見てニヤニヤするより、余程スケールの大きい“快楽”だ
だからムハンマドさん、なかなか話の解る小父さんだ
でも強制されるとね、“お前は六信五行を守らない異教徒だから死刑さもなくばゼニを出せ”なんて言われるのは真っ平だ

神学上の問題は“天命論”、随所に “宿命”論的な言葉がある
ネットにひろさちや氏の“キリスト教とイスラーム教”を紹介した記事がありました
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/islam.htm
随分参考にさせていただきましたが、
中でも“予定説”(プロテスタント・カルヴァン派、黎明期資本主義の精神的支柱となったと言われる)の解説が非常に解りやすいので、
そのまま引用させていただきます

“滅びに予定されている者は、いくら努力しても絶対に救われないのだし、
救いに予定されている者は、いかにしても救われるのであるから。
救いに予定されている者は、いかにしても救われるわけであるが、じゃあその人
はどんなに悪いことをしても救われるのか……と、わたしたちは反問したくなるが、
しかし、その反問はおかしいのである。
なぜなら、救いに予定されている人は、悪いことができないからである。
悪いことができるというのは、その人に自由意志を認めているので、予定説ではない。
救いに予定されている人は、絶対に悪いことができない。故に、その人は救われる、
というのが予定説である。
逆に、滅びに予定されている人は、善いことができないのである。だから彼は、滅びにいたるよりほかはない。
わたしたちはみずからが救いに予定されていることを確信したとき、神が命じられた善き業(わざ)をできるのである。
救われるために善き行為をするのではなく、救いが予定されているから善き行為ができるのである“
“天職”に専心できるのは神の導き、そしてそれは自分が神の選びにあずかっている証拠、これぞ“歓び”
とても素晴らしいのですが、無信仰の私はやはり“滅び組”に予定されているのでしょうかね
“わたしはいま、キリスト教の考え方について説明したのであるが、
イスラーム教の神=アッラーも、やはり唯一・絶対の神であり、万能の神であるから、
イスラーム教についても同じことが言えるわけである。
つまり、イスラーム教においても、本質的には予定説になり、人間の自由意志は認められない“

神は全知全能の創造者、すべての運命は神の定め給うところ、“神の意志のままに”と考えれば本当に気が楽なのですが、
なのに何故アッラーは“人間の責任能力”を追求する“最後の審判”を行うのでしょうか?
私はまだ根本のところが理解できていません

7.過激化するイスラーム
“イスラーム”は“平和”を意味するからイスラームは平和を願っている、いや“イスラーム”は単に“服従”を意味するとか言われるが、それは兎も角、
“イスラーム原理主義”を掲げるイスラーム国(IS)など、一部のイスラームが過激なテロ集団として世界を震撼させている
“原理主義”はもともと“進化論”や産児制限を認めない一部のキリスト教徒を指した言葉
“イスラーム原理主義”は欧米圏からの蔑称として、最初はイランの革命政権に対してアメリカが使用した
“イスラーム原理主義”とは“イスラームの理想に帰れ”と言う運動や考え方で、勿論テロリストとイコールではない
しかし行きつくところイスラーム法を絶対的規範としての統治を目指すため過激化しやすい
下記はイスラーム原理主義を標榜する主な過激派組織である
 イラク・シリア   イスラーム国(IS)
 エジプト・ヨルダン ムスリム同胞団
 パレスティナ    ハマス
 レバノン・シリア  ヒズボッラー
 アフガニスタン   タリバン
 ビンラディンの開いたアルカイダやボゴハラムは
 今や世界に散らばり、“欧米人”のイスラーム原理主義者も過激な行動を起こしている
一方“テロリズム”は政治的な目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いることを言う
近年イラク・シリアの反政府組織として急速に勢力を広めたイスラーム国(IS)の蛮行が批判を浴びている
  捕虜の処刑、異端者あるいは非服従者の処刑や拷問および実質的奴隷化(特に女性は戦利品扱い)
  略奪や営利目的誘拐
  改宗強要
  強制徴兵(子供を含む)
テロは勿論反政府組織だけではない、フランス革命ロベスピエールの恐怖政治テルールはテロリズムの語源である
ISに対抗するイラク・シーア派・マリキの政府軍はスンニー派住民を殺戮、シリアのアサド政権も民間人を殺戮
米クリントンはイラク、イラン、シリア、リビア、スーダン、キューバ、北朝鮮を“ならず者国家”、
ブッシュはイラク、イラン、北朝鮮を“悪の枢軸”と命名して“テロ国家”の認定、そしてイラクに侵攻・フセイン大統領を逮捕・処刑せしめた
フセインの恐怖政治は確かにテロ行為だろうが、米軍のイラク空爆・民間人殺戮はテロではないのだろうか
(これは戦争だからと言えば、イスラーム過激派たちも戦争だからと言うだろう)
戦争こそ公認の“テロ行為”、
と言っても少なくともISが宗教に身を固めた歯止めの利かない“テロ組織”である事も否定できない
オウム真理教を大きくしたような“カルト”集団と言われても仕方ない

さて勿論過激派はイスラームばかりではないが、何故イスラームは過激化したのだろうか
@ 宗派間・民族間の絶え間ない闘争の歴史の中から生まれた独裁国家の悪政と米国癒着
特に貧困・人口増と就職難・経済格差拡大・軍事費増大・政治腐敗、加えて米国主導の世銀・IMFの勧告で進められた経済調整政策は失敗、
国民の抑圧的政治への反感・反米感情を高まらせた
現在多くの独裁国家は機能不全に陥り、
逆に反政府組織は住民の反政府感情を取り込みIT技法も駆使して国家を超えてグローバルに勢力を拡大
A 米国“対テロ戦争”でのイスラーム世界攻撃
中田考氏が言うようにイスラームの過激派は“イスラーム世界がかつてのような輝きを失ったのは、
イスラーム法をムスリムが放棄し、西欧の法律を導入したから”と考える、
ちょうどオスマン・トルコ衰退期に重なったタイミングもあったろうが、
キリスト教徒が主役の欧米先進国への反感がある、常時イスラエルを支持する米国への反感もある
大規模テロ闘争の指導者、アルカイダのビンラディンの反米闘争は
湾岸戦争で米軍がムスリムを殺害したこと、その後も誇りあるメッカ・メディナの所在するサウディアラビアに駐留したことを契機とする、
対ソ連戦で利用するだけ利用されて(逆に言えば米軍から武器を受け育てられて)捨てられた反感もあった
異教徒が“戦争の家”から “平和の家”に土足で踏み込んできた、“イスラーム世界からキリスト教徒とユダヤ教徒を駆逐せよ”
アメリカの強気戦略は失敗した、ビンラディンを殺害したものの、彼の衣鉢を継ぐ者が全世界に広まった
B 本質的に宗教はラディカルで排他的である、主義主張が軟弱では成り立たない
イスラーム社会はその宗教を連帯の象徴とし、多くの場合世俗の支配者=宗教指導者であったから、過激にならざるを得ない
その意味で政教一致、宗教やイデオロギーを統治の手段とすることは本来的に危険だと思う
C 上述のごとく“イスラーム原理主義”はイスラーム回帰主義、復古主義である
アッラーの名を借りて自分たちを絶対化し、従わないものを異教徒・棄教者として生殺与奪の権を持とうとする
しかし彼らの理想とする”復古”は正しいという保証はあるだろうか
彼らが絶対的に依拠するのはコーラン、イスラーム法であるが、それは7世紀アラビア半島の社会風土で誕生した規範である
その社会風土は厳しい民族・宗派間の闘争社会だった、ムハンマド自身後発の宗教で戦う軍団の指導者だった
コーランにも無神論者や異教徒に対する差別的抑圧的文言も幾らかあるが、
それはその当時の社会背景から無理からぬところもある(人道的でないと言っても、歴史は未だ“人道主義”の洗礼を受けていなかった)
そのような闘争社会に誕生しながら、ムハンマドはむしろ当時の社会情勢に応じた現実的抑制的な配慮を忘れていない
だから近世に至るまでイスラーム社会はキリスト欧米社会より民族融和的・宗教寛容的であったともいえる
しかるに“原理主義者”は現在の行動・判断基準を強引に七世紀に誕生した規範に合わせようとする、
自分たちの都合に合わせコーランから大げさで過激な“原理原則”のみを拾ってきて自分たちを正当化しようとする
コーランは神の啓示であろうとも7世紀に生きたムハンマドの口から出た生の言葉である、
歴史的制約を受けざるを得ないと言えば“無神論者”の世迷言になるだろうか
端的な例が“イスラーム原理主義”を標榜するISは無関係な人間を“人質”に取り、その国の政府が身代金を出さないから殺害した、
余りにも時代錯誤、無茶である、“イスラーム教”は単なるお飾りに過ぎない、“カルト”と言われても仕方ない
”心は神の領域”として、自分たちの宗教を押し付けなかった伝統”イスラーム”の柔軟性をかなぐり捨ててしまった、
と言うより、もはや財を奪い自分たちの勢力さえ広げる事が出来れば宗教の大義はどうでもよいと思っているフシさえある(手段の目的化)
彼らの言い分は“お前の盟友アメリカは空爆でもっともっと我々の仲間を殺害してきた”
確かにそうだろうが、今の社会通念は残念ながら戦争での“人殺し”を認めても罪もない人質を殺すことは認めていない、
だからISは世界に背を向ける事になった、ISイスラーム国は世界的了解のもとに駆逐できる情勢にある
だがISイスラーム国と前線で戦っている政府軍が、これまた自国住民の殺戮も辞さない“テロ国家”と言うから話がややこしい、困ったことだ
失礼、ちょっとムキになってしまった