ヴェーバー学者が見る日本の近代化

日本の近代化と社会変動(1)   富永健一  講談社

富永先生は1931年生、日本社会学の草分け的存在にして高名なヴェーバー研究家です。
本書は1990年頃行われたドイツのテュービンゲン大学日本学科での講義が原型ですが、
日本の社会構造・歴史を考える上で 少なくとも私達世代の感覚では とても解りやすく書かれています。
先生は近代化と言う社会システムを16〜19世紀のヨーロッパにおける宗教改革や市民革命や産業革命以後の歴史過程ととらえ、西洋より遅れて西洋のインパクトのもとに始まった非西洋諸国の近代化が16〜19世紀の西洋諸国の近代化にどのように迫り得たかを、日本の社会構造・歴史を中心に分析します。
分析の手法は“近代的なもの”の構成要素を経済的(産業化)・政治的(民主化)・社会的(自由化)・文化的(合理化)4つの領域に分けて捉え、経済的領域に比べて他の領域では文化の伝播が困難で有る事を仮説する事で、後進国の近代化の跛行性、それにより引き起こされたコンフリクト(葛藤)を明らかにします。明治維新が“上からの産業化”であり、政治的・社会的・文化的近代化は逆に上から抑圧されたもので有ったが為、昭和のファシズムにつながります。
そして戦後はじめて日本の人々は前近代的呪縛から解放される事になります。
近代化概念を4つの切り口で捉える事で戦前日本の前近代性が鮮やかに描かれています。
戦後日本についてはプリモダン・モダン・ポストモダンの混在として捉えられていますが、もう少し深入りして欲しいところでした。戦後日本の近代化も決して自前ではなく、外から持ち込まれたものであり、上から急激に育成されたものである側面、その事による跛行性とコンフリクトを追求すれば、現在日本やアジアが置かれている状況がより鮮明になろうかと思います。(本書は15年も前の著作ですから仕方のない事ですが)
更に言えば 近代化概念が4つの領域に一括りする事で、近代化における上部精神構造の役割を正当に評価出来た訳ですが、やはり近代主義の限界というか、民主主義であろうが合理主義であろうが利になる所は全てくわえ込みながら、利に反すれば切り捨てる“資本”の凄みを捉える視点は近代主義からは生まれがたいのでは無いでしょうか。
いずれにしろ日本社会史を俯瞰するに最適の教科書です。
以下に要約します。

第1部 近代化理論と日本社会
第1章 近代化と社会変動における西洋と非西洋
16世紀からはじまり19世紀に至る西洋諸国の近代化、そして それを取り入れようとした日本他非西洋の近代化とは どのような点で差異があるのか。
それを分析する為に 先生は“近代的なもの”を包括的に捉えた発展段階説の誤りを指摘して、近代化と言う社会システムを4つのサブシステム(下位類型)に分けて考える事からスタートします。
4つの領域での近代化
@ 経済的近代化=【産業化】 
経済活動が自立性をもった効率性の高い組織によって担われて
“近代経済成長を達成するメカニズムが確立されている事
価値基準は“資本主義の精神”
A 政治的近代化=【民主化】
政治的意志決定が大衆的レベルにおいて民主主義的基盤の上に乗る様になり、
又その実行が専門化された高度の能力を持つ官僚制組織に担われる様になる
価値基準は“民主主義の精神”
B 社会的近代化=【自由・平等の実現】
地域社会が封鎖的村落ゲマインシャフト(血縁的包括的未分化な親族社会集団)から
開放的都市度の高い地域ゲゼルシャフト(機能的に分化した目的組織としての
社会集団)に移行する事で機能分化・普遍主義・業績主義・手段的合理主義などの
制度化がすすむ
価値基準は“自由・平等の精神”
C 文化的近代化=【合理主義の実現】
科学及び科学的技術の制度化がすすみ、迷信・呪術・因習など非合理的な文化要素の
占める余地が少なくなっていくこと
価値基準は“合理主義の精神”

近代化は西洋近代に生まれた社会システムであるから、非西洋世界にとっての近代化とは
“西洋近代からの文化伝播に始まる自国伝統文化につくりかえの過程”と言える。
非西洋後発社会の近代化を可能にする3つの条件
@ 近代的価値の伝播可能性の度合い
A 近代的価値の受け入れる動機付けの度合い
B 近代的価値を受け入れるに伴って引き起こされるコンフリクト(葛藤)の度合い
先生はこれらの伝播可能条件を考えて、非西洋社会の近代化に関する1つの仮説を提示します。
上記近代化サブシステムのうち 経済的領域において最も伝播可能性が高く
次に政治的領域、社会的・文明的領域という事になる。

西洋では 社会的近代化(氏族の消滅や自治都市の興隆)・文明的近代化(ルネッサンス・宗教改革)から政治的近代化(市民革命)を経て経済的近代化(産業革命)が達成された事に比べて 非西洋での近代化は 時間順序が正に逆になる。
このような仮説を立てる事で非西洋の近代化に於ける
サブシステム間の不均衡による機能障害が分析されて行きます。

第2章 近代化理論とその課題
パーソンズ・ヴェーバーから従属理論・世界システム理論など海外・日本の社会学を俯瞰、それぞれの近代化に関する学説が紹介され批判的に吟味されます。

第3章 初期状態 日本の伝統社会
従来の社会科学・歴史学は
西洋諸国の近代化過程から引き出された理論をそのまま日本歴史の解釈に当てはめるか、
それが無理だと解ると逆に日本特殊テーゼに立てこもる。
一般理論の機械的適用或いは特殊テーゼとして理論放棄に陥らないために
近代化に至る前段階としての日本社会の歴史が詳細に分析されます。
@ 日本古代専制国家の支配構造
大化革新以前の“氏族制社会”
天皇と天皇から氏・姓を与えられ朝廷に於ける特定の職務を世襲的に独占した有力氏族
氏族に系列化従属していた部民・族民・奴婢
氏族に系列化されていない農民
    ↓
大化革新の“公地公民制”
皇室以外の諸氏族に隷属していた部民を全て皇室に直属する部民に編成替え
    ↓
A 中世封建制
平安後期の“荘園制”
口分田の私有化から生じた名田(直接耕作者・田堵が請作)の占有者たる名主、山林や荒蕪地に私的に資本投下してその所有者となった開発領主などが国家の徴税を逃れるために中央有力貴族(中央官僚貴族や大社寺)に寄進したため、中央家産官僚の荘園(私有地)は益々肥大化した。ただし荘園領主が古代的宮廷貴族である限り律令制の枠内にある。
    ↓
鎌倉幕府が古代的荘園領主権を切り崩す
頼朝は自己の家臣団或いは地元豪族を地頭(荘園を管理する荘官)守護(地頭を総括する上級職務)に任命、武士たる地頭がしだいに世襲化、荘園領主権を都市宮廷貴族から簒奪。
但し この地頭小領主が幕府の御家人である限り、いまだ封建領主としての地域的独立を持っていなかった。
    ↓
足利幕府の下、中央の幕府役職を兼ねる有力守護が領国大名化、地頭領主等を守護の被官として自らの自らの支配下に組み入れる(守護大名)足利幕府はそれら守護大名の連合政権と言える。
    ↓
戦国時代になると守護・地頭等の官職は無意味化、下克上の時代になる。
没落を免れた守護大名や地頭や名主など在地小領主の系譜を引く小封建領主の中から力を得た者が戦国大名に転化する。
戦国大名は中央からの権力統制をまったく受けずに全国各地に割拠する。
戦国大名は領国にあって領国内農民を直接把握、中間的搾取を排除する純封建領主である。
B 近世封建制
織豊政権・徳川政権で諸大名権力の中の一つが中央権力に上昇、中央権力的要素が再導入され、戦国大名は近世大名に移行する。
検地制度などを導入、大名だけが領国全域の支配者となり、大名の家臣団は土地から引き離され城下町に集住してサラリーマン化する
外様大名は徳川の覇権を承認するも徳川に対しピエテート感情(持続的家族道徳的感情)を持つことなく強い独立性と自主性を持つ
ピエテート感情を持ったのは徳川直属官僚としての譜代大名及び旗本・御家人の家系に限られた。
幕府は諸大名にライトゥルギー(対国家奉仕義務)を割り当てる事が出来ず、財政基盤は諸大名の一人として直轄地・天領(全国生産力の13.7%)のみを支配した。
一方 幕府は商人を直接把握、この事は商人の自立性を妨げ封建に対抗するブルジョアジーに転化する芽をつむことになったが、逆に家臣団のサラリーマン化、頻繁な転封、参勤交代などと相まって商業の発展を促進した。

ヴェーバーは封建制と家産制を対比、封建制が近代化に適合的であると理論づけている。
律令制崩壊から封建制への動きは日本内部から興ったものである。
アジアに於いて日本だけが独自に西洋封建制に近似した歴史を持つ事が出来たのである。
その事が 
日本が他の非西洋諸国に先駆けて近代化に成功した第1の理由である

【参考】ヴェーバーの“支配類型” 家産制と封建制
家産制とは中央に専制君主のヘル(封主)権力があって、この専制君主が全国土と人民を集権的に支配する支配形態。皇帝の家計と国家の家計は未分離。専制君主の下には彼とピエテート(持続的家族道徳的感情)関係によって結ばれる家臣団があり、彼らは家産官僚制を形成する。家産官僚は土地・人民を領有出来ず、中央から割り当てられたライトゥルギー(対国家奉仕義務)を皇帝のために負担する徴税請負人であり、皇帝から給与を支払われる“食卓共同体”である。本質的に集権体制。
一方 封建制は各地域ごとに土着の独立した小規模領主がいて自己の土地と人民を独立的分権的に支配。王は封臣に対してその領有する土地を封土として授封するという形式的手続きをとるが王と封臣の間にピエテート関係はなく、また王は封臣にライトゥルギーを割り当てる力を持たない。領主家計は王の家計から完全に独立、自己の土地と人民に対する支配権を世襲する。本質的に分権体制。

第2部 日本の近代化
第4章 経済的近代化=産業化
西洋先進国からの衝撃で徳川鎖国体制は崩壊し、明治維新を契機に日本の近代化が始まる。
徳川社会は封建社会としては異例なほど都市化と貨幣経済がすすんだ社会であったが、
その商工業は中世封建的な限界を持つものであった。
又 近世儒者たちの経済論からも近世商人の意識からも宗教エートスからも産業主義の理念が出てくる可能性は全く無かった。それ故に日本に自立的に近代化する余地はなく、西洋からの文化伝播を受容する事で近代化が達成される事になる。
では アジアに於ける近代化の先頭を切った
日本近代化の原動力は何であったか?
日本に於いて産業主義はあくまで西洋からの文化伝播の産物であるが、日本人はこの輸入された産業主義から西洋文化に固有な功利主義的個人主義を切り離し、これを国家目標として位置づける事で自国文化と巧みに接合したのである。

後進国の産業化は政府主導による“上からの”それであるほかはない。
大久保利通を中心とする維新政府はその“殖産興業政策” を自覚的に強力に推し進める事になる。国家を強大ならしめる為の殖産興業政策、ここでは本来の産業主義が持つ
“充足価値”にかわって“貢献価値”がめざされる。これが日本近代化の動機付けである。
文化伝播により国内に生じたコンフリクトはどうか。
上からの産業主義の利益を圧倒的に享受した財閥(親族組織の前近代的形態たる同族集団と資本主義的所有が結合)、そして高額地租によりもたらされた農民の二極分解(農村の崩壊による都市労働者の供給)は農村出身者の多かった帝国陸軍の反産業主義、反西洋主義の土壌となり、日本を太平洋戦争に開戦に導く大きな要因となる。
他の側面の近代化はむしろ抑圧されて、上から強引に推し進められた経済領域の近代化による近代化の跛行性とそれによって引き起こされたコンフリクトを戦前日本はついに自力で解決出来なかったのである。

第5章 政治的近代化 民主化
民主主義=政治権力が一人或いは少数の支配者に握られているのでなく、
平等な権利をもった全ての国民によって分け持たれているような政治制度
西洋起源、近代に固有の概念である。
民主主義が産業主義より伝播可能性が低い理由
@ “上からの民主化”は原則としてあり得ない
A 政治領域は伝統に拘束され普遍性をもちにくい
B 産業主義に比べ効率比較が困難
幕末期までの日本は資本主義精神の自主的萌芽を持たなかったのにも増して
民主主義の萌芽を持たなかった。
明治維新を準備したのは近代思想でなく(水戸学による討幕運動)、
明治維新は政治的には律令制の復活であり“古代化”であった。
 西洋の王は中世封建制社会の支配者の子孫であるに対し
 
日本の天皇は中世封建社会の支配者でなく古代の支配者が近代国民国家の元首に横滑り。
日本の民主化運動
@ 明治初年の民権派は不平士族の反政府運動として伝統主義思想の“征韓論”と未分離
A 板垣の立志社や愛国社が結成、知識派の豪農層を担い手に加えて自由民権運動に発展
     板垣の自由党、大隈の立憲改進党が結成、貧困化する農民の不満とも結び付き
     高田事件・群馬事件・加波山事件・秩父事件等一連の騒擾事件も起きる
     国会開設、大日本憲法公布
B 不完全な民主化 
     明治政府の藩閥指導者が民主化を最小限に食い止めようとした憲法公布
    上からの欽定憲法を発布して事実上議会から憲法審議権を奪った
  絶対王政プロイセン型憲法を手本
  教育勅語等伝統的儒教価値を重んじる
  議会は開設されても超然内閣
C 大隈・板垣の憲政党が与党になるが、間もなく再分裂、山県の藩閥内閣に逆戻り
D 長州藩閥から転身した伊藤博文の政友会、旧改進党系大隈の憲政本党、
     長州藩閥かつ陸軍を背後に持つ山県有朋・桂太郎(後 立憲民政党に)
E 大正デモクラシー  政友会(伊藤→西園寺公望→原敬)全盛、男子普通選挙制実施
  一方で民主化が進んだが他方では昭和ファシズムへの準備段階
E 1914年 対華21ヶ条要求から中国への侵略
1932年 五・一五事件
1936年 二・二六事件
日本の民主化運動は西洋民主主義の思想的伝播を通じて一定の発達を遂げたが、
明治維新の“古代化”に発する伝統主義的体質を変えるに至らず、
対外侵略とともに軍部の発言力が強まり
30年代以降45年まで民主主義の政治価値は完全に圧殺された。

第6章 社会的・文化的近代化  自由・平等と合理主義
社会的近代化 血縁社会としての家族・親族
       地縁社会としての村落・都市
       目的社会としての組織
  近代化によってゲマインシャフトとしての家族・親族・村落・前近代的都市は
    ゲゼルシャフトとしての近代都市・組織に支配領域を奪われていく
文化的近代化  専門分化・複雑化・合理化・知性化への構造変動
  精神文化における価値は伝播不可能ではないにしても困難である
注)ヴェーバーのピューリタニズムと資本主義精神
  ピューリタニズムは儒教および道教との対比に於いて、呪術からの徹底的解放、
  現世的職業労働への献身の強調、血縁的紐帯による拘束の拒否などの諸点において
  高度に合理化された宗教である事を示した

西洋文明の精神面を受容しようとすると伝統日本において高度に発達してきた儒教的価値、
  取りわけ血縁集団としての“家”、地縁集団としての“村”の社会関係による拘束がコンフリートする
伝統主義的・非合理的日本ナショナリズムが対外侵略と国粋主義を育て上げる
戦前日本の伝統的体質は本来ならば産業化と機能的に適合しない故に解体に向かうはずの家ゲマインシャフトと村落ゲマインシャフトを温存せしめ、
企業に於ける社長と労働者の関係は
“経営家族主義”
国家に於ける天皇と国民の関係は
“家族国家観”にアナライズされた。

第7章  日本戦後社会と近代化
戦前期日本は近代化サブシステム間の跛行性に由来する不安定性と
そこから発生する絶え間ないコンフリクトを宿命とした。
1930年代から45年までの間に日本を支配した“日本ファシズム”は
これら緊張システムの産物である。
第2次大戦における敗戦は戦前日本社会に制度化されていた伝統主義の価値体系の
正当性を一挙に破壊した。
占領軍総司令部による戦後改革
  新憲法制定・労働改革・農地改革・財閥解体・独占禁止法
その後の
高度経済成長によってもたらされたもの
  @大衆的規模での貧困からの脱却
  A国際社会での地位向上
  B自由競争経済の実現  
        上からの産業化は特定独占企業を保護する事で自由競争の実現を不可能にする
         財閥資本主義は自由市場経済発展以前の“アンシャン・レジーム”
    C 経済的価値が政治的価値、社会的文化的価値より上位となる
    D 国家レベルの貢献価値が下落、私的レベルの充足価値が上昇、私的欲望が解放

では日本経済の近代化は完了したか?
官僚主導で業界利益を擁護、消費者利益を軽視してきた日本的経営において残存する非近代的要素を見れば、日本社会にはプリモダン・モダン・ポストモダンの3重構造といえる。
1955年体制として自民党政権の恒久化と社会党の衰退
家の解体、自然村の解体(モダン)職業構造の変動、新中間大衆社会時代の到来(ポストモダン)日本的経営における集団主義、流通機構の非近代性の残存等(プリモダン)など
政治的・社会的・文化的領域においても3重構造の混在といえる。

                     第3部では日本社会近代化の問題が”家””村落と都市””企業組織””社会階層””国家”の
           各局面でより詳細に分析されます(次号に続く)