ネイティブアメリカンの歴史は、調べてみると大変なものであることがわかる。子どものころ、ハリウッド映画の西部劇をテレビは垂れ流ししていたものだが、また、ぼくも考えもなく見ていたものだが、あれはひどいものだった。そこに出てくるインディアンのステロタイプは、まったく白人中心のでたらめなものだ。今でも、アメリカ白人は、その影響をまったく反省していないのではないかと思われる。イラク、ベトナム、アフガニスタン、すべて現代のインデアンなのである。チェロキー族の涙の道という歴史的に有名なことがある。土地を奪うために、アパラチア山脈に暮らしていた、新聞すら出していたチェロキー族をミシシッピ以西へと追い払ったのである。彼らが追われていった道には、累々と屍が続いたという。涙の道だったのだ。しかし、このことは、チェロキーだけのことではない。すべてのインディアンがたどった道なのだった。だから、詩行に「涙の旅」をいれた。また彼らは、自分たちの文字を持たなかった。
 イーグルやカメだけではなく、もちろんバッファローや鹿やあらゆるものすべてに神が宿り、また人間もその一部として存在していることを彼らはよく認識していた。だから、すべてのものを大切にしたのである。ヨーロッパからやってきたものたちは、自然と人間を別のものと認識し、自然は人間のために神が創ったのだと考えていた。われわれ日本人もいつしかこのヨーロッパの考え方にそまり、環境を破壊してやまない。
1 ワシの詩           ジョイ ハージョ
2 トウモロコシの起源     リンダ ホーガン
3 カメの背中にのりなさい  ベス ブラント
4 ウィスコンシン州フォッグス湖スエットロッジ監獄の上を飛ぶ鵞鳥の群れ                     
      ジョセフ ブラチャック
 トウモロコシは、ネイティブアメリカンにとって大事な作物であった。ピューリタンが初めてプリマスにやってきた年、半数の人が飢えと寒さと病気で死んだ。その後もなかなか栽培がうまくいかず、苦しんだとき、インデアンから教えてもらったのがトウモロコシの栽培だった。
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ネイティブアメリカンの詩

Native American Songs and Poems An Anthology』より
















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 ニューヨークのブロードウェイの南の終点近くにグランドゼロがあり、同時にそこはウオール街である。ウオールとは、柵、つまり外敵の侵入から、町を守った柵があった場所を意味している。そこに今は、大きな博物館があり、「ネイティブアメリカン展」をやっていた。そこで一冊の詩集を買った。200円もしない簡素なペーパーバックの詩集である。読んでとてもおもしろかったので、訳してみた。職業柄、なにぶん何十年と英語とは無縁だったので、間違いがあるかもしれない。指摘していただけるとありがたい。