能楽の世界  世阿弥を読む(1) 

室町前期から中期の能役者、能作者として父の観阿弥とともに能を大成。観世元清。

父 観阿弥は物まね主体の大和猿楽に当時流行の曲舞のリズム、豊かな演劇性を取り込み結城座(観世流)の座主として名声を得た。

世阿弥は父の作風を受け継ぐとともに近江猿楽の名手犬王、田楽新座の増阿弥の影響を受け、雅で美しく洗練された舞の要素を大胆に取り入れた新しい作風を完成した。12歳のとき将軍足利義満の目にとまり以後その庇護と寵愛を受け「井筒」「忠度」「実盛」「砧」「恋の重荷」など数々の新作を上演、好評を博した。

役者・作者としてだけでなく、理論家としても傑出、「風姿花伝」をはじめ優れた著作を後世に残した。伝書に伝える「花」「幽玄」等の言葉は能楽の美の基本的概念とされる。

しかし晩年は穏やかではなく将軍義教に佐渡配流を命じられる。

(この項microsoft Encarta参照、杉本苑子の小説「華の碑文」、山崎正和の戯曲「世阿弥」等に詳しい)

余談ですが 先日internet amazonで捜し物をしていたら 何かのはずみで”S先生古希記念論文集と言う活字が目に飛び込んできました。S先生は高校時代の国語の先生でした。

“現代短歌”の教えも受け、月例歌会・吟行にと自由で華やかな青春を過ごさせていただきました。先生は当時まだ30才前後でしたが温厚にして才気煥発、特に女生徒達のあこがれの的でした。
専門外の道をうろうろしていた私は全く知らなかったのですが、その後数々の業績を残され今は高名な阪大名誉教授です。記念論文集の目録を見ただけですが、先生の人徳によせるお弟子さんたちの思いがこもっているようでした。先生への懐かしさ、お弟子さんたちへの羨望そして過ぎ去った青春時代への哀惜の情やみがたい物がありました。万が一何かの弾みでこのような駄文が先生の目にとまったら赤面の極みですが、昔々の不肖の生徒故どうかお許し願います。

 

しばらく 世阿弥の芸論など 読んでみます。

もともと このホームページは企業経営に関する問題をつれづれに書く積もりでしたので
今回は 企業人としての側面から世阿弥を見ていきます。そして出来ることなら回を追って芸論・演劇論にまで筆を進めればと思っています。私の商いの師匠は どういう意味かまだ良く解りませんが“経営は演技だよ”とよく言っていました。

 

企業人としての世阿弥。乞食の所業と卑しめられながら、又一説では幼時 僧兵や義満の稚児として弄ばれながら 時の第一の権力者であり、文化創造者であった足利義満の庇護を得るや、父から受けた観世一門を最高の文化的地位にまで高めた手腕はまず一級の企業人と言えましょう。しかも 遺された芸論は時流に乗ること第一と明示、その具体的方法論に費やされています。

堂本正樹氏も主張されていますが 後世もてはやされた「花」とか「幽玄」と言う言葉を 余りに抽象的に捉えると 良く解らなくなります。世阿弥芸論の第一特性は物事を“関係的”に見る視点です。以前に触れた事のある養老先生の“バカの壁”を思い起こさせます。

お客さまとの関係、マーケットとの関係に於いて物事を見る視点は現在企業経営にとっても最も重要な観点です。そのような側面から世阿弥の芸論を読んでいきます。

 

1.市場価値こそ企業の生死を制する。

@“人々心々の花なり。いずれを真とせんや。ただ、時に用ゆるをもて、花と知るべし”

A“花と、面白きと、珍しきと、これ三つは同じ心なり”

B“この芸とは、衆人愛嬌をもて、一座建立の寿福とせり”

C“所の風儀を一大事に掛けて、芸をせしなり”

D“田舎・遠国の褒美の花失せずは、ふつと道の絶ゆることはあるべからず”

いかにも 世の人気を重視していたかが解ります。

共同体から離脱、上流・下流のマーケットに価値評価を任せた世阿弥にとってマーケットからの反逆こそ最も恐れた物でしょう。大衆より時の権力者の価値認識力を重んじたきらいは有りますが、それは時代のなせる技仕方のないことです。むしろ 能楽自体がアクロバチックな大衆演芸、聖勧進等を根元に持つ故に それを権力者好みにまで洗練化しても CD項に見られる如く 大衆重視の姿勢に変わりがないようです。(特に義満死後 後ろ盾を失った後不遇時代の世阿弥の対処)

棟梁とはいえ若い頃さほど強固な権力基盤を持たなかった将軍義満にも時の公家文化とは一線を画した新しい芸術創造者(権威)への渇望がありました。

そうです、新しい芸術が義満・世阿弥の手で生み出されるのです。変革は大衆人気とともに有らねばその存在の根拠を持ち得ないのじゃないでしょうか。
当時の能楽公演は“立ち会い”と言って流派間の競演会だったそうです、人気を取りえず、立ち会いに負ければ負け犬です。この様な激しい競争の中でこそ新しい文化が起こります。

 

2.初心忘るべからず。

風姿花伝では年齢別に注意事項が述べられています。

“時分の花をまことの花と知る心が、真実の花に猶遠ざかる心なり”

24,5歳 もっとも持てはやされる年齢です。その時思い上がる心が陥穽です。
常に謙虚に修練を怠らぬ事、未熟さの自覚こそ進歩のエネルギーになります。
初心とはその事です。

その他の年齢に関しても極めて具体的に修養の仕方が述べられており、そのまま現在の人事政策に取り入れても十分通用する考え方である事に驚かされます。それ程に現在が世阿弥在世の頃同様の変革期に有るのかも知れません。

12・3 “童形なれば何としたるも、幽玄なり”しかし子供の可愛さがそうさせるだけで す。
17・8 第1の花が失せ 苦しむ時です、稽古一途に乗り切るしか有りません
24・5 何をしてももてはやされる年齢です。もてて当たり前です。その時こそ初心忘れ るな、時分の花を真の 花と思うべからず。                    
34・5 ”上がるは34・5までのころ、下がるは40以来なり”
申し訳ありませんが30代半ばが絶頂期です、この年齢で開花しなければまず駄目です、40代からは下るのみです。 
44・5 この時点でもまだ花が失せなければ本当の花と言えます、               
しかしこの年齢では後継者に花をもたせ自分はすくなすくなに舞台をつとめよ   この年齢の最大の仕事は後継者育成です(盛りの時こそ盛りの時の知恵と方法を教えて行くべき)
”我が身を知る心、得たる人の心なるべし”   
50歳以上

”この此よりは、大方、せぬならでは手立てあるまじ”(あえて芸をするな)   ”老骨に残りし花”こそ まことの花   
そして老齢能楽者にして初めて許される自由の境地こそ人生の到達点です 

 

3.“機”を重視せよ

“男時・女時とてあるべし”

“一切の事に序破急あれば、申楽もこれ同じ”

いささか女性蔑視の言葉と捉えかねませんが、上昇運・下降運の時を指します。

下降運の時にじたばたしても始まりません、不可抗力です。静かに研鑽を積み(何もしないのではありません)、一旦機会を掴めば全力で勝ちに乗ずるべきです。

勝負の波を読みチャンスを生かす心は、物事を“関係的”に捉える心です。場を読み取る心が成功の秘訣です。

一人芝居では駄目です。橋がかりからの登場、“諸人の心を受けて声を出す”
当時の能は宴席にまで侍ります。その際の場を読み取っての細かな心遣い迄述べられています。

これは 広くは企業・家・人生の経営、狭くは営業活動のコツです。

 

4.マーケットにマッチしたブランドを持て。

@“言葉卑しからずして、姿幽玄ならんを、うけたる達人とは申すべきなり哉”

A“その者自然と出だす事に、得たる風体あるべし”

B“似事の人体によりて、浅深あるべきなり”

C“秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず”

D“物まねに、似せぬ位あるべし”

E“花は心、種は態なるべし”

物まねとは“演技”です。研鑽に研鑽を積んだ演技から計らいを捨てた“花”が生まれます。

梅若猶彦氏の岩波新書“能楽への招待”後書きでNHKのプロジューサーが梅若氏練習中、人間の思考・企画・判断を司る前頭葉前方の血流が極端に下がっていた事を証言しておられました。
舞の最中に思考・判断もなかろうと言われていましたが、“無”の境地とは技術的にはそのような状態を言うのかも知れません。そうした計らいを捨てた境地から世阿弥が打ち出したブランド“花”とか“幽玄”が生まれたのでしょうか。まだ私は“花”とか“幽玄”を良く理解できる段階ではありません。ただ 何とは無し 名優の演技には“花”が有る事は解ります。

“何と見るも見弱りのせぬシテあるべし。これ強き也。何と見るも花やかなるシテ、是幽玄なり”

いずれにせよ 経営的側面から見ても 単なるリアリズムではなく“花”を持たねばならないと言えば解っていただけないでしょうか?物まねを超越して何かはっきりした訴える物、これが“花”になります、ブランドになります。

更に世阿弥は この“花”とか“幽玄”を商標とするために 非常に優れた具体的手法を編み出します。

一つは“夢幻能”一つは“名所案内”

山田太一氏の“瘋癲のトラ”シリーズでは 一定のパターンで観客は安心して映画を楽しめます。
能楽もその様なパターンが有ります。殆どの能がワキ役“諸国一見の僧”の登場から始まって、名所案内で観客を徐々に夢幻世界に誘います。そして橋がかりを通してあの世からこの世にやってきたシテ役は妄執をワキ(観客)に語り、語り終える事で浄化します。

“名所案内”は舞台装置のほとんど無い能舞台を異次元の世界に変えてしまいます。
恐るべき手法です。現在でもその名残が2時間テレビドラマ“嵯峨野連続殺人事件?”とかご当地ソングなどに取り入れられているのじゃないでしょうか。

“名所案内”で異次元世界に引き込まれた観客が目にするのは“夢幻能”

夢の世界ですから 自由自在に過去の物語を現実に再現できます、“実盛”に見るごとく主人公は自分自身の首を洗う事も可能です。そしてワキを通して観客自身が夢を見せられる訳ですからシテの体験を自らの体験として追体験させられるのです。世阿弥の一大発明“夢幻能”に関しては項を改めて詳説したいと思っています。

常に新しい試みにチャレンジした世阿弥でしたが、不思議にオリジナルな物語は避けています。
観客がすでに承知し情をよせる事の出来る物語、主人公を主題にしています。

企業経営に於いても 人気からかけ離れ新奇を衒って自己満足する事は良くあることです。マーケットの好みをよく調査した上、確実強固・具体的な手法に裏付けて自らのブランドを売り込む事が肝要です。

 

5.客観的視点を持て。

世阿弥の“離見の見”

“見所より見る所の風姿は、我が離見也。しかれば我が見るところは我見也。離見の見にはあらず。離見の見にて見る所は、則、見所同心の見なり。其時は、我が姿を見得する也”

見られている自分の姿を、その場所の中で想像する能力が大切です。更に“離見の見”を取る手法として魚眼的“遠見”の視点が取り上げられています。

ここでも 場との関係に於いて自らを位置づける客観的な視点が要求されています。

能の主題は妄執であれ浄化であれ、かなり観念の世界ですが、それを表現するための演技の要諦はあくまで身体論的に語られています。

誰でも自分が周りからどう見られているか知りたいものですが、自分自身を周りの目で見る事は存外難しいものです。企業経営に客観的視点が重要である事は言うまでもありません。その為に会計が有ります。マーケットの評価をありのまま教えてくれるのが会計です。企業存続のため会計の粉飾、逆粉飾等が横行しているのは全く裏腹な話です。

                                   (続く)