明治史 年表
西暦 | 和暦 | 首班 | 出来事 |
1868 | 明治元年 | 幕府側の反発・戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い)へ | |
赤報隊(相楽総三)偽官軍事件 | |||
西郷・勝会談で江戸城・無血開城 | |||
明治元年 | |||
五箇条の誓文(由利公正、福岡孝弟、木戸孝允) | |||
*一夜論は尽きないご誓文*(語呂合わせ) | |||
公議政体論 | |||
五榜の掲示 | |||
五倫の道、キリスト教禁止(浦上信徒弾圧事件) | |||
政体書で三権分立を目指す | |||
(二院制立法府に議政官、貢士) | |||
府藩県三治制、一世一元の制、神仏分離令、 | |||
四民平等(華族・士族・平民) | |||
1869 | 2 | 上野戦争(彰義隊&大村益次郎) | |
会津戦争(奥羽越列藩同盟、仙台藩、白虎隊) | |||
箱館戦争(榎本武揚、五稜郭の戦い) | |||
戊辰戦争終結 | |||
版籍奉還(旧藩主→知藩事) | |||
人はむくれる版籍奉還! | |||
二官(神祇官・太政官)六省制の復古体制 | |||
東京遷都 | |||
1871 | 4 | 廃藩置県、三院制(政府・正院、立法・左院、右院) | |
「藩はあるか?」「いや、ない!」廃藩置県 | |||
封建的支配→中央集権化 | |||
薩長土が形成した御親兵→鎮台制設置 | |||
武士の失業対策として秩禄(国家財政の30%)、征韓論 | |||
中央から府知事、県令を派遣 | |||
薩長土の藩閥政府 | |||
戸籍法(壬申戸籍) | |||
華族・士族・卒族・平民 | |||
苗字許可、結婚・職業・居住の自由 | |||
穢多・非人の廃止 | |||
士族の解体(秩禄処分、金禄公債証書) | |||
岩倉遣外使節団 | |||
ドイツは普墺戦争、普仏戦争を経てドイツ帝国成立(ビスマルク) | |||
フランスではパリ・コンミューンの混乱 | |||
1872 | 5 | 富岡製糸場 | |
陸海軍創設 | |||
1873 | 6 | 大久保利通・内務郷、大隈重信・大蔵郷に | |
明治六年の政変 | |||
洋行派 大久保利通・木戸孝允・伊藤博文 | |||
(長州を中心とする藩閥政府の内治優先派) | |||
留守政府 西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎 | |||
江藤新平・副島種臣(征韓派) | |||
征韓派参議の下野、内務省発足 | |||
徴兵令(徴兵告諭、血税一揆、陸・海軍省←兵部省) | |||
免役既定(戸主・後継ぎ・役人・学生・金持ち) | |||
地租改正条例(物納→地価の3%を金納)殖産興業の基盤となる | |||
*(いや情)け 無用の地租改正* | |||
鉄道開通、太陽暦 | |||
1874 | 7 | 台湾出兵 | |
自由民権運動 | |||
民撰議院設立建白書、”有司専制”批判 | |||
人はなし(話し)合いの民撰議院。 | |||
板垣の愛国公党→立志社(片岡健吉)→愛国社 | |||
佐賀の乱(江藤新平) | |||
いやな士族の反乱、佐賀の乱 | |||
1875 | 8 | 木戸孝允、台湾出兵に反対して下野 | |
大阪会議(木戸派井上馨の活躍で大久保政府&板垣・木戸)の妥協 愛国社解散 | |||
立憲政府樹立の詔 | |||
元老院(憲法草案を作成)・大審院・ | |||
地方官会議を約束 | |||
一方で弾圧立法(讒謗律・新聞条例) | |||
いやなご法度、言論統制! | |||
江華島事件 | |||
千島樺太交換条約(対ロシア) | |||
いやなこうかん(交換)!千島と樺太 | |||
1876 | 9 | 秩禄処分(金禄公債証書公布)、廃刀令、国立銀行条例改正(兌換停止) | |
士族の反乱 | |||
敬神党(神風連)の乱 熊本・大田黒伴雄 | |||
秋月の乱 宮崎車之助 | |||
萩の乱 前原一誠 | |||
日朝修好条規(親日派・閔妃と親清派・大院君の対立へ) | |||
1877 | 10 | 西南戦争→インフレ | |
*(いやな内)乱西南戦争* | |||
立志社建白 | |||
学制反対一揆(義務教育反対) | |||
血税一揆、地租改正反対一揆 | |||
インフレで余裕の出来た豪農が豪農民権主張 | |||
露土戦争後ベルリン会議で南下政策を阻止され、東アジアに進出(警戒したイギリスが日本に接近) | |||
1878 | 11 | 三新法(郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則の地方行政改変)が裏目に出て豪農が反政府運動に加わる | |
郡区町村編成法 | |||
府県会規則 | |||
地方税規則 | |||
大久保利通暗殺(紀尾井坂の変) | |||
大久保の後を継いだのは伊藤博文、大隈重信・井上馨とともに三頭政治 福沢諭吉・加藤弘之・森有礼の明六社は啓蒙運動 |
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1879 | 12 | 琉球が沖縄県に | |
独墺(オーストリア=ハンガリー)同盟 | |||
1880 | 13 | 愛国公党は国会期成同盟と改称 | |
国会期成同盟←愛国社 | |||
政府は集会条例で弾圧 | |||
1881 | 14 | 明治十四年政変 | |
開拓使官有物払下げ(黒田清輝→五代友厚)事件露 見して | |||
大蔵卿・大隈重信罷免→立憲改進党 | |||
国会開設の勅諭 | |||
*人はハイと答える国会で* | |||
板垣は自由党、福地源一郎は立憲帝政党を結成 | |||
松方財政 大隈に代わった大蔵卿・松方正義の緊縮デフレ財政 | |||
1882 | 15 | 松方デフレ | |
インフレ退治のため国立銀行から紙幣発行権を奪い | |||
中央銀行・日本銀行創設、銀兌換券発行 | |||
*日本銀行、言わばにちぎん(日銀) | |||
特殊銀行・横浜正金銀行設立 | |||
官営事業払下げ推進、内務省から農商務省分離 | |||
デフレで農民の経済が破壊、高利貸や大地主に土地が集中(寄生地主制成立) | |||
朝鮮 壬午事変(大院君の反乱、日本の対応に閔妃も反感) | |||
立憲改進党結成 | |||
集会条例発布 | |||
1883 | 16 | 渋沢栄一の大阪紡績会社 | |
鹿鳴館開館(井上馨の欧化主義外交) | |||
1884 | 17 | デフレ下、農民の生活窮迫から貧農層が蜂起 | |
群馬事件、加波山事件、秩父事件 | |||
人ははよ(早よ)逃げ、秩父事件 | |||
(深刻な不況下、農民・自由党員らが困民党を結成、高利貸・警察・役場を襲撃、各地で反乱を起こす、激化事件) | |||
板垣の自由党は解散、大隈は立憲憲政党を脱党(民権運動は盛下がり) | |||
1885 | 18 | 伊藤博文@ | 内閣制度制定、伊藤博文初代内閣総理大臣(藩閥政府のの民党に対する超然主義) |
天津条約(朝鮮半島をめぐって伊藤博文・李鴻章全権間の条約) | |||
大阪事件(大井憲太郎) | |||
明治歴代内閣(イクヤマイマイオヤイカサカサカ) | |||
伊藤・黒田・山県・松方・伊藤・松方・伊藤・大隈・山県・伊藤・桂・西園寺・桂・西園寺・桂 | |||
1886 | 19 | 北海道庁設置 | |
北海道旧土人保護法(アイヌに対して農民化を強制する同化政策)アイヌ文化振興法は1997年 | |||
一方沖縄は旧慣温存策(自由民権運動を指導した謝花昇を弾圧) | |||
1887 | 20 | 政府は保安条例で急進派(士族民権派)を弾圧 | |
「人ははなせ(離せ)」と保安条例! | |||
大同団結運動、三大事件建白運動 | |||
(星亨、後藤象二郎) | |||
言論集会の自由・地租軽減・外交失敗回復を主張 | |||
@自由党解党、立憲改進党休業状態の中で | |||
運動の対象を蘇峰の言う”田舎紳士”に置いた漸進派 | |||
Aイギリス型二大政党制による政権獲得を目指したが、第1回普選で敗北 | |||
後藤象二郎は政府に入閣して自由民権運動は分裂衰退 | |||
1888 | 21 | 黒田清隆 | 箱館戦争の指揮を執った、大久保亡き後薩摩閥重鎮 北海道開拓使時代、39万の官有物を1400万で払い下げ、私腹を肥やし、大隈の批判を受けるや14年政変で復讐 ”酒乱癖”は有名、木戸孝允に縛られたとか、諫める井上馨をピストルで脅したとか、酒に酔って女房を殺したのを川路利良がもみ消したとか、いやはや凄い人だ ”超然内閣”(大日本帝国憲法下で政党に基礎を置かず超然主義にたった内閣に対して使われた呼称。政党内閣の反対概念)を宣言 |
1889 | 22 | 山県有朋@ | 大日本帝国憲法発布 |
*いち早く大日本憲法発布 * | |||
皇室典範制定 | |||
1890 | 23 | 衆議院議員選挙法(制限選挙) 議会は非選・特権階級の貴族院と地租を払う地主から選出された衆議院 他に天皇の諮問機関・枢密院有り |
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民法制定 ボアソナード指導のフランス流 | |||
民法典論争 反対論 穂積八束 | |||
賛成論 梅謙次郎 | |||
市町村・府県郡制が制定され中央集権的地方自治制が成立 | |||
沖縄では府県制1909年、衆議院議員選挙法1912年 | |||
第一回普選と帝国議会開会(藩閥政府と民党の対立) | |||
再興自由党+改進党が過半数を占める | |||
綿糸生産量が輸入量を超える | |||
1891 | 24 | 松方正義@ | 大津事件(シベリア鉄道起工式出席に訪日したロシア皇太子・後のニコラス二世を暗殺未遂) |
人はくいいる(食い入る)大津事件! | |||
第2回普選で政府は激しい選挙干渉 | |||
結局、松方は選挙干渉で退陣 | |||
1892 | 25 | 伊藤博文A | |
1893 | 26 | 日本郵船 ボンベイ航路開設 | |
1894 | 27 | 戸主権の強いドイツ流に修正された民法が施行 | |
(刑法は1882年にすでに施行されていた) | |||
日英通商航海条約(ロシア南下を恐れるイギリスが歩み寄り) | |||
陸奥宗光の条約改正(領事裁判権撤廃) | |||
朝鮮で東学党の乱、朝鮮への支配権をめぐって | |||
日清戦争始まる | |||
*人は苦しむ日清戦争* | |||
器械製糸が座繰製糸を上回る | |||
手紡ぎ→ガラ紡(臥雲辰致)→ | |||
ミュール紡織機→リング紡織機 | |||
1895 | 28 | 下関条約(清は朝鮮との属国関係を解消、遼東半島・台湾・澎湖諸島割譲、2億両の賠償金→日本は後の軍拡と経済基盤の充実に多大な寄与を得る、金本位制確立) | |
三国干渉(遼東半島を清国に返還) | |||
遼東半島が日本領になれば露の南下政策に支障 | |||
(逆に遼東半島・朝鮮は日本の生命線) | |||
→ロシアとロシアよりの独・仏が干渉 | |||
1896 | 29 | 松方正義A | |
1897 | 30 | 綿糸輸出量が輸入量を超える | |
八幡製鉄所設立 | |||
金本位制確立(それまでは金銀複本位制) | |||
1898 | 31 | 伊藤博文B | 大隈重信、板垣退助らと憲政党を結成、日本初の薩長藩閥でない政党内閣を組閣(隈板内閣) |
大隈重信@(憲政党) | 大隈は即分離(憲政本党設立)、伊藤は板垣憲政党を立憲政友会に改組、自ら総裁に | ||
山県有朋A | |||
1900 | 33 | 伊藤博文C (立憲政友会) |
第1回衆議院選挙(選挙権を高額所得者に限定した制限選挙) |
清の義和団の乱を契機とする北清事変で列強と共に清に介入 | |||
→北京議定書、ロシアが満州全域を支配→満韓交換論、日英同盟論 | |||
1901 | 34 | 桂太郎@ | 日英同盟締結 |
1901年〜1913年、陸軍・山県閥の桂太郎と立憲政友会・西園寺公望が交互に政権 | |||
後には財政難、陸軍の非協力で大正政変を招き、1913年、海軍重鎮・藩閥の山本権兵衛へ(政友会が与党) | |||
1904 | 37 | 日露戦争始まる | |
一戦、これより日露戦争! | |||
日露戦争の原因 | |||
@ロシアの南下政策 | |||
(不凍港を求めての地中海進出を英仏に妨げられたロシアは満州から朝鮮半島に覇権を求めようとしていた) | |||
A日清戦争で清国から朝鮮をもぎ取ったが、”三国干渉”で遼東半島への利権を奪われた日本は、朝鮮半島の維持更には満州への進出にロシアの南下が最大の障壁だった | |||
Bすでに中国にも巨大な利権を持つ先発帝国主義国・英国はアフリカ・中近東で後発ドイツと対立しており、日本の手でロシアの中国進出を阻む必要があった | |||
後発アメリカもロシア撤退後の中国進出を狙っていた | |||
日露戦争の勝因 | |||
@老朽化した帝政ロシアの腐敗・戦意喪失 | |||
A英国の金銭的・物資的援助 | |||
日本はこの戦争に全力投入、政府は戦費増大に耐え難くルーズベルト和平斡旋を依頼する | |||
05年ウィッテ・小村寿太郎の講和調印 | |||
(米セオドア・ルーズベルト大統領の仲介、ポーツマス条約) | |||
しかし国民は戦果の無さに講和条約破棄を訴えて暴走(日比谷焼打事件) | |||
内村鑑三・幸徳秋水・堺利彦らが非戦・反戦論 | |||
戦勝で日本は列強の仲間入り(同じ新興国・米国は警戒) | |||
朝鮮への外交・財政の指導権を得た | |||
(しかし高宗は諸外国に日本の駆逐を訴える) | |||
ロシアの矛先はバルカン半島に転じ | |||
ドイツと英仏との対立が深まる | |||
戦後の不況で | |||
三井・三菱・住友・安田等財閥(持株会社)が誕生 | |||
1905 | 38 | ポーツマス条約(日本は満州・朝鮮への利権を得たが賠償金を貰えなかったので民衆が反発、日比谷焼打ち事件が起こる) | |
第2次日韓協約で韓国保護国化(統監府設置) | |||
1906 | 39 | 西園寺公望@(立憲政友会) | 鉄道国有法・南満州鉄道発足、満州に関東都督府設置 |
1907 | 40 | 日英露仏四国協定 | |
韓国はハーグ密使事件で日本支配(保護国化)に抵抗したが列強は無視 | |||
1908 | 41 | 桂太郎A | |
1909 | 42 | 綿布輸出量が輸入量を超える | |
生糸輸出量世界1位へ | |||
1910 | 43 | 韓国併合、朝鮮総督府設置 | |
人苦渋の韓国併合。 | |||
大逆事件(幸徳秋水) | |||
1911 | 44 | 西園寺公望A(立憲政友会) | 日米新通商航海条約調印(小村寿太郎、関税自主権完全回復) |
明治天皇崩じる | |||