謡曲を読む(4) 通小町    男だって暗い恋の妄執

八瀬の山里に一夏をこもる修行僧の元に、毎日のように木の実や薪を持ってきてくれる女がある。

名を問う僧に女は“小野とは言わじ、薄生ひたる市野辺に住む姥ぞ、あと弔ひ給へお僧”とかき消えます。

僧は小町の歌という“小野とは言わじ薄生ひけり秋風の吹くにつけてもあなめあなめ”を思い出し、今の女は

小野小町の幽霊と確信します。

(秋風が吹くと穴の開いた目が痛い、小町の面影もどこへやら、今は髑髏となって、

その目からススキが生えているから)

導入部、髑髏の歌の不気味さが後ほどの一層深まる暗い展開を予感させます。見事な舞台設定です。

小町はシテでは有りませんが昔の栄光風雅を忘れ得ず冥界にさすらう身です。

小町の菩提を弔う僧の前に女現れ、弔いの謝辞を述べ、いっそう戒を授けてくれと僧に頼みます。

ここでシテ登場。

“いや叶ふまじ戒授け給わば怨み申すべし、はや帰り給えお僧”

小町の受戒成仏を邪魔するのは、小町に恋慕し尚思い遂げられなかったシテ深草少将です。

自分一人を妄執の地獄に置いていくのか。なおも受戒を求める小町の霊に 少将は袖取りすがり

“さらば煩悩の犬となって、打たるるとも離れじ”

げに妄執は底知れぬもの、さしもの小町も“恐ろしの姿や”とタジタジです。

僧は少将に 車の榻(シジ、牛車のながえをささえ、又乗り降りに使う踏み台)で百夜待った所を再現して

懺悔すればあなたも成仏できるのでないかと勧めます。

恋の駆け引きの回想が始まります。

百夜通えば願いを叶えると言う小町の言葉を信じ、毎夜小町家の車置き場に通った少将の姿、

“君を思えば徒歩はだし、さてその姿は、笠に蓑、身の憂き世とや竹の杖。

月には行くも暗からず、さて雪の日は、袖を打ち払い、

さて雨の夜は、目に見えぬ、鬼一口も恐ろしや。

たまたま曇らぬ時だにも、身ひとりに降る涙の雨か“

少将は感極まって“あら暗(くら)の夜(よ)や”とため息混じりに涙ぐみます。

煩悩の犬となってはいずり回る暗さをしみじみ詠嘆する少将です。

若い頃はめっぽうこの闇の低音部に同情を寄せたものですが、

私並みになにがしかの人生経験を経て 今じゃ何か嫌みに聞こえます。

何とも駄目な男です、お気の毒な話です。男の恋の妄執はどうも艶が有りません。

暗い雨夜、笠を落とし泥土の道を這い回って笠を探る少将の惨めさ、

それをじっと見つめる小町も自らの罪障の深さ、重さを感じ入る

と馬場あき子先生が書いておられた様に思いますが、

ここまでストーカーされたら並の女は益々嫌になるのじゃないでしょうか。

それでも美しい女の罪と言う訳でしょうか、美の存在自体の罪。

少将が小町に向かって“虚言を言った”と責める場面が有りますが、余り言って欲しくないセリフです。

心底惚れているなら、惚れ抜き、振られ抜く潔さが欲しい物です。ま、結局、だからもてなかったのでしょうし、

もてない男は地獄行き、小町さんの責任じゃありません。

百夜伝説では 百夜通いは九十九夜で終わります。

二人の成仏はその事に引っかけています。

いよいよ百日目、喜び勇んだ少将でしたが、喜びの酒を飲酒戒を守って飲みませんでした。

少将が一瞬でも仏の教えを思った事で罪業消滅、二人は成仏します。

何か無理矢理成仏させてやったようで この終わりはピンと来ませんでした。