無形世界遺産・能楽の世界  謡曲を読む(1)

 


子供の頃、父が銭湯から謡曲を謡いながら帰って来るのを見て、何故か映画の鞍馬天狗をイメージして、格好良く思っていました。大学で能楽研究会に入部。

同期のK兄はせせらぎを流れる清流のようにすずやかな美声でした。H兄は岸壁を穿つが如き強吟でした。

他の方はともかく 私はカラオケ・クラブかコーラス部に入った積もりで 春秋の合宿・連盟コンクールにと朝から晩まで唸っていました。語りの意味を理解することもなく、偶に能楽を鑑賞する事があっても良く居眠りしていました。

しかし 卒業して程なく私は聴力に障害、どなたの声音も音階も解らなくなりました。

それ以来、もはや謡曲・能楽など自分には関係ない物と すっかり縁を切ってしまいました。

ところが たまたま“平家物語”を少し読んでいるうち、“平家”から材を得た能楽が余りにも多く(40曲以上と聞きます)驚くとともに 学生時代を懐かしく思い出しました。

もはや 謡曲を聴くことも能楽を鑑賞することも出来ませんが 謡曲に盛られた“語り”の世界を遅まきながら辿ることが出来ないかと ここ1、2ヶ月は能楽や世阿弥と、まるで中世世界に迷い込んだ様な有様でした。殊に世阿弥が書き残した書き物には企業経営や日常生活に関する示唆が多く“成る程成る程”と思っているうち、遙か深淵の境地を垣間見て“ため息”の出る事もありました。

しばらくは 2,3曲づつ謡曲を読み返しながら“読み所”など 探ってみたいと思います。

勿論門外漢の雑文です。解釈の誤り、先生方のお説の引き写しなど詳しい方の目に通せる物ではありませんが、能楽など見たことも聞いたこともない方がこの無形世界遺産に少しでも興味を持っていただく事になれば幸いです。

八島

修羅物(軍記物)のなかでも勝修羅と位置づけられています。

その点平家公達の哀れさはなく颯爽としたさわやかさが印象的です。

例によって都から讃岐国の屋島の浦に来た僧が日も暮れたので、八島・塩屋で宿を借りようとしていると、老漁夫が帰って来ます。旅僧は一夜の宿を乞い、お決まりの粗末なところだから云々のやりとりの後 招じ入れる事になります。この辺りが源平の古戦場だったと聞いた旅僧は老漁夫に合戦の模様を話してくれるように頼み、老漁夫は景清の“錣引”の話や、佐藤嗣信討ち死の話などを語ります。

“相引に引く汐のあとは、鬨の声絶えて磯の波松風ばかりの音寂しくなりにける”と戦い終わった後の突然の寂寥と空白。

老漁夫の詳しさに不振を感じた旅僧は老漁夫に名乗りを求めます。 老漁夫は掛詞に“義経”を暗示した後 姿をかき消します。

その夜、旅僧の夢の中に美々しくも勇ましい義経の亡霊が現れます。合戦時 海に流された弓を危険をおかして拾い上げた「弓流し」の模様など再現。激しい修羅道の動きの後、

“その舟戦今ははや、その舟戦今ははや、閻浮に帰る生き死にの、海山一同に鳴動して、舟よりは鬨の声、陸には波の楯、月に白むは剣の光、潮に映るは、兜の星の影、水や空、空行くもまた雲の波の、討ち合い刺し違ふる、舟戦の駆け引き、浮き沈むとせしほどに、春の夜の波より明けて、敵と見えしは群れ居る鴎、鬨の声と聞こえしは、浦風なりけり高松の、浦風なりけり高松の、朝嵐とぞなりにける”

夜明けとともに義経の霊は消えていきますが 波と盾、月と剣、敵と鴎、鬨の声と浦風、現か幻か一切が混じり合う夢幻です。この混じり合いの中に勇猛な戦いの戦慄すべき空虚さ、耐え難き哀傷が象徴されます。

この曲の面白さは夢幻能と言う手だてを余すところ無く活用、終盤カケリの後、散りばめられた懸詞・比喩などの交錯の中に戦いの勇壮さと寂寞を悲しいまでに(しかもこの上なく爽やかに)描ききったところにあります。

 

景経

前段にも登場した悪七兵衛景清が零落の主人公として登場します。

娘 人丸は相模国を発ち、はるばる流刑地日向国宮崎まで父景経を探しにやってきます。

山陰の庵に棲む盲目の乞食に景清の所在を尋ねるが、「盲目ゆえ詳しいことは分からぬ」と

乞食は答えます。

“声を聞けど面影を見ぬ盲目ぞ悲しき”

この痩せ衰えた盲目の乞食こそ 娘の声を聞くだけで 遊女に生ませ人に預けたまま生別した我が娘と解りながら名乗り得ず、身の恥ずかしさと悲しみに身をよじる悪七兵衛景清その人だったのです。

里人に彼の乞食が景経と聞かされ 人丸は里人とともに再び庵を訪れます。

“娘がわざわざ鎌倉から来たのに”との里人の言葉にも景経は“自分に子はいない”と

すげない返事です。

しかし娘は“恨めしやはるばるの道すがら、雨風露霜をしのぎて参りたる、心ざしもいたずらになる怨めし、さては親のおん慈悲も、子によりけるぞや情けなや”

あなたには親の慈悲がないのかと切々とかき口説きます。

景経“今までは包み隠すと思いしに、現れけるか露の身の、置き所なき恥ずかしや、

おん身は花の姿にて、親子と名乗りたもうならば、ことに我が名も現るべしと、思い切りつつうち過ごす、我を怨みと思うなよ“

“私が父だと名のれば、花のあるあなたにも傷がつく。それゆえ隠したのだ。怨みに思わないでくれ”と景経は涙ながらに名乗ります。

成長した娘と零落の父。

問われるままに 父は八島での活躍を昔語りに語ります。

一人義経を打たんと乗り込む豪快無双の全盛期の景経、しかし所詮今は過ぎし昔話。

一転 気持ちの高ぶりを恥じた景経は死後の菩提を娘に頼み、今生の別れを告げます。

“さらばよ止る行くぞとよ、ただ一声を聞き残す”

いささか 親子の恩愛の情より景経の弁解がましいプライド・妄執が気になりますが 

もとより源氏への復讐に後半生を賭けた伝説の人物景経がついに弓矢を琵琶にかえて

さすらいの生涯を終えようとしています。いささかの矜持は許されるでしょう。

妄執と浄化こそ能楽の主題です。

娘に菩提を頼むまでもなく“語る”事によって景経の妄執・平家の魂は浄化を得るのです。勇猛の士の零落の境地が リアルに描かれています。無常です。

 

熊野(ゆや)

熊野は春爛漫の中で演出される男女の駆け引きが主題です。

平家物語では余りぱっとしない平宗盛、ここでは磊落、颯爽とした公達です。

所は京、はるか遠江の里から、迎えの女・朝顔によりヒロイン・熊野にもたらされた母からの手紙には 母が病に伏している事、一日も早く宗盛にお暇を貰って帰ってほしい事が 多少恨みがましく書き連ねられています。

熊野は宗盛に未練を抱きながらも病身の母を思う気持ちやみがたく いとまを願い出ます。

宗盛は逆に熊野の気持ちを慰めようと 悠揚として、花見に誘います。

宗盛は熊野を慰めようとのことだが 熊野は気が進まぬ          

”心はさきにいきかぬる、足弱車の、力なき 花見なりけり”

よくある事ですが 相手を思いやりながら何と無く気持ちのちぐはぐな二人です。

さて 世阿弥作品の最高峰と言われるこの作品の中でもとりわけ有名な道行き場面です。朗々と詠じられる宗盛の朗詠、曲折する熊野の“名所案内”と母の安否への祈願。

”げにや守りの末すぐに、頼む命は”それを押しのけ心に兆す不安。

”げに恐ろしや この道は、冥途に通う なるものを、心ぼそ 鳥辺山。”

”煙の末も 薄霞む、声も旅雁の 横たわる、北斗の星の 曇りなき、御法の華も 開くなる、経書堂は これかとよ。”

大学能楽研究会先輩の得意のレパートリーが熊野でした。“経書堂は これかとよ”、

地謡からシテに移るその絶妙のタイミングを私たちはドキドキしながら待ちうけます。

青空から降り落ちる星くずのようなS先輩の美声が頭上に降り注がれます。

道行文は 近景から遠景へ、視覚から聴覚へ、懸詞・縁語を駆使して 熊野の心象が描かれています。単なる“名所案内”ではありません、熊野の心象風景と見事調和して私たちを詩的世界に誘います。潤いと陰翳にしずむ美しい女性・熊野が、春の華麗な風景の中にしっぽりと包まれています。

一転、”あら面白と咲いたる花ども候や”熊野は自ら気持ちを引き立て、美しい舞があります。その後 宗盛の許しを得、熊野は宗盛への思慕になお引かれつつも、母待つ国に急ぎます。

 

蝉丸

平家物語で“蝉丸”は端役にすぎませんが、能楽“蝉丸”は“逆髪”と言うシテを創出する事で 現代不条理劇と言っても良い程の思想性高いオペラになりました。

ここは都離れた逢坂山、延喜帝第四皇子盲目の蝉丸は盲目故に勅命にてくしをおろされ、身にまとう物は貧しい蓑・笠・杖そして琵琶、荒涼たる山中にただ一人捨てられる。

“両眼しいまして、蒼天に月日の光無く、闇夜に灯火暗うして、五更の雨もやむこと無し”

“皇子は跡にただ一人、お身に添う物とては、琵琶を抱きて杖を持ち、臥しまろびてぞ泣きたもう”

ここでの蝉丸は自分を捨てた父天皇を恨むこともなく、ただ寂寞の運命に泣くのみです。

弟宮同様捨てられた流浪の姉宮“逆髪”が登場します。

“辺土遠境の狂人となって、みどりの髪はさかさまに生いのぼって、撫ずれも下らず”

黒髪は天を突く如く逆立ったまま、髪が逆さまに生えておろうと それ程の事でもないようですが、逆髪とは盲目どころか単なる肉体的障害以上のものです。決して社会に容認されることのない、絶対的反社会性を視覚化された象徴です。

悪童どものはやしに答えての“逆髪”のセリフが凄ましい。

”げに逆さまなることはおかしいよな、さてわが髪よりも、汝らが身にて笑うこそ逆さまなれ”価値体系の本質的相対性を滔々とまくしたてます。

いっさいの幻想・偏見・ルサンチマンから解放された自由、情念の曇りなき観照者としての“逆髪”があります。

しかし逆髪が得た既成価値からの自由は絶対的な孤独と引き替えに購った物です。常識とは逆に自らを省みる事による狂乱の発作、狂乱の中で見せる先ほどとはうってかわった羞恥が哀れです。

“水も走井の影見れば、我ながらあさましや、髪はおどろを戴き、眉墨も乱れ黒みて、げに逆髪の影映る”

辺境の地を彷徨う姉宮は運命の糸に引かれ 雨宿りのため弟宮の藁屋に近づきます。

”あら心凄の 夜すがらやな。世の中はとにもかくにも成りぬべし、宮も藁屋も果てしなければ”

賤しい家の中から気高い琵琶の撥音、“心凄”は心にしみわたる風情を現します。

琵琶の音が取り持って姉弟は再会します。

“驚く藁屋の戸をあくれば、さもあさましきおん有様、互いに手に手を取り交わし、

弟の宮か、姉宮かと“

互いの身の不遇を悲しみ慰める二人。

姉宮は宮中をさまよい出て辺境の地を巡る狂人、弟宮は旅人の憐れみを請う山野の乞食。

“軒も枢もあばらなる、藁屋の床に藁の窓、敷く物とても藁むしろ”

“偶々こと訪うものとては、峰に木伝う猿の声、袖をうるおす村雨の、音にたぐえて琵琶の音を、弾き鳴らし弾き鳴らし、わが音も泣く涙の、雨だにも音せぬ”

“藁屋の軒のひまびまに、時々月はもりながら、目に見ることの叶わねば、月にも疎く雨をさえ、聞かむ藁屋の起き伏しを、思いやられて痛わしや”

やがて別離の時が来ます。“これまでなりや いつまでも、名残はさらに尽きすまじ”

狂人の身、かえって蝉丸への迷惑を思って身を隠すのか、或いは永遠の流浪こそ我が身の定めと考え蝉丸を捨てたのか そうそうに“逆髪”は名残を惜しむ“蝉丸”のもとを去って行きます。絶対的孤独に身を置いた二人にとって やはり 避け得られぬ別れだったのでしょうか。

                              (続く)

[参考文献]   勿論手に入りやすい入門書のみ列記します

謡曲大観  佐成謙太郎 明治書院 謡曲注釈本の古典ですが 大著ちょっと手に入りにくいかも知れません。
謡曲集  小山弘志 小学館 注釈・翻訳と読みやすく上下2巻です
能の物語 白州正子 講談社  永遠のお嬢様白州氏が書かれた曲目別解説です、
下記の著作と併せ能楽入門には最適?
謡曲 平家物語 白州正子 講談社
世阿弥 白州正子 講談社
宴と身体(バサラから世阿弥へ) 松岡心平 岩波書店 能楽の発祥の歴史にも触れ とても面白い本です
修羅と艶(能の深層美)       馬場あき子  講談社 歌人の感性に溢れた素晴らしい本です、お勧めします
風姿花伝 馬場あき子  岩波書店
処世術は世阿弥に学べ          土屋恵一郎 岩波書店 世阿弥の物の見方をやさしく解説しています
能楽への招待 梅若猶彦 岩波新書 演能家が演能について解りやすく説明してくれます
能楽への招待 梅若猶彦 岩波新書 演能家が演能について解りやすく説明してくれます
謡曲を読む 田代慶一郎 朝日選書 文学としての謡曲を逐条解説、随分参考にしていただきました
夢幻能  田代慶一郎 朝日選書
世阿弥は天才である 三宅昌子 草思社 著者の女性を感じます
世阿弥 山崎正和 新潮社 世阿弥を主人公にした有名な戯曲です
室町記 山崎正和 朝日選書 さすが中世史の名著です、時代背景を知るのに最適と思います
世阿弥を読む 観世寿夫 平凡社 天才演能家の評論集です、
今は故人、演能を見れなかったのがとても残念です
アイスキュロスと世阿弥のドラマトウルギー M.J.スメサースト 阪大出版会
世阿弥の能 堂本正樹 新潮社
中世芸能人の思想  堂本正樹 角川書店
伝統演劇と現代 堂本正樹 三一書房
能(現在の芸術のために) 土屋恵一郎 新曜社
華の碑文  杉本苑子 中公文庫 世阿弥についての小説ですから、この辺りからどうぞ
世阿弥の芸術論 梅原 猛 集英社 (著作集・美と宗教の発見より)
世阿弥 山崎正和 角川書店 (日本史探訪・南北朝と室町文化より)
世阿弥 馬場あき子 小学館 (人物日本の歴史・将軍の京都より)
橋がかり 高橋康也 岩波書店

WEB  能楽の杜 http://www.webslab.com/index.html    翻訳まで備えた曲別能楽事典です

   能との出会い  http://www.asahi-net.or.jp/~xf6t-hrd/

   能楽勉強会   http://nohgaku.s27.xrea.com/

   能楽入門    http://www.nohbutai.com/mag2nohgaku.htm mailinglist完備