世阿弥を読む(3) 観世寿夫論文集“世阿弥を読む” 平凡社

観世寿夫
1925年生。七世銕之丞の長男として生まれる。今世紀最大の演能家。現代劇との交流を実践する“冥の会”を結成数々のギリシャ悲劇委、前衛劇をも手がけると同時に“世阿弥伝書研究会”等で世阿弥の研究を通して能の本質を問い続けた。78年53歳で永眠。

謡は“うたう”と言うより“うなる”と言います。

亀井勝一郎氏が“うなる”には“うめく”と言う要素があり、謡の音声は生命を絞り出す“生命音”であると言われました。

観阿弥・世阿弥など中世の能楽の大成者は“王朝女性の哀音”“鎌倉男性の呻き声”に心耳をすませた“音声の歴史家”だったと言っておられます。音声の中で最も深く切実なのは何か、言うまでもなく“妄執”、人間史は妄執の歴史である。そして妄執の極まるところは“狂気”です。その様な“生命音”を発する謡の発声法は洋楽の発声法とは全く異質になります。更に仮面を通しての含み声。

いずれにせよ 謡曲の音声は解りにくく“能楽きらい”の一因でもあります。

 

観世寿夫氏に戻ります。その様な言葉の不分明はどうでも良い、イメージさえ掴めれば良いとします。更に氏は謡曲の筋書きすら重視しません。世阿弥の“舞歌二曲”を中心とした考え方を“言葉という具体的な物に頼るより音と動きと言ったより抽象的な物によって、はるかに微妙で深遠な美しさを表出する事を考えついた”とします。

“能を演奏する技術は筋書きに基づいた心理描写や感情移入によって、その役に成るという事とは異なる”“意識的なドラマの世界から飛翔して、音と動きの中に身をゆだねる事に他ならない”“ドラマを超越した所から生まれる生命感”。

この様な言葉の中に演能家自ら実践で悟られた西洋演劇とは異なった“能楽”のとらえ方を感じます。

 

“せぬひま”=充実した沈黙の世界。氏は“能”の“間”面白さに言及されます。心を十分に働かせながら、そうした心の働きを観客に悟られてはいけない、あらゆる物を通して覚え込んだ上で表現意識から離れて自然に流れるごとく演じている状態に身を置く事。

 

世阿弥は説明的物真似や烈しい鬼の演技中心の大和猿楽を、舞歌を主体とした格調の高い演技に発展せしめます。

“神能”によって創り出された序破急五段の複式能の構成を、より人間的な内容に、世阿弥の念願の一つの到達点が女体夢幻能“井筒”でした。氏は“井筒”を逐条解説します。

里女シテの登場、叙景から心情へ、ワキとの現実的問答からいつのまにか観客は音楽的世界に引き込まれていきます。

“ロンギ”に続く“中入”。シテは“恥ずかしながら我なりと”静かにワキに向いて“言うや注連縄の長き世を、契りし年は筒井筒”と正面へ向き直って立ち上がるだけの動作、その間に里女から紀有常の娘への完全な転身が表現されます。

“中入後は筋書きは問題ではなく、表面的な劇性を越えた井筒全体の主題が演者の生き方と井筒のシテの性格を通じて深くしっかりと打ち出されなければならない、本物の物真似とはこうした演技の事である、こうした物を踏まえて演じるからこそ、能の女性の表現は何も表面上女性らしく振る舞ったり女らしい声を出したりする必要はなくなる”

 

夢幻能は“現”と“幻”の交錯する世界です。夢の世界を繰り広げる事で現実の日常以上の現の世界を抽き出す仕掛け。夢という非現実的な状況の中で時間・空間を超越し演技者は役に化けるのではなく、その役を踏み台に自分自身の生命を舞台の上に投げ出します。演技者の声は命の叫びであり演技のリズムは演技者自身の呼吸です。

“幽玄”と言う言葉自体に何か深遠な物を期待する必要はないと思います。単に“華やかさ・美しさ”で良いと思います。問題はその“美しさ”が如何にして表現されるのか。演者自身の全生命・全存在が“美しさ”となって“場”と“時”を支配します。

“幽玄”が作品或いは役者の芸にそなわるべき美しさとすれば“花”は観客との関係に於いて捉えられた概念です。

それ故“花”は観客を感動させる“珍しさ”とも言われます。

“居グセ”、演者が黙ってじっと座り、地謡がクセを語ります。観客一人一人が様々なイメージを育てます。

“自然に咲いている花みたいに舞台にいたい”世阿弥の言う“花”はまさにその様な物だと思います。

 
“無心の位にて我心を我にも隠す安心”=自意識を離れる事。

何もしない無から始まり、あらゆる修行を重ねて自分の芸を確立した後に再び自己を放擲する、世阿弥の到達点は権力者の暴力に立ち向かい、歴史に翻弄されながら自ら歴史を切り開く唯一の手段でした。壮絶な戦いの中で到達し得た境地でした。そうした境地で演じられるからこそ演能は演者自身の生き様をさらす事だと申せましょう。歩く事、座る事、舞う事全てに修練に修練を重ねた命の叫びがあるのです。計らいが無い訳ではないと思います、計らい解釈を見せては駄目という事です。解釈を充分自分の中で消化して解釈を越えた物を立ち現せる事。烈しい稽古の中で習得される数々の“花の種”、そのうちの一つの花が時に応じて自然な形で開きます。

 

能の抽象美。能楽は西洋リアリズム演劇とは対照的です。

“写実主義が生の有機的過程を信頼する肯定的態度であるのに反して、抽象主義は無の深淵に直面した人間に反抗であり、有機的な原理を拒否しながら、そうした状態にあっても人間の創造の自由を肯定する不安の表現”(ハーバート・リード)

“意味を追うか、イメージを連続させるかという二律背反にぶつかって、お能は意味を極度に排除して、言葉の音楽的機能とか象徴的機能とか、そう言う物ばかりを極度に発展させている”(三島由紀夫)

観世氏は“風姿花伝”と世阿弥晩年の著作“花鏡”を比較、世阿弥の“物真似”中心主義から“舞歌”中心主義への変化を見て“舞歌二曲を基本とすると言う事は演劇的なものを軽んじて詩的な物を重んずる考えであって、おおざっぱに言うと世阿弥の理想は俳優の演技によって舞台上に詩を創造する事である”

世阿弥の求めた美は“単に物語を舞台に展開するというより、もっと純粋にしかも強く人間に訴える美しさ、いわば徹底した自己の否定をし尽くしたところから最も強烈に打ち出した自己主張”

 

世阿弥の烈しくも内面的な能は世阿弥の数奇な生涯から生まれました。その事を真正面から捉えたこの評論はまさに革新的にして実践的、優れた演能家であった観世寿夫ならばこその言葉がきらめいています。演能家梅若六郎氏の能楽入門書からも同様の印象を受けました。