ヴェーバー学者が見る日本の近代化

日本の近代化と社会変動   富永健一  講談社

 

富永先生は1931年生、日本社会学の草分け的存在にして高名なヴェーバー研究家です。

本書は1990年頃行われたドイツのテュービンゲン大学日本学科での講義が原型ですが、

日本の社会構造・歴史を考える上で 少なくとも私達世代の感覚では とても解りやすく書かれています。

先生は近代化と言う社会システムを16〜19世紀のヨーロッパにおける宗教改革や市民革命や産業革命以後の歴史過程ととらえ、西洋より遅れて西洋のインパクトのもとに始まった非西洋諸国の近代化が16〜19世紀の西洋諸国の近代化にどのように迫り得たかを、日本の社会構造・歴史を中心に分析します。

分析の手法は“近代的なもの”の構成要素を経済的(産業化)・政治的(民主化)・社会的(自由化)・文化的(合理化)4つの領域に分けて捉え、経済的領域に比べて他の領域では文化の伝播が困難で有る事を仮説する事で、後進国の近代化の跛行性、それにより引き起こされたコンフリクト(葛藤)を明らかにします。明治維新が“上からの産業化”であり、政治的・社会的・文化的近代化は逆に上から抑圧されたもので有ったが為、昭和のファシズムにつながります。

そして戦後はじめて日本の人々は前近代的呪縛から解放される事になります。

近代化概念を4つの切り口で捉える事で戦前日本の前近代性が鮮やかに描かれています。

戦後日本についてはプリモダン・モダン・ポストモダンの混在として捉えられていますが、もう少し深入りして欲しいところでした。戦後日本の近代化も決して自前ではなく、外から持ち込まれたものであり、上から急激に育成されたものである側面、その事による跛行性とコンフリクトを追求すれば、現在日本やアジアが置かれている状況がより鮮明になろうかと思います。(本書は15年も前の著作ですから仕方のない事ですが)

更に言えば 近代化概念が4つの領域に一括りする事で、近代化における上部精神構造の役割を正当に評価出来た訳ですが、やはり近代主義の限界というか、民主主義であろうが合理主義であろうが利になる所は全てくわえ込みながら、利に反すれば切り捨てる“資本”の凄みを捉える視点は近代主義からは生まれがたいのでは無いでしょうか。

いずれにしろ日本社会史を俯瞰するに最適の教科書です。

以下に要約します。

 

第1部 近代化理論と日本社会

第1章 近代化と社会変動における西洋と非西洋

16世紀からはじまり19世紀に至る西洋諸国の近代化、そして それを取り入れようとした日本他非西洋の近代化とは どのような点で差異があるのか。

それを分析する為に 先生は“近代的なもの”を包括的に捉えた発展段階説の誤りを指摘して、近代化と言う社会システムを4つのサブシステム(下位類型)に分けて考える事からスタートします。

4つの領域での近代化

@   経済的近代化=【産業化】 

経済活動が自立性をもった効率性の高い組織によって担われて

“近代経済成長を達成するメカニズムが確立されている事

価値基準は“資本主義の精神”

A 政治的近代化=【民主化】

政治的意志決定が大衆的レベルにおいて民主主義的基盤の上に乗る様になり、

又その実行が専門化された高度の能力を持つ官僚制組織に担われる様になる

価値基準は“民主主義の精神”

B   社会的近代化=【自由・平等の実現】

地域社会が封鎖的村落ゲマインシャフト(血縁的包括的未分化な親族社会集団)から

開放的都市度の高い地域ゲゼルシャフト(機能的に分化した目的組織としての

社会集団)に移行する事で機能分化・普遍主義・業績主義・手段的合理主義などの

制度化がすすむ

価値基準は“自由・平等の精神”

C   文化的近代化=【合理主義の実現】

科学及び科学的技術の制度化がすすみ、迷信・呪術・因習など非合理的な文化要素の

占める余地が少なくなっていくこと

価値基準は“合理主義の精神”

近代化は西洋近代に生まれた社会システムであるから、非西洋世界にとっての近代化とは

“西洋近代からの文化伝播に始まる自国伝統文化につくりかえの過程”と言える。

非西洋後発社会の近代化を可能にする3つの条件

@   近代的価値の伝播可能性の度合い

A   近代的価値の受け入れる動機付けの度合い

B   近代的価値を受け入れるに伴って引き起こされるコンフリクト(葛藤)の度合い

先生はこれらの伝播可能条件を考えて、非西洋社会の近代化に関する1つの仮説を提示します。

上記近代化サブシステムのうち 経済的領域において最も伝播可能性が高く

次に政治的領域、社会的・文明的領域という事になる

西洋では 社会的近代化(氏族の消滅や自治都市の興隆)・文明的近代化(ルネッサンス・宗教改革)から政治的近代化(市民革命)を経て経済的近代化(産業革命)が達成された事に比べて 非西洋での近代化は 時間順序が正に逆になる。

このような仮説を立てる事で非西洋の近代化に於けるサブシステム間の不均衡による機能障害が分析されて行きます。

 

第2章     近代化理論とその課題

パーソンズ・ヴェーバーから従属理論・世界システム理論など海外・日本の社会学を俯瞰、それぞれの近代化に関する学説が紹介され批判的に吟味されます。

 

第3章     初期状態 日本の伝統社会

従来の社会科学・歴史学は

西洋諸国の近代化過程から引き出された理論をそのまま日本歴史の解釈に当てはめるか、

それが無理だと解ると逆に日本特殊テーゼに立てこもる。

一般理論の機械的適用或いは特殊テーゼとして理論放棄に陥らないために

近代化に至る前段階としての日本社会の歴史が詳細に分析されます。

@   日本古代専制国家の支配構造

大化革新以前の“氏族制社会”

天皇と天皇から氏・姓を与えられ朝廷に於ける特定の職務を世襲的に独占した有力氏族

氏族に系列化従属していた部民・族民・奴婢

氏族に系列化されていない農民

    ↓

大化革新の“公地公民制”

皇室以外の諸氏族に隷属していた部民を全て皇室に直属する部民に編成替え

    ↓

A   中世封建制

平安後期の“荘園制”

口分田の私有化から生じた名田(直接耕作者・田堵が請作)の占有者たる名主、山林や荒蕪地に私的に資本投下してその所有者となった開発領主などが国家の徴税を逃れるために中央有力貴族(中央官僚貴族や大社寺)に寄進したため、中央家産官僚の荘園(私有地)は益々肥大化した。ただし荘園領主が古代的宮廷貴族である限り律令制の枠内にある。

    ↓

鎌倉幕府が古代的荘園領主権を切り崩す

頼朝は自己の家臣団或いは地元豪族を地頭(荘園を管理する荘官)守護(地頭を総括する上級職務)に任命、武士たる地頭がしだいに世襲化、荘園領主権を都市宮廷貴族から簒奪。

但し この地頭小領主が幕府の御家人である限り、いまだ封建領主としての地域的独立を持っていなかった。

    ↓

足利幕府の下、中央の幕府役職を兼ねる有力守護が領国大名化、地頭領主等を守護の被官として自らの自らの支配下に組み入れる(守護大名)足利幕府はそれら守護大名の連合政権と言える。

    ↓

戦国時代になると守護・地頭等の官職は無意味化、下克上の時代になる。

没落を免れた守護大名や地頭や名主など在地小領主の系譜を引く小封建領主の中から力を得た者が戦国大名に転化する。

戦国大名は中央からの権力統制をまったく受けずに全国各地に割拠する。

戦国大名は領国にあって領国内農民を直接把握、中間的搾取を排除する純封建領主である。

B   近世封建制

織豊政権・徳川政権で諸大名権力の中の一つが中央権力に上昇、中央権力的要素が再導入され、戦国大名は近世大名に移行する。

検地制度などを導入、大名だけが領国全域の支配者となり、大名の家臣団は土地から引き離され城下町に集住してサラリーマン化する

外様大名は徳川の覇権を承認するも徳川に対しピエテート感情(持続的家族道徳的感情)を持つことなく強い独立性と自主性を持つ

ピエテート感情を持ったのは徳川直属官僚としての譜代大名及び旗本・御家人の家系に限られた。

幕府は諸大名にライトゥルギー(対国家奉仕義務)を割り当てる事が出来ず、財政基盤は諸大名の一人として直轄地・天領(全国生産力の13.7%)のみを支配した。

一方 幕府は商人を直接把握、この事は商人の自立性を妨げ封建に対抗するブルジョアジーに転化する芽をつむことになったが、逆に家臣団のサラリーマン化、頻繁な転封、参勤交代などと相まって商業の発展を促進した。

 

ヴェーバーは封建制と家産制を対比、封建制が近代化に適合的であると理論づけている。

律令制崩壊から封建制への動きは日本内部から興ったものである。

アジアに於いて日本だけが独自に西洋封建制に近似した歴史を持つ事が出来たのである。

その事が 日本が他の非西洋諸国に先駆けて近代化に成功した第1の理由である。

 

【参考】ヴェーバーの“支配類型” 家産制と封建制

家産制とは中央に専制君主のヘル(封主)権力があって、この専制君主が全国土と人民を集権的に支配する支配形態。皇帝の家計と国家の家計は未分離。専制君主の下には彼とピエテート(持続的家族道徳的感情)関係によって結ばれる家臣団があり、彼らは家産官僚制を形成する。家産官僚は土地・人民を領有出来ず、中央から割り当てられたライトゥルギー(対国家奉仕義務)を皇帝のために負担する徴税請負人であり、皇帝から給与を支払われる“食卓共同体”である。本質的に集権体制。

一方 封建制は各地域ごとに土着の独立した小規模領主がいて自己の土地と人民を独立的分権的に支配。王は封臣に対してその領有する土地を封土として授封するという形式的手続きをとるが王と封臣の間にピエテート関係はなく、また王は封臣にライトゥルギーを割り当てる力を持たない。領主家計は王の家計から完全に独立、自己の土地と人民に対する支配権を世襲する。本質的に分権体制。

 

第2部 日本の近代化

第4章     経済的近代化=産業化

西洋先進国からの衝撃で徳川鎖国体制は崩壊し、明治維新を契機に日本の近代化が始まる。

徳川社会は封建社会としては異例なほど都市化と貨幣経済がすすんだ社会であったが、

その商工業は中世封建的な限界を持つものであった。

又 近世儒者たちの経済論からも近世商人の意識からも宗教エートスからも産業主義の理念が出てくる可能性は全く無かった。それ故に日本に自立的に近代化する余地はなく、西洋からの文化伝播を受容する事で近代化が達成される事になる。

では アジアに於ける近代化の先頭を切った日本近代化の原動力は何であったか?

日本に於いて産業主義はあくまで西洋からの文化伝播の産物であるが、日本人はこの輸入された産業主義から西洋文化に固有な功利主義的個人主義を切り離し、これを国家目標として位置づける事で自国文化と巧みに接合したのである。

後進国の産業化は政府主導による“上からの”それであるほかはない。

大久保利通を中心とする維新政府はその“殖産興業政策” を自覚的に強力に推し進める事になる。国家を強大ならしめる為の殖産興業政策、ここでは本来の産業主義が持つ“充足価値”にかわって“貢献価値”がめざされる。これが日本近代化の動機付けである。

文化伝播により国内に生じたコンフリクトはどうか。

上からの産業主義の利益を圧倒的に享受した財閥(親族組織の前近代的形態たる同族集団と資本主義的所有が結合)、そして高額地租によりもたらされた農民の二極分解(農村の崩壊による都市労働者の供給)は農村出身者の多かった帝国陸軍の反産業主義、反西洋主義の土壌となり、日本を太平洋戦争に開戦に導く大きな要因となる。

他の側面の近代化はむしろ抑圧されて、上から強引に推し進められた経済領域の近代化による近代化の跛行性とそれによって引き起こされたコンフリクトを戦前日本はついに自力で解決出来なかったのである。

 

第5章     政治的近代化 民主化

民主主義=政治権力が一人或いは少数の支配者に握られているのでなく、

平等な権利をもった全ての国民によって分け持たれているような政治制度

西洋起源、近代に固有の概念である。

民主主義が産業主義より伝播可能性が低い理由

@ “上からの民主化”は原則としてあり得ない

A   政治領域は伝統に拘束され普遍性をもちにくい

B   産業主義に比べ効率比較が困難

幕末期までの日本は資本主義精神の自主的萌芽を持たなかったのにも増して

民主主義の萌芽を持たなかった。

明治維新を準備したのは近代思想でなく(水戸学による討幕運動)、

明治維新は政治的には律令制の復活であり“古代化”であった。

 西洋の王は中世封建制社会の支配者の子孫であるに対し

 日本の天皇は中世封建社会の支配者でなく古代の支配者が近代国民国家の元首に横滑り。

日本の民主化運動

@     明治初年の民権派は不平士族の反政府運動として伝統主義思想の“征韓論”と未分離

A     板垣の立志社や愛国社が結成、知識派の豪農層を担い手に加えて自由民権運動に発展

板垣の自由党、大隈の立憲改進党が結成、貧困化する農民の不満とも結び付き

高田事件・群馬事件・加波山事件・秩父事件等一連の騒擾事件も起きる

国会開設、大日本憲法公布

B     不完全な民主化 

明治政府の藩閥指導者が民主化を最小限に食い止めようとした憲法公布

上からの欽定憲法を発布して事実上議会から憲法審議権を奪った

  絶対王政プロイセン型憲法を手本

  教育勅語等伝統的儒教価値を重んじる

  議会は開設されても超然内閣

C     大隈・板垣の憲政党が与党になるが、間もなく再分裂、山県の藩閥内閣に逆戻り

D     長州藩閥から転身した伊藤博文の政友会、旧改進党系大隈の憲政本党、

長州藩閥かつ陸軍を背後に持つ山県有朋・桂太郎(後 立憲民政党に)

E 大正デモクラシー  政友会(伊藤→西園寺公望→原敬)全盛、男子普通選挙制実施

  一方で民主化が進んだが他方では昭和ファシズムへの準備段階

E     1914年 対華21ヶ条要求から中国への侵略

1932年 五・一五事件

1936年 二・二六事件

日本の民主化運動は西洋民主主義の思想的伝播を通じて一定の発達を遂げたが、

明治維新の“古代化”に発する伝統主義的体質を変えるに至らず、

対外侵略とともに軍部の発言力が強まり

30年代以降45年まで民主主義の政治価値は完全に圧殺された。

 

第6章 社会的・文化的近代化  自由・平等と合理主義

社会的近代化 血縁社会としての家族・親族

       地縁社会としての村落・都市

       目的社会としての組織

  近代化によってゲマインシャフトとしての家族・親族・村落・前近代的都市は

    ゲゼルシャフトとしての近代都市・組織に支配領域を奪われていく

文化的近代化  専門分化・複雑化・合理化・知性化への構造変動

  精神文化における価値は伝播不可能ではないにしても困難である

注)ヴェーバーのピューリタニズムと資本主義精神

  ピューリタニズムは儒教および道教との対比に於いて、呪術からの徹底的解放、

  現世的職業労働への献身の強調、血縁的紐帯による拘束の拒否などの諸点において

  高度に合理化されて宗教である事を示した

西洋文明の精神面を受容しようとすると伝統日本において高度に発達してきた儒教的価値、

  取りわけ血縁集団としての“家”、地縁集団としての“村”の社会関係による拘束が

  コンフリートする

伝統主義的・非合理的日本ナショナリズムが対外侵略と国粋主義を育て上げる

戦前日本の伝統的体質は本来ならば産業化と機能的に適合しない故に解体に向かうはずの家ゲマインシャフトと村落ゲマインシャフトを温存せしめ、

企業に於ける社長と労働者の関係は“経営家族主義”

国家に於ける天皇と国民の関係は“家族国家観”にアナライズされた。

 

第7章   日本戦後社会と近代化

戦前期日本は近代化サブシステム間の跛行性に由来する不安定性と

そこから発生する絶え間ないコンフリクトを宿命とした。

1930年代から45年までの間に日本を支配した“日本ファシズム”は

これら緊張システムの産物である。

第2次大戦における敗戦は戦前日本社会に制度化されていた伝統主義の価値体系の

正当性を一挙に破壊した。

占領軍総司令部による戦後改革

  新憲法制定・労働改革・農地改革・財閥解体・独占禁止法

その後の高度経済成長によってもたらされたもの

  @大衆的規模での貧困からの脱却

   A国際社会での地位向上

   B自由競争経済の実現  

上からの産業化は特定独占企業を保護する事で自由競争の実現を不可能にする

財閥資本主義は自由市場経済発展以前の“アンシャン・レジーム”

C   経済的価値が政治的価値、社会的文化的価値より上位となる

D   国家レベルの貢献価値が下落、私的レベルの充足価値が上昇、私的欲望が解放

 

では日本経済の近代化は完了したか?

官僚主導で業界利益を擁護、消費者利益を軽視してきた日本的経営において残存する非近代的要素を見れば、日本社会にはプリモダン・モダン・ポストモダンの3重構造といえる。

1955年体制として自民党政権の恒久化と社会党の衰退

家の解体、自然村の解体(モダン)職業構造の変動、新中間大衆社会時代の到来(ポストモダン)日本的経営における集団主義、流通機構の非近代性の残存等(プリモダン)など

政治的・社会的・文化的領域においても3重構造の混在といえる。

 

第3部  日本の社会的近代化と社会構造変動

第8章  家族の構造変動

日本に於いて特徴的であった事は近代になってから明治民法で

近代以前の制度である家を法的に制度化した事である

“家”制度=超世代的な制度的連続体であって、近代家族の様に一代限りの物でなかった。

家族と経営が分離していなかった近代産業社会以前の社会に於いて

家制度は村落においても都市においても機能的に適合的であった→家産の長子単独相続

日本の同族集団は本家・分家の支配従属関係であった

戦後改革の一環として家制度は廃止され長子相続性は均分相続性に改められた。

すすむ核家族化の理由

@都市の労働者家族および新中間層家族は家産を所有せず、家族員が労働力になる必要もない

A家長の権力への服従離脱を望む家族構成員

B女性解放

C   集団主義から個人主義へ

D   転勤の多い近代産業社会

家ゲマインシャフト、同族ゲマインシャフト、祖先崇拝の解体

親族的価値と資本主義精神はあいいれない

社会的近代化→家族と経営の分離→家の崩壊→資本主義的市場の発展

市場的価値は普遍主義的であり親族的価値は個別主義的、

個別的価値が資本主義的市場に入り込む時、財閥資本主義、縁者贔屓を生み正常な資本主義的経済発展を阻む

日本の同族が中国の宗族との比較に於いて脆弱な基盤しか持たなかった事は日本近代化に促進的に作用した

 

第9章  村落と都市の構造変動

村落ゲマインシャフトは徳川時代に大名の領国支配の単位として確立された“村”制度に始まる

=近世郷村制=検地単位・貢納単位・統治単位・農民自治単位

近代に於ける近世村落の残存=自然村

伝統村落の解体

 明治維新によって自作農民が地主と小作に分解→零細小作農の貧困化

 戦後農地改革で零細小作農も自作化

 高度経済成長で農家は衰退、兼業化・小作農化

日本に於ける大部分の都市は近世戦国大名の城下町

(商業都市・交通センター・手工業者集結)に始まる

明治維新、戦後近代化で二極分解    

 

第10章  企業組織の構造変動

特定の機能を達成することを目的とし、この目的を有効に達成するために人々を組織化して、制度化された分業関係および支配関係を備えている、ゲゼルシャフト化された社会関係からなる社会集団を“組織”という。そのもの自体が近代化の所産である。

@近世企業組織としての“家経営体” 家ゲマインシャフトの成員からなる経営体

     家経営体からは近代企業は自生しえない

A明治維新以降  “官営企業”の設立と“政商”資本家の育成

 “政商” 政府高官と結びついて営業上の特権的機会を獲得し巨富を形成した大商人

      三井・三菱(岩崎弥太郎)・安田善次郎・大倉喜八郎・藤田伝三郎

B“政商”から“財閥”へ

 “財閥” 本家・分家の連合体である同族が、それらの家連合の家産のみによって

      大規模で多角的な企業集団を封鎖的に所有して支配する形態

      社会的近代化が達成されていないところに資本主義制度が導入されたため、

資本主義の中に血縁原理がもちこまれた、プリモダンの企業形態。

但し 全ての財閥が政商を起源とするわけではない(住友・古河財閥)

又 三井・住友以外は徳川時代の大商人とは無縁で維新以降に身を興した

 日本近代化は近代以前の構造原理をそのまま資本主義の中に持ち込んだと言える

C   戦後の財閥解体により前近代的組織原理は消滅

しかし前近代性が完全に消滅したかと言うと疑問である

D“日本的経営” 組織の封鎖性と温情的・ゲマインシャフト的な感情融合

  終身雇用・年功序列制・企業別労働組合

  しかし これら“日本的経営”は初期産業化段階からの伝統的な物ではなく

  第1次大戦後のブームで大企業に於いて、戦後民主化で一般企業に波及した。

  高度成長期において これら“日本的経営”は企業にとって有利に働いたが

  1970年代以降の構造変動・資本主義競争の激化によって解体を余儀なくされている。

  新規採用停止によるピラミッド型年齢構成の崩壊、

サービス産業化による個人主義的開放的組織への変換

IC革命による熟練労働からパート・アウトソーイングへのシフト変換

高齢化社会への移行

などの要因が 日本企業組織の近代化を迫っている

 

第11章 社会階層の構造変動

社会階層とは人々にとっての欲望の対象である社会的資源(物的資源・権力など関係的資源・文化的資源)が人々の間に不平等に分配されている構造的な状態を言う

@   身分 階層的地位が生得的に定められ社会移動は制度的に不可能に近い近代以前の社会階層形態

A   階級 社会移動は制度的には可能であるが地位間格差が極めて大きくかつ身分的要素も残存していて、事実上は閉鎖性の度合いの強い近代産業社会前期の社会階層形態

B   社会階層 社会移動率が高く地位間格差が平準化、階層間の境界が殆ど定めがたい近代産業社会後期の社会階層形態

戦前日本に存在した階級の消長

@   貴族階級の消滅

A   資本家階級の境界不明確化 所有と経営の分離は大企業のサラリーマン重役を生む

B   新中間層の大量増加 ブルーカラーとホワイトカラーの区別が無意味になり

  新中間層の上部はブルジョアと融合、下部はブルーカラーと融合、区別はあいまいに

C   地主階級の消滅 農地改革で大地主は消滅、自作農化

D 農民層の縮小と兼業農家形態の変貌

新中間層興隆の中で農家の地位は相対的に下落、

零細農家の脱農、兼農化で大規模経営・農業法人化などの動き

E 都市旧中間層の縮小  農業及び都市自営業の減少

E   貧困層の減少と形態変化

都市細民街等は減少、貧困研究は病気・災害による者、自営業の失敗、農業離脱者、高齢者などの貧困層創出過程に目が向けられる事になった。

要約すれば、戦後40年を通じて日本社会は戦前型不平等構造を克服、各階層間の格差は縮小・平準化、先進国型社会階層構造に移行した。その中で旧中間層(自営業)は縮小、新中間層(ホワイトカラー)の増加、地位非一貫性構造が進展した。

 

第12章 国民国家と国民社会の構造変動

 

@日本近代化の出発点、明治維新の精神的基礎としての“水戸学”の“国体論”

 日本を神国と規定し、万世一系の天皇を頂点とする

 祭政一致の立場

 忠孝一致

 徳川幕藩体制の賞揚

A吉田松陰による国体思想の反幕藩体制化

 武家政権から天皇政権への復古を正当化し、

国体論を明治維新の指導理念たるよう修正

B古代化によって近代化の出発点としたパラドックス

   徳川封建制の下では国民国家は存在せず

天皇の下に新政府をつくって、これを国民的基礎の上に乗せようとした明治維新

国民国家としての統合は西洋列強の外的脅威の中で、古代天皇制への復古と言う形で成し遂げられた

D   明治20年代までの文明開化

   明治維新は成立と同時に攘夷を放棄、経済面・文化面に開国を国是とする

   英功利主義、仏自由主義、独国家主義、米キリスト教的博愛主義など

   西洋思想を輸入

   しかし 国家を支えていた精神はあくまで“上からの産業化”に止まった。

   “上からの近代化”の限界である。

   民主化は逆に抑圧され、自由民権運動は反政府運動としての

“下からの運動”であった

E   教育勅語の国体論と家族国家観

   維新の志士を動機づけた“国体”観念が維新後20年経った時点で明治政府の下、国家形成の指導理念として引き継がれる。儒教倫理の復活として“教育勅語”発布

   明治維新は本来の近代化革命ではなく、古代天皇制に発する“国体”という古代的思想の産物であった事→明治憲法と教育勅語の反近代性→昭和ファシズムへ

F   戦後はじめて国体論という魔法の呪縛から解放された

   西洋では、人々が宗教的呪縛にかかっていた中世には国家はなく近代国民国家が形成された時にはすでに宗教的呪縛から解放されていた。

戦前日本国家は逆に国体観念とか天皇制イデオロギーとかの魔術によって国民的統一を実現した国家であった。戦前日本国家は産業化を達成したが精神的価値の近代化を達成出来なかった。戦後日本国家はこの魔法の呪縛からはじめて解放された。

G   現在日本国民社会の諸課題

   出生率減少による労働力供給の不足

   サービス経済化による旧来の労働秩序の崩壊

   資産格差による新しい不平等の発生(ストックの不平等)

   非近代の残滓を一因とする貿易摩擦という外圧

    米国から指摘された“構造的障害”

      機能しない価格メカニズム

      流通機構の閉鎖性

      貯蓄・投資の不均衡

      土地政策の欠如

      企業系列化

      排他的取引慣行