源平絵巻(3) 源 義経  野生の天才軍事家

白面美貌の貴公子は義経伝説です。絶世の美女常盤の子ながら反歯にして色白の小男だったそうです。

しかし その類い希な戦略眼、敏捷さ、闊達さは源平一の英雄です。

一命を常盤への恋慕に迷った清盛に助けられ京の鞍馬山で稚児修行、土民・百姓果ては盗賊・僧兵上がりの中に流浪し育てられた野生児。16歳ですでに京に匹敵する文化政治圏を確立していた奥州・藤原秀衡に拾われます。6年間将来を嘱望されながら自由でのびやかな青春をおくりますが 流人とは言え源氏の惣領として板東武士の期待を背負った頼朝とは余りにも異質の世界で育ちます。

兄頼朝が伊豆で挙兵したと聞き義経の野心、離れて育った肉親への愛が燃え上がります。

秀衡の諫止を振り切り頼朝の下に身一つで駆けつけます。

しかし肉親への情の薄い頼朝そして配下の御家人達にとって所領も自前の軍をも持たない義経は所詮頼朝の一武将に過ぎません。突きつけられ思い知らされる血の隔絶。

一武将なればこそ義経は頼朝から与えられた配下と共に身の危険も顧みず第一線を駆け抜けます。

一ノ谷ひよどり越えの逆落とし、暴風雨の夜水夫を脅してまで舟を出し平家の背面を襲った八島の攻撃、軍監梶原景時と言い争った逆櫓論争。大将にあるまじき先駆け、匹夫の勇、猪武者と罵られながら先頭を駆け抜け、並はずれた天分・機略で木曽義仲を蹴散らし平家を追い落とします。

個人プレーに傾く勇猛果敢な軍人の性とは言え、肉親へのあふれる情に賭けて駆けつけた意に反して所詮は一武将として頼朝から冷たく利用されている身の焦燥。

後白河は頼朝を牽制すべく義経に検非違使の位を与え、京育ちの義経は身の光栄・一門の誉れと拝受します。

壇ノ浦に平家を壊滅せしめ得意満面、意気揚々と宗盛ら捕虜を鎌倉に護送する義経。しかし待っていたのは思いもよらぬ暗転、余りにも大きな頼朝の怒りでした。

武将の最高権力者頼朝の許しを得ずに後白河の叙勲を受けた義経に非があります。腰越状で連綿と詫びを訴える義経ですが頑として頼朝は許さず追い返されます。

頼朝はすでに自分が打ち立てる武家による新しい支配体制のプランを明確に描いています。そして何がその障害になるか。御家人のピラミッドの頂点に立つ頼朝にとって“源家嫡流の血”こそ権力の根源です。

ならば並び立つ兄弟の血こそ頼朝が最も恐れ排除せねばならぬ物だったのです。この時点で違令を口実として弟義経抹殺を決意したと思われます。

兄の袖、兄の情にすがる義経はついに頼朝の政治を理解する事は有りませんでした。

義経の甘さかも知れません。辛酸をなめて育ったにかかわらずどうしようもない義経の甘さが後世の人達の”判官びいき”を呼び起こします。

心の隙間に後白河がつけ入ります。伊予守・九州地頭職叙任。しかし頼朝追討の院宣を受け九州におもむく義経に暴風雨が襲います。

頼朝の軍団を委ねられた一線の司令官義経は最も強く明るく兵を労る理想的な武将でした。

しかし今 自らの領地兵卒を持ち得ぬ義経は頼朝に叶うべくもなく
すでに“頼朝の代官”で無いばかりか単なるお尋ね者、非力な逃亡者です。
誤算に気づいた後白河はいち早く頼朝に詫びを入れ義経を捨ててしまいます。

若き血をたぎらせた思い出の奥州に再び転がり込んだものの頼りの秀衡は間もなく病没。

秀衡の遺言もむなしく頼朝の威光に恐れをなした泰衡に裏切られた義経は31歳の華やかで悲しい生涯を終えます。