詩集「灑涙雨」にたくさんの感想を戴き、ありがとうございました。
佐治晴夫先生が書いて下さった「灑涙雨に寄せて」を筆頭に、
いくつかご紹介させて戴きたいと思います。

(一部抜粋/五十音順)







              
「さいるいう」、なんとも美しい響きのタイトルである。 漢字で書けば、「灑涙雨」だが、これは、もともと五節句のひとつ、陰暦七月七日、七夕に降る雨のことだと言われている。 彦星と織姫が天の川を渡る夜の雨とは、何を意味するのか。 年に一度の待ち焦がれた逢瀬を妨げる雨なのか、それとも再会を喜ぶうれし涙なのか。 あるいは、天の川の氾濫で、逢うことが叶わなかった悲しみの涙なのか、そういえば、万葉集巻十に、こんな歌もあった。 「この夕降りくる雨は彦星の早漕ぐ舟の櫂の散りかも(作者不詳)」。 彦星が織姫に一刻も早く逢いたいばかりに、全速力で漕ぐ櫂のしぶきかもしれない、というのだ。 こうして考えてみると想像はふくらむばかりだが、それらの諸説を因数分解して共通項を抽出するならば、 「灑涙雨」とは、恋心と宇宙と人間の本性にかかわる言葉だということになる。

さて、この夏瞳さんの新しい詩集のタイトルが、なぜ「灑涙雨」と名づけられるに至ったのか、 その経緯は知る由もないが、収録された詩の数々に目をとおしてみると、そこはかとなく頷けるふしもあって、思わず後を振り返ってしまう。 そこで出会うのは「思い出の未来」、「どこかなつかしい未来」とでもいいたいような不思議な感覚だ。 それが、夏さんの思う壷だったのか、それとも夏マジックにかかってしまった読者ゆえの幻想なのかは断定できないが、 詩の内容とタイトルの絶妙なバランスには驚かされる。

その一方で、この詩集に収められている一連の詩には、それぞれのタイトルがない。 どのページをめくってみても、ここからここまでがひと鎖の詩だという境界が希薄なのである。 部分が全体を成し、全体が部分に集約されていることから「フラクタル」構造をした詩集だともいえる。 「フラクタル」とは数学用語であるが、ひとことでいってしまえば、「入れ子構造」である。 しかも、各ページの中には、つねに対極の概念のせめぎあいがある。 過去と未来、小さいものと大きいもの、見えるものと見えないもの、喜びと悲しみ、清純とエロティシズム、喧騒と静寂、点と無限大、有と無……。

しかし、そこには、対極なるものを包摂して高次な世界観を構築していこうとする意思が見え隠れしていて、 読み進むうちに、得体のしれない大きな渦のなかに巻き込まれていくような戸惑いもあるが、その渦の向こうに、 かつて般若心経を数学の論理で読み解こうとしていたころのなつかしい自分を見たような気がした。 矛盾に矛盾を重ねて絶対肯定を目指す心象世界である。 これからも、どんな作品が紡ぎだされるのか、目が離せない詩人、夏瞳さんである。



佐治 晴夫(さじ はるお) …… 1935年東京生まれ。理学博士(理論物理学)。日本文藝家協会会員。 元NASA客員研究員。丘のまち美宙(MISORA)天文台台長。量子論に基づく宇宙創生理論「ゆらぎ」研究の第一人者であり、 NASAによるボイジャーのゴールデンレコードに、J.S.バッハのプレリュードとC52の音の収録を提案。 1/fゆらぎを扇風機など家電製品に応用。家庭用ビデオの規格のVHSにおいて3倍モード(EP)開発者の一人でもある。 宇宙研究の成果を平和教育へのリベラルアーツであると位置付け、 その一環としてピアノ・パイプオルガンを自ら弾き、全国の学校への授業行脚などで知られる。 『宇宙の不思議』『夢見る科学』『二十世紀の忘れもの』『からだは星からできている』など、著書多数。







              

JAZZシンガー・ピアニスト

赤坂 由香利 様

とても魅かれる何かが有ります。ジャケットの色が私の1st CDと共通する物が有って、 私はこういうシンプルなのに何かをしっかり伝える物が大好きです。 上に書いてある文字が、下半分に、まるで水面に映し出されているかのようになっているのも素敵です。 ゆっくりと詩の文字と隙間に在る物を感じて行こうと思っています。「 太陽を 百枚重ねたミルフィーユ 」が大好きです。 それを食べたら元気百倍になれそうです。







              

非建築家・映画評論家
ドラァグクイーン

ヴィヴィアン佐藤 様

夏瞳さんの現在の等身大の言葉、呟きでしょうか。とても心に響きました。 表題の印象は潤いが有りますが、世界観は決して湿っておらず、寧ろ乾いております。 私は sweet room が好きです。何処かの惑星の表面を旅しているかの様です。 まるで小さな虫になって飛んだり休んだりしているような体験です。







              

版画家

上野 謙介 様

やっぱり何十回読み直してもこの文がお気に入り。「仕方なく 年を数えるお遊びね」 「仕方なく」がなくても文的に面白くないし、 なくても通用するけどあった方が前後関係のつながりの中でより一層僕の想像力を掻き立てる。







              
美術家

荻野 哲哉 様
私が最初に出会った詩集は、子どもの頃両親がプレゼントしてくれた、やなせたかしの「愛する歌」でした。 蔵書票を制作するようになって、最初に自票を貼ったのもこの詩集でした。 12年前、地元の図書館から講演依頼があった時、本と蔵書票の事をあらためて調べ直した事があります。 その時、書物の成立の歴史に関わる人の営為と時間の長大さに、目眩のような感覚を覚えました。

詩集「灑涙雨」。不思議なもので、意味を追って読んでいる字が、やがて同時にその形を見ているという自覚が強くなり、 すると紙の白は単なる余白ではなくなり、武術の「間合い」のような緊張を孕んできます。 まるで本という形態そのものが、詩に成ろうとしているようです。 書物というとてつもなく手の込んだ紙の束が、私の手の中にあることの感銘… あの目眩のような感覚を、いまいちど思い出すことができました。 詩集というものに、読了はないのかもしれません。 日溜りがあるじゃないか、というフレーズが、なぜか最後まで頭に残っています。







              

画家

亀井 三千代 様

わからないことは、 わからないまま放って大きなものに全て委ねているような、そんな魅力的な言葉の世界でした。 こんなに大きな世界が、言葉の衝突からおきるなんて! そしてこんなに小さな本の中におさまっているなんて不思議です。 大変刺激を受けました。折に触れ読み返します。







              
美術家

如月 愛 様
頁をめくり進め ふと 止めて 最初にもどす。言葉を意とする ことを少しはずそうと思った。 頭の中に くるくる メレンゲを泡立てている時のような 回転。鶏頭の花も見え隠れしていた。 定速に回っていたのだけれど 急に逆回転になったりちゃっちゃっと決まった事のように 泡を角で払い 終わる また くるくる まわして 時たま 速度が変わる、時たま泡が跳ねたけれど、 はい、それでもまた朝がくる と潔くまた回転をはじめるような感じで読んでいた。

この 一頁のための全体か いや 全体の中の一頁かと思う中 ペタっと “ヨイショ” と斜めに 書かれた 文字がそのまま頭の中に斜めに貼りついたまま、また くるくるくるくると 詩が続いていった。 特に 短く 縦に書かれた詩は 今までの回転を止め さっとダイレクトに言葉として近づいて長い細い光にも見える 時たま洞窟にさす光だけれど 七夕みたいだなと。

林檎の詩は 月だったのだろうか 違う頁は星だったのだろうか 詩をみていると 空に光る星のように 散らばったものがある 星座と 言われたその星は そのことを知っているのだろうか。 日常に溢れる普遍は 星座だろうか くるくる 回転の中に 時に いろんな装いの顔がのぞいていた。

前回の詩集ではなにか 交わることのない 線と線だけれど 弾性限界極限におもいっきり曲げ直線や曲線からすると 一見クレイジーさを感じる 折れそうな それでも 曲げ バネのように折れる寸前で勢いをまして飛び跳ねたり 今回の詩集は交わる線 時たま 私は 消えてない? と いろんな私が出ていた気がする 普遍を知って 見つけて 宇宙に手をのばしてみたのだろうか。







              
経済ライター

関谷 毅 様
この季節のオアシスともいえる深夜帯を選んで、夏瞳様の新しい詩集『灑涙雨』(さいるいう・如月出版刊)を拝読しました。 灑涙雨とは、七夕に降る雨のことだそうです。 織姫と彦星についてわずかな知識しか持たない僕の耳にも、雨音は静かに響き、長く尾を引く感銘を与えてくれました。

原始生物の写真に浮かんだ書名と著者名の数文字から、詩の異空間はすでに始まっています。 机に置いただけで、活字が生き物のようにゆっくり動き始めます。 書き手と編集者の関係は通常、本の背面に見え隠れするものですが、 『灑涙雨』は奥付の1文字まで和泉昇様の美観で統制されています。

夏様の前作品『アンモナイトにぶら下がる失恋の涙』は、 血の通った等身大の他者との“関係”を鋭利に切り取った一種散文的な(散文詩という意味ではなく)言葉の普遍性に魅了されます。 それに比べて、『灑涙雨』の視界は生命が無作為に放置された原初的な空間に見えました。

光の届かない空間に確かに存在するものを、詩人の距離感で相対化していくと、 マクロとミクロ、生命と非生命、緊張と弛緩の“関係”が見えてきます。 希薄な間柄であるはずが、何かの必然で結びついているように感じられます。 今という時間、有限な空間の貴重さでしょうか。まったくの凡人の目に、お二人は時間を自由に行き来する達人に見えます。 そのような方々が、有限な時間や空間といったものをどう感じていらっしゃるのか、いつかどこかでお伺いしてみたい気持ちになりました。







              

デザイナー・装幀家

長島 弘幸 様

霧箱のなか、瞬間かいまみられる荷電粒子の飛跡のような、 あるいは惑星から惑星に旅するボイジャーの吐息のような言葉の断片。 刹那と永遠の対話。







              

詩人・翻訳家
(日本現代詩人会会員)

藤冨 保男 様

ちょっと風変わりな詩で、それこそ小さい雨粒にあてられたような詩ですね。 造本術がいかにも和泉さんらしく、デリケートで感心しています。







              

美術家

フナイタケヒコ 様

砂漠を旅する遠い古代の人々が、星空を見上げながら宿った岩蔭の壁に刻んで遺した言葉。 そんなふうな言葉を発見しながら歩くのが楽しい詩集ですね。入手して良かったです。







              

舞踊家
(地歌舞古澤流宗家家元)

古澤 侑峯 様

不思議な透明感のある、グレーに近いうすむらさきや、淡いみずいろや、淡くて少しくすんだ若草いろ、 やさしいくりーむ色、そこに、淡いサーモンぴんくがすーと、飛んでいるような.......。 持ち歩きたいけれど、持ち歩くと汚くしてしまいそうなので、いつも仕事をするリビングのテーブルの横に。







              
詩人・評論家

ヤリタミサコ 様
ダークブルーと放散虫のカバー、装丁も第一印象の一部ですから、深海の底、太陽光があまり届かない場所、 つまり心理的には深層心理の部分を表しているのかなあ、と思えます。 詩集タイトルのむずかしい漢字は、涙が水で、それが水底にめぐっていくのかなあ、 なんて連想しながら、ぱらぱらっとページをめくります。 すると、1ページ1ページの文字の配置やレイアウトが工夫されているので、空間的に詩をつむいでいるのだなあ、 ということもわかります。現代詩の枠組みや、表記から解放されたいスピリッツがあるのですね。 そのうえ重大な意図がありますね。ページが振られていないのです。 つまり、常識的なカウントから逃亡している詩である、と言う宣言です。(中略)

夏さんのこの詩集の中で、きっぱり、凛とした態度が「命令形」で表現されているのです。 現実とファンタジーをミキサーにかけて宇宙に放り出した作者の詩の世界は、 作者が、命令形の言葉を発するたびに、世界がぐっと一場面変わります。







              
この詩集のことばは、ほんとうは引用できない。 ことばはつねにーーときには音楽的に、ときには絵画的にーーそこにある。
(夏瞳さん詩集『灑涙雨』(如月出版刊/二〇一六年七月七日)を読む より抜粋)

日本現代詩人会会員 torinoie 様が生み出して下さったもう一つの世界。
素晴らしい書評を戴きました。是非ご覧下さいませ。  blog 「鳥の家の日々」





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