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CINEMA on TV

画像提供 QUEEN'S FREE WORLD


このページの以前のタイトルは「スカパー DE CINEMA」でした。そのときの導入文は以下の通り。
・・・「我が家もSky Perfec(tはない!)TVを導入した。(BSとは違うというこのスカパーがどういう仕組みで受信できるのか、恥ずかしながらいまだに正確に説明できない私だが)
これは主としてツレアイの趣味である競馬中継(グリーンチャンネル)を見るためであるが、せっかくスカパーが 映るのなら映画も見たい!アニメも見たい!刑事コロンボも見たい!というわけで、各チャンネルと契約した。 アニメまで見る暇もないので、子供の見たかった番組が終わるのをきっかけに、主にアメリカの昔ヒットしたTVドラマをやる 「スーパーチャンネル」と契約変更して、時間の合う限り、許す限りで「コロンボ」も見られることになった。
このコーナーはSTAR CHANNELの3つのチャンネルで上映される映画の感想、覚書のコーナーにしようと思う。 しかし 映画評論などと構えると、資料の正確さとか、監督論だとか、奥が深すぎるし、敷居も高すぎて、いつまでたっても 取り掛かれない。だから、ここはメモ程度でいいと割り切って取り組もう。
よろしくお付き合いのほど・・・。 2004 6 16」
・・・というものであった。ところがである!その後2006年夏、一人の愛想のよい営業マンが私の留守中に上がりこみ、夫を ケーブルテレビのJ:COMへ勧誘したのである。そのいきさつは全く分からず、何をもってツレアイの心を惹いたのか定かでないが、 (たぶんソフトバンクの全試合が観れます、グリーンチャンネルもそのまま見れます、その他・・・)経済的にはyahoo!BBプラス スカパー、あるいはwowwowとの契約の方が安上がりのはずなのに、いきなりのJ:COM導入となった。まあ、いろんなチャンネルと 契約しなくても、いろんなジャンルの番組が観られるので、便利には違いないし、ADSLよりも回線速度は速い。で、デジタル放送も もちろん、観られるのだが、我が家はデジタル放送用TVはすでに購入済みであった。だから、なにを好んでJ:COMに高い使用料金を 払わなければならないのか意味不明なのだが・・・。
まあ、そんなわけで以前のタイトルは御用済みになった。なんのひねりも ない新タイトルでBS放送やケーブルテレビで放映された映画について語りたいときに語るコーナーとする。


今までに観た映画のタイトルを並べてみる(3)3月4日(2005)
STAR CHANNEL
「キル・ビルVOL.1」(主演 ユア・サーマン 監督 クエンティン・タランティーノ)
「マトリックス レボリューション」(主演 キアヌ・リーブス 監督 ウォシャウスキー兄弟)
STAR CHANNEL CLASSIC
「シャイニング」(主演 ジャック・ニコルソン 監督  スタンリー・キューブリック)
「キル・ビル VOL.1」3月6日(2005)
この映画を観たいと思った動機はなんといっても布袋寅泰の「仁義なき闘い」のテーマ曲のかっこよさに惹かれたのと、 あの「パルプ・フィクション」のタランティーノ監督作品ということに尽きる。「VOL 1」より「VOL 2」の方が 新聞での批評を読んだ限り評判がよかったので、私は「VOL 2」の方は映画館で観た。そこにも布袋の曲が使われていると 思ったのに、使われてなくて残念だった。
で、この映画R15指定というので分かるように、やたら血しぶきが飛ぶ。 まあ、それも漫画と同じ感覚で見ればよいというような、リアルでいてフィクションの世界のことと明確に意識出来るような、 斬った張ったのシーンが多い。見終わって何が印象として残るかと言えば、私は敵役である中国系アメリカ女優(ルーシー・リュウ)の 着物姿やたどたどしくも味のある(?)日本語のせりふ(「やっちまいな!」に代表される)である。主役のユア・サーマンに 魅力を感じられないので、どうもそちらに心情を寄せて観られない。
この作品がかろうじてカンヌ映画祭で大賞を取った タランティーノ監督の名前を貶めてないのは、スピーディで洗練された(?)構成力とかあの乱闘シーンのセットの奇抜さとか ではないだろうか?いわゆるB級以下の作品と区別出来るのは。
「マトリックス レボリューション」3月11日(2005)
1作、2作であれだけ盛り上がった後だけに、3作目のこのしょぼさはちょっとつらい。この出来については「リローデッド」の 後の予告編を観ただけでなんとなく想像がついた。だいたい、最後の人類の住む都市「ザイオン」の様子(生活様式とか人々のコスチューム とか)がそもそも安っぽいSF映画風なのだ。すざましい数のマシーンとの闘いも退屈なだけだし、そこで描かれる人間模様もいかにもB級っぽい。 その上売り物の格闘が今回は全く迫力がないときている。見せ場と思われるシーンも最新の映像テクノロジーを使っているのだろうが、2作に 比べればすべてが物足りない。
解説書を読めば登場人物の名前(モーフィアス、ナイオビ、トリニティなど)はそれぞれキリスト教に 関係あったり、ギリシャ神話に出てきたりと象徴性を帯びていて、ザイオンという地名もシオン(聖なる丘=理想郷)からきていたり、と いろんな暗喩はあるのだが、だからといってそこまで深い意味はないと思われる。マトリックスという設定上、コンピュータ用語 も使われるので、そこらへんがちょっとインテリジェンスをくすぐるというか・・・。そういうこのマトリックス世界全体の謎解きのところでは 、創世記から関わっていると思われるオラクルという預言者の話が一番興味深い。これは「2」で預言者が説明していたのだが、 ”削除できないファイル”をexile(追放者、放浪者)と呼んでいて、この「預言者」もexileなのか、それとも「2」の大詰め近くで登場する設計者との 会話で出てきたanomaly(アノマリー)なのか・・・。「アノマリー」という専門用語はよく分からないが「異常性」とか 「変則性」と訳されて、検索で調べてみると、マネー用語やコンピュータ用語、気象用語などいろんな分野で使われていることが 分かる。ネオやエージェントスミスは確かに「アノマリー」なんだが、預言者(オラクル)は?ここは解釈の分かれるところか、 それともまだ読み込み(観方)が足りないのか・・・。いずれにしてもこのストーリーの重要な鍵を握る「預言者」が黒人のおばちゃんという設定がとても面白いと思う。
「シャイニング」3月6日(2005)
キューブリックのホラー映画である。原作はスティーヴン・キング。ただし例によって原作とはだいぶ違う内容になっているらしい。 怖いシーンが後から目に浮かぶのが嫌なので、私は夜は決して見ないようにしている。真昼間ならけっこう大丈夫だ。 雪に閉ざされた家族3人だけの”展望台ホテル”で起こる怪奇現象、超能力を持つ子供、狂気、この3つ巴による惨劇が起きようと するが・・・。原作を読んでいないのではっきりしないのだが、「シャイニング」は超能力のことだといい、タイトルになって いるにも関わらず、それはあまり重要な要素ではないような・・・。無論、子供に予知能力があるということも怖さを 盛り上げるのには役立っているが、恐怖の元はそこにあるのではない。はっきり書くとネタばれになるので書かないが・・・。
いずれにしてもそういうストーリーよりもキューブリック独特の映像手法や音響効果にぞくぞくするのが、この映画の 主眼だと思われる。ぴかぴかの床、幾何学模様のカーペットや壁掛けや床、異常に赤いソファや壁、植木で出来た巨大迷路、 しーんとしたホテル、響くタイプの音、左右対称の多用、(双子の姉妹も左右対称の象徴のようだ)、低アングルで背後から登場人物を スローで追うカメラワークなどのすべてが、キューブリックの 繰り出す映像マジックとして私たちを徐々に恐怖の世界に導く。ジャック・ニコルソンの表情も怖いが、その妻役の女優の 顔も何もしなくても怖い。(これはさる映画サイトの観客の声にもたくさん聞かれる。)
思えば他のキューブリック作品でも 狂気を漂わす人物はよく出てくる。近未来的な無機的な(どなたかの例えを借りるが)部屋で狂気を持った人物が暴力的な 行動に出るといったような事柄は、何度か目にしていると思う。(今彼の作品をつぶさに見返す時間はないが)
いずれにしても彼の作品は片手間で簡単に語られるような代物ではないので、この辺で止めて置く。 全体のストーリーに納得は出来ないものの、映画技術としてはA級のホラー映画だと思う。
今までに観た映画のタイトルを並べてみる(2)1月10日(2005)
STAR CHANNEL
☆「ビューティフル・マインド」(主演 ラッセル・クロウ 監督 ロン・ハワード)
☆「マトリックス リローデッド」(主演 キアヌ・リーブス 監督 ウォシャウスキー兄弟)
☆「ハリーポッターと秘密の部屋」(後半1時間ほど)
STAR CHANNEL CLASSIC
☆「ベン ハー」(主演 チャールトン・ヘストン 監督 ウイリアム・ワイラー)(途中から最後まで2時間ほど)
今までで悔しかったこと2題9月13日(2004)
今までに観た映画のタイトルを並べてみる(1)6月18日(2004)
STAR CHANNEL CLASSIC
☆「サンセット大通り」(主演 ウイリアム・ホールデン 監督 ビリー・ワイルダー)
☆「草原の輝き」(主演 ナタリー・ウッド 監督エリア・カザン)
☆「暴力脱獄」(主演 ポール・ニューマン 監督 スチュアート・ローゼンバーグ)
☆「博士の異常な愛情」(主演 ピーター・セラーズ 監督 スタンリー・キューブリック)
☆「ローズマリーの赤ちゃん」(主演 ミア・ファロー 監督 ロマン・ポランスキー)
☆「俺たちに明日はない」(主演 ウォーレン・ビーティ 監督 アーサー・ペン)
☆「おかしな二人」(主演 ジャック・レモン 監督ハーワード・W・コッチ)
☆「フェリーニのアマルコルド」
☆「トリュフォーの思春期」

☆「スケアクロウ」(主演 ジーン・ハックマン アル・パチーノ 監督 ジェリー・ジャッツバーグ)
STAR CHANNEL
☆「日の名残り」(主演 アンソニー・ホプキンス)
☆「ラジオ・デイズ」(主演 ミア・ファロー 監督 ウディ・アレン)
☆「ウディ・アレンの影と霧」(主演 ウディ・アレン )
☆「エイリアン4」(主演 シガニー・ウィーバー)(後半部分のみ)
☆「AI」(監督 スティーヴン・スピルバーグ) などなど・・・  
資料参照 allcinema ONLINE  Goo映画
「ビューティフル・マインド」アカデミー賞受賞作品1月10日(2005)
お正月のテレビ番組がつまらなかったので、久しぶりにスカパーの映画でもみるかと、チャンネルを合わせると、たまたま この映画が始まるところでした。確か、地味な作品ながらアカデミー賞を取ったと聞いたような、そして、新聞での評を たまたま読んでいて、精神面で特殊な病気に陥った理系の学者の話で事実に基づいた話ということは薄々知っていた。でも主演があの肉体派、アクションスター と言える、ラッセル・クローだと気づくのに数分かかった。それくらい、学問に熱中する変わった学生って感じがあの体格にも かかわらず、よく出ていた。精神的な病といっても、中盤で分かる事実には誰もが驚かされるに違いない。聞かされた後も、私はもしかしたら、 主人公の方が正しいのではと主人公が認めるまでは思っていたから。
内容はそういう精神的な病に犯されて苦労する学者の話だが、別段難しくもないし格別に暗くもない。 アメリカ映画らしい分かりやすさでサスペンスもあり、最後はヒューマンな感じに仕上がっている。だがアカデミー賞にふさわしい作品かどうかは疑問に思わなくもない。 そこまでの風格とか深みはない気がする。良く出来た作品とは思うが・・・。
後半一箇所とても感動的なシーンがあった。ペンとだけ言っておこう。
「マトリックス リローデッド」1月10日(2005)
これはかなり期待して映画館に足を運んだ。というのも「1」を観るのがかなり出遅れてビデオも借りられないまま、 テレビ放映まで待ったというにがい経験があるからだ。「1」をテレビ放映で観ても、十分期待通りに斬新だったので、 「リローデッド」はオンタイムで観たいという願望が強くてめったに行くこともなくなった映画館に行ったのだ。 この作品は賛否両論あるだろうが、私は十分楽しめた。十分すぎるほどと言ってもいい。話の内容は何度も観てると 一体それが何なの?と思うけど、たとえばロールプレイングゲームでももう少し納得する説明(必然性)があるだろうと 思うような流れだけど、でもそのシーンシーンが楽しければいいし、コンピューター用語などが使われると、超初心者には それっぽく聞こえるものだ。
私はとにかく100人のエージェントスミスとの格闘が一番好きなシーンといっていいくらい 楽しめた。観客はそれほど興奮してないように感じたけど(CMでさんざん見せられたせい?)私は自然に笑いが出るほど 楽しかった。BGMも盛り上がるし。
というわけで、このスカパーでの放映もうれしくて、吹き替え版も観ちゃいました。
今までで悔しかったこと2題9月13日(2004)
最近はなかなか好みの映画がなかったり、時間的に観るゆとりがなかったりで、スカパーのご利益に預かれない私である。 そういえば「コロンボ」ももう終わったのかな?スーパーチャンネルの方もご無沙汰だ。そんな中で、ビデオに録って 観ようとしたもので、悔しい思いをした話2題を久々に書き込もう。
まず第一、上にも挙げた「スケアクロウ」。 当時リアルタイムで観てなくてかなり評判いい映画だから、これは観なくてはと思って、ビデオに録った。なにせカンヌ映画祭 グランプリ(パルム・ドール)だ。ジーン・ハックマンとアル・パチーノという演技派の競演。男の友情。いいに決まっている。
最初の出だしは上乗だ。誰もいない砂漠のような荒野に風がびゅうびゅう吹いていて、出所したばかりのハックマンと5年ぶりに 故郷に帰ろうとするパチーノの出会い。話が進むにつれ、なんかドキュメンタリーっぽく撮ってあるのか、細部の描写、関係ない 部分の描写が妙に長いように感じ、ちょっと勿体つけすぎじゃない?とわずかながら不満が生じた。まあ、それでも 二人の友情がどのような結末で終わるのかを観ていたのだが、その映画の一番のクライマックスといっていい、 電話ボックスでアル・パチーノが子供と待っているはずの故郷の奥さんに電話をかけるシーン、その肝心の奥さんとの 会話の部分でいきなりモザイクがかかり始め、すぐに「受信不能」となってしまったのだ!「エー!」ここまで観ていて・・・。 その後のアルがどうなったかはまだ観ていない人のために書かないが、それはないでしょう、と悔しかった。もちろん、 話の方向性はわかるのだが、実際にどういう会話をしたかってことが分からなくては画竜点睛を欠くっていうことでしょう。 (こういう使い方でいいのか?)この映画のお気に入りのシーンはハックマンが10枚くらいシャツを重ね着していて、 それを脱いでいくところ。(いかにも抜け目の無い放浪者って感じがした)それともうひとつもハックマンのキャラクターを 表している最後の靴底のシーン。ここも好き。
もうひとつは、最近録ったロマン・ポランスキー監督ジョニー・デップ主演の「ナインス ゲート」。こんな映画が存在して いたことすら、知らなかったのだが、「STAR CHANNEL」のサイトを見ていて知って、さっそく録画した。この二人の組み合わせで 出来た映画だから、たとえ、駄作でもどこか見所があるだろうと予想出来たので。
ところが再生の途中で画面がおかしくなって、結局、その後、そのビデオデッキは故障したわけだが、もう1台の方で、なんとか 再生出来た。2度に分けて観たのだが、いよいよ佳境に入り、あともうちょっとで終わる、結末は果たしていかに?と思っていると、 ゲートが大写しになってその門が開かれるのか、と思っているといきなり、そこで画面は無情に切れてしまったのだ。 まさか呪われている?(「悪魔の書」をめぐっての映画だけに)と思えるくらい、不運続きで完全に観終わることが出来なかった。 後で考えてみると、予約するとき時間通りにきっちりとしたのだが、ビデオの時計が不正確で1,2分の狂いがあったのだと思う。 それであとちょっとというところで、切れたのだ。これも映画サイト(allcinema on line)の、観た人の感想(ユーザーズコメント)からの 情報で、ものすごく尻きりトンボに終わって、 結局、主人公の身の上に何が起こるかなどもわからずじまいらしい。それにしても最後の最後が観られないなんて・・・。 悲しい・・・。
この「ナインス ゲート」はまたしても「悪魔の存在」を探るみたいな感じの映画で名作「ローズマリーの 赤ちゃん」の監督ならではの作品だろう。それに曲者ジョニー・デップ主演だから、どんな奇妙なおどろおどろしい作品かと 思いきや、けっこう、普通っぽい映画だった。途中まではオーソドックスな撮りかたで、きちんとした筋道というか。ただ最後まで観てもあれはなんだったか といういろんな謎が、解けないままらしいので、やはり、消化不良で終わってしまう映画らしい。
「フェリーニのアマルコルド」」と「トリュフォーの思春期」7月18日(2004)
ともに巨匠と認めらる監督の名前を冠したタイトルの映画。 撮影された時代もほぼ同じ頃だと思う。(74年と76年)「アマルコルド」はフェリーニの集大成的な作品だと思う。一方「思春期」の方はそれほど力を入れた という感じではなく、スケッチ風な作品だ。だが、どちらの作品も処女作以来、さまざまな作品を撮って名声を得、さまざまな 冒険もし、失敗作も作った後に辿り着いた自分たちのホームグラウンドで、伸び伸びと楽しんで撮った映画では ないのだろうか。この巨匠二人の作品を順を追ってすべて観たわけではないのだが、そういう気がする。
「トリュフォーの思春期」はそれほど期待せずに観たのだが、観始めると、けっこう、引き込まれた。フランスの一地方の 狭い町の中の話で学校が主な舞台だ。「思春期」といってもそんな生々しいものではなく、ほんの入り口の青い青い 小学校中、高学年程度のお話だ。ごく普通の小学校のごく普通の授業風景などをドキュメンタリー風に描きながら、子供たちの 日常生活を追う。そこでのほのぼのとしたエピソードがいくつかあるのだが、ある日転校生が一人でやって来て、身に着けているもの から、あまり恵まれていない家庭だな、などと分かる。その子が虐待を受けてたり、悪いことをしたりしてはらはらするのだが、 彼の登場でのほほんとした雰囲気が多少ぴりっとしたものになる。また主要人物の一人が友達のお母さんに憧れるというエピソードも あって、それも最後はほのぼのとしたエンディングを迎える。これはでも、流して観てけっこう、よかったじゃんという程度。 もう一度見返そうというほどのインパクトはない。
一方の「アマルコルド」(これはイタリアの地方の方言で「私は おぼえている」という意味だそう)は最初なかなか入り込めなかった。といっても私はフェリーニ作品は昔の名作と言われている ものはたいてい観ている。晩年の何作かは観ていないけど。だから彼の手法は見慣れているつもりだ。なぜ入り込めなかったか。 それは74年の作品としてみると古臭く感じたのだ。もちろんこの映画の舞台はムッソリーニが台頭するころの時代で その頃の女性観としては分かるんだけど、74年の作品だから、もう少し新しいタイプの女性像は出せないのか、と不満なのだ。 憧れの女性(マドンナ)と言えばお尻ふりふりの今でいうナイスバディ(昔でいうところの肉体美?)あるいは巨乳タイプ。 そしてフェリーニ作品にはよく出てくると思える色情狂の少し頭のおかしな女性、こういうのが前半に出てくると なんか「お腹一杯」という感じになる。むろん、彼の好みの登場人物には、サーカスのピエロや見世物小屋に いるような異形といっていい、キャラクターが多いのは知っている。この映画にもその他に目の見えない楽器弾きとか、 先ほども言った巨乳のデブおばさん、それに小人の看護婦!などが登場する。
主人公(と一応して)のお母さんもまたその時代に合った、 文句は言いながらも大家族を支え懸命に働く古いタイプだ。
けんかをしながらも夫が不敬罪みたいなので警察に ひっぱられたとき、寒い深夜に迎えに行って世話をする、そういうところは日本の夫婦の情と通じるものがあり、しみじみとする。 あのシーンあたりから私はこの作品に引き込まれ始めた。
そして好きなシーンというか、印象深いシーンは、主人公の 叔父にあたる精神を病んだ男を病院から連れ出して、一家で農場にピクニックに行くエピソードだ。その農場のくすんだ 緑も淡い青空もきれいだ。全体を通して色彩は淡くくすんだ感じで私の知ってる範囲で言えば印象派の絵画を思わせる。 1シーンごとの画面はそれは色といい、構図といい、さすがに決まっていてすばらしいと思う。で、そこでその叔父がひとつの事件を起こす。 その際の彼の叫び「女が欲しい!」(彼は42歳だという)は真に切実だ。そしてこの人は本当に患者さんなのではないか と思うくらい、リアルな表情をしている。そこから先にもエンディングに向かってさまざまな魅力的なエピソードが続く。 実際に起きる事柄に、妄想や幻想などが織り込まれていて、深い霧のシーンなどは事実として描いたのだろうが充分幻想的だ。
また、ときどきナレーターのような人物が登場し、カメラに向かって語りかけたりする。これは舞台を観ているような 演出なのだろうか。とにかくそこここにスポーツ界でよく使われる”フェリーニ・マジック”とでも呼ぶような演出が 見られる。
この作品と同じような形式のものといえば、有名な「81/2」だろう。画面上は、あれは白黒、こちらは抑えた色調、 という違いはあるが、緊迫感という意味では「81/2」が勝っていると思う。あの冒頭シーンからの緊迫感といったらない。 あと、「81/2」では後半がちょっと私的にはだれるんだけど、「アマルコルド」は私の場合、前半がだれるのだ。
しかし、この2作品、油の乗ってきた時期と晩年の円熟期という監督のその時代の力を見事に表現していると思う。 これは好きなエピソード、シーンは何度も観たくなる映画だ。(「フェリーニのアマルコルド」★★★★「トリュフォーの 思春期」★★★)
「草原の輝き」(主演 ナタリー・ウッド 監督エリア・カザン)6月21日(2004)
これは最近NHKBSでもやっていて、なんとなくラストシーンを観てしまった。 その感じとしては、なんか文学作品を映画化したものか?と思った。それに若いウォーレン・ビーティがナタリー・ウッドの相手役で出ていたので びっくりした。タイトルの「草原の輝き」はなんとなく聞き覚えがある。(アグネス・チャンのヒット曲以外でも)
というわけで私が映画館で観る以前のアメリカ映画の中の名画に入るのかも、と思い観てみた。
主演のナタリー・ウッドにとって確かに一番美しい年頃の作品かもしれない。私の記憶にある彼女の映画は「ウエストサイドストーリー」だが、 あまり興味を持てる女優ではなかった。それよりも監督の名前を見て驚いた。あの巨匠と言っても差し支えないエリア・カザンだった。 私はもう少し格下のB級監督の手になるものかと思ったからだ。
この映画の半分以上は60年代初期のアメリカ流リアリズムとでも名づけたいような、ことさら、家庭の暗い部分、青春時代の負の部分を強調している 感じが、なにか不自然に感じられる。もちろん、テレビドラマで見るような明るく、理想的なマイホームばかりでないことは 分かるが。というか、この映画の時代背景は大恐慌時代も含む20年代ではあるが。
しかしこの映画を観終わった後で、ある種のすがすがしさや青春の甘酸っぱさ、また文学の香りを 感じるのは、後半部分、ことに昔の恋人のウォーレン・ビーティに会いに行くシーンの切ない感じと、最後に流れる「草原の輝き」の語句の入った ワーズワースの詩のおかげである。
前半のごちゃごちゃした感じが後半のすがすがしさで救われる。そしてナタリー・ウッドの初々しい美しさも 見る価値はあろう。(★★★)
サンセット大通り
(主演 ウイリアム・ホールデン 監督 ビリー・ワイルダー)
6月20日(2004)
年配の有名人の映画通の方々が「私のベスト3」みたいなアンケートでこの映画を挙げているのを見たことがあった。
監督がビリー・ワイルダーというハリウッド黄金期の大家(といってもさほど詳しくないのだが)というのが 意外だが、監督としてはごく初期の作品(1950年)である。(その前にサイレント映画時代にも映画に携わっていたらしいが)
一度は観てみたい作品だったが、偶然「スカパー」で観られる ことになった。
この映画を完全に楽しむには淀川長治氏みたいにサイレント映画時代からの映画ファンでなければ ならないのだろうが、それは無理なので、現在の環境で観たままの感想を述べたい。
まず昔の大女優が今は忘れられて大きなお屋敷に使用人とひっそり住んでいるという設定は、後発の「何かジェーンに 起こったか」という、ちょっとおどろおどろしいサスペンスもので観ているので、(あの場合は姉妹で住んでいる) 目新しいものではない。その女優が今でも自分は大女優なんだと錯覚している、正常な精神状態ではないというところも 似ている。もちろん、「ジェーン」の方がまねてるのか、借りてるのか、たまたま同じテーマになってしまったのかなのだが、 私としては、それを観てるので、衝撃度は少ない。その大女優に扮するのがサイレント映画時代の大女優だったとは、観ているときは 知らなかった。せりふの言い回しは英語なので正確に分からないが、演技は今から見ると、少し大仰に見える。 むしろ召使い役の俳優(元監督という)の方が自然で抑えた不気味さがあり、よかった。
この映画のナレーション兼主人公はウイリアム・ホールデンで彼が中年に差し掛かった男盛りの時で、まことに背格好が スマートでかっこいい。それに内面から出てくる品のよさも感じる。(私はもう少し歳取ってからの彼しか知らなかった。)
この映画がなぜ評判がよかったかと考えると、あの時代で ハリウッドの内幕もの、というような大胆な内容にもよろうし、鬼気迫るといったヒロインの多少大仰な演技のせいでも あろうが、飽きさせない話運びのうまさや、監督のサイレント映画に対する敬愛の念が感じられる点なども挙げられよう。
(★★★☆)