ZEPとGFR・・ 55年目の真実
5ZEPとG
シングル盤「ハートブレイカー」のジャケットより
GFRとは・・・wikipediaの記事でも・・・
グランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad, GFR)はアメリカ合衆国のハードロック・バンド。1960年代末にマーク・ファーナー、メル・サッチャー[3]、ドン・ブリューワーによって結成されたトリオで、1970年代半ばにかけてアルバム、ヒット・シングルを連発して高い人気を誇った(中略)
二度の解散と再結成を経て、ブリューワーを中心に2023年現在も活動中である。
「テリー・ナイト・アンド・ザ・パック(Terry Knight and the Pack)」というバンドで活動していたドン・ブリューワー (Don Brewer, ds)とマーク・ファーナー (Mark Farner, vo & g)、が、テリー・ナイト(Terry Knight)がバンドを去ったのを機に、メル・サッチャー (Mel Schacher, b) を誘って新しいバンドを結成し、アメリカの鉄道会社「グランド・トランク鉄道 (Grand Trunk Western Railroad) 」をもじったグランド・ファンク・レイルロードと名付けた(中略)
注↓この記述。
レッド・ツェッペリンのアメリカ公演の前座を務めた際に、その歌と演奏力で聴衆を熱狂させてツェッペリンを食ってしまったことによって、ロックファンの間で知名度が高まった。
この出来事を検証すべくスレが立ちました。
ッペリンよりも良レッド・
〜ZEPとGFR・・ 55年目の真実〜
☆XJさん
ちょっと前にグランド・ファンク・レイルロードのマーク・ファーナーの回顧記事がありました。
“レッド・ツェッペリンよりも良いパフォーマンスをしたためZEPのマネージャーが前座のグランド・ファンク・レイルロードのライヴを打ち切る メンバー回想”
https://amass.jp/178875/の記事
正確には覚えていませんが昔「ZEPをぶっ飛ばしたGFR」ってキャッチコピーがありましたっけ?
当時、無知な私はZEPとGFRが楽屋で揉めて喧嘩して、GFRが勝ったことかと思っていました(恥爆)。
真相を知った時は、ZEPの前座のGFRが観客に受けまくって、アンコールがなかなか終わらないのでZEP側から演奏を強制終了させられた、と認識していたのですが、今回の記事を読むと、
「“Inside Looking Out”に入る前に...彼らはセットリストを把握していた。ピーター・グラントが俺らのマネージャーであるテリー・ナイトに・(中略)・“中止だ。お前はバンドはステージから降させろ”。電源が落ちた。聴こえるのはドラムの音だけだった。」ということでセットリストの途中で止めさせられたようにも読めますね・・・まあ“Inside Looking Out”は長目の曲(ライブではさらに長くなる)なので、それがアンコールで演奏されるとピーターが把握していて、と考えればこれまでの認識通りでいいのかな。
☆ zoso_ledzep4_yyさん
「レッド・ツェッペリンもぶっとんだ驚異の大型新人バンド登場」確かこれが日本デビュー時のアルバムに付 ていた帯のコピーですが、この話は少し誇張されている可能性がないでしょうか?観客は電源が切れる前にもっとグランド・ファンクを聴きたかったのかもしれませんが、ツェッペリンをステージから吹き飛ばしたというケースではないと思います。GFRのメンバーのコメントはバンドに対してではなく、マネージャーに対して言っているだけだと思います。グラントがプラグを抜いたとして、それがグループとしてのレッド・ツェッペリンと何の関係があるんだ!?(怒)言い換えれば、それはツェッペリンのせいではなく、マネージメントのせいであり、それらは残念ながらこの後のGFRの営業戦略としていいように利用されてしまった感があります。
“ツェッペリン、高みに立つ”ツェッペリンの前には3組のアーティストがいた=リー・マイケルズ、
グランド・ファンク・レイルロード、MC5だ。『しかし、ジミー・ペイジとツェッペリンに勝るアクトは
なかった』最後のナンバー「How Many More Times」では、数百人の観客が席を立ってステ
ージを取り囲み、ペイジの衝撃的なギターの最後の音が鳴り終わるまで熱心に耳を傾けてい
た。[リンダ・チョミン/1969年10月]
https://www.ledzeppelin.com/show/olympia-stadium-october-18-1969
これこそが、この日のZEPライブを正しく伝えている唯一のプレスレビューとなります。
「レッド・ツェッペリンもぶっとんだ驚異の大型新人バンド登場」の宣伝文句は“嘘八百”です!
日本で未だに罷り通っている逸話の真実を55年目にしてここに明かさせて頂きます。
(出所は詳しく言えませんが、仮称Kallie氏はこの日の映像と音声を持っている当時の関係者であります)
“開演前の取り決めでは、グランド ファンク レイルロードは演奏し、12:00「真夜中」までにステージを降りる必要があった。残念ながら、ステージ クルーが MC5 の機材を撤去し、 グランド ファンク レイルロードのクルーが機材をセットアップした頃には、すでに午後 11:30 になっていた”(※別添要約和訳PDF gfr.pdf へのリンク)
「Led Zeppelin and Grand Funk Railroad ~ 10/18/69 Olympia Stadium 'The Shut-Down'」
~ その後 ~何年もかけて、GFRのマネージャーであるテリー・ナイトは、オリンピアスタジアムでのその夜の大げさな話をし始めました。その誇張された話は、あちこちで飛び交いました。次のような話がすべてです。
(PAの電源を切った・・テリーがPGに脅された・・以後GFRがツアーから外された・・3つくらいは真実です)
* グランド・ファンク・レイルロードがその夜をさらった。
* グランド・ファンク・レイルロードはレッド・ツェッペリンをステージから吹き飛ばした。
* レッド・ツェッペリンは、グランド・ファンク・レイルロードの演奏後、演奏を望まなかった。
* テリー・ナイトはピーター・グラントに首をつかまれ、脅された。
* ピーター・グラントは「電源を抜いた」。
* ピーター・グラントがステージに上がり、マーク・ファーナーからマイクを奪った。
* レッド・ツェッペリンのクルーがステージに出て、GFRがまだ演奏している間に機材を解体し始めた。
* その夜以降、グランド・ファンク・レイルロードはレッド・ツェッペリンの1969年秋ツアーから外された。
(ML1971読者質問より)Q:GFRについてどう思う?よく比較されるけど。
A:ジミー:(表情を変えず、黙って親指を下に向ける)
ZEPはGFRのPR戦略に対し、反論もしませんでしたが、ジミー無言の抗議が全てを現していると思います。GFRは、フェス主演時の契約上、午前0時迄に演奏を終える事が出来なかった(それ以前の出演者が遅延していた事が最大の要因ですが・・)からZEP側によって強制的に終了させられたのであって、GFRの大ウケが驚異となったからではありません!そしてZEP出演時には既に多勢の客が帰っていた話もGFR強制終了に抗議したものではなく、ZEPが遅延によって、夜中の1時から演奏開始なら当然のことです。(ウッドストックで遅延により月曜日の明け方に演奏することとなったジミヘン出演時の際も観衆は、すっからかんでした)
>「レッド・ツェッペリンもぶっとんだ驚異の大型新人バンド登場」なるほど、日本デビュー時のアルバムに付いていた帯のコピーだったんですね(汗)
訂正です・・GFR『Heartbreaker』EP盤における誇張された宣伝文句でした
これがなぜか、昭和50年代の日本では『ツェッペリンもぶったまげた』 → 『ツェッペリンがぶったまげた』『ツェッペリンがぶっとんだ』『ツェッペリンをぶっとばした』と、前述のエピソードを添えてヒトヅテにデマになっていき多くのツェッペリン・ファンの気分を害したワケです。
Q:イギリスで生まれているバンドで、あなたの印象に残ったようなニューグループはありませんか?
ジミー:正直言って思い浮かばない。アメリカのバンドについても、ちょっと名前をあげられないね。
Q:グランド・ファンク・レイルロードでさえも聞いてないんでしょう?
ジミー:と言って彼らをけなしているわけじゃないよ。彼らについて記事を読んだけど別にレコード店に走っていこうとは思わなかったものね。レコードを衝動買いすることは滅多にないね。聞いて、いいと判断できるまで買わないことだね。
ありもしない対立構図を面白おかしくイメージ付けようとメディアも双方の印象をインタビューしたりして、まあそういう時代だったんですね。
でもマーク・ファーナーや現メンバーが今でも誇張した主張を言い続けるのには(強制的に演奏を中止させるべくステージに上がってきたZEPスタッフに対して、事情が飲み込めない新人のグランドファンクも気の毒に思いますが・・)我慢なりません!
youtubeで見るをクリックしてね
☆XJさん
amassの記事(=マーク・ファーナーの発言)で一読して不可解だったのは、「そのせいで(=GFRが途中で演奏を止めさせられたせいで)、観客の半分以上が帰ってしまったんだ。」って部分だったんですよね。GFRが途中で演奏を止めさせられたからといって、メインアクトのZEPを観ずに観客が抗議して帰るなんてことがあるのかいなと。そしてそれは zoso_ledzep4_yyさんのご説明とご提供頂た資料から、
「遅い時間で、コンサートは午後 8 時に開始されていました。早く帰った人もいたと思います。5 時間というのは 、「古くて汚れた」オリンピア スタジアムの中に 座っているには長すぎます。さらに、ショーには若い子がたくさん来ていました。 門限があったので、彼らは会場から出なければなりませんでした。」
ということだったんだなとわかり、大いに納得できた次第です。
となれば、マーク・ファーナーの「メル・サッチャーと俺は“見てみろよ、客が誰もいないじゃないか。」っていうのに対しては、
「それはあなたたちの演奏が途中で止められたからではなく、あなたたちの演奏が他の出演者に迷惑をかけるほど長過ぎたからだよ〜ん」
って、教えてあげたいですね(爆)。
ツェッペリンよ
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