ZEPの聖地を旅する

―2001年8月―

ロンドンの街並(ハノーヴァーストリートにて)

第1日目(福岡晴れ、成田曇り、ロンドン雨)

 ロンドンは遠い。東京から片道12時間も飛行機に乗っていなくてはいけません。ましてや九州のド田舎に住む私などは、もっと時間をかけて行かなくてはなりません。ロンドンへの旅行の第1日目というのは移動に費やされます。

 早朝、カンカン照りの福岡空港を発って、成田に着きました。成田ではAさんが待ってくれていました。
海外旅行はほとんどしたことないも同然で、一人旅は昨年東京に行ったのが初めて(しかも羽田空港に降りてから、ほとんど単独行動は取らなかった。唯一ひとりで歩いた時に道に迷ってしまった)、英語は全く話せず、極度の方向音痴の私が一人でロンドンに行くことを大変心配されて、成田に来てくださいました。

 Aさんとは初対面でしたが、お互いZEPのTシャツを着てたので、すぐにわかりました。レストランでZEPについていろいろとお話しているうち、あっという間に搭乗時間になりました。Aさんとお手手フリフリして別れた後、ブリティッシュエアウエイ機に乗り込みました。

 確かに座席は狭く、12時間座っているのはつらいものがありました。しかし、タダ酒が飲めるのは(ワインだけだが)嬉しかったです。私はシベリア上空ではかなり出来上がっていました。そして不自然な姿勢のまま眠っていました。

 成田を発ったのは13:05。12時間も乗っていたにもかかわらず、ヒースロー空港に着いた時、現地時間は同日の17:40。4時間半ほどしか経過してないことになります。時差の不思議さを感じました。
 複雑なヒースロー空港の中を「ARRIVALS」の文字だけを頼りに歩いて行きました。そして「泣く子も黙る」といわれる入国審査に臨みました。

「hello」とにこやかにパスポートを出しましたが相手の審査官はニコリともしません。審査官からまず、滞在日数を聞かれました、「6days」。次に入国目的、「sightseeing」。ここまではよかったのですが、次に意味不明の英語を喋りはじめました。こちらが分からないと、少しずつ簡単な言葉にかえてきたので、一人旅なのか聞かれているとおぼろげながら分かりました。自分を指差して「only one」。その次の質問はもっと分かりませんでした。審査官はまた何度も易しく言い直しましたが、「LONDON−NARITA?」と言ったので、やっと「yes」と答えましたが、いまだにどんな質問だったかわかりません。内心「ちくしょー、『トラベル英会話』に書いてない事聞くなよ」とブツブツ思っていました。
それでも何とか入国審査が終わり無事にイングランドに入ることが出来ました。

空港内には旅行会社の人が来ていました。同じプランではないですが他にもこの旅行会社に申し込んだ人が10人ほどいて、バスに乗りこみました。
バスの中で旅行会社の人の説明がありました。
「今からホテルに行かれたら、ご自分でチェックインしてください」
ここまでは納得できる。
「明日は半日の市内観光です。お配りしたこの地図のこの地点で10時集合です。皆さん、ご自分で地下鉄に乗って来て下さい。」
「へ?」(そんなあ・・・東京の電車もよう乗れんのに、いきなりロンドンの地下鉄に乗って一人で来いなんて・・・・・)←目が涙目。

しかも、宿泊先はそれぞれバラバラで、私はたった一人でバスを降りました。
「ここがロンドンタウンホテルか・・・・」
ロンドンタウンホテル・・・ここが私の旅行の拠点となった場所です。あのアールズ・コートは目と鼻の先でした。

ロンドンタウンホテル

さてホテルのチェックインをしなくてはいけません。「check in please」と旅行会社の人から渡されたカードをフロントに提出しました。おねえさんからキーを渡され、朝食の説明等を受けました。ここまではスムーズにいっていましたが、フロントのおねえさんも「トラベル英会話」にないことを言うのです。
「?」
たまたま電話を借りにバスを降りてきた旅行会社の人に通訳してもらいました。部屋からの電話のかけ方を教えてくれたらしいです。

何とかチェックインを終え、部屋に入り、電話でミジーさんとゆうこさんに無事到着したことを連絡しました。
そして、地下鉄の路線図を見て絶望的な気持ちになっていたら、ゆうこさんがホテルを訪ねてくれました。
明日の集合の話をすると「じゃ、行ってみましょうか」と出かけることになりました。

ホテルは地下鉄のアールズコート駅の近くにあり、そこからピカデリーラインに乗りピカデリーサーカス駅で降りてリージェントストリートをしばらく歩いてハノーヴァーストリートに曲がれば簡単に行けました。だてにロックを聴き、ミュージシャンの本を読んではいなかったのです。どの地名も聞き覚えがあるせいか、すんなり頭に入ってきます。これで明日は大丈夫。うぅ〜よかった。

アールズコート

集合場所を確認するとまたリージェントストリートに戻り、あの赤い二階建てバスに、ゆうこさんと乗りました♪
バスの後方にはドアがなくて、そこから乗り降りするようになってます。そういうバスには必ず車掌さんがいて、乗り逃げされないように切符代を取りに来ます。代金を払うとレシートをくれました。それでも、さっと飛び降りてタダ乗りする人もいて、思わず「かっくいい〜〜〜」と呟きました。

バスを降りて中華料理店でディナーを取りました。メニューを見ても英語ばっかりで何をたのんでいいか分からず、ゆうこさんのお薦めの麺類を食べました。美味しかったです。

しばらく話して気づいたら10時を回っていました。一番近いグリーンパーク駅で、ゆうこさんに切符を買ってもらい、地下鉄の改札で別れました。ひとりでピカデリーラインに乗りましたが、その時は11時を過ぎていたし、すっかりビビッていました。周囲の人が犯罪者の集団に見えました。禿げたおじさんを見ても「このおっさんはハゲに見えるけど、本当はスキンヘッドのネオナチかもしれん・・・・」結果的にはただのハゲでした。公正さを信条としている人間さえも精神的に追い詰められることにより偏見が心に生じるものなのでしょう。そしてビビりながらもロンドンタウンホテルに無事到着しました。やった! 

 

第2日目(曇り 時々 晴れ 時々 雨)

今日は午前中がロンドン観光です。
昨日ゆうこさんと行き先をチェックしたので、自信満々でホテルを出ました。8時半ごろ地下鉄のアールズコート駅でピカデリーラインに乗り、ピカデリーサーカス駅で降りました。早めに出たのは寄りたいところがあったからです。

駅からリージェントストリートに行かずにジェラードストリートを目指しました。ジェラードストリートはZEPの4人がはじめて顔をあわせてリハーサルした歴史的な場所なのです。今は残念ながらリハの場所は残っていません。ソーホーの中華街になっています。狛犬の上のほうにあるジェラードストリートの標識を写真に撮ってたら、工事中のおじさんが不思議な顔で見ていました。

ジェラードストリート

それからリージェントストリートに戻りましたが、ちょうどそこにロックサーカスの建物がありました。ここにはいろんなミュージシャンの蝋人形があり、ロバート王子のお姿もありますが、今回は中には入りませんでした。入り口の写真を撮りました。

ロックサーカス

そのすぐ近くに「タワーレコード」。昨夜、ゆうこさんが「昨年出たZEPのベストアルバムが、2枚セットでえらく安い値段で売られていたんですよ。どうしたんでしょうかねえ。」と言うので気になっていたのです。ZEPコーナーにはありませんでした。キョロキョロと動き回りましたが、いっぱいCDが目に付いて、肝心の2枚組みというのはわかりませんでした。

 ハノーヴァーストリートの集合場所は、日本人向けのお土産屋さんの角でした。つまり半日観光ツアーとツアーの最後にお土産を買うのが抱き合わせのようです。ツアーにはあの2階建てバスがチャーターされ、ルンルン(死語)と2階に乗り込みました。

今回は観光が目的ではありませんが、頭の中にはスタインベックの旅行記にある「ナイアガラに行ってよかった。なぜなら人に聞かれたとき、ナイアガラを見たと本当のことが言えるからである。」という一節がありました。
初めてロンドンに行った時は観光地は押えておくべきでしょう。人に聞かれたときに「ロンドンはね、タワーハウス行って、ジェラードストリート行って、ちょっと離れてヘッドレイ行って、パングボーン行って・・・」じゃ相手が反応に困るでしょうから。

バスで添乗員さんの説明を受けながらいろんな名所を見ました。最初に降りたところはテムズ河沿いの広場になってて、対岸のビッグベンのある国会議事堂がいいアングルで撮れました。11時にビッグベンが鳴りました。鳴り始めたと同時に皆慌ててバスに戻りました。添乗員さんから「鳴ったと同時にバスに戻るんですよ。すぐに出発します。」と言われていたからです。そして出発しました。

この国会議事堂は全長300m、部屋数1100以上で1070年ウイリアム征服王の宮殿として造られました。大火災と大戦のため壊れ、今あるのは3代目です。
広場に着く前に、バスの中で添乗員さんから正しいロンドン旅行の自慢の仕方を習いました。
「ビッグ・ベンでご自分の腕時計を合わせましょう。そしてそのまま、日本に帰ります。日本で誰かから時間を聞かれたら時計の時刻をそのまま言って下さい。『え、違うじゃない。』と言われたら、その時です。
『あ、しまった。ビッグ・ベンで時計を合わせて、そのままにしてた。』さりげなく言うのです。」
なるほどね。

次に行ったのがバッキンガム宮殿です。言わずと知れた王室の皆様がお住まいの宮殿です。1703年に建立されました。

行く途中に、宮殿は王室の人がいると王家の旗が上がっているという説明を受けました。いないとユニオンジャックが上がるそうです。到着すると見たこともないような黄色い旗が上がっていました。添乗員さんが「さあ、王室の方はいるでしょうか?」参加者声をそろえて「いまーーーす!」。
明日は皇太后さんが101歳のお誕生日だそうで、何となく盛り上がっていました。馬に乗った兵隊さんのパレードを目の前で見ました。残念ながら衛兵交代の儀式はこの日行なわれませんでした。
それにしても衛兵さんは全く表情を変えません。一度でいいから針でツンツンしてみたいですね。

そして再びバスに乗り込み、添乗員さんのガイドを受けながら、ハノーヴァーストリ−トに戻ってきました。お店の人から免税の手続きの説明を受けました。これでツアーは終わり。しかし、人間の心理はやはりお買い物をしてしまうのですね。私は学童保育に「機関車トーマス」の本を買いました。

このツアーで自分が一つ賢くなった事は、それまで私はロンドンにはサーカスがたくさんある、と思っていたのです。今年の夏は福岡に来るボリショイサーカスに娘を連れて行くことにしていますが、何故オックスフォード・サーカス団やピカデリー・サーカス団はワールド・ツアーをしないのだろうかと思っていました。ロンドンにあるのは象やライオンが芸をするサーカス団ではなかったのです。街の形態でサークルという意味なのだそうです。

お土産の支払いを終えると、このお店で待ち合わせていたゆうこさんとバッタリ会いました。

私が行った観光名所
(左からビッグベン、バッキンガム宮殿、兵隊さん、ウインザー城)

ミジーさんは車でお土産屋さんに向かっているということで、ゆうこさんが携帯電話で連絡を取ってくれました。ほどなく赤い車があらわれました。ミジーさんだ。おお、ZOSOのTシャツを着ておられる。そして2歳の息子さんがチャイルドシートにちょこんと座っていました。
これで面子は揃いました。さあ、出発。ミジーさんの運転でロンドンから離れます。

今日の午後の予定はヘッドレイグランジです。
途中、ミジーさんが「ここはキングスロードですよ」と教えてくれました。
「おお、あの有名な」
「地球の歩き方」にも「パンク発祥の地」と書いています。しかしパンクスはひとりもいませんでした。

しばらく行って、ジミーちゃんの好物であるという「バーガーキング」でランチを取りました。
イギリスではレストラン等で子どもが騒ぐことに対して社会の目は厳しいので、最初からそういう所には連れて行きません。「バーガーキング」は小さい子を連れていける店のようで、あらゆるテーブルに小さい子どもがいて、蜂の巣をつついたようでした。以前、ゆうこさんはこういう店でラテン系の子どもから「中国人だ、中国人だ」と大声出されて、ムっとした経験があったそうです。東洋人を見ると中国人だと思うのはやめてほしいですね。しかし、私の娘はブラウンの肌の人は皆、アメリカ人と思ってるようであまり大きなことは言えませんが・・・。

ランチの後も車で国道を地図を頼りに南下します。道の両側にあったレンガの街並みもいつのまにか消えて、羊さんや牛さんがのどかに草を食べてました。
私たちのドライヴ中の役割は明確でした。運転はミジーさん。助手席で地図を見ながらナヴィゲーターをするゆうこさん。道を人に尋ねるときは二人で分担していました。
後部座席の2名は明らかに戦力外だったので私はミジーさんの息子をみるという役割が与えられました。息子さんはZEPの曲が好きで、しかもヴォーカルが聞こえていると機嫌が良いそうで、私と同じロバート派のようです。うーん、良いヤツだ。

ふと気づいたら、道がやたらと狭い山の中に入ってました。「これ、間違ってないよね」「うーん」
そのうち小さな町並みに出たので、その中の車の販売店に止まり、ゆうこさんが店の人に道を聞いてきました。
「道ちがってました」
慌てて引き返し、今度は別の山道に入りました。広い道に出て少し行ったら「Headly」の町境の標識が。
「やったー!」私たちは車から降りて、この標識をバチバチ写真に撮りました。工事中のお兄さんが不思議そうに見てました。

  ヘッドレイの町境

しかし、目的はZEPのメンバーが「天国への階段」その他をレコーディングしたというヘッドレイ・グランジです。ここを特定する情報は持っていませんでした。
そんな私たちの目の前に郵便局が。郵便局なら知らない場所はないだろう、ということで、ミジーさんが郵便局に行って場所を聞きました。「分かりにくいところだそうですけど、聞いてきました」今、ヘッドレイグランジには人が住んでいるそうです。
またまた狭い山道を入っていくと、あったあった!門があって中に入ることができませんが門の表札にははっきりと「HAEDLEY GRANGE COTTAGE」の文字が・・・・。森の中の一軒家という感じで木々がこんもりと繁っていて、家はほとんど見えなかったのですがわずかに屋根の煙突が見えました。

ヘッドレイグランジの門  煙突が・・

私たちは門の表札の「Headley Grange」の文字や、わずかに見える煙突をバチバチ写真に撮りました。近所のおばさんらしき人が不思議そうな顔して通り過ぎて行きました。

ヘッドレイグランジを発見した私たちは意気揚揚とロンドンに戻りました。
ミジーさんが自宅の近くにあるパブに連れて行ってくれました。パブの庭のテーブルでビールを飲みました。ミジーさんの息子さんは車で移動中もとてもおとなしくて、機嫌よく過ごしてくれました。ゆうこさんが彼をベビーカーに乗せて庭を歩き回っていたのが微笑ましかったです。

ミジーさんちの近所のパブ

それからミジーさん、お薦めの店のフィッシュ&チップスをテイク・アウェイ。それを持ってミジーさんの素敵な家にお邪魔しました。
ダンナさんがアマチュアバンドをされてるそうで、家の中は楽器やCDがたくさんありました。「あ、ダンエレクトロだ」以前ボードで話題になったギターです。ダンナさんからのプレゼントなんだなあ。そして、フィッシュ&チップスを食べながらZEPのブートビデオを見ました。
ゆうこさんが「うーん、ギターの弦が見える。前見たやつより、いいですよ、これ。」
フィッシュ&チップスはすごいヴォリュームで全部食べる事は出来なかったのですが、美味しかったです。

気がついたら、もう夜の9時になってました。福岡ではまだ夕方の明るさです。ロンドンの日は長いです。
ミジーさんがホテルまで送ってくれました。

 

第3日目(晴れ 時々 曇り 時々 雨)

今朝は9時半にミジーさんがホテルに迎えに来てくれます。早めにホテルの前で待っていました。階段に座っていると、ローリングストーンズの「友を待つ」が頭の中を流れてきました。おお、まるであのプロモのようだぜ。ミックがこんな階段に座ってキースが来るのを待っているあのプロモ。違うところはミックはラフなシャツを着てましたが、私はこの日、福岡ダイエーホークスのユニホームを着てました。
通りの向こうから現われたのはキースでなく、ゆうこさんでした。
ゆうこさんは「中のロビーで待ちましょう」
これで私の「友を待つ」は終わりました。

そしてミジーさんが車で来てくれました。今日は息子さんがいません。
ミジーさんのダンナさんが今日と明日が土日で仕事は休み、それで息子さんを見てくれるそうです。何てお優しい!

さあ、パングボーン目指して出発。国道をレディング方面に向けて、地図にそってずっと行くと、道路標識に「PANGBOURNE」の文字が見られるようになりました。
ここにヤードバーズ時代のジミーちゃんは、セッションマンの仕事の時から稼いだお金で、家を買い、初めて親元を離れて暮らすようになりました。ZEP結成前にロバート王子と数日過ごし、お互いの音楽性を確かめ合ったところです。

パングボーンの村の中心部にはヴィジターがとめられる駐車場がありました。ホテルやレストランもけっこうあり、リゾートで来る人も多いようです。駐車場に車をとめると、まずパングボーン駅に行きました。
この駅でジミーちゃんは王子が電車に乗ってくるのを待っていたそうです。私たちは彼らが出会った日に思いを馳せました。

パングボーン駅

「はじめまして、プラントさんですね。いやあ、ひと目で分かりましたよ。」
「はじめまして、ペイジさん。バーミンガム出身のプラントです。本日はお招きいただきありがとうございます。」
「テムズ河の僕のボートハウスに行きましょう。ほら、川の音が聞こえるでしょう?食事代は払ってくださいね。」
私たちは駅からテムズ河までの道をこんな会話を創作しながら歩いていたのですが、その日ホテルに戻ってハタと気づきました。パングボーンで、はじめて会ったわけでなくて、その前に教員養成大学の王子のギグで二人は会っていたのでした。「『はじめまして』はないだろう」と思いました(^^;

   ボートハウス付近

テムズ河の眺めは素晴らしかったです。ロンドン市内のテムズ河はお世辞にもきれいとは言えなかったのですが、ここまで上流に来ると河の水も澄んでました。
黄色い建物の「SWAN」という名のパブがあり、その先のほうにあるのがジミーちゃんのボートハウスです。河にはSWANならぬガチョウがたくさんいました。「NO FISHING」と書かれた看板の横でおじさんが釣りをしていました。美しく、のどかな町でした。

車に乗り、パングボーンを後にしました。次にウインザーを目指しました。ここにはオールドミルハウスがあります。これもジミーちゃんの家だったところで、ボンゾが亡くなった家でもあります。
この家には以前ゆうこさんが行ったことがあるので、比較的簡単に見つかりました。オールドミルレーンの住宅地のどんづまりにあり、やはり人が住んでました。
車が3台敷地内にとまっていて、門の横の塀には犬がいるから気をつけろの看板、何と犬の顔の絵まで描いてます。ガンつきの悪い犬ばかりでした。セキュリティのカメラもあり、かなり侵入者を警戒している感じがします。
私たちはセキュリティカメラの前で、バチバチ写真を撮りました。ゆうこさんはセキュリティカメラに向かってVサインをしてました。
この静かな住宅街を車にもどるために歩きながら「地元の人の証言」ごっこになりました。「いやあ、あの時は大変だったよな。救急車は来るし、警察は来るし、新聞記者は押しかけてくるしさ。うるさくて眠れやしなかったわ・・・・・。」

オールドミルハウス

せっかくウインザーに来たので、ウインザー城に行きました。夏休みの土曜日で皇太后さんの誕生日ということもあるのか、たくさんの人で空いた駐車場がなかなか見つかりませんでした。ひとつの駐車場内で空くのをひたすら待って、やっと車をとめることができました。

もうランチの時間になっていて、ウインザー城の近くで以前ゆうこさんが食事をしたことがあるお薦めの店に入りました。そこでお薦めメニューの「チキンときのこのパイ」を食べました。美味しかったです。
おなかもいっぱいになってウインザー城へ。ここは王家の人が住んでいる城としては世界最大で900年の歴史を持ちます。
特にエリザベス女王はここがお気に入りで、イースターやクリスマスそして週末もよく訪れているそうです。
今日はユニオンジャックが掲げられていたから週末といえども不在のようでした。皇太后さんの誕生日なので皇族の皆さんが集まってパーティしているのでしょう。
11ポンドも払って中に入りました。確かにとても広く、かつては世界中を支配した国なんだなあと納得させるものがありました。城から離れたところにあるイートン校も見えました。

見学コースが終わって庭に出ると、大きな看板が目に付きました。普段公開しない中庭のガーデニングが今日は見学できるというのです。
普段見れないものが見れるのなら行かなくちゃと、中庭に入ったら机についたおじさんがいました。にこやかに「1pound」。なんだあ、お金がいるのか。

ウインザー城を出て、ロンドン市内に戻りました。
デンマーク・ストリートの本屋「ヘルタースケルター」に行きました。ここはロック関係の本を中心に売っています。ここでZEPの本を買いました。「TIGHT BUT LOOSE」£4.99、「THE COMPLETE GUIDE TO THE MUSIC OF LED ZEPPELIN」£5.99、「THE LEMON TREE」£1.80。
表紙が見えるように置いている本の中に、やたら派手な色の分厚い本があって目を引きました。表紙は誰かの顔の絵が4人分書いていました。

「何これ?」よーく見ると・・・・・・・・・・・「LED ZEPPELINって書いてますよ。」
表紙の絵があまりにも似てないので夢にもZEPの本とは思わなかったのですが、これこそ、ZEPな旅をすすめる私たちにとって強力な味方になる本でした。「FOLLOW THE LEGEND」£24.99。これはZEPゆかりの地をかなり詳しくガイドしたものです。で、ミジーさんとゆうこさんが買いました。私は字ばっかりなのと、分厚くてやたら重いために買うのを躊躇するという罰当たりなことをしてしまいました。
「もっと早く、この本と出会っていたら・・・・」
「これVOLUME ONEって書いてますよ。まだ書く気なんですかねえ」
「それにしても、この絵の顔はひどい。怒りを覚えるなあ」
私たち、興奮状態でした。
旅行中、この本は「バイブル」と呼ばれました。

ヘルタースケルター

「ヘルタースケルター」を出て、ミジーさんがゆうこさんの泊まっているホテルに送ってくれました。家の様子が気になるミジーさんとは、ここでお別れしました。「明日は勉強してくるからね」と頼もしい言葉を残して。

ゆうこさんの部屋でひと休みした後、ピカデリーサーカス付近のイタリア料理店でディナーを取りました。
この店はイタリア人も数名勤めてるようで、本格的で美味しいイタリア料理が食べることが出来ました。
ロンドンでは中華にしろ、イタリアンにしろ、日本のように日本人向けにアレンジするというようなことはあまりしていないので、本場の味が楽しめます。しかし、こんなに外国の本格的な美味しい味が集まっているのに、それを取り入れずに自国の料理を守り続けるイギリスは凄いと思います。

それからタワーレコードに行き、書籍コーナーでZEP関係の本を1冊買いました。「IN THEIR OWN WORDS LED ZEPPELIN」£8.95。

タワーレコード

再びゆうこさんの部屋に行き、PCの「ワールドワイドモデム」というのを見せてもらいました。
私もこのモデムを買って、PCをロンドンに持っていこうかと思っていました。ところがプロバイダに問い合わせたら「うちは海外ローミングサービスはしていません」と冷たい返事がきました。そのため海外でネットをするのをあきらめました。せっかくモバイルノートを買ってたんですけどねえ、ぶつぶつ・・・。
それから幾人かのZEP仲間にメールを送りました。「日本に帰りたくないよお」と・・・・

この時点で10時を過ぎていましたので、ゆうこさんのホテルを出て、地下鉄で帰りました。もう一人でも平気でした。

 

第4日目(晴れ)

何と朝の7時半からテレビで「ポケットモンスター」やってました。テレビで見るイギリスの漫画は、内容はよくわかりませんが、絵がかわいくないなあと思いました。日本の漫画が人気なのもわかる気がしました。

9時半にミジーさんが車で来てくれました。ミジーさん、ZEPのTシャツを着ていました。それからゆうこさんのホテルに行きました。ゆうこさんはイングランドのZEPのトリビュートバンドFRED ZEPPELINのTシャツを着ていました。二人とも気合が入ってます。

まずは、マーキー跡に行きました。マーキーで演奏活動をして、世界的なミュージシャンになった人たちは枚挙にいとまがありませんが、ZEPもまだニューヤードバーズと名乗っていた頃から、ギグを行ないました。最初のライヴは1968年10月16日です。今はなくなっているのが残念です。

マーキー跡

それから日曜日でしたのでカムデンロックマーケットに行きました。
ここはいくつかのストリートマーケットの中でもロンドンの若者に人気が高いマーケットだそうです。特にスリには気をつけなくてはなりません。確かにおもしろいお店がたくさんあって、見るだけでも飽きません。

ミジーさんが来ているZEPのTシャツをみつけたあやしげなCD屋さんで足を止められました。腕に青々とイレズミをしてるおじさんがZEP関係のCDを私たちに勧めました。
店にディスプレイしてるのは王子のCDで、王子関係は私が担当という空気が3人の中にありまして、結局私が2枚組の王子のCDを買いました。「ROBERT PLANT & STRANGE SENSATION DETROIT 4-6-01」£22→£20。£2まけてくれました。

カムデンロックマーケットのあやしげなCD屋さん

カムデンロックマーケットの通りをしばらく歩くと、今度はあやしげな洋服屋さんに、これもやはりミジーさんのTシャツを見た背の高い女性がニコっと笑って「follow me」有無を言わさず店の中に引き入れられました。
ロック関係の服を売ってる店で、ZEPのTシャツをいろいろ見せられました。ミジーさんはめでたくZEPのTシャツをゲットしました。

カムデンロックマーケットを出ると、その近くにあるラウンドハウスに行きました。ZEPはグループ名をニューヤードバーズからレッド・ツェッペリンにかえて初のギグを1968年11月9日に行ないました。この日はロバートとモーリーンが結婚した日でもありました。
日曜日の午前中で当然閉まっているのですが、外からは倉庫っぽい感じのライブハウスでした。

   ラウンドハウス

ZEPとはあまり関係がありませんが、せっかくロンドンに行ったなら、見ておきたいアビーロードに行きました。さすがはビートルズです。写真やビデオを撮ってる観光客が何人もいました。私たちがZEP関係の地で写真を撮ってると、地元の人から不思議そうな目で見られるのとエライ違いです。
アビーロードスタジオも外から見て、小奇麗な感じがしました。ただ標識や塀への落書きには閉口しました。

アビーロード  アビーロードスタジオ

それからロイヤルアルバートホールに行きました。クラシックの殿堂。1871年に建てられた由緒正しいホールです。
ZEPは1969年6月29日に初めてライヴを行ないました。
8000人を収容できる円形劇場で円周は224mに及ぶため、簡単に写真が撮れず、道を隔てた隣の広場に行って、そこから写真を撮りました。

ロイヤルアルバートホール

「バイブル」のお導きによりホランドストリートにある、ジミーちゃんのオカルト本屋さん跡に行きました。今は「The Kandy Tea Room」というお茶屋さんになっています。
本屋の名前は「The Equinox」といい、これはアレイスタ・クローリーが出していた雑誌の名前だそうです。
また70年代中ごろにシャーロットがジミーちゃんを取り巻く女性群に耐えきれなくなり、逃げ隠れていた場所でもあるそうです。シャーロットさん、苦労してたんですね。
ジミーちゃんはこの本屋は金儲けが目的でなくオカルト研究をする人をサポートするために始めたそうですが、彼が言うと説得力ないですね。

本屋跡

そしてジミーちゃんが1974年に購入したタワーハウスに行きました。
この頃ロン・ウッドとジミーちゃんは二人でセッションして、できた曲に「スカーレット」というジミーちゃんの娘の名前を付けたという美しい話があるのにも関わらず、朝ジミーちゃんとロンとロンの奥さんのクリシの三人で散歩していてジミーちゃんとクリシがいなくなったそうですね。
そのクリシをこの家にかくまっていたのかあと感慨深く見ました。

タワーハウス

せっかくケンジントンハイストリートに来たのだから、かつてゆうこさんがジミーちゃんと遭遇した本屋さんに案内してもらいました。「私はここで、こうして中を覗いてて・・・」と壁にしがみついての実演つきでした。

お昼になっていたのでその本屋さんの近くにあった中華料理屋さんでランチを取りました。ここでジミーちゃんの「ロリコン物語」で盛り上がりました。
ジミーちゃん「大丈夫だよ。おじちゃんはね、○○○くらいの○○しかないんだから、ほら○○○ないだろう?」
ロリ・○ドックス「ほんとだ。○○の○○○もないのね。○○位かしら?」
中高生も読んでるので伏字にしてます。

食事が終わって、サーム・スタジオ・ウエストに行きました。1970年12月にこのスタジオで「天国の階段」など、「W」の一部をレコーディングしています。ここもアビーロードと違って、見かけ倉庫っぽいスタジオで、こういう所に長く閉じこもっておくと、ヘッドレイのような田舎でやりたくなるのも分かるような気がします。

サーム・スタジオ・ウエスト

それからスワンソング事務所跡に行きました。ここは、空家になってました。中庭があって、そこでインタビューなんかも行なわれたようですが、外から中庭は見えませんでした。

スワンソング跡

そしてキングスヘッドパブ。1994年、ジミーちゃんと王子はこのパブの上の部屋でMTV用のリハーサルを行ないました。ここはライヴ中心のパブのようでした。入り口の壁に出演したミュージシャンの写真がディスプレイされていましたが、ペイプラのリハ風景の写真はありませんでした。

キングスヘッドパブ

ここでロンドンを離れ、ジミーちゃんが育った町、サリー州のエプソンに向かいました。

エプソン駅まで行くと「バイブル」を頼りにマイルスロードを探しました。あった、あった。ここは19世紀の終わりごろに建てられた住宅地でした。

エプソン駅    マイルスロード

ジミーちゃんが住んでた家もみつかりました。
ここに週末になるとジェフ・ベック少年がやってきて、セッションなんかをしたのかなあ・・・。

ジミーちゃんの育った家

外で立ち話をしていた近所の人にミジーさんが、小学校の場所を尋ねました。「EPSOM COUNTY PRIMARY SCHOOL」はすぐ近くにありました。
ここにジミー少年が通っていたのか・・・・。同じ通りにジミーちゃんが聖歌隊で参加し、ある時はホールで踊ったという教会もありました。

ジミーちゃんが聖歌隊に参加した教会

この一帯をジミーちゃんが小学校に行ったり、ギターを持って歩いたり、女の子とデートしたのかなあ・・・・・わくわく。

このエプソンに入ってから、俄然パワーアップしたのがゆうこさんです。それまでは私がいそいそと写真を撮りに行っても「車で待ってるから」状態だったのですが、ジミーちゃんの育った町が彼女にエネルギーを与えたようです。
小学校の塀にかぶりつきで「あ、運動場だ!たいいく♪たいいく♪」とバチバチ写真を撮っていました

  ジミーちゃんが通った小学校

エプソンを後にするとミジーさんが、リッチモンドに寄り、ミックジャガーの家の前を通ってくれました。ここはリッチモンドの一等地で、もっとも風光明媚な場所です。そこにこれみよがしな大邸宅が建っています。残念ながらミックの姿はありませんでした。

ミック・ジャガーの家

リッチモンドはテムズ河沿いに出来た街ですが、テムズの眺めは一番と言われていて、テムズ河をテーマにした画家がたくさん訪れて、絵を描いているそうです。

リッチモンドといえばリッチモンド・パークです。面積が900万u以上もある広大な公園で、門があってそこから車で中に入る事が出来ます。この公園は王室とのつながりが強く、昔は鹿狩りが行なわれたそうです。今も数百頭の鹿がいます。実際何頭も見ましたが広島県宮島の鹿のようにおとなしくはないようです。先日も鹿にお尻を追突されて怪我をした人がいたとか・・・。

イギリスの公園はできるだけ自然に手をつけず、やたらと広く、休みは公園で過ごす人が多いということがわかりました。そんなイギリス人が日本に来ると、日本の公園は居心地が悪いようです。

そしてリッチモンドの駅前にいってくれました。60年代前半、ジョアジョ・ゴメルスキがリッチモンドのステイション・ホテルの中に「クロウダディ・クラブ」を経営していて、ストーンズのメンバーはここで初めてプロとして人前で演奏しました。バンドとして初めて取ったギャラは£7.10でした。今はこのクラブはないそうです。

ここでミジーさんの携帯電話が鳴りました。ミジーさんのダンナさんからです。とうとう子守りのSOSかな、と思っていたら、こちらは大丈夫だからディナーまでゆっくりどうぞ、という連絡でした。ミジーさんのダンナさま、どうもありがとうございました。今度、ストーンズの話題で盛り上がりましょう。

ケンジントンハイストリートに戻り、元ローリングストーンズのビル・ワイマンが経営しているカフェ「スティッキーフィンガーズ」にディナーを取りに行きました。

スティッキー・フィンガーズ

食べようと思ったサンドイッチはその日はなくて、オーブンで焼いた巨大な肉とポテト、そしてお酒が並べられました。ガイドブックにヴォリュームいっぱいと書いてありましたが、確かにすごい量でした。

ここのスタッフは愛想のいい人が多かったのですが、愛想がいいのを通りこしてやたらと馴れ馴れしいエジプト人がいました。
「ZEPのTシャツ着てるねえ。君達ファンなの?僕もだよ。ぺらぺらぺーらぺらぺらぺら・・・・・・・・」こちらは「調子のいいヤツだ。本当にZEPファンなのか?」と疑惑の目で見ていました。
店の人が私たちの写真を撮ってくれましたが、「あれ?」、そのエジプト人がいつのまにか一緒に写ってました。ひえー、エジプト人、おそるべし〜〜〜〜〜〜。

気づいたらエジプト人が主役のように写ってました

店は繁盛していて、しかも家族連れが多く店に飾っているゴールドディスクやギターのコレクションやロンウッドの絵を写真に撮って回るのは恥ずかしいなあと思っていました。

ギターのコレクション

しかし飲んでるうちに羞恥心にも酒が回って来たようで、私はイギリス製「写るんです」を握りしめて立ち上がりました。フラッシュをたくたびに集まる視線を無視して写真を撮っていました。すると女性のスタッフがやってきて私の写真を撮ってくれました。

   ウッディの絵とゴールドディスクの下で 

おなかがいっぱいになったところで店を出て、今度はミジーさんがロンドンの大学生だった頃、よく行っていたというパブに連れて行ってもらいました。やはりパブではビールに限ります。ここで昼食時、盛り上がった話題が蒸し返されました。
ジミーちゃん「おじちゃんね・・・(以下略)」
やはり、ジミーちゃんがロリコンに走ったのは、大人の女性に対する自信のなさの裏返しでしょうけど、ZEPのメンバーの中に、傷を広げたヤツもいたことでしょう。
パーシー「いやあ、まいったなあ。ゆうべ○○で○○○の○を取られたんだけど、○○が足りなくってさ。そういや、ジミー、お前の時は、○○がかなり余ったらしいな。」
ジミーちゃん「・・・・・・」(涙ぐんでいる)

しかし・・・・言葉が通じないというのは素晴らしい!
どんなに大きな声で、○○○な話をしても誰からも咎められないんだもの。

気がついたら時計が10時を回っていました。ミジーさんがホテルまで送ってくれました。
ここで、ミジーさんとはお別れになります。今回の旅行のプランはミジーさんが作ってくださいました。
まだお子さんが小さいのに3日も時間をさいてくれてありがとうございました。車の運転ご苦労様です。
本当にお世話になりました。でも、さよならを言うのはやめましょう。See you again。

 

第5日目(曇り 時々 雨)

いよいよロンドン滞在最終日です。8時過ぎにロンドンタウンホテルをチェックアウトしました。
また出かけるので、帰るまで荷物を預かってくれるように頼むと、荷物を置く場所を教えてくれました。いつ戻るか聞かれたので、おそらく正午ぐらいだろうと返事をしました。・・・チェックインの時に、途中で固まったことを思うと随分進歩しました。

今までロンドンタウンホテルとアールズコート駅の往復しか歩いたことがなかったので、アールズコート・ロードの辺りを散歩しました。途中、売店に寄りました。
今日のテーマその1は「ごく普通の売店に寄り、雑誌を買う」。サッカーの雑誌とスコーンを買いました。
そして、アールズコート駅からピカデリーラインに乗って、ピカデリーサーカス駅で降りました。そこからリージェント・ストリ−トを歩いていきました。

ロンドンでは皆、赤信号でも車が来なかったら道を渡っています。ところが赤信号をあせって走って渡っている人を見たらたいてい東洋人でした。おそらく日本人でしょう。
多くの人は悠々と渡っていました。
今日のテーマその2は「赤信号を歩いて渡る」でした。走りたいのをこらえて渡りました。

目標はオックスフォード・ストリートのHMV。店にはロキシー・ミュージックの「アヴァロン」がディスプレイされて、キンクスの白黒の写真やボブ・ディランとスーズが歩いている写真が飾られていました。時代が逆行したような光景でした。

そしてピカデリー・サーカスにあるゆうこさんの宿泊先のホテルに待ち合わせ時間の10時に行きました。今日のテーマその3は「公衆電話をかける」。「地球の歩き方」で予習したとおりに公衆電話からゆうこさんの携帯電話にかけました。

ゆうこさんはこの日の夕方帰国するので、荷物を持って降りてきました。チェックアウトを済ますと、二人で歩いてデンマークストリートの「ヘルタースケルター」に再び行きました。
ここに行くようになったのは、昨日いろいろと回っていくうちに、「私もやっぱり『バイブル』がほしい〜〜」とごねたのです。ところが私の持ってる地図にはデンマークストリートが載っていません。そこで、ゆうこさんが朝、一緒に行ってくれることになったのです。

無事、「バイブル」を手に入れると近くのジェラードストリートの中華料理店で飲茶を取りました。たまたま入った店ですが、美味しかったです。特にピータンと鶏のおかゆは絶品でした。皆さんもジェラードストリートにお越しの際は「DORAGON INN」で飲茶をお試しください。

レイチェスター・スクエア駅で、ゆうこさんともお別れです。思えばこの旅行の1年前「ZEPの歩き方」というコンテンツを作ったのが発展して「ENGLAND MUSIC」という旅行会社の具体的なプランとなり、それがもとのロンドン旅行になったのです。その数ヶ月前、ゆうこさんからスノードニアの小屋とボルスキンハウスへの行き方の問い合わせをメールでいただいたのが、すべての始まりでした。インターネットの出会いだけでも、こんな素晴らしいことが実現できることが実証できました。夢のような数日間をありがとうございました。そしてやはり、See you again。

地下鉄でアールズコートに戻り、12時半ホテルで荷物を受け取りました。道路に出ようとすると、フロントから呼び止められました。「迎えは何時に来るの?」と言うので「10分後ぐらい」時計を指差しました。
それならロビーの椅子で待つように言われました。私は「I enjoyed my stay in LONDON very much」と言うと彼女は笑顔で私の背中に腕を回して「よかったね」みたいなことを言いました。ここはエコノミーホテルで、スタッフも少人数で顔を覚えられたし、私服なのでホテルマンというより「普通の人」という感じでした。滞在中、会話はできなくても挨拶だけは欠かしませんでした。「good morning」食後の「thank you」出かける時の「bye-bye」夜帰ってきてからの「good night」。必ず笑顔で返事がありました。イギリス人はけっこうフレンドリーだなという印象を持ったのは、このホテルのスタッフの影響が大きいように思えます。

そして12時40分。予定通りに旅行会社の人が迎えに来ました。
ヒースロー空港の出国は入国よりは気が楽でした。ホテルでチェックインした時通訳してくれた旅行会社の人が、出国審査の時、心配だったのでしょう、ずっとそばにいたのです。最初の質問で、私が考え込んでしまうと、彼女が慌てて通訳したら、その審査官は「君は英語ができるのか?」みたいなことを彼女に聞きました。彼女が「yes」と答えるとそれからの質問は彼女の通訳つきで行なわれました。無事に出国審査を終え、ブリティッシュ・エアウェイ機に乗り込みました。

いとしのロンドン、さようなら。
いつかまた来るからね。

 

第6日目(成田・羽田・福岡 曇り)

再び、ブリティッシュ・エアウェイ機では足の痛みと戦い、そしてタダ酒を飲みました。

隣の席は韓国の若い女性の二人組でした。二人とも親切な方でした。在日韓国人の知り合いはいますが会話は日本語で、それが当たり前のような感覚でいました。しかし、同じアジアで古くからかかわりのあった隣国の人と、英語でないと会話ができないということに気づきました。私は知ってる韓国語を頭の中で並べてみましたが「アンニョンハシムニカ」とか「チョー・ヨンピル」とか「ノ・ジュンユン」とか「ビビンバ」とか・・・ほとんど知らないのですね。

日本の皆さん、来年のワールドカップ共同開催に向けて、もっと隣国の文化を知っていこうではありませんか。(と酔いながら思いました)

12時間のフライトの末、成田空港に着きました。

日本の日本人に対する入国審査はあまりに簡単でした。若い審査官がパスポートを受け取ると、ポンと判を押して終わり。外国人に対する入国審査はどうなんだろう、と覗いて見たい気になりました。税関では申告するものは何も持ってないので「ありません」と答えました。「どこに行かれたのですか?」と聞かれました。「ロンドンです」。それで終わりました。

今回の旅行では、海外旅行には必携といわれるクレジットカードを一度も使いませんでした。使うような買い物をしなかったのです。ホテルも電話代だけだったし、ただやたらと小銭は足りなくなりました。「small change please」という言葉はよく使いました。前日ゆうこさんも「ゆうさんの一番高い買い物はこれじゃないですか?」と「バイブル」を指差してました。そうかもしれない・・・・。

成田空港から電車で羽田空港に行きました。2時間もかかるのには驚きでした。羽田で食事を取っているうちに搭乗時間になりました。
福岡はむし暑く、ロンドンの涼しさが恋しくなりました。

今回の旅行が「私もZEPな旅がしたい」と思ってる方の参考になれば幸いです。
たくさんの方にお世話になりました。この場をかりてお礼を申し上げます。

 

 

 

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