黒崎祇園飾り山笹
黒崎祇園の豪華絢爛の云われはこの飾り山笠にある。笹山神事を終えた各山笠は勇壮な飾り山笠へと姿を

変える。 幕末から明治初期にかけ世相激動のため祇園祭は中止されていた。 そして明治二十二年頃、黒

崎地区に流行病が発生し厄払いとして藤田に一本山笠が建った。 以降熊手にも数度建ったが完全に復活を

みたのは明治三十九年である。日露戦争祝いだったのであろう。この山笠は岩山と称し高さが人家より高かっ

た。岩山とは竹に紙を張り色を塗って岩に見せかけたものであった。この山笠が飾り山の最初の出現である。

明治四十四年、門司〜黒崎間に電車が開通しその架線のため山笠は高さを制限された。この時山笠を大きく

見せるように槍出し(山笠台の四方についた人形を乗せる部分、開きとも言う)が考案された。狭いところ、

曲がり角ではこの槍出しをすぼめて山笠を通りやすくする事ができる。大正初期から昭和初期は山笠の最盛

期で昭和十二年、支那事変勃発により順次縮小した。 太平洋戦争末期には兵士を送るため笹山に武運長久

の幟を立てていた。 昭和十九年には完全には中止され、戦後昭和二十二年に再開されたが台の大きさも縮

され山かき組織も戦前とは改変された。現在ではその飾り山に500百から600百の電球を施し、まさしく

豪華絢爛の名にふさわしい姿で、黒崎の町を練り歩く。 各山笠は毎年7月20日の夜前夜祭にてその姿を

披露する。前夜祭に行われる競演会は黒崎祇園の見所でもあり毎年たくさんの観客を迎える。
























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