黒崎祇園山笠の由来


    黒崎祇園山笠は、伝統、勇壮、華麗な祭りである。 黒崎祇園の発祥を記録した最古のものが、八幡祇園原町の

    八束神社(仲宿神社に合併)の社伝として存在する。円融天皇天禄元年(970年)の夏、初めて祇園祭を行うとある。

    祇園会とは、疫病の神を鎮め怨霊を慰めるために行う御霊会(悪疫退散、無病息災、五穀豊穣の礼念会)であり、型

    としては衣代笹山笠であった。元久2年(1205年)花尾城主麻生氏が祇園社の祭儀を行い、その後、慶長5年(1600年)

    黒田長政が黒崎城主井上周防之房をして岡田、春日両宮に須賀大神を奉納せしめた。この祭礼として町民山笠を建
      
    設す。 これが黒崎祇園の起源といわれ現在 岡田神社、春日神社、一宮神社の祇園祭として受け継がれている

    之房は祭礼に勇ましさをつけるため、関ヶ原の経験を生かし、陣太鼓の調子を取り入れ、これに鉦やホラ貝を組み込ん

    だという。きぶりの勇壮さは、この囃子に根源しているということである。小太鼓、大太鼓、鉦の三拍子そろった打ち方

    の序、破、急は据山、練山、及び追山の三態を指揮するもので、かきてをいやが上にも躍動せしめるいつ頃からこのリズム

    が取り入れられたのであろうか、他に比類のない名調子である。旧来、黒崎祇園は喧嘩山笠とも云われてきた。これは

    威勢によい囃子のせいではない。 ある古老いわく、熊手の者と藤田の者は出身地が違う。熊手は山寺から、藤田は上の

    銘からそれぞれ移住した者である。それゆえ排他根性が原因だと。現在喧嘩山笠の異名は、山の勇壮さにとって代わり

    今もなお受け継がれている。
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