「手形を振り出す者(振出人)の署名」←手形要件である(75条7号)(無効説)その趣旨は、手形の流通を図るため、手形面から真実その者が手形行為を行ったか知りうる必要があるためである。*記名の場合は同一性確認のため捺印が必要(82条)
よって、本来記名のみで捺印がない場合、無効である。
しかし、真実その者が振り出した場合、捺印がないというだけで振出人の手形の責任を否定する理由はない。
このような場合、振出人に手形上の責任を認め、所持人を保護した方が手形の流通に資する。
確かに、手形所持人の利益を保護する必要もさることながら、条文上明らかに記名に対しては捺印を要求しているのであって、画一的処理の要請から無効とした方がかえって手形の流通に資することになる。○『振出人欄に「A」という記名があり、拇印が押されている場合』*手形がA→B→Cと転々流通した場合、手形が要件を欠き無効とされる場合、CはBに遡及できるかどうか?
Cから手形を盗んだ甲が丙に手形を譲渡した場合はどうなるか?
振出人の署名は手形要件である。そして、法82条は記名の場合は捺印することによって書名に代えると定めている。では、捺印に代えて拇印でもよいか?(肯定説)手形法が書名を要求したのは、行為者の同一性を手形面で識別し得るためである。そうすることによって手形流通の保護を図ったのである。
とすれば、同じ指紋の人間は一人しかいないので、同一性確認の手段としてはもっとも確実である。(無効説)拇印をもって捺印に代えることは、75条82条の趣旨に合致する。よって有効である。
もっとも、拇印の異同真偽の識別に特別の技能が必要とされるため、高度の流通性を有する手形の識別には不適当という意見もある。
しかし、はんこでも特別な技能がなければ判別し得ないものもあり、それだけをもって拇印の効力を否定する理由はない。
ところで、不特定多数間を転々流通する手形では、同一性の有無を容易に識別できることが必要であり、識別に特別の技能を要する拇印は無効である。○『甲株式会社代表取締役Aが振出した手形の振出人欄に「甲株式会社」と記載されている場合』これに対し、かように無効と解することは、所持人の利益を害し手形の流通を損なうとする批判もある。
しかし、このような手形が一般的に流通することはかえって手形の流通を損なうことになる。
*手形の有効・無効に関する論点を聞かれたら、必ず反対利益への配慮が必要である。
これも「署名」の問題であるので、署名の趣旨を述べる○『甲株式会社代表取締役Aが振り出した手形の振出人欄に「甲株式会社A」と記載されている場合』株式会社の手形の振出は代表権のある代表取締役によってなされる。
法人の署名については、手形面から代表権のある者によってなされたかどうかを知り得なければならない。
よって、自然人たる代表権者の署名が必要である。
会社名だけでは足りず無効な署名となる(判例)。
*この問題も利益衡量によって有効にも無効にもなる。
所持人の利益を重視すれば「真実代表権のある者によって振り出されたのに無効とすることは所持人の利益を害し、ひいては手形の流通を妨げる」といえる。他方、「このような手形が流通すれば、かえって手形の流通が阻害される。画一的処理の要請により無効とすべきである」という反論も可能である。
この手形は甲株式会社が振り出したものなのか、それともA個人が振り出したもので甲株式会社の部分は肩書きか?○この場合、Aが手形所持人からの請求を拒める場合はあるか?手形の文言性=手形上の権利の内容は手形面に記載された文言によって決せられなければならない。
そして、その手形面に記載された文言は、外観を重んじて客観的に解釈されなければならない(客観解釈の原則)
*つまり手形に記載されていない事情は一切捨象すること。なぜなら、手形は不特定人間を転々流通するから、それ以外の事情を容れるわけにはいかないからである。
本問はどちらとも読める。
所持人を保護し、手形の流通を確保する必要がある。
所持人に選択権を与えて、両者いずれかに手形上の責任を追及することが許されると解すべき(判例)。*本問で甲株式会社振出とすれば、あとはA記名で捺印の問題がでてくるくらい。(A署名なら本人の署名であるので問題なし)
請求を受けた者は、その振出が真実いずれの趣旨でなされたかを知っていた直接の相手方に対しては、その旨の人的抗弁を主張しうるものと解するのが相当である(判例)*さらに類似問題
『代表権のないBが「甲株式会社代表取締役B」として振り出した場合』
この場合のように代表・代理文言が入っていた場合には、その意味は客観的に明らかであるので問題は生じない。代理代表文言は本人(甲株式会社)に効果を帰属させるものと解される(客観解釈)。
・Aの名称を直接手書きして振り出す権限がある場合
○署名の代行、すなわち振出人は自ら署名をすることが必要であろうか。
75条7号の趣旨←署名(自署)としており、記名でも捺印があれば足りるとする(82条)。(無効説)
それは自署または捺印によって行為者の同一性を識別し、手形の流通を図る趣旨である。よって、本人が自署するものでなければならない。
手形法が75条7号で署名を要求し、82条で署名でないならば、記名に捺印を要求した趣旨を考えると、署名は自署に限り代行は無効と解すべきである。(有効説)
ただ、Aに帰責性が認められるような事情がある場合には、外観法理で救済することは可能である。
しかし、本人自身が権限を付与したのだから、本人に責任を負わせても不都合はない。これにより所持人を保護することができ、手形流通に資することになる。・Aの名称を直接手書きして振り出す権限がない場合
判例も、代理人が直接に本人の名称を書き、または記名捺印しても、代理行為として有効であるとしている。
→これは偽造の問題となる。
→また、Bが自分を表示するのにAの名義を用いたという事態も考えられる。
これをBをAと読み替えてしまっていいか、という問題に帰着する*権限があるとき、無効説をとるのなら、これは偽造になるのか?(次回やるので要復習)
この議論の実益は「有効な支払いのための呈示」があったかどうかを判定するときにでてくる。有効な支払地における呈示がないと遡求できなくなるからである。『支払地が千代田区になっていて支払場所が池袋支店となっていた場合』*有効な取立行為があれば、Aは履行遅滞となり、3年の時効期間まで遅延損害金を支払う
*有効な取立行為がなければ、Aは履行遅滞の責めを負わず、遡求(15条)を受けられなくなるで、「有効な」呈示のためにはどこに呈示しなければならないのか?
支払地「東京都千代田区A町」←この記載をどう解する?
判例は「A町」の記載は存在しないものとみなしている
理由は次の通り
手形の支払場所は極めて重要な文言であり、本来は支払場所を手形要件とするのが所持人の利益に合致する。
しかし、振出人の利益を考慮して、法は振出人の場所的異同を可能ならしめるため、相当程度の広がりをもった「支払地」を手形面に記載させることにした。
←こう解しても、所持人は支払地の記載を手がかりに支払場所を探し当てることができる。逆に言うと、支払地は支払場所を探し当てることが可能な程度特定されていなくてはならない。
よって、支払地は最小独立の行政区画までの特定で足りると解される。手形は不特定人間を転々流通するため画一的処理が要請されるので、本問で記載された支払場所の記載は無効となる。
しかし、支払場所の記載は必要的でないので、手形自体は有効となる。よって、所持人は支払地内に振出人の住所または営業所を探し(516条1項)呈示することになる。
同じ独立行政区画内なので、それは可能であろう。
豊島区池袋支店に呈示しても有効な呈示にはならない。あくまで千代田区内で支払人を捜し、見つからなければ有効な呈示があったとみる。
*手形上の権利は極めて強力で、すぐに強制執行をすることができる(仮執行宣言がつく)。しかも立証の手間がないので、迅速に判決が下る。支払わないと不渡りになり銀行取引停止・倒産となってしまう。手形理論・・・手形上の権利がいつ発生するか、いつ有効な手形になるか、の問題である(手形債務の発生時期)
手形は原因関係と無関係に手形を作成することによって手形上の権利が発生する。
つまり、手形の振出とは、手形を通じた債務負担の意思表示である。意思表示であるので、民法97条により、その意思表示が相手方に到達しなくてはならない。
ということは、到達したと言えるためには、手形が相手方に交付されなくてはならないと解される。
逆に言うと、振出人が手形に署名しただけでは、債務は未だ未発生と解される。
*これだけわかれば、契約説や発行説の意味が理解できるはずである。
やや細かくなるが、その意思表示+交付によって「契約」(申込・承諾)が生じたと解するのが契約説。承諾は不要とするのが発行説である。(ま、交付欠缺を語る上で、実益は少ない)ゆえに本問のように、署名後交付前に振出人の意思に基づかないで流通におかれた場合、手形上の責任を負わないのが原則である。
ただし、手形が真正に作成されたものとして流通におかれた場合、そのことについて振出人の帰責性があれば振出人に手形上の責任を認めるのが手形の流通を図る上で妥当である(外観法理)
*場合によっては反対説を挙げる必要がある場合もある。
創造説では、Aが手形であることを認識して署名すればここで権利が発生すると解する。自分自身に対して権利を生じさせると考えるのである(単独行為であって民97条は適用されない)。
そして、交付することにより発生した権利を移転させるのである、と考えるのである。これに対しては、あまりに技巧的にすぎる。また署名しただけで債務が発生するとうかがわせる条文上の根拠がない、との批判がある。
*これだけ批判があるにもかかわらず創造説が認められているのは「手形が極端にまで権利の流通を図るために考え出された制度であり、本人が手形であることを認識して署名した段階で手形の権利の発生を認め、以降本人の意思に基づかないで手形の流通におかれても、その後の所持人の利益を保護するよう解釈することが、手形制度の趣旨に合致する」からである。
げ、小塚さん、権利外観法理で処理するところで、条文上の根拠を示していない。
まず、交付欠缺→手形上の権利は未発生とするのが原則(交付契約説)
つぎに、権利の流通の保護→所持人の利益の保護の必要性
そこで、権利外観理論による修正
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適用要件;(1)適法な権利の外観の存在、(2)帰責性、(3)取得者の信頼
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実定法上の根拠;
手形法上権利外観理論に依拠する規定はいくつかある。
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そのうち、10条は手形法中唯一手形債務の成立に関する(手形債務がどのような範囲で成立するかに関する)抗弁について規定
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交付欠缺と事案が類似しており、類推適用の基礎がある。
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そこで、10条の類推適用
↓
善意・無重過失の所持人は保護される。*川村先生は、17条と16条2項の同時的類推適用で解決する。ここ数年の手形法の問題を見るに、どうも川村先生が独自の見解を出しているところが出題されているような気がしてならない。
ちなみに川村先生は17条を権利外観理論の原則規定とするみたい。で、主観的要件として要件が厳しすぎるので16条2項をもってくる・・・と。
ジュネーブ統一手形法条約の中で、10条を国内立法化していない国が多いことがこういう判断の根拠となっているようだ。*ちなみに、交付欠缺は今年の本試験で出題された・・・・当分でないだろう
大部分は譲渡裏書であり、権利移転的効力(14条)を有する。なぜ権利移転的効力を有するか、というと、所持人が譲受人に対して裏書を通じて権利移転の意思表示をしたからである。
問題は、さらに法は15条で裏書人を保証人的地位におくよう規定している点である。
この責任の根拠について通説は次のように言う
すなわち、これは法定の責任であって裏書人の意思表示の効果ではない、という。理由は、もし意思表示の効果とするなら、手形の文言性より手形面に債務保証の文言が書かれているはずであり、また裏書人もまた通常は担保する意思を有していないものである。
だから、法は政策的観点から説くに手形流通のために認めたのである、とする。詳しくは次回・・・