◎【捜査の定義】
捜査とは、犯罪の嫌疑がある場合に、公訴の提起・追行のために犯人を保全し、証拠を収集・保全する行為をいう。
これに対しては、捜査は単に公訴の準備にとどまらず、犯罪の嫌疑の有無を明かにして、起訴不起訴を決定することを目的とするところの、公訴とは区別された独立の手続であるとする説もある。
しかし、不起訴は捜査の一つの重要な帰結であっても、捜査の目的とはいえないし、公判中心主義という刑事訴訟法の理念とも調和しがたいので、妥当でない。
◎【弾劾的捜査観】
弾劾的捜査観とは、捜査を一方当事者としての捜査機関が単独で行う公判への準備活動と解する立場をいう。
憲法的刑事訴訟法論の下における適正手続主義では、被疑者を無罪の推定を受けた者として、その手続的人権を十分に保障し妨訴主体としての地位を認める当事者主義の捜査構造が要求され、裁判所の抑制的機能が重視されるべきであるから、弾劾的捜査観が妥当であり、必罰主義に基づく職権主義的構造の糾問的捜査観は支持し難い。
現行法上の理由として、令状主義の原則を採用し、捜査手続も当事者対立構造を採っていること、黙秘権の保障があること(憲38条1項、198 条2項)、被疑者の弁護権が保障されていること(憲34条、30条、39条)、公判中心主義の採用により(憲37条2項、320条)、捜査は公判への準備活動であり、裁判の中心は公判によって決せられること、被疑者には証拠保全請求権(179条、180条)、勾留理由開示請求権(82条)があること等があげられる。
◎【捜査と訴訟条件】
親告罪で告訴がない事件について捜査はできるか。捜査を公訴準備の手段であると解すれば、捜査にも公判に準じた要件が必要でないかが問題となる。
この点、親告罪の告訴がない場合は、およそ捜査ができないとする説もある。
しかし、捜査は公訴提起を前提として行われるものであるから、現時点で訴訟条件が具備されていなくとも、将来において訴訟条件が具備され、公訴提起の可能性がある場合には捜査できるとする説が妥当である。
しかし、将来において全く訴訟条件の備わる見込みのない場合は、捜査を行うべきではない。
これは、訴訟条件が捜査の条件であるからではなく、不必要な捜査を避けることによって、捜査における人権を確保するためである。
任意捜査の原則とは、強制処分を用いる格別の必要がなければ任意の手段で捜査を行うべきだとするたてまえを言う。
捜査活動が対象者の人権へ及ぼす影響を考慮すると、捜査上の処分は必要性に見合った相当のものでなければならない(捜査比例の原則)と解されることから導かれる原則である(実質的根拠)。
条文上の根拠としては、197条1項が強制処分法定主義を規定するところ、強制処分を用いる必要性がなければ任意捜査を原則とすべきとする意味と解される(形式的根拠)。
【任意同行と逮捕】
任意同行とは、被疑者出頭の確保のため、捜査官がその居宅等から警察署等へ同行させることをいう。
被疑者の意思によらない強制処分ではなく、被疑者の同意に基づくもので任意捜査(197条1項)であると解される。
したがって、その程度及び方法において「必要な」限度を超えてはならず、相当かつ合理的なものでなければならない。
その意味で手続一般の理念であるデュープロセスの要請(憲31条)が妥当する。
問題は、個々の場合に、任意捜査としての許容限度を超えていないか、特に(宿泊を伴う取調や深夜に至る長時間の取調等)限界を超えて実質的に逮捕に至るものとなっていないかである。
その判断は、個別に検討されるが、同行を求めた時間・場所、同行の方法・態様、同行を求める必要性、同行後の取り調べ時間・方法、監視の状況、被疑者の対応の仕方、逮捕状準備の有無など、諸般の事情を総合して判断すべきである。
【おとり捜査】
おとり捜査とは、捜査官(又はその協力者)がおとりとなって人に犯罪をそそのかし、犯行に出たところを逮捕するという捜査方法である。
国が犯罪を作り出しこれを処罰するなど批判も強く、一定の場合許されないのではないかが問題となる。
この点、犯意誘発型と機会提供型とを区別し、犯意誘発型の場合は無罪とする説もある(実体法説)。
しかし、刑法上これを無罪とするのは困難で妥当でない。 他方、詐術で人を罪に陥れること自体がフェアでないとして、公訴棄却とすべきとする説(訴訟法説)もある。
基本的に妥当であるが、場合を分けて考えるべきである。
すなわち、犯罪の害悪の重大性、おとり捜査方法の格別の必要性、手段の相当性等を前提とした上で、犯意誘発型の場合に、犯意を誘発するような方法の不公正を理由として公訴棄却による制裁を考えるべきである。
なお、機会提供型でも、極端な場合はデュープロセス違反となろう。
【任意捜査における有形力の行使】
捜査において強制処分を用いることは、法律の根拠規定がある場合に限り許容される。しかし、ここにいう強制処分とはいかなるものをいうか。強制捜査と、強制の処分によらない捜査、すなわち任意捜査との区別が問題となる。
この点、直接強制の行われる場合、又は少なくとも間接強制を伴う場合を強制処分とするとする説が従来主張されてきた。
しかし、かような処分態様の異常性のほか、処分に向けられた法益の内容にも注目すべきであって強制に基づく場合や義務を負わせる場合のみならず、隠密裡にではあっても、同意を得ずに個人の法益を侵犯するような場合も強制処分に含まれると解するのが妥当である。
この基準からは、有体物に対する捜索・押収などの古典的な処分が強制処分たることは明らかであるが、それ以外にも、プライバシーのような無形的な法益に対する侵害行為も強制処分となり得る。
【職務質問について】
職務質問は、挙動不審者・被害者・関係する第三者等に対する、警察官の停止・質問・同行を認める警察活動である(警職法2条)。
これは、過去の特定の被疑事実についての捜査ではなく、犯罪を予防し、捜査の端緒を得るための警察活動である点に特色がある。
しかし、警職法2条3項は、「強要されることはない」と規定し、同条が任意処分であるとしている。
そこで、職務質問のための「停止」としてどの程度の実力行使が許されるかが問題となる。
この点、職務質問の任意処分性をあくまで強調し、警察官は停止を強制できないとする説もあるが、かような解釈は窮屈にすぎ、現実の要請に沿い切れないきらいがあり妥当でない。
判例は「必要性・相当性」という観念で説明するが、警職法2条1項が「停止させて」と規定する以上、強制捜査たる身柄の「拘束」に至らぬ程度の自由の制限を警察官に認めてかまわないと解する。
【所持品検査について】
職務質問に伴い所持品検査が行われることも少なくない。
凶器の捜検(フリスク)については、銃刀法や警職法2条を根拠に認められるが、その他の証拠物については、現行法上明文の規定がないので、その法的根拠が問題となる。
この点、条文の不存在を理由にこれを否定する説もあるが、所持品検査は、警職法2条1項の職務質問に必要かつ有効であり、職務質問に付随して行うことができるものと考える。
したがって、任意処分として、承諾が必要とするのが原則であるが、捜索に至らない程度で強制にわたらない限り、所持品検査の必要性・緊急性・それによって害される個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡等を考慮して、具体的状況の下で相当と認められる限度においてのみ許されると解すべきである(判例同旨)。
【自動車検問について】
自動車検問とは、警察官が犯罪の予防・検挙のため、進行中の自動車を停止させ、当該自動車の運転者等に対し必要な事項を質問することをいう。
自動車検問は、いわば無差別的に停止させ、質問を行う点で、通常の職務質問と異なるため、その法的根拠、適法性が問題となる。
判例は、この点、自動車運転者に、自動車の利用に伴う当然の負担として、交通の取り締まりに対する運転者の協力義務を認め、任意処分であり、運転者の自由を不当に制約することにならない方法・態様で行われることを条件に、警察法2条1項を根拠に適法性を認めている。
しかし、「停止」にある程度の警察作用が伴う以上、自動車検問の全ての場合を警察法で根拠づけるのは困難である。
そこで、憲法31条を根拠に、具体的必要性と相当性に見合った警察力の行使の適法性を認める説が妥当であるが、立法的措置を講ずるのがより望ましい。
【通常逮捕】
逮捕とは被疑者の身体の自由を拘束してそれを短期間継続することをいう。
通常逮捕の要件には、実質的要件と形式的要件がある。
○実質的要件
(1)相当の理由←199条2項
(2)必要性←規則143条の3
○形式的要件
令状の発行←裁判官が行う、準抗告(429条)はなし。
*許可状か命令状か争いがある。捜査構造論ともからむが、具体的には令状が発行されたにもかかわらず、捜査機関が執行しないことは許されるか、という形で問題となる。
【現行犯逮捕】
現に罪を行い、又は現に罪を行い終わった者を現行犯人といい(212条1項)、誰でもこれを令状なしで逮捕できる(213条)。
現行犯逮捕が令状主義の例外とされるのは(憲33条)、犯罪の実行が明白で、司法判断を経なくても誤認逮捕のおそれがないからである。
したがって、逮捕の時点で被逮捕者が犯人であることが、現場の状況等から(逮捕者にとって)明らかでなければならない(犯罪と犯人の明白性)。
また、逮捕は犯行現場およびその延長と認められる場所で行われる必要がある(犯罪の現行性・時間的接着性)。
そして、逮捕できるのは、犯罪を現認した者か、またはその代行とみなしうる者に限られる。
【準現行犯逮捕】
(1)犯人として追呼されているとき、賍物又は明らかに犯罪の用に供したと思われる凶器その他の物を所持しているとき、身体又は被服に犯罪の顕著な証跡があるとき、誰何されて逃走しようとするとき,のいずれかにあたり、
(2)罪を行い終わってから間がないと明らかに認められる場合、法はこれを現行犯人とみなした(211条2項)。
この準現行犯の場合には、現行犯に対し、時間的接着性の点を「現に」から「間がない」にまで若干緩和しつつ、犯人の明白性を法定の要件を挙げて特定化したものである。
なお、「間がない」とは、犯罪行為終了後最大数時間(3、4時間程度)を出ないものとするのが通説的見解である。
【逮捕前置主義】
逮捕と勾留の関係について、逮捕前置主義がある。
これは、被疑者の勾留には、常に逮捕が先行していなければならないとする原則である。
その根拠は、(1)形式的には、207条が「前三条の規定による」としていること、
(2)実質的には、逮捕・勾留の二段階において司法審査を行うことにより、被疑者の拘束について司法的抑制を図り、被疑者の(人身の自由という)人権を保障すること等があげられる。その意味で31条の適正手続に由来するともいえる。BR>
加えて、逮捕手続に欠けている「裁判官への出頭」手続を勾留請求時に勾留質問で補わせる意味もある(田宮)。
○逮捕事実と勾留事実は同一である必要ありや?
甲事実で逮捕し、乙事実で勾留請求するような、いわゆる「勾留の切替」は許されない。
上の実質的根拠からすると、被疑事実の同一性なくば、二重チェックの意味がなくなってしまうからである。
この場合、被疑事実の同一性は、公訴事実の同一性に「準じて」(<同一ではない)判断されると解される。
○では、逮捕理由である甲事実に乙事実を付加して勾留請求することはできるか。
これは許される。
理由は(1)この場合には、勾留事実の一部である甲事実については逮捕が先行している
(2)乙事実が付加されて両事実が勾留の基礎となっても被疑者に不利益はない
からである。
もちろん、この場合はあくまで甲事実についての勾留の理由・必要があることが要件であり、いずれかがなくなれば被疑者の勾留は継続できず、勾留は取り消されることいなる。
○違法な逮捕に引き続いて勾留請求することは許されるか。勾留に先行する逮捕は、適法でなければならないかが問題となる。
この点、逮捕と勾留とは別個の手続であり、たとえ逮捕が違法であっても、実質上勾留の要件がみたされていれば勾留請求は認められるとする見解(裁判例)もある。
しかし、(1)逮捕に重大な違法があれば、直ちに被疑者は釈放されるべきであり、
(2)にもかかわらず、逮捕自体について刑訴法は不服申し立てを認めていない(法429条)のは、勾留手続は単に勾留のみならず、逮捕をも含めた被疑者の勾留の適否の審査を意味すると解される。
よって、先行手続である逮捕に「重大な」違法が違法があれば、引き続く勾留請求は認められないと解するべきである。
問題は、どのような違法があった場合に、勾留請求が却下されるのかという点である。
ごく軽微な違法があるだけで、勾留請求を却下するとするならば、逮捕の繰り返しとなるのであって、かえって被疑者のためにならない。
よって、逮捕に重大な違法、すなわち逮捕の理由と必要が欠けていてすぐさま釈放されるべき違法がある場合に勾留請求を却下すべきである。
具体的には(1)逮捕状によらない逮捕。(2)実質的逮捕時から起算して勾留請求の時間制限を超過するような場合などが裁判例としてあげられる。
逆に、実質的に逮捕された時点で緊急逮捕の要件が存在し、かつ、その時から起算して制限時間内に検察官送致・勾留請求がなされていれば、勾留請求を違法とするほどの重大な違法があるとは言えないとした裁判例もある。
【事件単位の原則】
事件単位の原則とは、逮捕・勾留の効果は、令状に記載されている犯罪事実にのみ及ぶとする原則をいう。
これは、逮捕・勾留の効力を令状記載の犯罪事実に限定することによって、身柄拘束の原因を明確にし、被疑者の人権を保障する趣旨である。
この原則から次のような帰結が生じる。
まず、逮捕・勾留の要件、勾留延長、勾留更新等の自由の存否についての判断は、逮捕事実又は勾留事実についてのみなすべきであることが帰結される。
次に、逮捕状・勾留状に含まれていない犯罪事実については、逮捕・勾留の効力は及んでいないから、必要があれば、別個の逮捕・勾留関係が生じることになる。
かような二重勾留については、当該被疑者を基準として考える人単位説においては否定されるが、勾留の効力は、勾留状記載の犯罪事実を単位に考えるべきとする事件単位説の立場からは肯定せざるを得ない。
【逮捕・勾留の一回性の原則】
同一事実についての逮捕・勾留は原則として一回である。これを逮捕・勾留一回性の原則という。これを認めた明文はないが、再逮捕・再勾留を無条件に認めれば、逮捕の留置期間、拘留期間の制限は無に帰してしまい、人権保障は危うくなるため、承認されている。
この原則は次の二つの内容を含む。
(1)同一の犯罪事実について、同時に2個以上の逮捕・勾留を行うことはできない。
これを「一罪一逮捕・一勾留の原則」という。
ここに「一罪」とは、公訴事実の同一性を基準とするとされている。
(2)同一の犯罪事実について逮捕・勾留は、時を異にしてそれを繰り返すことはできない。これを「再逮捕・再勾留の禁止の原則」という。ここでも「同一の犯罪事実」の客観的犯意は、ほぼ公訴事実の同一性が基準となる。
【一罪一勾留の原則】
一罪に対して一回の勾留しか許されないという原則は、明文規定はないが、一般に承認されているところである。
ここに「一罪」という場合、その範囲は何を基準に考えるべきか。
常習罪で勾留され保釈中の被告人が、さらに常習として同一犯罪を行った場合に問題となる。
この点、勾留の対象は、実体法上の一罪と必ずしも一致することなく、現実に犯された個々の犯罪事実であると解する説もあるが、勾留の対象は実体法上の罪数を基準として考える説が妥当である。
同原則は長期の不当な身柄拘束を排除する趣旨から認められるものであり、実体法上一罪とされる範囲では、検察官は捜査上同一処理の義務を負うべきだからである。
しかし、同原則にも例外はあり、およそ検察官が捜査上同時処理が不可能である場合には、例外として、一罪について二個の勾留を認めてよいと考える。
当該後罪の勾留もこのケースといえる。
【一罪一逮捕の原則】
同一事実についての逮捕・勾留は原則として一回である。これを逮捕・勾留一回性の原則という。
これを認めた明文はないが、再逮捕・再勾留を無条件に認めれば、逮捕の留置期間、拘留期間の制限は無に帰してしまい、人権保障は危うくなるため、承認されている。
ただし、捜査の流動性と必要性から例外も認められている。
すなわち、逮捕については、法規そのものが例外を前提にした規定を置いたので(199条3項、規142条1項8号)、
(1)新証拠や逃亡・罪証隠滅の虞れ等の新事情の出現により再捜査の必要性があり、
(2)犯罪の重大性その他の諸般の事情から、被疑者の利益と対比してもやむをえない場合であって、
(3)逮捕の不当な蒸し返しといえないときは、ある程度緩やかに再逮捕が許される。
【別件逮捕・勾留】
別件逮捕・勾留とは、自白の獲得をねらっている本命の重大な被疑事件(いわゆる本件)について、被疑者の身柄を拘束するだけの証拠資料がないときに、別の、通常は軽微な被疑事件(いわゆる別件)を理由に逮捕・勾留し、その身柄拘束の状態を利用して本件の取り調べを行う捜査方法である。
別件逮捕・勾留の適否については、別件を基準とし、別件について逮捕の要件を欠く場合にこれを違法と解する別件基準説もあるが、これは別件に対する通常の要件審査で足りることを意味し、逮捕権の濫用という別件逮捕の脱法的本質を無視する考えであり妥当でない。
別件について逮捕等の理由と必要があっても、その逮捕等が実質的には隠れた本件の捜査のために請求されたものであるときは、逮捕等に関する司法的抑制の趣旨を濳脱することになるから、許すべきでなく、本権を基準として判断する説が妥当である。
【別件逮捕の適法性の基準】
別件逮捕の適否については、別件を基準として判断する説もある。
確かに、別件逮捕の場合には、実はその別件自体も、逮捕の理由と必要性を欠くことが多く、その点で別件基準説にも理由がある。
しかし、別件逮捕が、一応は逮捕の理由と必要性を有している場合も少なくない。
その場合、たとえ別件について逮捕等の理由と必要があったとしても、その逮捕等は実質的には隠れた本件の捜査のために請求されたものであって、逮捕等に関する司法的抑制の趣旨を潜脱することになるから許すべきではない。
この場合は、本件を基準として判断する説が妥当である。
【余罪取り調べの適法性】
身柄拘束下の余罪の取り調べについては、身柄拘束下の取り調べを任意処分と考える説は、原則として適法と考えることになる。
しかし、身柄拘束下の取り調べは強制的要素を否定しえず、強制処分と考えるべきであろう。
そして、逮捕・勾留については、身柄拘束の原因を明確にし被疑者の人権を保障する趣旨から、その効力は令状に記載されている犯罪事実にしか及ばないとする「事件単位の原則」を採用すべきであり、それによれば、余罪の取り調べは原則として違法と考えるべきである。
ただし、余罪の取り調べも、実際上、被疑者に有利に働く場合(例えば、被疑者が自ら進んで自白したときや、余罪が軽微で同種事犯であるとき等)には、例外的に許されることもある。
【定義:「捜索」「押収」「検証」】
「捜索」とは、人の身体、物、又は住居その他の場所について、物または人の発見を目的とする強制処分をいう。
「押収」とは証拠物や没収すべき物について、物の占有を強制的に取得する処分をいう。
「検証」とは、人、物、又は場所につき、五官の作用でその形状等を強制的に感知する作用である。
【報道機関に対する捜索・押収】
報道機関の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にあり、報道のための取材の自由も、憲法21条の趣旨に照らし十分尊重されるべきものである。
しかし、公正な刑事裁判を実現するために不可欠である適正迅速な捜査の実現という要請がある場合には、取材の自由もある程度の制約を受ける場合がある。
そして、この場合の報道機関の取材結果への差し押さえの可否については、適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、当該差し押さえによって報道機関の報道の自由が妨げられる程度等諸般の事情を比較衡量して決すべきである(判例)。
【恐喝事件容疑で捜索・差押で別件たる賭博開帳罪の証拠(メモ類)を押収した場合】
憲法35条1項及びこれを受けた刑訴法 218条1項、 219条1項は、その趣旨からすると、令状に明示されていない物の差し押さえが禁止されるばかりでなく、捜査機関が専ら別罪の証拠に利用する目的で差押許可状に明示された物を差し押さえることも禁止されるものと言うべきである。
したがって、当該差し押さえが専ら別件の証拠を目的としたものであった場合には、差し押さえは許されないと解される。
しかし、当該差し押さえが、別件たる事件を目的とするものでなく、かつ、証拠物が、同時に令状請求した事件の証拠物となりえるものであり、令状に差押目的物として記載されていた場合には、右差押は有効であると解される。
【捜索・差押えの執行における「必要な処分」】
刑訴法 111条は執行にあたっては、必要な処分を行うことができる旨を規定する。この必要な処分とはどういうことをさすのか、捜索・差押えは物に対する強制処分であるので問題となる。
これについては、一般に、差押えの目的を達するために合理的に必要な範囲の付随処分をさすと解される。
必ずしも、その態様のいかんを問わないので、判例によれば、差し押さえたフィルムの現像もその一例とされる。
また、強制採尿については、「医師をして医学的に相当と認められる方法による」という条件が不可欠とされるので、それが可能な物的設備を備えた場所へ被疑者を強制的に同行することは、反対説もあるが、判例は、採尿に必要な処分に含まれるとしている。
【令状主義とその例外】
令状とは、逮捕、勾留などの強制処分の裁判書をいう。令状主義とは、このような令状によらなければ刑事上の強制処分が許されないとする原則をいう(憲法33条・35条)。
令状主義は、人権侵害の危険がある強制処分について、裁判官の事前の判断として令状を要求する主義であり、強制処分に対する司法的抑制の理念に基づく。
その例外として刑訴法が規定しているものは次の通りである。
1、現行犯逮捕(憲法33条、刑訴法 213条)緊急逮捕(刑訴法 210条)。
2、逮捕現場での捜索・差押え(憲法35条、刑訴法 220条、 126条)。
3、裁判所がなす公判廷内における捜索・差押え(刑訴法 106条)。
4、裁判所のなす検証(刑訴法 128条)
【令状によらない捜索・差押】
令状によらない捜索・差押には、現行法上(1)逮捕のための被疑者の捜索(220条1項1号)と、(2)逮捕に伴う証拠物の捜索・差押(220条1項2号、3項)がある。
また、解釈上プレインビューの原則等が認められるかが争われている。
【被疑者の留守宅に捜索を始めたが、そこに被疑者が帰宅したので緊急逮捕した場合、右捜索の効力】
刑訴法 220条1項2号は、逮捕現場での捜索・差押えを認めている。
条文の文言が「逮捕する場合」となっている以上、原則として、逮捕と捜索・差押え等は同時平行的である必要があると解される。
もっとも、この同時平行性も、例外的に不合理とみなされない範囲で膨らみえるが、その範囲が問題となる。
判例は、逮捕との時間的接着を必要とするけれども、逮捕着手時の前後関係は、これを問わないものと解すべきとし、これを適法とする。
しかし、被疑者の帰宅という偶然の事実で捜索の適否が左右されることになり不当であると考える。
本制度は、逮捕を完遂させると同時に、現場の証拠の破壊を防止するための緊急の必要性から、令状主義の例外として認められた制度であるので、厳格に同時平行性が要求されるものと解する。
【逮捕に伴う捜索・差押えの場所的限界】
刑訴法 220条1項2号は、「逮捕の現場」において逮捕に伴う捜索・差押えを認めている。
これについては、逮捕の現場には証拠の存在する蓋然性が高いので、合理的な証拠収集手段として認められたと解する説がある。
この説によれば、「逮捕の現場」とは、令状を請求すれば許容されるであろう相当の範囲となるので、同一管理権の及ぶ場所を意味することになる。
しかし、当制度は令状主義の例外をなすものであり、右説のように広く解するのは妥当でない。
この制度は、逮捕を完遂させると同時に、現場の証拠の破壊を防止するための緊急の必要性から認められたものと解すべきである。
したがって、逮捕者に危害を加えるべき物、逃走具、手の届くところにある証拠をとりあげるのが趣旨なので、「逮捕の現場」も被疑者の身辺、すなわちその身体または直接の支配下にある場所を意味すると考える。
【被疑者を逮捕したが、事情によりその現場から移動して、しかる後に押収がなされた場合】
刑訴法 220条1項2号は、逮捕に伴う捜索・差押えを規定する。この「逮捕の現場」とは、要するに逮捕行為が行われた場所を意味すると解される。
しかし、本問の場合は、身体という「現場」には実質的な変更はないので、若干場所を移動した後に捜索・差押えをすることも許されると考える。
ただ、あまりに掛け離れた場所でかなりの時間経過後に行うことは、不適法である。
【逮捕に伴う捜索に乗じて、逮捕事件と関係ない証拠物を差し押さえた場合】
刑訴法 220条1項2号は、司法警察職員が被疑者を逮捕する場合において必要があるときは、逮捕の現場で捜索・差押をすることができる旨を定めている。
これについては、逮捕の現場には証拠の存在する蓋然性が高いので、合理的な証拠収集手段として認められたものとし広く解する説もあるが、逮捕を完遂させるため、すなわち、被逮捕者の抵抗を抑圧し、逃亡を防止するためと同時に、現場の証拠の破壊を防止するための緊急の必要性から令状主義の例外として認められたものなので、より限定的に解するのが妥当である。
したがって、右捜索・押収は、令状による余裕がない場合に、被逮捕者の身辺について、武器、逃走具、その他の証拠を収集するために許されることになる。
本件では、必要な範囲を超えた捜索・押収がなされており、右証拠物は違法な捜索の過程中に発見、収集された証拠物であるといえる。
【逮捕の現場にたまたま居合わせた第三者の身体について捜索できるか】
刑訴法 220条1項2号は、逮捕に伴う捜索・差押えを規定している。
この場合、逮捕行為が行われた場所に所在する物および人の身体がその対象となるので、捜索は許されるということになる。
しかし、もちろん押収すべき物の存在を認めるに足りる状況がなければならず(101条2項)、その状況とは、逮捕場所がどこであったか、被疑者とどういう関係の人物か、その当時の言動いかんなど諸般の状況から判断されることになる。
【強制採尿の適法性の要件】
強制採尿は人格的法益の侵害を伴うものであるから、事件の重大性と嫌疑の存在、証拠の重要性と必要性、代替手段の不存在等からやむをえないと認められる場合で、最終的手段であることが必要である。
そして、その手続きには、体内に存在する尿を犯罪の証拠物として強制的に採取する行為は捜索・差押の性質を有するものと見るべきであるから、捜査機関がこれを実施するには捜索差押令状を必要とすると解すべきである。
ただし、右行為は人権の侵害にわたるおそれがある点では、一般の捜索・差押と異なり、検証の方法としての身体検査と共通の性質を有しているので、身体検査令状に関する刑訴法218条5項が右捜索差押令状に準用されるべきであって、令状の記載要件として、強制採尿は医師をして医学的に相当と認められる方法により行わせなければならない旨の条件の記載が不可欠であると解さなければならない。
【写真撮影の法的性格】
個人の容貌の写真撮影に関しては、身柄を拘束された被疑者については無令状で許される旨の規定があるが(刑訴法218条2項)、その他についての一般規定はない。
人はみだりにその容貌を撮影されないという意味での肖像権をもつが(憲法13条)、被疑者の同意のない写真撮影は許されるか。
強制処分法定主義(197条)との関係で写真撮影の性格が問題となる。
この点については、まず任意処分説があるが、肖像権侵害の事実を無視することになり妥当でない。
次に、強制処分(検証)説があるが、無令状の場合が許されず実際の必要に応じ得ないので妥当でない。
そこで、強制処分法定主義が要求されるのは、既成の古典的強制処分に限られると解し、写真撮影の場合には、厳格に法律規定は要求されないが、法定主義の背景にある令状主義の精神が妥当する新しいタイプの強制処分とする新強制処分説(有力説)が妥当であると考える。
【写真撮影の許される要件】
被疑者の同意のない写真撮影は、緊急事態における即時的処分として行われるので、無令状で行う場合の精神を具体化すれば、次のようになる。
すなわち、(1)現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合であって、
(2)しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、
(3)かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行われるときである。
判例も同旨である。
なお、このような場合に行われた写真撮影に、犯人以外の第三者である個人の容貌が含まれることとなっても、憲法13・25条に違反しないものと解すべきである。
【捜索・差押の現場で、令状記載以外の物件を写真撮影する行為の適法性】
個人の所有物に対する写真撮影は検証(あるいは実況見分)の性質を持つ処分であるから(通説・判例)、それを強制的に行う場合には、検証令状により行われるべきである。
また、捜索・差押の際に行われる写真撮影については、捜索・差押手続きに付随した検証として、刑訴法 111条の範囲を超えた検証処分が無令状でなされうると解する説もあるが、当初から検証が予定される場合には、別途検証令状を受けて行うのが、法の趣旨と考えられるので、妥当でない。
むしろ、捜索・差押の機会を利用して無令状の写真撮影が別事件の証拠収集のため意図的に行われた場合には、その捜索・差押は令状主義を潜脱する意図で利用されたことになり違法である。
【捜索・差押の際の違法な写真撮影の救済方法】
捜索・差押の際の違法な写真撮影は、捜索・差押処分事態の違法を招来し、差押処分が準抗告(刑訴法 430条2項)により取り消される場合があると解する。
この点、判例は、右準抗告(刑訴法 430条2項)の対象は「押収に関する処分」であり「検証」としての性質を有する写真撮影はこれに該当しないとして、準抗告は不適法としているが、文理に偏するもので妥当でないと考える。
【ビデオ撮影】
対象者の承諾なしのビデオ撮影は許されるか。強制処分とすると強制処分法定主義(197条1項但書)に抵触するため、その法的性格が問題となる。
思うに、強制処分法定主義の趣旨は、令状を要求することにより、捜査機関の権限濫用による人権侵害を防止するところにある。
とすれば、科学技術の進歩で物理的強制力を用いない新しい捜査方法から、国民のプライバシー権等の人権を守るために、強制処分は権利を侵害する処分をいうと解すべきである。
したがって、ビデオ撮影は対象者の承諾なくプライバシー権の一環たる肖像権を侵害しているので、強制処分であると考える。
【ビデオ撮影と197条1項但書】
ビデオ撮影を強制処分と解すると、ビデオ撮影について現行法上明文がないため、強制処分法定主義(197条1項但書)に反し許されないのではないかが問題となる。
思うに、同条項の「強制処分」とは、立法当時に予想された典型的な強制処分を意味し、立法当時に予想されなかった新しい捜査方法については同条は規定していないと解する。
したがって、ビデオ撮影は強制処分法定主義に反しないと考える。
【承諾のないビデオ撮影の要件】
ビデオ撮影が強制処分法定主義に反しないとしても、現行法上許されるのか。許されるとしてその要件は何かが問題となる。
思うに、ビデオ撮影は、197条1項但書の「強制処分」ではないが、憲法上の強制処分として憲法31条の令状主義の規制をうける。
そして、具体的には憲法35条に類した要件で規制され、原則として令状を得て行うことを要する。
ただ、ビデオ撮影は写真撮影同様、緊急事態における即時的処分として行われるのが通常なので、無令状で行われることが多い。
しかし、この場合にも令状主義の精神を反映すべく、
(1)犯罪の嫌疑が明認され、
(2)証拠保全の必要性及び緊急性があり、
(3)撮影方法も相当であることを要する、と解すべきである。
ただ、公の場所等での撮影の場合、対象者の肖像権は放棄ないし主観的期待にすぎないのだから、右要件は緩やか(明認性から蓋然性へ)に解してよいと考える。
【犯行再現ビデオテープの作成】
捜査機関が検証令状を得て被疑者の承諾の下で、犯行を再現させビデオテープを撮影した場合、右捜査方法は適法であろうか。
この点、犯行再現は非人道的で人格の尊厳を損なうとして違法とする見解もあるが、動作などを通じて再現させることと言葉を通じて再現させることは同じであり、後者は許されるが、前者は許されないとするのは不合理である。
そこで、犯行再現も必要不可欠な場合に真摯な同意があれば、検証の際の指示説明の一種として適法と解する。
【盗聴の適否】
盗聴とは、公開を望まない人の会話を密かに聴取または録音することをいう。いずれもプライバシーないし人格権の侵害となり許されないと考えられるので、捜査機関が行うなら、強制処分ということになる。
盗聴を強制処分と解するとして、どのような規制にふくするかについては、憲法上の「押収」だが、既成の強制処分に入らないので、強制処分法定主義の要請上、現行法では許されないとする説と、検証として令状により許されるとする説がある。
前説は、押収としてだけでなく強制処分としての検証ということも考えられるし、後説は、現行法における検証の枠におしこめてしまうのは、その対象のなかに正当に保護されるべき未確認の会話が混入せざるを得ないので、妥当でない。
盗聴は、既成の強制処分に入らない新しいタイプのものとして、立法措置が必要であり、現時点では許されないと解すべきである。
【一方の当事者の同意があり、またはその依頼によって盗聴することは許されるか】
会話当事者一方の同意により行われる会話の聴取・録音を同意盗聴という。また、会話の一方が無断で録音することも秘密録音という。
この点につき、(1)会話はまさに相手に意思を伝達する目的で行われる以上、その内容は相手の支配下に移るので、モラルの問題はあるものの違法でないとする説や、
(2)会話の自由やプライバシーに対する期待権が侵害されるので違法とする説があるが、
(3)具体的事情上、他にもれないことが合理的に期待されるべき会話かどうかにかかるとする折衷説が妥当と考える。
【捜査機関による被疑者の取り調べには、現行法上どのような制約があるか】
まず、被疑者の取調べ義務について。
(1)黙秘権の保障(憲38条1項、刑訴法 198条2項)により、被疑者に供述義務はない。
(2)しかし、実務上は、逮捕・勾留中の被疑者に、取調べのための出頭義務・滞留義務等の取調べ受忍義務を肯定している。
これは、刑訴法198条1項但書の「逮捕又は勾留されている場合を除いては」という文言から、その取調べが強制処分であることを根拠とする。
しかし、弾劾的捜査観、被疑者に対する黙秘権の保障、逮捕・勾留は積極的な取調べのために設けられた制度でなく、逃亡・罪証隠滅の防止という消極的機能の重視等の理由から、取調べ受忍義務は否定すべきである。
この説では、前記但書は、出頭拒否・退去も認めることが逮捕等の効力自体を否定するものではないことを注意的に規定したにすぎないと解される。
【捜査機関による被疑者の取り調べ】
一般に、黙秘権の保障(憲法38条1項、198条2項)から、被疑者に供述義務はない。
しかし、逮捕・勾留中である被疑者に対して、実務は取調べのための出頭・滞留義務等の取調べ受忍義務を肯定している。
これは、198条1項但書の「逮捕又は勾留されている場合を除いては」という文言から、その取調べが強制処分であることを根拠とする。
しかし、弾劾的捜査観、被疑者に対する黙秘権の保障、逮捕・勾留は積極的な取調べのために設けられた制度でなく、逃亡・罪証隠滅の防止という消極的機能の重視等の理由から、取調べ受忍義務は否定されるべきである。
198条の文言は、出頭拒否・退去も認めることが逮捕等の効力自体を否定するものではないことを注意的に規定したにすぎないと解される。
【被疑者取調の手続】
捜査官は、犯罪の捜査をするについて必要のあるときは、被疑者の出頭を求め、これを取り調べることができる。
しかし、これは任意処分なので、被疑者は出頭を拒否し、あるいは途中でも退出してよい(198条1項)。
そして、被疑者取調べについては、これを適正に行われるよう、法はいくつかの規制を設けている。
事前の規制として、被疑者には黙秘権の保障があるので、これを害さないように、捜査機関は被疑者に予め黙秘権を告知しなければならない(198条2項)。
また事後の規制として、捜査機関が被疑者の供述を調書に録取するに際しては(198条3項)、その手続きに、厳格な規定がある(198条4・5項)。
さらに、それが自白調書であり、任意性を欠く自白のときは、排除法則により、証拠能力は否定されることになる(319条1項、322条1項)。
また、これが唯一の証拠であるときは、補強証拠が要求される(319条2項)。
○【余罪の取調べ(松尾)】
起訴された事実以外の被告人の犯罪事実を余罪という。
余罪については、被告人としての地位を有するものであっても被疑者であるとすれば、取調べ自体は任意処分であるから、起訴後の余罪の取調べも原則として許容されよう(198条)。
しかし、被告人が勾留中の場合には、取調べは事実上強制処分に転化しやすいので、違法であると考える。
なお、余罪の取調べを理由に、弁護人との接見交通を制限できるかという問題がある。
この点については争いがあるが、弁護人との接見交通権(憲34条・37条3項)の意義から、被告人の余罪の捜査を理由とする刑訴法 39条3項の指定は、およそ公訴の提起後は許されないものと考える。
判例も、接見指定に対する特別抗告(433条)を支持したものもあり、ほぼ同様の傾向にある。
【被告人の取調】
被告人に対する取調は許されるか。
判例は、身柄を拘束されている被告人の取調も任意処分であり、拘留中であっても、197条1項本文によって許されるとすると解している。
しかし、このように被告にを法廷外で弁護人の立ち会いなしに捜査官が密室で取り調べることは、公判中心主義、被告人の弁護人依頼権(憲37条3項)の見地から疑問である。
かような場合は、弁護人を排斥した密室での取調であること自体に強制処分性を認め、198条が「被疑者」としていることにより、被告人には許されないと解すべきである。
ただ、名実共に任意処分であれば実質上問題はないので、被告人自ら取調を求めたような場合は許されると考える。
○【公訴提起後の捜査の限界】
捜査は、公訴提起後も必要に応じて行われる。本来的には公訴提起は、捜査の終結による事件処理の一つとして行われるのであるから、その後の捜査は予定されていないともいえる。
しかし、事件は流動性をもち、公訴提起までの証拠では公判の維持が十分でないため捜査の必要性が生じることから起訴後の捜査が要請されることになるのである。
しかし、公訴提起によって、当事者の地位に変化があり、被疑者は被告人となり、検察官はこれと対立する当事者として公判手続きに臨むのであるから、その間の均衡にも配慮する必要がある。
また、第一回公判期日以後は、証拠収集主体の変化があり、捜査官に代わり裁判所が証拠調べに着手するので、強制処分に属する証拠収集活動は、裁判所の手に委ねるのが適当な場合もある。
したがって、公訴提起後に許される捜査の範囲には、一定の限界があると考えられる。
○【公訴提起後の強制捜査】
まず、第一回公判期日以前においては、被告人側の証拠保全請求権との対比上、検察官は予め証拠を保全しておかなければ、その証拠を使用することが困難なことを疏明し、裁判官の令状を得て、押収・捜索・検証を行うことができると解される。
鑑定の嘱託から派生する強制処分についても同様である。
なお証人尋問は、法定の要件(226条以下)の下に当然認められる。
次に、第一回公判期日以後であれば、強制捜査に相当する処分は、検察官が裁判所に申し出て、公判準備又は公判期日における証拠調べとして、その実効をあげるに止めるべきであろう。
○【被告人の取調べについて(松尾)】
身柄を拘束されている被告人の取調べは任意捜査であり、勾留中であっても刑訴法 197条1項本文で許されるとする説もある。
しかし、このように被告人を法廷外で弁護人の立ち会いなしに捜査官が密室で取り調べることは、公判中心主義、被告人の弁護人依頼権(憲37条3項)の見地から妥当でない。
また、身柄拘束のない被告人の取調べでも、それが捜査官の優越した地位を前提として行われるものである以上、強制でないとしても、原則として不適当である。
ただ、捜査の発展は流動的であるから、例外的に許容される場合も有り得る。
例えば、(1)被告人の方から検察官等に面接を求めた場合、
(2)共犯者に対する捜査が進行したために、改めて被告人に事情を聞く必要を生じた場合などがそれである。
(1)は弁解聴取に近く、(2)は参考人としての取調べとみることもできるからである。
ポリグラフ検査とは、被験者の質問に対する血圧、発汗などの生理的変化を測定して供述の真偽を判定する心理検査をいう。
これを捜査方法として用いる場合、被疑者の黙秘権(憲38条1項・198条2項)を侵害することにならないか。回答書が供述証拠といえるかが問題となる。
思うに、生理的変化は、それを独立として意味を有するものではなく、発問との具体的対応において意味を有している。
とすれば、かかる生理的変化は供述的性格を有しているともいえ、解答書は供述証拠にあたるというべきである。
よって、同意なきポリグラフ検査は黙秘権の侵害にあたる。
ただ、黙秘権は法が認めた被疑者の特権であると解すべきであるから、被疑者の真摯な同意があれば、その包括的な放棄を認めてよい。
よって、被疑者の真摯な同意の下に行われたポリグラフ検査は、捜査方法として適法である。
刑事手続き内の救済としては、
1)勾留・押収・鑑定留置等の違法を争う「準抗告」(429条以下)。
2)違法な捜査活動によって取得された証拠は、その使用を認めれば「汚れた手」による断罪を許すことになるので、適正手続きの要求に反し、公判手続きでその使用を認めないとする「違法収集証拠の排除」。
自白について任意性が認められない場合の自白の排除法則(319条1項)。
3)捜査における違法が特に重大な場合、公訴の提起が許されず、仮に起訴されても裁判所が公訴を棄却する「訴追の禁圧」といった方法が考えられる。
但し、3)については判例は消極的である。
また、刑事手続き外の救済としては、
1)懲戒処分
2)刑事罰
3)民事罰
4)人身保護手続き
といった方法が考えられる。