【69】証明の対象−厳格な証明の対象となる「事実」

厳格な証明を要する「事実」の範囲

「事実の証明は証拠による」(317条)。

ここに「事実」とは公訴犯罪事実と限定的に解する説もあるが、刑罰権の存否およびその範囲を基礎づける事実と解するのが妥当である。

具体的には
(1)公訴事実(構成要件該当事実、修正された構成要件該当事実)
(2)違法性・有責性を基礎づける事実
(3)処罰条件たる事実
(4)附加刑を科す事由たる事実
(5)法律上の加重・減免事実
(6)以上の主要事実を立証する間接事実

被告人のアリバイ事実 被告人のアリバイ事実についても厳格な証明を要するか。

被告人のアリバイ事実など公訴事実を否定する事実も刑罰権の存否に関する事実であるので、厳格な証明が必要となるとも思える。法が被告人に有利な証拠にも明文で証拠能力を要求している場合があること(322条1項等)がこれを裏付ける。

しかし、これは当事者主義の形式的な適用である。被告人はそもそも無罪の推定を受け、検察官が被告人の犯罪事実を立証しなければならないのだから、被告人の主張するアリバイ事実は、むしろ弾劾証拠の性格をもつと言える。また、証拠能力のある証拠がないばかりに無罪の立証ができないとすれば正義に反する。

よって、この場合は厳格な証明は不要であると考える(田宮)。

量刑事実

(セミナーP.259)

量刑事実は厳格な証明の対象となるか。

量刑資料といっても@犯人の性格、年齢等、A犯罪の動機、目的、方法等、およびB犯罪後の情状の三種類に分けられる(248条)。

Aは犯情と呼ばれるもので、犯罪事実に直接的・間接的に関係しているため、厳格な証明を要すると解すべきである。

では、@やBはどうか。例えば、結審後の示談書の提出を量刑に考慮できるか。証拠調べは終了しているため厳格な証明を行うには弁論の再開(313条1項)をしなければならないため問題となる。

刑罰権の範囲を基礎づける事実とは刑罰権の内容そのものを直接基礎づける事実とはいえないので、原則として自由な証明で足るとするのが判例である。

確かに、量刑資料は複雑であり、必ずしも事実の存在自体が決定的な意味を持つわけでなく、また資料を制限するとかえって不当な結果を生じるおそれがある。

しかし、大多数の事件においては刑の量刑が被告人の関心事とされ、情状の果たす役割が大きいのだから、これが自由な証明で足るとするならば適正手続の要請を欠く。

そこで、量刑に関する証拠には厳格な意味での証拠能力は必要でないし、証拠調べも適宜な方法でなし得るが、当事者の異議のある場合には厳格な証明を要すると解するべきである(適正な証明説)。

示談書提出後、弁護人が証拠申請を理由に弁論の再開を求めた場合には、弁論を再開することになろう。

そして、示談書を証拠とすることに検察官が同意すれば、326条の同意書面として証拠調べを行う。これに対し、検察官が同意しなかった場合には、伝聞証拠であるから証拠能力なしとして請求を却下し、そのうえで被告人側が示談書を作成した者の証人尋問を請求したときは、その者を証人として取り調べることになると言えよう。

訴訟法的事実 訴訟法的事実(証人尋問や送付嘱託の存否に関わる参考的事実・強制、約束、不当に長い拘禁など自白の任意性の基礎となる事実等々)については厳格な証明の対象となるか。

訴訟法上の事実は、刑罰権の存否や範囲を基礎づける事実ではないので、厳格な証明を要しないとするのが判例・通説である。

しかし、すべての訴訟法的事実について自由な証明で足るとするのは妥当ではない。訴訟法的事実といっても自白の任意性の基礎となる事実のように事件の実体と密接に関連するものもあるからである。

かように、事件の実体と密接に関連する訴訟法的事実については、厳格な証明までは必要ないが、個々具体的に当事者に争う機会を与えるべきであり、当事者の申立があれば、自由な証明から厳格な証明への可変的移行を認めるべきである(適正な証明)(渥美・田口)。