法は、補強証拠がなければ自白のみで被告人を有罪とすることはできないとしている(憲法38条3項、法319条2項3項)。これを補強法則という。
本来、証拠の証明力は、裁判官の自由な判断にゆだねられているはずである(自由心証主義318条)。
しかし、自白に誤りがあれば事実認定全体が誤りと化してしまう危険がある。自白の証拠価値は極めて高いからである。
そこで、自白に補強を要求して事実認定者の自白偏重による誤判を防止しようとしたのである(自白偏重防止説)。この意味で、補強法則は自由心証主義の例外である(裁判官の証拠の証明力の認定に縛りをかけた)。
自白の補強証拠に関する問題は二つに大別される。
一つは、「自白」の意義につき、憲法論として「公判廷の自白」も「本人の自白」に含まれるか。また、共犯者の自白が「本人の自白」に含まれるか、が問題となる。
二つは、「補強証拠」の意義につき、そもそもいかなる証拠が自白の補強証拠となりうるか。また、補強を要するのは自白のどの部分か、補強証拠はどの程度の証明力を持たねばならないか、である。
以上の点について見解の対立がある。
田宮は、補強法則を広範における証拠法則とは捉えず、取り調べ中心の操作を是正し自白以外の物証を探せという捜査機関に対する指針の現れと捉える(操作指針説)。
そうすると、補強法則は一種の証拠能力(有罪判決言い渡し)の要件となる。自由心証主義の例外ではない。この点、通説は、補強法則を証明力の問題として扱うので、自由心証主義の例外として扱う。この点が異なる。・・・ま、通説でいいでしょう。
渥美は、自由心証主義の捉え方がちと違うんで、自由心証主義の例外とはみない。自白は一般に信用できない証拠なので、証明力に見合った認定という自由心証主義の趣旨からすると当然のことを述べたにすぎないとする。・・・こっちの方が面白いんだけど、椎橋先生が試験委員を抜けたので渥美では書けないなぁ。