【憲法の本質】
憲法の本質は、 その内容において立憲的、 その形式において成文的、 その性質において硬性であることが重要であり、それは社会契約説から基礎づけられる。
すなわち、右説は、人民が自然権を有し、その権利を確実化するため社会契約を結び、政府に対抗する権利を有するという理論である。
この理論では、 憲法の内容として重要なのは立憲的意味であり、 社会契約を具体化したものが根本規範としての憲法であるから、文書とすることが必要であり、成文憲法となる。
憲法の性質が硬性なのは、根本規範たる憲法によって作られた権力たる立法権は憲法を改正し得ず憲法に拘束されるからである。
【近代憲法が硬性憲法とされる理由について述べよ】
近代憲法が、その改正に通常の立法手続きよりも厳重な手続きを要求する硬性憲法とされる理由は、以下の通りである。
(1) 民主政原理が確立すると、主権者である国民を最高法規である憲法改正に何らかの方式で参加させるのが当然である。
(2) 人権の保障は、特に少数者の権利を保護する点に意味があるから、通常の多数決でその保障規定を改正できるとすれば、その意義が失われる恐れがある。
(3) 連邦制においては、改正手続きに連邦と支邦の双方の関与を認める必要があり、手続きが厳重となる。
(4) 近代憲法は、権力の行使に厳しい枠をおいている最高の法であり、国民や代表者の反対を押し切って改正すべきでなく、国の根本法に対する容易で軽率な辺区を避ける必要がある。
【判例の法源性について】
判例の法源性については、(1) 憲法76条3項に裁判官は「憲法及び法律にのみ拘束される」とあること、(2) 裁判所法4条の反対解釈を根拠に否定する説もある。
しかし、(1) の「憲法及び法律」には、成文法のほかに慣習法等の不文法も含むと解すべきであり、(2) の裁判所法の規定は法源性の問題とは無関係と見ることができ、否定説は妥当でない。
そこで、(1) 日本国憲法の定める司法権が英米流のものであり、基本的に同種の事件は同様に扱うべきだという公正の観念、(2) 日本国憲法の解釈論的には、14条の法の下の平等、32条の公正な裁判を受ける権利、31条の罪刑法定主義を根拠に、判例の法源性を肯定する説が妥当と考える。
【憲法の機能について】
憲法は、国家における統治関係を規律する基礎法であり、次の二つの本質的機能が認められる。
(1) 積極的機能。国家における統治は、すべて憲法によって授権または委任された場合にのみ成立し、通用する。
この憲法による授権は、国家における統治の組織化・秩序化をいう、積極的・消極的機能をもつ。
この授権関係から、国法秩序は、憲法−法律−命令−処分という段階構造が形成される。
(2) 消極的機能。これは、国家権力の内容を規律し、それに方向を与え、その限界を画し、それを制限するという、制限的機能である。
この機能をもつ憲法は、一方で国家権力を制限すると同時に、他方で国民の権利を保障するものが多い。
【憲法の根本規範性について】
自由は立憲主義の根本的な目的であり価値である。
近代憲法の特質は、この自由の法秩序である点にある。
組織規範・授権規範は、憲法の中核をなすものではなく、常に、より基本的な規範、すなわち自由の規範(人権規範)に奉仕するものとして存在するといえる。
この自由の価値は、市民革命期には、国民の憲法制定権力と不可分の関係にあるものと考えられ、超実定法的な自然権の思想に由来する。
その意味で、それを実定化した自由の憲法規範は、「実定化された超実定法」として、憲法の中核を構成する根本規範だといえよう。
そして、それを支える核心的価値が個人尊厳の原理(人間人格不可侵の原則)である。
【憲法の実質的最高法規性について】
最高法規としての憲法の本質は、憲法が実質的に法律が異なるという点に求められるべきである。
つまり、憲法が最高法規であるのは、その内容が、人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵のものとして保障する規範を中心として構成されているからである。
これは、自由の基礎法であることが憲法の実質的根拠であり、この実質的最高法規性は、形式的最高法規性の基礎をなし、憲法の真の最高法規性を支えるものであることを意味する。
そして、日本国憲法第10章の冒頭にあって、基本的人権の永久不可侵性を宣言する97条は、硬性憲法の建前(96条)、およびそれから論理上当然に派生する憲法の形式的最高法規性(98条)の実質的な根拠を明らかにした規定であると解される。
【憲法における人間像】
近代立憲主義は、抽象的な個人を措定し、そうした人間像を前提として、自由権を中心とした人権の保障や、消極国家観に基づく統治のあり方が考えられたといえる。
また、身分からの自我の解放を目指した近代人にとっては、集団ないし結社は自我の確立を妨げるものとして、消極視された。
しかし、このような近代立憲主義の建前は、資本主義の進展に伴う現実との乖離によって、その修正を余儀なくされた。
そこで、現代立憲主義の下では、社会の中における具体的な人間像が前提とされ、社会権の保障や積極国家観が登場し、集団や結社の意義も自覚されるに至っている。
【日本国憲法の基本原理について】
日本国憲法は、民主主義の根本的指導原理を実現するために、次の四つの基本原理を採用している。
(1) 個人の尊厳。これは、人間社会の価値の根源が個人にあると考え、個人を尊重しようとする原理で個人主義ともいう。この原理は、個人の自由と生存を尊重するため、基本的人権尊重の原理ともいえる。
(2) 国民主権。個人主義によれば、政治権力の源も個人にあると考えられるため、必然的に国民主権主義の原理が生まれる。
(3) 社会国家。個人を尊重する立場からは、国民の一人一人に対し、人間たるに値する生活をさせることが国家の使命であり、責任であるという国家観が生じる。
(4) 平和国家。多くの人の生命・自由を侵害する戦争が個人の尊厳の原理と相容れないことは明らかである。
【条約と憲法の効力順位について】
条約とは、文書による国家間の合意であるが、国会のコントロールが可能であること(73条3号)、国際法の誠実順守の原則(98条2項)等から、条約は特別の立法手続きをとらずに国内法的効力を有するので(一元論)、憲法との優劣関係が問題となる。
この点については、98条2項の精神や、前文、9条等を根拠に条約優位説も有力であるが、憲法優位説が妥当と考える。
なぜなら、(1) 条約締結権は憲法に根拠を有し、その締結と国会による承認は憲法の枠内においてのみ許容されるべきであり、
(2) 憲法改正について厳格な手続きが定められているにもかかわらず、条約優位説ではその手続きによらず憲法改正がなされ、国民主権主義に反するおそれがあるからである。
【憲法前文と平和的生存権について】
平和的生存権については、憲法前文2項の規定に裁判規範性を認め、新しい人権の一つとして認めるべきであるとする説(有力説)もある。
しかし、裁判規範とは、当該規定を直接根拠として裁判所に救済を求めることのできる法規範、すなわち、裁判所の判決によって執行することのできる法規範のことをいう。
この点、前文の規定は、抽象的な原理の宣言にとどまり、裁判規範性を肯定できず、平和的生存権もその主体・内容・性質等の点で不明確である。
そこで、平和的生存権は、人権の基礎にあってそれを支える理念的権利ということはできるが、裁判で争うことのできる具体的な法的権利性を認めることはできないとする説(通説・判例)が妥当であると考える。