Constitution-Part2

第二部 権利の保障


第一章 総論

一 人権の観念と憲法上の諸権利

1 人権の観念

(1)人権と基本的人権の用法
(2)人権の淵源と根拠

【人権の根拠について】

 日本国憲法における人権の観念として、(1) 固有性、(2) 不可侵性、および、(3) 普遍性をあげることができるが(憲法11条・97条)、このような人権の根拠は、人間の尊厳性に求めることができる。
 すなわち、日本国憲法が保証する基本的人権とは、人間が社会を構成する自律的な個人として自由と生存を確保し、もってその尊厳性を維持するため、それに必要な一定の権利が当然に人間に固有するものであることを前提として認め、そのような憲法以前に成立している権利を憲法が実定的な法的権利として確認したものといえる。
 つまり、日本国憲法における人権の根拠は、憲法13条の宣明する人間尊厳の原理(個人主義)に求められるのである。

2 人権内容の拡張と限定

(1)人権の量的拡張を認める立場(量的拡張説)
(2)人権の質的限定を求める立場(質的限定説)

二 権利の体系

1 古典的分類と修正論

【人権観念の多様性】

 人権の観念は、人間の存在の在り方の複雑さに対応して、理念的な性格のものから具体的なものに至るまで、多様なものを包摂しており、次の三つのレベルをもつものと解される(有力説)。
  背景的権利としての人権。これは、それぞれの時代の人間の存在にかかわる要請に応じて種々主張されるもので、右の の人権を生み出す母体として機能するものである。
  法的(抽象的)権利としての人権。これは、主として憲法規定上の根拠をもつ権利で、 も明確で特定化しうる内実をもつまで成熟し、憲法の特定条項(とりわけ13条)に定礎せしめうるレベルのものである。
  具体的権利としての人権。これは、裁判所に対してその保護・救済を求め、法的強制措置の発動を請求しうるものである。

2 価値序列化をめぐる問題

3 制度的保障論と人権規定の性格

三 人権の主体

1 国民

(1)国民の要件
(2)人権主体の態様

【未成年者の人権制約について】

 基本権が人格的自律に由来すると解する立場からは、基本権の制約は未成年者の発達段階に応じ、かつ、自律の助長促進にとってやむをえない範囲内にとどめられなければならないと解する。
 具体的には、(1) 自律の現実化の過程を妨げるような環境を除去することが求められると共に(27条3項参照)、(2) その過程に必要な条件を積極的に充足し(26条と学習権等)、(3) その過程に障害となる場合にはその過程そのものに介入することが求められる。
(1) と(2) は未成年者に権利を付与する趣旨であるのに対し、(3) は未成年者の自由への直接介入である。
 (3) は、成熟した判断を欠く行動の結果、長期的にみて未成年者自身の目的達成諸能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みがある場合に限って正当化されよう。

2 外国人

(1)外国人の権利主体性

【外国人の人権享有主体性について】

 外国人の人権主体性については、憲法第三章の表題に「国民」とあることを根拠に否定説もあるが、人権の前国家的権利性、国際協調主義の見地から肯定説が妥当である。
 ただ、この説もすべての人権を外国人に保障するものではない。これらのうちで外国人が享有できる人権とそうでない人権とを区別する基準として、形式的に憲法の文言を重視する説がある。
 すなわち、「国民」と規定されている場合はその人権を享有できないが、「何人」と規定されている場合は享有できるとするのである。しかし、この説では、外国人に日本国籍離脱の自由(22条2項)を認めることになり背離が生じる。
 そこで、権利や自由の性質を考えて、それが外国人に保障されるかどうかを実質的に判定する説(判例、多数説)が妥当である。

(2)外国人の類型
(3)諸権利の保障態様

【外国人の政治活動の自由について】

 外国人の政治活動の自由については、外国人による多様な見解・視点の提起が国民の主権的意志決定を豊富にすること等の理由から、無限定に保障されるとする説がある。
 しかし、政治活動の自由は参政権的機能を有しており、他方、外国人には参政権が認められていないから、その趣旨と矛盾すると考えられるような政治活動の自由は、外国人には保障されないとする限定的保障説(通説・判例)が妥当である。
 日本国民の政治的意思ないし政治的意見の形成に対する直接かつ著しく不当な妨害ないし干渉を排除するのに必要な最小限度の制約を課せられてもやむを得ないし、参政権と参政権的機能を果たす政治活動の峻別は疑問だからである。

3 法人

【法人の人権享有主体性の根拠について】

 法人の人権享有主体性の根拠については、法人の活動は自然人を通じて行われ、結局その効果が自然人に帰属すると考える説がある。
 しかし、この説は、資本主義が高度化し巨大な団体(社会的権力)が出現する一方、社会の組織化が進み必ずしも人的基礎に結び付けることが困難な経済団体が生じるに至った現代においては適切でない。
 そこで、この点については、法人が社会において自然人と同じく活動する実体であり、特に現代社会における重要な構成要素であるという法人の社会的機能を重視する説が妥当である。
 この説では、法人格のない団体でも法人と同様な実体を備えている限り人権の享有能力が認められることになる。

4 特別の法律関係にある者

【いわゆる「特別権力関係理論」について】

 国民のなかには特別の法律上の原因に基づき一般の統治関係とは異なった特殊な関係に入る者がいる。
 特別権力関係の理論とは、かかる関係について法治主義の原則が排除され、公権力には包括的支配権が認められ、それに服する者に対し法律上の根拠なしに一般国民に保障される権利・自由を制限できるとし、司法審査が及ばないとするものである。
 しかし、この理論は、国民主権を基礎とし、徹底した人権尊重と法治主義の原理を採る日本国憲法下では妥当ではない。 かかる特殊な関係においても人権の保障が原則として及び、その制限はかかる関係設定の目的達成に必要かつ合理的なものでなければならない。

(1)公務員
(2)在監者

【在監者の人権について】

 在監者の人権制限を正当化する根拠は、憲法が在監関係とその自律性を憲法的秩序の構成要素と認めていること(18条・31条参照)に由来する。
 この憲法が予定している在監関係を維持するために在監者の権利を特別に制限することは許されるが、その制限は、拘禁と戒護および受刑者の矯正教化という在監目的を達成するために必要最小限度にとどまるものでなければならない。
 そこで、閲読の自由の制限については、裁判所による厳格な審査が必要となろう。 この点に関して、判例は、監獄長の新聞記事抹消処分の許容限度につき、監獄内の規律・秩序が放置できない程度に害される相当の具体的蓋然性が予見される場合にかぎり、禁止・制限できる、という基準を採用している。

四 人権の保障範囲

1 私人間の人権保障

【私人間における人権】

 憲法の保障する人権規定が私人間にも適用があるかについては学説の対立があるが、以下の理由で間接適用説(通説・判例)が妥当である。
 この点については、自由主義法治国理念を前提として、公法と私法の区別を重視して、その適用を否定する無関係説もあるが、憲法秩序と社会生活の隔離が生じる恐れがあり疑問である。
 逆に、社会的法治国理念を前提に、憲法が社会の基本的秩序を構成する規範であることを重視した直接適用説もあるが、公法と私法の区別を軽視し国家権力の不当な介入の恐れがあり疑問である。
 そこで、右区別を前提に憲法の社会秩序規範性も考慮し、法律の概括条項に憲法の趣旨を取り込んで解釈適用し、間接的に私人間の行為を規律する間接適用説が妥当である。

(短縮論証)

 確かに、公法と私法は区別され、私人間の問題は私的自治の原則によって解決されるべきものと解されるが、憲法の精神を全法秩序に及ぼす必要性もある。
 そこで、これを私法の一般条項の解釈によって私人間に適用する、いわゆる間接適用説が妥当である。

2 判例

五 人権保障の限界と「公共の福祉」

1 人権の一般的制約原理

2 「公共の福祉」と権利制約の論理

【人権と公共の福祉】

 「公共の福祉」の条項が、どのような法的意味をもつのかについては、(1) 一元的外在制約説、(2) 内在・外在二元的制約説、(3) 一元的内在制約説と各説があるが、(3) 説が妥当である。
 (1) 説は明治憲法の「法律の留保」と変わらぬことになってしまうし、(2) 説は13条の公共の福祉を単なる訓示規定としてしまう点で妥当でない。
  (3) 説は、1) 公共の福祉とは人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理である。2) この意味での公共の福祉は、憲法規定にかかわらずすべての人権に論理必然的に内在している。3) この原理は、自由権を各人に公平に保障するための制約を根拠づける場合には、必要最小限度の規制のみを認め、社会権を実質的に保障するために自由権の規制を根拠づける場合には、必要な限度の規制を認めるものとして働く。
 ただ、この説は、抽象的であり、具体的基準を判例の集積にゆだねている点に問題がある。

3 比較衡量論と「二重の基準」論

【いわゆる「二重の基準」について述べよ】

 二重の基準の理論とは、人権を規制する法律の違憲審査にあたって、合理性の規制立法に関して適用される合理性の基準は、精神的自由の規制立法については妥当せず、より厳格な基準によって審査されなければならないという理論である。
 これは、人権のカタログの中で精神的自由は立憲民主制の政治過程にとって不可欠の権利であるから、それは経済的自由に比べて優越的地位を占める点にその主要根拠を求めうる。
 すなわち、合憲性推定の原則は代表議会の多数意思を尊重するものであるが、それが尊重されるのはあらゆる意思が自由に表示されることが前提とされており、その前提そのものを制限する法令には合憲性の推定が働かないと考えられるからである。

第二章 包括的権利と基本原則

一 個人の尊厳と幸福追求権

1 憲法一三条の意義と内容

(1)個人の尊重
(2)幸福追求権

【幸福追求権の法的性格】

 憲法13条の幸福追求権は、新しい人権の根拠となる一般的かつ包括的な権利であると解する。
 すなわち、憲法の人権規定は重要な権利・自由を列挙したもので、そのすべてを網羅したものではなく(人権の固有性)、社会の変革に伴い、個人の人格的生存に不可欠な権利・自由としての保護に値するものは、憲法13条を根拠に、新しい人権として憲法上保障されるのである。
 この点、幸福追求権の漠然性等を根拠に否定する説もあるが、個人の人格的生存について、他の人権規定でカバーされない限りにおいては(補充的性格)、その具体的権利性を肯定してよいと解する。

2 幸福追求権の射程

【幸福追求権から導き出される人権】

 個人尊重の原理に基づく幸福追求権は、憲法に列挙されていない新しい人権の根拠となる一般的かつ包括的な権利であり、この幸福追求権によって基礎づけられる個々の権利は、裁判上の救済を受けることのできる具体的権利である、と解される。
 そして、この新しい人権が、憲法上の権利といえるかどうかは、それが個人の人格的生存に不可欠であることのほか、その権利が長期間国民生活に基本的なものであったか、多数の国民がしばしば行使しもしくは行使できるものか、他人の基本権を侵害するおそれがないか等、種々の要素を考慮して慎重に決定しなければならない。

(1)プライバシーの権利

【プライバシーの権利】

 プライバシーの権利は、幸福追求権を根拠として認められた権利である。
 判例は私法上のみならず憲法上の権利としてこれを認める。そしてこの権利を自由権的なものとして理解し、「私生活をみだりに公開されない法的保障ないし権利」と定義づける。
 しかし、現代の情報化社会の進展を鑑みると、自由権的側面のみならず、プライバシーの保護を公権力に対して積極的に請求していくという側面が重視すべきである。
 したがって、プライバシーの権利は「自己に関する情報をコントロールする権利」(情報プライバシー権)と解するのが妥当である。
 これによると、政府が保有する自己に関する情報(個人情報)閲読・訂正ないし抹消請求しうることが求められることになるが、これは政府に対し、直ちに具体的な請求をなしうる権利ではなく、具体的立法をまってはじめて請求をなし得る抽象的権利にとどまると解する。

【プライバシーの権利の違憲審査基準】

 個人情報は、(1) 誰が考えてもプライバシーであると思われるもの、(2) 一般的にプライバシーと考えられるもの、(3) プライバシーに該当するかどうか判然としないものに大別される。
 個人情報の収集・保有・利用ないし開示についてプライバシー権の侵害の有無が争われた場合、それぞれに対応した審査基準が用いられるべきである。
 (1) は人の人格的生存の根源にかかわるので、最も厳格な審査基準、すなわち目的は必要不可欠な「やむにやまれぬ利益」で、手段はその目的を達成するための必要最小限度のものに限定される旨を要求する基準によって、合憲性を判断しなければならない。
 しかし、(2) 等の情報については、原則として「厳格な合理性」の基準、すなわち立法目的が重要なものであり、規制手段が目的と実質的な関連性を有することを要求する基準によって審査されるべきである。

(2)名誉権
(3)(狭義の)自己決定権

【髪形の自由について】

 髪形の自由は、自己決定権(人格的自律権)の一種と解される。
自己決定権とは、個人の人格的生存にかかわる重要な私的事項を公権力の介入・干渉なしに各自が自律的に決定できる自由をいう。
 そして、この自己決定権は、情報プライバシー権(自己情報のコントロール権)と並んで、広義のプライバシーの権利を構成するものとして、憲法13条によって保障されるものと解される(有力説)。
 ただ、髪形の自由を自己決定権の一つと解したとしても、一定の規律の存在が予定される学校等においては、規制に重大な教育等の目的があり、かつ、規制の態様・程度がその目的と実質的に事実上の合理的関連性があれば、その髪形の規制は許容されると解することができる。

二 法の下の平等と平等権

1 「平等」の意味と憲法一四条

(1)平等思想の展開
(2)憲法一四条の内容

2 憲法一四条一項の意味と論点

(1)相対的平等・絶対的平等
(2)立法者拘束・非拘束

【憲法一四条における法内容の平等について】

 憲法一四条一項は、「法の下の平等」を規定しているが、ここにいう「法の下の」平等とは何を意味するか、争いがある。
 この点につき、立法者非拘束説は、法を執行し適用する行政権と司法権が国民を差別してはならないと解している。
 しかし、それだけにとどまらず、法そのものの内容も平等原則に従って定立されるべきだということも意味すると解する立法者拘束説(通説・判例)が妥当である。
 なぜなら、法の内容に不平等な取り扱いが定められていれば、いかにそれを平等に適用しても、平等の保障は実現されず、個人の尊厳の原理が無意味に帰するからである。

(3)平等原則と平等権

3 差別の違憲審査基準と実質的平等

(1)形式的平等と実質的平等、積極的差別是正措置

【平等の理念について】

 平等の理念は、歴史的には、実質的平等(結果の平等)をも重視する方向へ推移している。
 もっとも、それは、憲法14条を根拠に、現実の経済的不平等の是正を国に請求する権利が直ちに認められることを意味しない。
 法的な義務は社会権の保障にかかわる問題であり、それを通じて具体化されるべきものであり、実質的平等の実現は国の政治的義務にとどまる。
 ただ、法の下の平等にいう「平等」の意味は、実質的平等の理念を抜きにして解することはできないので、平等原則違反の基準としての「合理的な取り扱い上の違い」(合理的差別)に該当するか否かを判定するに際しては、実質的平等の趣旨が最大限に考慮されなければならないといえる。

(2)差別の違憲審査基準

【平等違反の違憲審査基準について】

 憲法一四条の「法の下の平等」における平等違反の違憲審査基準は何か。
 この点につき、一般には民主主義的合理性という基準が指摘しうるが、右基準では抽象的で具体的事件での判定には不十分である。
 そこで、ここでも二重の基準の考え方を加味して、権利の性質の違いを考慮しながら、立法目的と達成手段の二側面から合理性の有無を判断していくのが妥当である(有力説)。
 すなわち、精神的自由ないしそれと関連する問題の場合には、原則として立法目的と達成手段の間に事実上の実質的な合理的関連性があるかを検討すべきである。
 それ以外の人権、特に経済的自由の規制の場合には国会の裁量が尊重され、立法目的と達成手段の間に右の事実上の実質的な関連性が存在することまでは要求されないと考えられる。

4 平等権をめぐる問題

(1)一四条一項後段の事由

【思想・信条を理由とする不利益的取り扱いについて】

 思想・信条を理由とする不利益的取扱いについては、憲法一四条と一九条が問題となる。
 まず、内心が外部に現れた面をとらえて不利益的取扱いをすることも信条による差別であって一四条の法の下の平等に違反する。
 しかし、一四条の保障は合理的理由があるときは差別が容認される。
 信条による差別は合憲性の推定がないとしても、この差別の理由を合理的に立証できるときは合憲とされるのである。
 これに対し、人の内心の思想・良心を侵害するものであるときは、その理由の如何にかかわらず合理性を欠くものであり、一九条に違反し、かつ、一四条に違反すると解すべきである。

【傾向企業の法理について】

 使用者の営む事業が特定の思想・信条と密接に、又は不可分に結び付いている場合(特定の政治的・宗教的傾向をもった企業である場合)に、使用者はこれに反する思想・信条(傾向)をもった労働者を解雇することができるとする法理がある。
 かかる解雇も、その事業の特殊性と相いれない場合には肯定してよいと考えられる。
 しかし、特定のイデオロギーの承認・指示を雇用契約の要素とすることは、正当や宗教団体のように事業目的とそのイデオロギーとが本質的に不可分である事業においてのみ許され、事業目的とイデオロギーとが単に関連性を有するのみでは足りないと解される。

(2)性差別をめぐる問題
(3)家族と平等

第三章 自由権

T 精神的自由権

一 思想・良心の自由

1 意義

2 判例

【思想及び良心の自由と謝罪広告】

 憲法19条が、思想及び良心の自由を保障するとは、(1) 国民がいかなる考えをもとうと、それが内心の領域に止まる限りは絶対的に自由であること、(2) 国民がいかなる思想を抱いているかについて沈黙の自由が保障されること、を意味する。
 そこで、謝罪広告が問題となる。
 これについては、思想・良心とは、人の内心一般を指し、謝罪・陳謝という行為には、一定の倫理的な意味があることを重視して、謝罪広告の強制は違憲であると説く見解もある。
 しかし、「思想及び良心」は、「信教」や「学問」と内的関連性をもつはずのものであって、「思想及び良心」を内心領域一般とすることは広汎に失する。
 思想・良心とは、世界観、人生観など個人の人格形成に必要な、もしくはそれに関連のある内面的な精神作用であり、謝罪の意思表示の強制は思想・良心の自由を必ずしも侵害するものではないとする見解が妥当である。

二 信教の自由

1 意義と内容

(1)意義
(2)信教の自由の内容

【宗教的行為の自由】

 憲法20条1項前段は信教の自由を規定する。ここにいう宗教の自由とは、信仰の自由、宗教的行為の自由、宗教的結社の自由が含まれる。
 宗教上の行為の自由も無制限のものではなく一定の制約に服する。
 しかし、それは行動の自由の規制であるとはいえ、内面的な信仰の自由に深くかかわる問題であるから、安全・秩序・道徳という一般原則から安易に規制が許されるわけではない。それは、必要不可欠な目的を達成するための最小限度の手段でなければならない。
 判例は、牧会活動事件において、「その制約は信仰の自由を事実上侵すおそれがあるので、その制約は最大限の慎重な配慮」を要するとしたうえで、当該牧会活動は、目的が相当な範囲にとどまり、手段方法も相当であったので、正当業務行為として無罪とした。

2 信教の自由の限界

3 政教分離の原則

(1)意義
(2)政教分離の基準と限界

【政教分離原則の意義について】

 政教分離原則は、信教の自由(20条1項前段)が政教分離なくしては完全に確保するのが不可能であるという意味で、それと密接不可分の関係にある。
 そして、国家が宗教に対してどのような態度をとるかについては、各種形態があるが、日本国憲法における政教分離原則は、いわゆるアメリカ型に属し、国家と宗教との厳格な分離を定めている(20条1項後段・3項、89条)。
 もっとも、国家と宗教の厳格な分離といっても、それが国家と宗教とのかかわりあいを一切排除するものと考えるのは適当でない。
 現代国家は、福祉国家として、宗教団体に対しても、他の団体と同様に、平等の社会的給付を行わなければならない場合もあるからである。
 そこで、国家と宗教との結び付きがどの程度まで許されるか、政教分離の限界が問題となる。

【宗教および宗教団体の意義】

  20条1項前段及び2項の「信教の自由」条項に言う「宗教」とは、「超自然的、超人間的本質の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為」という広い意味を言う。
 他方、20条3項の政教分離条項にいう「宗教」とは、それよりも限定された狭い意味、例えば「何らかの固有の教義体系を備えた組織的背景をもつもの」と解するのが妥当である。
 89条前段にいう「宗教上の組織若しくは団体」の意味について、判例は「特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体」と解している。
 これによると「日本遺族会」は宗教上の団体にはあたらないことになる。
 しかし、これはより広く「宗教上の事業もしくは活動を行う共通の目的をもって組織された団体」と解するのが妥当である。

【政教分離原則における「目的・効果」基準について】

 政教分離については、いわゆる目的・効果基準(アメリカ判例理論)がある。
この基準は、次の三要件から成り立っている。
 世俗目的の要件。国の行為は世俗的な目的でなくてはならない。
 主要な効果の要件。国の行為は主要な効果(第一次的効果)が宗教を助長促進するものでも抑圧するものでもあってはならない。
 過度のかかわりあいの要件。国の行為は宗教との過度のかかわりあいを助長するものであってはならない。
 日本国憲法の政教分離原則(二〇条一項後段・三項)の限界を考えるにあたっても、この目的・効果基準により右の内容を厳格に適用すべきである。
 この点、最高裁判所が右基準を変形し、その結果国家と宗教のゆるやかな分離を是認しているのは疑問がある。

(3)判例

三 表現の自由

1 意義と現代的展開

(1)近現代における表現の自由の展開
(2)「知る権利」とアクセス権

【知る権利の法的性格について】

 知る権利には次の三つの法的性格がある。
 自由権的性格。知る権利は国家からの自由という伝統的な自由権としての性格をもつ。
 参政権的性格。次にそれにとどまらず、国家への自由としての社会権的役割も演じる。なぜなら、個人は各種の事実や意見を知ることによって、初めて政治に有効に参加できるからである。
 社会権的性格。さらに、知る権利は、積極的に政府情報等の公開を要求することができる権利であり、その意味で、国家による自由の性格も有する。
 ただ、それが具体的請求権となるためには、情報公開法等の制定が必要であると解される。

【情報開示請求権の法的性格について】

 積極的情報収集権たる情報開示請求権は、請求権的性格を有するため、憲法二一条一項の「表現の自由」の内実とすることに消極的な見解もある。
 しかし、 情報の流通の見地からは右権利が不可欠の要素であること、 この権利は元来立憲民主主義体制に内在していたものが積極国家化現象に伴い顕在化したものであること、等の理由から、積極的に解すべきである。
 ただ、この権利は、 政府情報の開示という作為を求めるものであること、 権力分立構造下の裁判所の地位の考慮から、法律による開示基準の設定と具体的開示請求権の根拠づけをまたずに、直ちに一般的に司法的強制の可能な権利をみることは困難である。
 従って、この権利は、抽象的な請求権たる性格をもつにとどまると解される。

2 表現の自由の規制

(1)「二重の基準」論と規制の態様
(2)違憲審査基準

【検閲の概念について】

 検閲(21条2項)とは、一般に公権力が外に発表されるべき思想の内容をあらかじめ審査し、不適当と認められるときは、その発表を禁止する行為と解されてきたが、以下の点に注意すべきである。
 (1) 検閲の主体は、公権力である。それは、主として行政権であるが、裁判所による事前差し止めも問題となり得る。
 (2) 検閲の対象は、従来は思想内容と解されてきたが、現代では広く表現の内容と解すべきである。
  (3) 検閲の時期は、思想内容の発表前か後かで判断されてきたが、表現の自由を知る権利を中心に構成する立場によれば、むしろ、思想・情報の受領時を基準として、受領前の抑制や、思想・情報の発表に抑止的な効果を及ぼすような事後規制も、検閲に該当すると解するのが妥当であろう(有力説)。

【裁判所による事前抑制】

 表現行為を事前に抑制することは許されない。
 なぜなら、この方法は、
(1) 情報が「市場」に出る前にそれを抑止するものであること、
(2) 手続き上の保障や実際場の抑止的効果において事後規制の場合に比べて問題が多いからである。
 憲法21条2項の「検閲の禁止」の原則は、これを確認したものである。

 検閲とは、「公権力が外に発表されるべき思想の内容をあらかじめ審査し、不適当と認めるときは、その発表を禁止する行為」である。
 検閲の主体は、主として行政権であるが、裁判所の仮処分による言論の事前差止も検閲の問題となる。
 したがって、事前差止は原則として許されないが、裁判所による場合は、その手続が公正な法の手続によるものであるから、例外的な場合(例えば発表されると人の名誉・プライバシーに取り返しがつかないような重大な損害が生ずる場合)には、厳格な要件の下で許されることもあると解する。

【いわゆるLRAの基準について】

 LRAの基準とは、立法目的は表現内容に直接かかわりのない正当なものとして是認できるが、規制手段が広範である点に問題のある法令について、立法目的を達成するため規制の程度のより少ない手段が存在するかどうかを具体的・実質的に審査し、それがありうると解される場合には、当該規制を意見とする基準である。
 この基準は、立法目的の達成にとって必要最小限度の規制手段を要求する基準ともいえ、とりわけ表現の時・所・方法の規制の合憲性を検討する場合に有用である(有力説)。
 しかし、最高裁は、この領域の規制立法にLRA基準を適用せず、目的と手段との間に抽象的・観念的な関連性があればよいとする、いわゆる合理的関連性の基準を適用している。

【表現の自由において判例が採用している「合理的関連性」の基準について】

 表現の内容中立規制において、判例が採用している「合理的関連性」の基準とは、(1)立法目的の正当性、(2)目的と制限される行為との関連性、(3)制限により得られる利益と失われる利益との均衡との三点を検討し、規制が合理的で必要やむを得ない限度に止まるものである限り、合憲とするテストである。
 そして、(2)は、事実上の実質的関連性である必要はなく、観念的・抽象的関連性で足りる、(3)は、具体的・個別的な利益衡量は要求されず、得られる利益が失われる利益よりも常に重要なものと判断される傾向となる形式的・名目的な利益衡量で足りるとされているため、経済的自由規制における明白性の原則に近いテストとなっている。

【青少年保護育成条例と検閲】

 表現行為を事前に抑制することは許されない。憲法21条2項の「検閲の禁止」の原則は、これを確認したものである。
 検閲とは「公権力が外に発表されるべき思想の内容をあらかじめ審査し、不適当と認めるときは、その発表を禁止する行為である。」(有力説)
 検閲は、発表前の抑制のことと理解されてきたが、表現の自由を知る権利を中心に構成する立場をとれば、むしろ思想・情報の受領時を基準として、受領前の抑制や、思想・情報の発表に抑止的な効果を及ぼすような事後規制も、検閲の問題となりうると解する。
 この点、税関検閲や、青少年保護育成条例による悪書指定制度は問題である。

【税関検査について(判例の立場から)】

 検閲とは、行政権が主体となって思想内容等の表現物を対象として、その全部または一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止するものである。
○税関検査は、 輸入を禁止される表現物は海外で既に発表済みであること、
○発表の機械を全面的に奪うものでないこと、
○思想内容等をそれ自体として網羅的に審査し規制するものではないこと、
○不服があれば、司法審査の機会が与えられており、行政権の判断は最終的なものでないこと、等の理由から検閲禁止に反せず合憲である。

3 表現の自由の形態と内容

(1)報道・取材の自由
(2)性的表現の自由とわいせつ罪
(3)名誉毀損表現・犯罪の煽動。営利的言論の自由

【営利広告の自由について】

 営利広告も原則として表現の自由(二一条一項)の保障対象となると解される。
 この点につき、広告のような営利的言論と非営利的言論を区別し、前者は表現の自由の保障対象外とする説もあるが、両者の区別基準はあいまいであるし、国民にとっての知る権利の視点からは両者を明確に区別すべきでないからである。
 ただ、営利的広告の制約に関しては厳格性の緩和された合憲性判定基準が妥当すると解する。
 なぜなら、(1) 営利的広告は国民の健康や日常経済生活に直接影響しやすく、(2) その真実性は、概して政治的言論と違って客観的判定になじみやすく、(3) 萎縮的効果をおそれるべき度合いが少ないからである。

【広告の自由規制における合憲性判定基準について】

 営利的表現である広告も表現の自由の保障対象になるが、経済的自由としての側面もあり、自己統治の価値も希薄なため、その内容規制も・時・所・方法規制も、非営利的表現の場合より厳格性の緩和されたやむにやまれぬ利益のテストを用いるべきである。
 このテストは、(1)立法目的がやむにやまれぬ利益、すなわち必要不可欠な利益であること、
(2)立法目的と規制手段との間に事実上の実質的関連性があること、すなわち、両者の合理的関連性が出来る限り事実に即していて実質的なものであること、
(3)規制手段は、必要最小限度であること、というものである。
 この点、判例が広告を経済的自由として扱っているのは疑問である。

(4)放送の自由とインターネット規制
(5)政治的表現の自由
(6)集会・結社の自由

【集会の自由の制限について】

 集会の自由は、憲法21条1項により保護されているが、言論・出版等の表現の自由と同様に立憲民主主義過程に不可欠な自由であると共に、参政権的要素をもった精神的自由権である。
 ただ、この自由は、言論・出版の自由の場合と異なり、道路・公園等の利用という公衆の社会生活上不可欠の要請と衝突し、また集会競合による混乱の発生の可能性も含んでおり、人権相互の調整という内在的制約を受けることは否定できない。
 しかし、この自由の意義から、その規制は、その目的が人権相互の矛盾・衝突の調整といった必要不可欠なもので、規制手段もその目的達成に必要最小限度のものにとどまらなければならない、という厳格な違憲審査基準が用いられるべきである。
 この点、公安条例において、目的を治安維持におき、手段に許可制を設けている場合は違憲の疑いが強い。

【新潟県公安条例判決の基準】

 集団行動は、一定の行動を伴うものであるから、一定の制限に服する。
 もちろん、その規制は目的が必要不可欠なもので、手段が必要最小限度のものでなければならない。
 規制手段が必要最小限度のものというのは、それが原則として届出制で足りると解すべきである。
 許可制をとる公安条例の場合は、その条例の内容が、実質的には届出制と言ってもよいようなもので、裁判による救済手続も整っていることが必要である。
 この点、新潟県公安条例に対する最高裁判決が、次のように述べている。
(1) 集団行動を一般的な許可制を定めて事前に抑制することは許されない、
(2) しかし、特定の場所または方法につき合理的かつ明確な基準のもとで許可制をとることは憲法の趣旨に反しない、
(3) さらに、公共の安全に対して明らかな差し迫った危険を及ぼすことが予見されるときは許可しない旨を定めることができる。

4 通信の秘密

四 学問・教育の自由

1 学問の自由の意義と内容

(1)意義
(2)学問の自由の内容

【学問の自由の内容について】

 学問の自由(23条)の内容としては、(1) 学問研究、(2) 研究発表の自由、(3) 教授(教育)の自由の三つがある。
 (1) は、内面的精神活動の自由であり、思想の自由の一部を構成する。
 (2) は、外面的精神活動の自由である表現の自由の一部であるが、憲法23条によっても保障される。
 (3) については、従来は、大学その他の高等教育機関における教授にのみ認める見解が支配的だったが、現在では、初等中等教育機関においても認められるとする見解が有力である。
 ただ、普通教育では、教育の機会均等と全国的な教育水準を確保する要請等から、完全な自由を認めることはできず、そこでは、一定の範囲における自由が保障されるにすぎないと解されている(旭川学テ事件における最高裁判例も同旨である)。

2 大学の自治

【大学の自治】

 大学の自治とは、大学に置ける研究教育の自由を十分に保障するために、大学の内部行政に関しては大学の自主的な決定に任せ、大学内の問題に外部勢力が干渉することを排除しようとするものである。
 これは、学問の自由(23条)の保障の中に当然の範疇として含まれており、いわゆる制度的保障の一つと言うこともできる。
 大学の自治の内容で特に重要なのは、人事の自治と、施設・学生の管理の自治である。後者は警察権との関係が問題となる。
 特に、警備公安活動のために警察官が大学構内に立ち入る場合が問題である。
 これは、将来起こるかもしれない犯罪の危険を見越して行われる警察活動であるから、治安維持の名目で自由な学問研究が阻害されるおそれは極めて大きい。
 したがって、警備活動のために警察官が大学の了解なしに学内に立ち入ることは、原則として許されないと解される。

3 教育の自由

(1)意義と主体
(2)教育権論争の展開
(3)判例

【「教育権の所在」の問題について】

 教育権の所在については、教育の私事性を根拠とする国民教育説(杉本判決)と公教育の必要性を根拠とする国家教育権説(高津判決)との対立があるが、いずれも極端であり支持し得ない。
 まず、憲法二六条の規定の背後には、子供の学習権があり、それに対応して親を中心とした国民全体がその教育内容を決定する責務があり、それから委託を受けた教師にも一定の範囲での教授の自由が憲法二三条の一内容として認められる。
 ただ、初等教育では、生徒に批判能力もなく完全な教授の自由は認められない。
 次に、普通教育における全国水準の維持の要請から国も一定範囲の教育権を有すると解するのが現代福祉国家理念に合致しよう(学テスト判決も同旨である)。

U 経済的自由権

一 職業選択の自由

【合理性の基準について】

 合理性の基準とは、立法目的とその達成手段の両面について、その合理性を支える社会的経済的な一般事実の存在の推定(合憲性の推定)を排除するに足る合理的な疑いがあるかを問題とする基準である。
 これが経済的自由の制約についての違憲審査基準とされるのは、
(1) 裁判所は非民主的な機関であるので、立法機関の行為を尊重すべきこと、
(2) 容易に立法機関の行為を否定すれば、裁判所に対する信頼も揺らぐおそれがあること、
(3) 経済的自由に関する政策を経験的なアプローチで判断するのは困難であること、等の理由に基づく。

1 意義

2 判例の展開

(1)初期の判例
(2)小売市場許可制事件と薬事法判例

【職業選択の自由の規制についての審査基準】

 職業選択の自由の規制についての審査基準としては、合憲性推定原則を前提とした合理性の基準が用いられるが、その規制目的に応じて次の二つに分けて考えるべきである(判例同旨)。
 他者の生命・健康への侵害を防止する等の消極的・警察的目的を達成するための規制については、裁判所が規制の必要性・合理性及び同じ目的を達成できるよりゆるやかな規制手段の有無を審査する厳格な合理性の基準が用いられるべきである。
 社会政策上の積極目的を達成するための規制については、当該規制措置が著しく不合理である場合に限って違憲にするという明白性の原則が用いられるべきである。
 ここでは立法府の裁量を広範に認め、規制立法の合理性の有無のゆるやかな審査を行うのである。

(3)その後の展開

二 居住・移転の自由

1 意義

2 海外渡航の自由

【海外旅行の自由の憲法上の地位について】

 憲法22条2項は、「外国に移住する自由」を保障している。
 この自由は、外国が入国を認めることを前提として、外国に「移住」するのを公権力によって禁止されないことをいう。
 そして、「移住」には、永続的なもののみならず、一時的旅行としての海外旅行の自由も含むと解するのが通説・判例である。
 この点につき、海外旅行の自由が憲法22条1項の「居住、移転の自由」に含まれるとする有力説がある。
 しかし、(1) 移動する地域が国外である点で永住も一時的外国旅行も共通していること、
 (2) 内在的制約に服する点では憲法22条1項と2項とで異なるところはないこと、等の理由から通説・判例の見解が妥当である。

【旅券法一三条一項5号の合憲性について】

 旅券法一三条一項5号の合憲性については(1)同上のような漠然かつ不明確な基準によって外国旅行を規制すれば、憲法上の権利を政府の自由裁量により奪う可能性があるので違憲であるとする説(多数説)、(2)海外渡航の性質上国際関係の見地からの制約を認め、同条を重大な犯罪行為に限定解釈して合憲とする説、(3)さらに広く国会の安全保障という見地から処分の合理性が認められれば合憲とする説の対立がある。
 海外渡航の自由が経済的自由の性質のみならず、精神的自由の側面を有することを重視すれば(2)説のように限定解釈を加える余地はなく、旅券が渡航許可書ではなく身分証明書の性質を有することから(1)説のような政策的制約を認めるべきでないので、(3)説が妥当である。

3 国籍離脱の自由

三 財産権

1 意義

2 財産権の制約と判例

3 正当な補償

(1)財産権の制約と補償の要否

【憲法29条3項の補償の要否】

 憲法29条1項は「財産権は、これを侵してはならない」と規定する。この規定は、個人の現に有する具体的な財産上の権利の保障と、個人が財産権を享有しうる法制度、つまり私有財産制の保障という二つの側面を有する。
 そして、3項はこれをうけて、国が私有財産を収用・制限した場合には、「正当な補償」が必要であると規定する。
 ここで、どのような場合に補償を要するかが問題となるが、特定の個人に特別の犠牲を加えた場合には補償が必要であると解する(特別犠牲説)。
 すなわち、(1) 侵害行為の対象が、広く一般人か、特定の個人あるいは集団か、という形式的要件と、(2) 侵害行為が財産権に内在する社会的制約として受忍すべき限度内であるか、それを超えて財産権の本質的内容を侵すほど強度なものであるか、という実質的要件の二つを総合的に考慮して判断すべきである。

(2)正当な補償

【憲法二九条三項を元に直接具体的請求権が認められるか】

 法令が財産権の制限を認める場合に、憲法上補償が必要と解されるにもかかわらず、補償に関する規定を設けていないときはどうなるか。
 この場合に、当該法令を違憲無効であるとする考え方も有り得る。
 しかし、当該法令が補償を排除する趣旨のものでない限り、そのように違憲無効と断じ切るのは妥当でなく、直接憲法二九条三項に基づいて補償を請求できると解すべきである(判例同旨)。
 なぜなら、○同条項は、救済法としての性格を有するのみならず、○財産権は憲法が保障する具体的権利であり、公共の利益のための財産権の制限の場合には、憲法上補償請求権が発生するとみるべきだからである。

【「正当な補償」と生活権補償】

 財産権の規制に対して与えられる「正当な補償」とは、いかなるものかについて、完全補償説と相当補償説が対立してきた。
 相当補償説は、当該財産について合理的に算出された相当な額であれば市場価格を下回っても「正当な補償」だとするが、この説は、戦後の農地改革という特殊な事情の下で主張されたもので妥当でない。
 損失補償制度は、本来適法な権力の行使によって生じた損失を個人の負担とせず、平等原則により、国民の一般的な負担に転嫁させることを目的とする制度である。
 とすれば、当該財産の客観的な市場価格を全額補償すべしとする完全補償説が妥当である。
 そして、完全補償という場合には、生活を建て直すための生活権補償をも含むと解するのが、救済法としての29条3項の趣旨に合致すると考える。

V 身体的自由権(人身の自由)

一 奴隷的拘束からの自由

二 適正手続の保障

1 意義と要件

(1)意義

【憲法31条の意義について】

 憲法31条の規定は、アメリカの適正手続条項に由来し、人権の手続き的保障の強化にとって重要な意義を有する。
 したがって、同条により、(1) 単に手続きが法律で定められなければならないだけでなく、
 (2) 法律で定められた手続きが適正でなければならないこと(告知と聴聞の手続き等)、
 (3) 実体も法律で定められなければならないこと(罪刑法定主義)、
  (4) 法律で定められた実体規定も適正でなければならないこと(規定の明確性等)、が要請されると解される(通説)。
 さらに、同条は、文言からも直接には刑事手続きについての規定であるが、その趣旨は行政手続きにも適用ないし準用されると解すべきである(通説・判例)。

【31条と行政手続】

 31条は、その文言から、直接には刑事手続についての規定であるが、その趣旨は、行政手続にも適用ないし準用されると解する。
 ただ、同条の補償が及ぶと解すべき場合でも、行政手続は刑事手続と性質が異なるし、多種多様であるから、事前の告知・弁解・防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利・利益の内容・性質・制限の程度・行政処分によって達成しようとする公益の内容・程度・緊急性等を総合衡量して決定され、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではない。

(2)適正手続の要件−告知と聴聞

【告知聴聞を受ける権利】

 「告知と聴聞」とは、公権力が国民に刑罰その他の不利益を科する場合には、当事者にあらかじめその内容を告知し、当事者に弁解と防御の機会を与えなければならないというものである。
 告知・聴聞を受ける権利は、憲法上明文の規定はないが、この権利は刑事手続における適性性の内容をなし、憲法31条によって根拠づけられると解する。判例も同旨である。

三 捜査手続と被疑者の権利

1 逮捕手続

(1)令状主義
(2)不当逮捕からの自由

2 拘留・拘禁手続

3 住居等の不可侵

四 刑事被告人の権利

1 公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利

2 証人審問権と弁護人依頼権

(1)証人審問権・証人喚問権
(2)弁護人依頼権

3 不利益供述強要の禁止

(1)意義
(2)自白の証拠能力・証明力

五 残虐刑の禁止

六 刑罰法規の不遡及・二重処罰の禁止

1 事後法の禁止

2 一事不再理と二重処罰の禁止

第四章 国務請求権(受益権)

一 裁判を受ける権利

1 意義と性格

2 「裁判所」・「裁判」の意味

二 国家賠償請求権

1 意義と性格

2 要件と内容

三 刑事補償請求権

1 意義

2 要件と内容

四 請願権

1 沿革と現代的意義

2 権利行使の手続

第五章 社会権

一 生存権

1 意義と法的性格

(1)意義
(2)法的性格

【生存権の法的性格について】

 生存権の法的性格については、 プログラム規定説や 具体的権利説もあるが、 抽象的権利説(通説)が妥当である。
 まず、 説は、自助の原則が妥当する資本主義経済体制の特質・憲法規定の抽象性・財政上の理由から二五条一項は国の政策目標・政治道徳義務を定めたものとする。しかし、この説は、憲法が生存権を一つの「権利」として保障した意義を損なうので妥当ではない。
 次に 説では、国が二五条一項を具体化する立法をしない場合には国の不作為の違憲確認訴訟が提起できることになる。 しかし、権力分立制の下で司法権にかかる権限を与えるのは疑問である。
 そこで、二五条一項は、国民の抽象的権利を保障し、国の法的義務を定めたものとする 説が妥当である。

2 判例の展開

【25条1項と2項との関係】

 25条1項の規定は生存権の保障を定めている。これは、国民が誰でも人間的な生活を送ることができることを権利として宣言したものである。
 この第1項の趣旨を実現するため、第2項は、国に生存権の具体化について努力する義務を課している。これを受けて、各種の社会福祉立法、社会保障制度、公衆衛生のための制度が整備されている。
 これに対し、第2項は国の事前の積極的防貧施策をなすべき努力義務のあることを、第1項は、第2項の防貧施策にもかかわらず、なお落ちこぼれた者に対し、国は事後的・個別的な救貧施策をなすべき責務のあり、厳格な司法審査に服することを宣言したもの、と解する説もある。
 しかし、この説は、1項の救貧施策を生活保護法による公的扶助に限定し、他の施策をすべて防貧施策として広汎な立法裁量に委ねた点で問題があり、妥当でない。

二 環境権

1 現代的意義と法的性格

(1)意義
(2)法的性格と根拠

【環境権の憲法上の位置づけについて】

 環境権は、人間の健康の維持と人たるにふさわしい生活環境の保全を求めて主張される権利だが、その内容から憲法上は次の三点から位置づけられる。
 (1) 環境権は自然環境との関係で成立する人格権という性質をもち憲法一三条の幸福追求権の一環としてとらえうる。
 (2) 自然環境の保全と改善に向けて公権力が積極的かつ有効な措置を講ずることを求める側面については憲法二五条二項の広義の生存権にその根拠を求めうる。公権力は各種公害法制の整備と行政措置を講ずる義務を負うことになる。
 (3) 国民の健康で文化的な最低限度の生活に直接かかわる環境破壊は、憲法二五条一項の狭義の生存権の問題が生じると解される。

【環境権の主体について】

 環境権の主体は、地域住民である。環境は、他人の使用を排除して個人が独占することのできない公共的性格をもつため、環境権も集団的性格を有するからである。ただ、それは個人と集団が不可分であることを意味しない。
 環境権は、個々の人の人格や生存に基礎を置くものだからである。
 よって、住民の各人は、単に持ち分をもつにとどまらず、それぞれが独立して固有の環境権を有していると解される。
 なお、法人は環境権の主体たり得ないと解する。
 環境権の客体は自然的環境に限定されると解されるところ、権利の客体である水・空気に財産的価値が認められても、経済的・財産的価値の保護が目的ではないからである。

2 判例の展開

三 教育を受ける権利

1 学習権と国の責務

2 義務教育の無償

四 労働権

1 労働権の意義と性格

(1)歴史的展開
(2)法的性格

2 労働基本権の意義と制約

(1)労働基本権保障の意義
(2)労働基本権の内容

3 公務員の労働基本権

(1)公務員労働者の権利の制約

【公務員の労働基本権について】

 公務員の労働基本権の制限の根拠は、初期の判例では、公共の福祉や全体の奉仕者という抽象的な原則が挙げられた。
 しかし、その人権制限の究極の根拠は、憲法が公務員関係という特別の法律関係の存否とその自律性を憲法的秩序の構成要素と認めていること(15条・73条4号)に求められるべきである。
 ただ、公務員といっても、その職務の性質は多様であるから、労働基本権の制限は、その職務の性質の違い等を勘案しつつ、必要最小限度の範囲にとどまる内在的制約のみが許されると解すべきである。
 判例にも、基本的にかかる見解を採用する注目すべきものが存在したが、現在の判例は、その全面的な制限を一律に積極的に合憲とする傾向にあるといえる。

(2)判例の展開

【公務員労働基本権の判例の流れ(全逓東京中郵事件から全農林警職法事件へ)】

 全逓東京中郵事件では、公労法17条の合憲性が問題となり、最高裁は(1) 制限は合理性の認められる必要最小限度に認められること、(2) 必要やむをえない場合に限ること、(3) 科せられる不利益は必要な限度を超えないこと、(4) 代償措置が講じられること、という判断を示し、これを合憲とした。
 他方、正当な争議行為には公務員といえど刑事免責(労組法1条2項)があるとし、被告人を無罪とした。
 さらに都教組(地方公務員)事件では、合憲限定解釈を行い、違法性の強いもののみ(二重のしぼり)処罰されるとした。
 ところが、全農林警職法事件において、一転、一律かつ全面的な制限を合憲とする判決がでた。その根拠は次の通り。
 すなわち、(1) 公務員の地位の特殊性と職務の公共性、(2) 財政民主主義、(3) 市場抑制力の欠如、(4) 人事院等の代償措置の存在、である。

4 労働者の権利をめぐる問題

(1)特徴
(2)女性労働者の権利

第六章 参政権

一 意義

二 選挙権と被選挙権

1 選挙の法的性格

2 選挙権の法的性格

(1)学説
(2)権利説とその射程

【選挙権の法的性格】

 選挙権とは、選挙という集合的な行為に、各有権者が一票を投ずることによって参加することができる権利をいう。
 これは、参政権(15条1項)に中で、最も重要なものである。
 この選挙権の法的性格については、それを選挙人としての地位に基づいて公務員の選挙に関与する「公務」とみるか、国政への参加を国民に保障する「権利」とみるかについて争いがある。
 選挙権は、人権の一つとされるに至った参政権の行使という意味において権利であることは疑いないが、公務員という国家の機関を選定する権利であり、純粋な個人権とは違った側面をもっているので、そこに公務としての性格が付加されていると解するのが妥当である(二元説という)。
 禁治産者等が選挙権を制限されているのは、選挙権の公務としての特殊な性格に基づく必要最小限度の制限とみることができる。

3 被選挙権の法的性格

(1)学説・判例の展開と立候補の自由

【被選挙権、特に立候補の自由について】

 被選挙権、特に立候補の自由については、選挙権と異なり権利ではなく、資格と考える説もあるが、憲法15条1項の保障する重要な基本的人権と考える説(通説・判例)が妥当である。
 なぜなら、(1) 被選挙権は、選挙権と密接な関係にあり、その要件が選挙権よりも加重されることが多いほかは、選挙権と同じく全ての国民に等しく認められるべきであり、国政に直接関与するという重要な内容をもつことを看過できない。 (2) 44条も、選挙権と被選挙権を区別しておらず、両者を一体として据えるべきである。
 (3) 特に、立候補の自由は、選挙権の自由な行使と表裏一体の関係にあり、自由かつ公正な選挙を維持するうえで、極めて重要といえるからである。

(2)選挙犯罪と選挙権・被選挙権の制限

【被選挙権の性格について】

 被選挙権の性格については、選挙されうる資格であって、選挙されることを主張しうる権利ではないと解する説もあるが、被選挙権も広義の参政権(公務就任権)の一つであり、権利性を否定すべきでない。
 一般には、被選挙権、特に立候補の自由は、選挙権の自由な行使と表裏の関係にあるものとして、憲法15条1項によって保障される権利と解される(通説・判例)。
 しかし、被選挙権の制限については、右憲法15条1項のほかに、憲法14条1項の平等権(同条項の「政治的関係において差別されない」の中に含まれている権利)、憲法22条1項の職業選択の自由、さらに有力説によれば、憲法13条の幸福追求権との関係が各々問題となりうる。

4 選挙権の性格と選挙原則

三 選挙問題の展開

1 在宅投票制の廃止

2 投票価値の平等と議員定数不均衡

(1)衆議院議員定数訴訟

【議員定数不均衡問題における二対一の基準について】

 議員定数不均衡問題における違憲審査基準としては、形式的な平等原則、すなわち定数が人口数に比例していることに高度の民主的合理性があると考え、一人一票の原則の趣旨を没却しないように、最大格差二対一という計数基準を用いるべきである。
 二対一と形式的平等原則を緩和するのは、選挙は選挙区を単位に行われるが、その選挙区は行政区画を前提として決められるし、選挙の結果、できるだけ多様な国民意思が公正に国会に反映されることが「全国民を代表する」国会議員については憲法上要請されるため、人口比率だけでなく、社会学的意味の代表という契機も考慮しなければならないからである。

【衆議院の議員定数格差の基準について】

 衆議院の議員定数の格差については、一対二を超えないことが限界であると解される。
 まず、憲法は、両議院の議員が全国民の代表であるとする一方で(四三条一項)、議員は基本的に選挙区を通じて選挙される存在であることを措定しているので(四七条)、国民各自の意見・利害を公正かつ効果的に国会に反映させる趣旨があり、その中には平等原則の実現が要請される。
 ところで、平等選挙とは、各有権者の投票価値を均等に扱う原則をいい、一人二票以上の投票権を認める複数投票制は不平等選挙として、憲法一四条一項に反すると解される。
 そこで、衆議院の議員定数の格差については、平等原則が直接妥当する。以上、右複数投票制が許されないことを類推して、いかなる理由であれ、一対二を超えないことが限界であると考えるべきである。

(2)参議院議員定数訴訟

3 選挙活動の自由と戸別訪問の禁止

第七章 国民の義務

一 教育の義務

二 勤労の義務

三 納税の義務