profile休みの日の部屋>2003年

12月20日
今までとは違う冬の空がこの島にも広がっている。
北海道から鹿児島まで雪の降っている今日は
外に出ると雪が降るときの空気の匂いがする。
この冬の空気とこの冬の空が広がる日は
思わず空を見上げてしまう。こんな日は本土では
このねずみ色の空から粉雪が舞い降りてくるからだ。
ずっと見ていると、白い雪が黒く見えるくらいたくさん
とめどなく降ってくるのだ。
雪が降るはずもないこの島でも思わず空を見上げ、
心のどこかで期待してしまう。それはラジオからも街
中からも流れてくるクリスマスソングのせいかもしれない。
あと10日ちょっとで今年も終わりだ。もう今年も終わるんだ。
最近まで実感もなかったけど、この寒さと外の色が、それを
感じさせてくれるようになった。
いろいろなことが起こっている世の中だけど、どうか来年も
多くの人と出会えるいい年でありますように。
この冬の空の下、雪の変わりに平和が降り注ぐ沖縄を…
Merry Peace Christmas!







11月21日
最近暑い。この時期にしては暑い。1ヶ月前の方がむしろ涼しかったのではないかと思うほどだ。
これで晴れてくれたら嬉しいけれど、全然晴れてくれない。ちょうど梅雨頃の雰囲気に似ている。
でもまた突然に気温が平年に戻り、北風が強くなり空気が乾燥すると、その落差に気温以上に
寒く感じてしまうのだ。
沖縄は本土に比べて暖かい。でも秋以降は本土以上に風邪をひきやすい。本土と違って四季が
はっきりしていないからかも知れないが、気温もこの時期はっきりしないのだ。温かいと思って油断
すると一気に7℃くらい気温が下がったり。とにかくこっちは風邪をひきやすい。僕はこの1ヶ月で
2回も風邪をひいた。
来年1月に久々に福岡に一時帰郷する。雪が降るほど寒いと思うが、恐らく風邪をひくことはないだろう。
体が冬に対して構えることができるから。そういう意味でこっちは気温のフェイントが大きく、構えられない。
今日は半袖だ。でも明日は長袖、明後日はフリースかも知れない。天気予報もコロコロかわるし、自分で
自然を読み取るしかなさそうだ。








10月7日
久々に朝から一日中雨が降り続いている。
スコールとは違う、、どうやら秋が来たようだ。
2003年10月、ちょうど冒険をはじめてから20年が経った。
TINKER-BELLの活動は、いまでは3ヶ月に1度程度のペースで、仲間達も
それぞれの分野で忙しい毎日を送っている。僕自身も自ら作った仕事を軌道に
乗せることに夢中な毎日だ。
20周年記念の行事を今月やるかどうかは分からない。ただ、僕は今の仕事で
参加してくれた人たちとTINKER−BELLのイベントをやっていると思う。
僕は、自分が作った「モンパの木」では、TINKER-BELLのときと同じように、
20年前のあの日と同じように、トム・ソーヤーでいたい。
自然での喜びや、ワクワクする気持ちを仲間達と分かち合いたい…モンパの木で
いろいろな人と自然に入るときは、そういう気持ちでいっぱいになり、何度同じ所に
行っても、いつも新鮮な冒険に感じている。
いろいろな業者があり、いろいろなツアーがある。その中でも僕は、いいものや学ぶ
べきものは吸収しつつも、少年時代から行っていた冒険のスタイルは続けていきたい。
だからこそ、出会った人たちとは一度共に冒険したら、ずっとつながっていきたい。
掲示板にも各地の人々からの書き込みがあるのは、こんな僕の気持ちが少し伝わった
かのようで、書き込みがあるたびに嬉しく感じている。
雨がますます激しくなってきた。明日の冒険は大丈夫かな?
冒険続きの毎日だけど、せっかくの20周年だからやっぱりなにか企画してみるか。









8月16日
この2年ほど、いろいろな場所でコラムや文を書く機会がある。
ほとんどがインターネット上でのものが多いのだが、中には大手の
旅行パンフレットであったりもする。
実のところ、僕は人一倍、いやそれ以上に本を読んでいない。もちろん
自らの知識の糧になるものは読むが、小説やコラムなど、他の人が
書くものは本当に読もうとしない。小説に関しては、高校時代に読んだ
トム・ソーヤーの冒険が最後だ。
そういう意味で、僕が書く文は誰にも影響されていない我流文だ。誰かに
似ている言い回しなどがあったとしても、それはたまたま似ているのであり、
思いつくままにただこうやって文を書いているのである。
はっきり言って、飾らなくていい。それが自分の色を出すのにはいいと思う。
でも最近飾りすぎて、人気者の真似をしすぎて個性が逆にない若い世代が
多いような気がする。髪型、ファッション、言葉づかい・・・・。それまでは、
笑われてしまうようなものも、いざ有名人がそれを発信することでそれが
かっこいいものになる。それはある意味仕方ない流れかもしれないが、
みんな同じになりすぎても寂しい。どんな絵の具でも染まらない自分自身の
個性を皆どれくらい持っているだろう?
こんなことを言ってる僕もそんな大した個性を持っているわけではない。ただ、
あの素晴らしい福岡を飛び出して沖縄に住み着いてしまったことは、ある意味
染まらない自分自身の個性だろう。その1つの個性が僕の人生を大きく変えた。
今は毎日いろいろな人と出会い、充実している。
今日はなんだか文が堅い。このくらいにしておこう。








7月9日
しばらくこの部屋に来ないうちに沖縄はすっかり真夏になった
6月後半に梅雨が明けてからというもの、毎日のようにものすごい
太陽の明るさだ。そんな毎日の中にも時折スコールがやってきて
一瞬のうちに地面を湿らせ、そしてあっという間にカンカン照りの
天気に戻る。
そんな沖縄だが、僕はエアコン無しの生活を送っている。そのおか
げか、体調もいい。本土の都市部ではいまやクーラー無しの生活は
考えられないだろう。クーラーのかかった部屋は本当にからっと涼しく
て気持ちいい。でも、同時に外に熱風を吹き出している。都市部で夏に
は、大量の熱風が外に噴出しているんだから、昼夜問わず暑いのも
うなづける。こちらは田舎ということと海が近いということもあり、日が
沈むと一気に涼しくなり、風も心地よい。外の風を室内に通すことで
涼しく眠ることができる。
世の中は自然の力を大事にしてもっと頼るようなことはもうしないの
だろうか?自然の力は正直だ。その力をもっともっと生かすことで、
結果として僕たちの生活の快適につながることもあるはずだ。
クーラーは便利だ。しかし、それは部屋の外に暖房をかけているという
どっちなのかよくわからない存在だ。暖房をかけてかき氷を食べるような
ものかな?もっと正直に自然の力で快適さを求めていきたいものだ。








5月29日
台風が近づいている
風も少し出ているが、空気で分かる
朝になり、すごく蒸し暑い空気に変わった
昨日までは梅雨らしからぬ爽やかな空気だったのに
この空気は、沖縄よりももっと南からやってきたんだ
肌にまとわりつくようなこの湿気
肌で分かる、南から何かが来ることを。
地震の前には動物達が騒いだり、普段とは違う行動を
するときく。これもきっと動物達は何かを感じているからだろう
僕たち人間も、もともとは自然から何かを感じ、予測することが
多かったはずだ。人間は進歩している一方で退化しているのかも
しれない
腹時計がなった。もう昼だ。この腹時計はさすがに退化しない
ような気もするけど、果たしてどうだろう








4月13日
 
最近、中国や香港で伝染病が猛威を振るっている。
そのような病にもしかかってしまったら、普通はその場所へは足が遠のいてしまうだろう。
 以前も話したかもしれないが、実は沖縄にも難病がある。今では知名度も
上がってきた「沖縄病」がそれだ。この病気にかかってしまったら、沖縄に行
かないどころか、行かずにはいられなくなるという、不思議な病だ。
 この病は、突然に発生するのだが、進行も早い。そして内地の
人にしか発病しない(ごく希に沖縄を離れて内地に暮らすウチナー
ンチュにも発病することがあるらしい)。
 初期症状は本土に帰省したあとも、積極的に沖縄料理のお店に
行ったり、沖縄音楽のCDを聴いたりするようになり、さらに進行する
ニュースや新聞で「沖縄」や「琉球」などという単語を発見すると、
過剰なくらい反応し、テレビであればそれを録画してまで見ようとする
ようになる。すでにここまで来ると、中期症状に入ったと言って良い。
 中期症状ではいろいろな現象が見られ、「自宅にゴーヤーなどの
沖縄の野菜や果物を栽培する」「内地のエイサーグループや三線
教室に通うようになる」「チャンプルーなどの沖縄料理に凝り始め、
アルコールは、オリオンビールと泡盛に限るようになる」「旧暦で日にちを
見るようになる」「内地でも島ぞうりで生活」「沖縄の新聞をわざわざ本土
で購読」といった現象が報告されている。休みが取れれば沖縄へ行くよう
になり、病の進行度は増して行く。沖縄滞在中は病も沈静化するが、帰っ
たその日から暴発するように進行してしまうからだ。ここまでくると、「沖縄
病」を体から脱することは困難だ。末期症状と言って良い。
 末期症状の最終症状は、「沖縄に住む」という形で終結する。しかし、
住むことが自らの諸事情で難しい為に、末期症状に苦しむ患者は多い。
実際に住んだからといって完治したわけではない。沖縄にいる間は病気
が沈静化しているだけだ。僕は沖縄病末期になり沖縄に移ってきたが、
去年半年以上、内地に滞在しなくてはいけなかったとき、病気が再発した。
 このように沖縄病は治療法などは不明な不思議な病だが、沖縄の自然や
文化や空気に触れた際に感染するようだ。内地の人ばかり感染するといったが
恐らく、沖縄の自然や文化は内地の人にとって新鮮なものであり、当たり前の
ものではないからだろう。僕自身沖縄が「日常」になった今、沖縄病はすっかり影
を潜めているが、沖縄病の人たちの気持ちは痛いほど分かる。自分がそうだった
から。自分がかつてそうだったからこそ、沖縄のことを本当に好きになった旅人の
心をつくツアーやイベントを作って行きたいと思う。そこに生まれ育ったものしか伝
えることができないこともある。一方、あの気持ちを知っているものしか伝えることが
できないものもあると思う。自分が初めて沖縄に出会い、恋したときの気持ち、純粋
に島を楽しむ心を忘れずに、これからも進んでいこうと思う。
 沖縄病には、さらに派生した「八重山病」「宮古病」をはじめ、各離島などに亜種が
存在する。これらの病はさらに強力で、沖縄本島には興味を示さず、専ら離島オンリー
になってしまう。ちなみに僕が最初に感染したのは八重山病だ。う〜ん、病は気からとは
いうけれど、沖縄病は「病は空気から」かも。島に流れる空気に触れたら全ての始まりかな。















3月12日
 今、故郷の福岡で書いている
と言ってもこの文章がUPされるのは沖縄に帰ってからになるが

 福岡に帰ってきてつくづく思うのは、やっぱりここは自分の故郷
だということだ。空気も、人も、言葉も、そしてそれらからなる福岡
という街全部、自然全部が懐かしく、自然と「帰ってきたんだ」という
気持ちがこみ上げてくる。沖縄の風景はいろいろな地域の人が
懐かしさを感じる場所だが、福岡は、ここに住んだものにしか分
からない、特別な懐かしさがある。この雰囲気はなんなのだろう・・・
 今回は短期間の滞在だ。だからこそ些細なものにまで故郷を感じ、
普段故郷から離れているからこそ、住んでいたころには気づかなかった
この街の良さを感じているのかもしれない






1月28日
早いものでもう1月も終わろうとしている
異常に早く感じる。もう2003年も12分の1終了だ
ところで、1年はなぜ12ヶ月なんだ?1日も12×2の
24時間。1時間も12×5の60分。1分も12×5の60秒
おまけに干支も12年だ。こう見ると12って区切りの
数字っぽい。今年の僕の12にまつわる区切りはいつかな?
ちなみに、1日とか1時間という概念は昔からあっただろうな
と納得できるが、「1秒」という概念は一体いつ頃から生まれた
のかな?1時間を3,600分割するほどの時間についての正確さ
は、一体いつから求められ始めたのだろう?
慌しくて複雑になってきた最近の世の中のことだから
1秒をさらに12分割した新しい時間ができたりして・・・
そんなことはさすがにないか(笑)
それよりも、早く温かくならないかな。この時期仕事が少ない