profile休みの日の部屋>1999年


12月31日

俺たちが生きた1900年代もあと僅かな時
間もなく、新たな2000年代が始まる
この新しい時代に俺たちは歳を重ね
そして消えていくことになるけれども
俺は忘れない
生まれて今日まで続いたこの時間の中での青春を
終わらない
心を燃やし続けてきた夢を





12月19日

 久しぶりに書いてます。いま外は雪混じりの雨が降ってる。朝にはちらちらと雪が降っていたし、今夜はまた雪にかわるかも。
 気がつけば、今年もあと2週間を切ったな。今年というより、1000年代があと今日をあわせて13日と思うと、なんだかすごいなーと感じてしまう。ナポレオンも、コロンブスも体験できなかった1000年代替わりが体験できるんだから。1000年代と2000年代両方を生きることができてなんか得した感じがするのは俺だけかな。
 今年は2000年問題があってカウントダウンはできないけれど、来年、21世紀になる瞬間は何かメモリアルな過ごし方をしたいね。ゲレンデで過ごそうか、ペンションで過ごそうか、いまから来年の年末のこと考えてる。
 俺たちの思い出がたくさんあった1900年代が間もなくおわるけど、世の中はいろいろあるから気をつけて、みんなで無事に新しい年を迎えよう。





10月7日

 10月になると、空気が秋の匂いがしてくる。夕方にそんな秋の匂いを感じるとき、このグループが生まれた16年前の秋を思い出す。
 1983年、小学校4年生だった俺はすでに冒険小僧で毎日のようにトム・ソーヤーのように腕白に冒険していた。そんな俺が班長をしていた4年4組の班員が、このグループの最初の仲間達だった。俺とヨシヤ、コウイチ、キョウコ、ユカリ、ナナコという個性豊かな6人だった。
 10月のある日、班ごとにクラス新聞を交代で作ることになり、そのテーマ探しにみんなで町の見知らぬ場所を求めて探検に出たのが、グループ活動の始まりだった。
 俺はいろんなところを探検してたので、みんなが知らない場所をたくさん知ってた。それらの場所へみんなを連れていってあげようと思い、いつのまにか新聞のことも忘れ、探検した。当時の俺達にとっては隣の校区に行くのでもまさに大冒険!行ったこともない場所や景色を体験したみんなは目を輝かせ、もう体中からワクワクがあふれ出ていた。俺はみんなが喜んでるそんな顔を見て、いつもの冒険よりもなんかずっと楽しくて嬉しくて、ワクワクした。いまでも、あの嬉しさは覚えてる。そんな冒険は、放課後や土曜日などに俺の部屋に集まっては続いた。
 班員の中には、俺の初恋の女の子がいた。ヨシヤも、コウイチも、クラスのみんなが、彼女のことが好きだった。俺は、ぜひキョウコを俺が見つけた「海が見える丘」に連れて行ってあげたいと思っていた。そしてある日の冒険で俺は、その丘までみんなを連れていった。その丘は俺達の校区の境界にある丘で、博多湾と海に浮かぶ船や島々を見ることができた。その日の夕焼けはとても美しく、登るときのきつさも忘れてみんなで冒険を達成した喜びを分かち合った。キョウコもとても喜んでいたので最高の気分だった。あのシーンは、いつまでも心に残ってる。
 しばらく海を眺めていると、キョウコがふとこんなことを言った。「みんなが大人になったら、ここみたいな海が見える丘の上に家を建ててみんなで一緒に住んだら楽しいだろうね」 俺はドキドキッ!としたけど、その直後ほんとにそうなるといいなと思って嬉しくて仕方なくなってしまった。他のみんなも大賛成で、みんなで丘の上で約束した。
 それからというもの、俺達の未来の家を探す冒険や、あたらしい秘密の場所を探す冒険を続けたが、グループで活動することの素晴らしさを知ったのは、まさにこの6人での冒険からだった。
 夢を信じて冒険をしていたあの頃の俺達にとって、大人になったら・・・というのはずっとずっと未来過ぎた。大人になるまでに、引越し、クラス替え、卒業などがたくさん待っていた。そして、心が大人になっていくことも待っていた。
 あれから16年・・・俺はあの時夢見ていた時代に大人として生きている。でも、あの時共に夢見て約束した仲間達はもういない。なにもかもがかわってゆく。あの日、みんなで夕焼けの中海を眺めたあの丘からは、いまではマンションしか見えない。あのときみんなで誓った約束は消えてしまったけど、まだ幼かった俺達の夢の約束が生んだこのグループは、いまでもずっと守りつづけてるよ。もし再会してこのことを話したら、みんな笑うかもしれないけど、俺はあの日にみたみんなの輝いた笑顔と、みんなで冒険することで得られた感動と胸の高鳴りがいまでも忘れられない。 






9月23日

 竹富島の夜は、星空がとても美しい。その星空を眺めるために、夜中になると西の桟橋まで散歩がてら歩いて行くんだけど、その散歩道では蛍の光も楽しむことができる。
 竹富島には飛ぶことができない地ボタル、そして本土でも見ることができるゲンジボタルが生息していて、これらは本土よりもずっと長い期間見ることができる。
 特に西桟橋からカイジ浜まで続く一本道では、たくさんの蛍を見ることができる。街灯もなく、人もいない、自然の音しか聞こえてこない一本道の両端の草むらはもうひとつの天の川となり、幻想的な世界へと引き込んでくれる。
 蛍を見るとき、俺はいつもただの昆虫として見ることはない。
 戦時中、神風特攻隊で出撃する少年達の面倒を見てきたという女性が、晩年に当時を振り返って言っていた。出撃の時を迎えた一人の少年兵がこう言ったそうだ。「僕は死んでしまっても蛍になって、おかみさんのところに来るから待ってて」と。
 そしてその少年兵は、南の海に散っていった。その日の夜、なんとおかみさんのところに蛍が一匹だけスゥーッと飛んできた。おかみさんは驚いて残った少年達を呼び、その蛍は彼だということを教えてあげた。少年達はみんなで彼が好きだった歌を歌ってあげた。その蛍は逃げることなく、長い時間その場所を飛び回っていたそうだ。
 その蛍が本当にその少年の魂が乗り移ったものかどうかは分からないが、俺はこの話を聞く以前から、蛍には人の魂が宿ったりする生き物なのではないかという感覚がどことなくあったので、この話しはとても心に残った。蛍という昆虫は、幼虫のときはタニシなどを食べる肉食昆虫だが、成虫になるとまったく雰囲気も変わる。他の昆虫のように逃げもしないし、簡単に手の中に捕まえることもできる。ときには人の周りを飛び回ったりもする。そんなところが、なんだか人間ぽいというか、死んだ人の魂が宿る生き物のような、そんな気持ちにさせるのだ。
 竹富のような、昔のままの姿が多く残っている島で蛍を見ると、よりいっそうそんな気持ちは強くなる。普段の生活で、俺達が忘れてしまったたくさんのものがあの島にはまだ残っている。みんなにも一度、自分の忘れ物が何なのか見に行くことをオススメする。






8月28日

 気がつけば、もう8月も終わり。今年の夏は本当に雨ばかりで夏って感じがしなかったな・・・
夏が終わりそうになると、毎年なんだかすごく切ない気持ちになる。
 夏ってなんだか気持ちがハイになって、何でも楽しくて、いつも楽しいことや出会いや、心に残ることがたくさんある。どこまでも深く青い空と入道雲、ギラギラと輝く太陽、広い海、大きな夕日、満天の星空、そして花火・・・そんな一つ一つが心に働いて、みんなを楽しくさせてるのかも。
 だからこそ夏が終わるのかな、と感じたとき、同じ海でも、夕日でもなんだか祭りのあとのように見えてくる。
 夏の終わりは人によって違うから、もう今年の夏は終わった人もいるかもしれないけど、俺はまだまだ終わらない。次の週は竹富島。今年の夏の最後を締めくくるビーチボーイズ物語はどんな始まりで、どんな仲間たちが登場して、どんな幸せと感動があるのだろう。
 みんなの夏はまだ続いてますか?






8月21日


 明日は滝登り大会。でも、外は雨。今週はじめの週間予報では木曜から晴れますと断言してたのにずっと天気が悪い。きのうも週末は本格的な夏空が戻るといってたのに今日は土砂降り(T.T)。明日はズバリ晴れになってるけどこれだけ天気予報外れまくっているとどうも気になる。
 天気予報もあまりに連続で外しつづけたら気象庁のトップは辞任するのだろうか?もし、明日雨になったら是非辞任してほしい。





8月14日

今日は海に行く予定だったのにパソコンのフォーマットに追われる1日だった。 見知らんやつが送ってきたファイルが大切なファイルを全部食い尽してしまった。なんてやつだ!!
なんとか治したけど買ったときの状態だから、今までホームページに使ってたファイルが全部消えてなくなってしまった!まあ、これから新しく作っていけばいいんだけどね。
だいたいあいつら、何であんなことするんだろうね。いろいろとやらかしてくれたけど心の広い俺だから相手にせずに先へ進むか(^^/(¨)
 明日はドライブ゙。初めて会う人も2人。どんな人なのか楽しみだ。






7月24日

 今日も天気はいまいち。でも、明日は晴れるみたいだから朝早くからビーチにいこう。体をしぼるのはちょっと間に合わなかったけど、気持ちは準備万端。
 海には毎年何度も行くけど、半分は1人で行く。明日もそうだけど、1人でいくのは寂しいと思われるかもしれないけど俺はけっこう好きだ。自分の時間をのんびりとすごせるから。でも、もちろんみんなでいくのは大好きだ。
 毎年夏は心も熱くなる出来事がおこるから今年も楽しみだ。あとは、いま女の子のメンバーが研修とか勉強でなかなか参加できない人ばかりだから、みんなが戻ってきてくれれば・・・さあ、来週のTINKの久々のイベント、気合入れていくかぁ





7月11日


 土日とも今週は天気が悪かった。本当は俺にとっては昨日が海開きの日だったんだけど次の土日に延期しよう。
 来月TINKでも花火をみに行くことになったけど、やっぱり花火をみてるとなんだか気分がスーっとして大好きだ。思えば、いまTINKがあるのも花火大会のおかげかもしれない。
 7年前、TINKER−BELLは10代のラストスパートの時期だったのに消滅のピンチだった。あの当時から残ってる仲間はわかってると思うけど、いつなくなってもおかしくなかった。
 そんな7月のある日、イベントを企画したけどこの日も集まったのは熊本からかけつけてくれたランボーだけだった。高校卒業以来の再会だったけど、俺は他の仲間が急に離れていったことに落ち込んでたので、再会の挨拶のあとは愚痴ばっかりだった。
 西新の町を2人で歩いていると、浴衣姿の女の子が目に付く。ああ・・・今日は花火があるんだ。 まだ百道の花火大会は始まって何回目かで、いまほど有名ではなかったので、そんなカンジで当日気がついた。
 「寿理ちゃんも呼ぼう」ランボーが言った。「えっ?帰ってきとると?」 寿理ちゃんも高校時代のクラスメートのメンバーで熊本へ進学したんだけど、ちょうど帰ってきてたのだった。TELをいれると今から出てくるという。寿理ちゃんが来るまでの時間は軽く飯を食べて時間をつぶしてしばらくすると寿理ちゃんも来てくれたので、3人で花火をみにいった。俺たちの活動で花火をみに行ったのはこれが初めてだった。
 まだ、マリゾンもいまのように整備されてなくてみんな芝生やいろんなところで気ままに花火を楽しんでいた。花火が夜空に大きく開いて、直後に大きな音、そして散ったかと思うとまた次々と夜空に美しく打ちあがっていく花火をみているとなんだか気分も楽になって元気が出てきた。さっきまでランボーにTINKの解散を相談していた自分自身がどこかへいってしまってた。
 花火大会はクライマックスへと移った。小さな花火は姿を消し、大きな花火がゆっくりと一発づつあがり高いところで包み込まれるようなくらい大きくドーーンと開いていく。3人ともその感動的なシーンに完全に吸いこまれていた・・・そして、最後の1発はいままでのどの花火よりも高く、大きく、強く俺たちの前で打ちあがった。まわりのたくさんの人たちがみんな大歓声をあげた。俺たち3人も同じだった。とても感動して、そして力が湧いてきた。そして、ランボーと寿理ちゃんと同じ気持ちを共有できて、かわらない仲間がいることを花火は気づかせてくれた。3人でこのとき、TINKをまだまだ続けていく約束をして最高のグループにしようと誓った。ほんとにあの日は2人に、そして花火に感謝した。
 この花火からしばらくして俺たちは夏のキャンプイベントを大成功させて、TINKER−BELLは進んでいった。それ以降も1年半くらいはグループとしてはつらい時期が続いたけど、ずっとついてきてくれた仲間の力、そしてあの花火がくれた力のおかげで頑張ることができたし、いろんな新しい仲間に出会うことができた。ほんとに続けていてよかったと思う。毎年花火のシーズンになるとそう思う。7年前のあの日のことを思い出して・・・






6月26日

 この何日か雨がかなり降っている。こんな日は何もすることなく家でゆっくりとしていよう。さっき、7月からイベントに参加するめいちゃんと初めて電話で話した。久しぶりにTINKに10代が戻ってくるし、新しい仲間としては、るかさんもなんだか元気印だし、夏が楽しみだ。
 こんな強い雨の日は、竹富島から帰る最終日のことを思い出す。
 4月20日、雨の音で目がさめる。でも、体が動かない・・こりゃ飲みすぎた。時計を見るともう朝の9時!やばい、寝過ごした。そう思ってなんとか起きると食堂には俺の朝食だけがネットをかぶせて残してあった。食べたいけど、気分が悪くて食べられない。完全な二日酔い状態の俺を見て、社長も伸二さんも笑っている。なんとか調子が戻ってきたのでとりあえず全部食べて、ちょっと休憩。・・・・でも、あと何時間かでこの島を出なければいけないんだな・・・そう思うとちょっとブルーになった。天気もこの日はかなり悪く、それがますます俺を無口にさせた。昨日までのあの元気はどこへいったのかと思うほどに。
 拓也も起きてきた。拓也も石垣島へ戻るらしい。ということで一緒の船で帰ることにした。寝過ごしたせいもあり、他のみんなはもう動き始めていた。伸二さんはこの日竹富島を出ていき、西表へと向かった。三線の兄さんは宿の修理をはじめ、美由紀ちゃんもカンカラ三線で練習している。でも、俺にはもう帰り仕度をする時間しかなかった。
 雨はやまずにどしゃ降りとなった。島にいながらにして夢から覚めたような気持ちになった。帰る時間だ。栄子おばさん運転の車に拓也と乗りこんで桟橋まで向かった。海は荒れていて、昨日までの夏色はなかった。おばさんとしばらくの別れの挨拶をして船へと乗った。竹富島が夢の時間が遠くなっていくのをボーっと眺めていると、拓也が俺が車で空港まで送ってやるという。拓也とも少しでも長くいたかったのでお願いすることにした。
 石垣島につくと拓也は自宅に電話を入れた。部屋には友達が何人かいるようで、その中の1人が車で迎えに来るという。しばらくして、廃車寸前の車が目の前に止まった。ほんの何万円かで拓也が買ったという、その車に乗りこむと、そこには拓也の家に居候しているという同年代の青年が「どうも!」と笑顔で挨拶。彼も大阪からこの島へ渡ってきたらしい。こういったいろんな人達にあってきたけど、彼らはみんな欲もなくてほんとにいいやつが多い。
 「まだ、時間があるから部屋においでよ」 拓也も、運転手の彼もそういうから、そうすることにした。拓也のアパートは、まもなく取壊し予定の家賃も二万円もないかなり古いものだったけど、それがこの2人にはぴったりでいい雰囲気だった。部屋に入ると、そこにはあと2人、男が1人と女の子が1人いた。「彼は竹富島で知り合ったRyu。昨日一緒に飲んで仲良くなったんよ」拓也がそういって紹介してくれた。部屋にいた2人も明るく声をかけてくれた。不思議なことだけど、さっきの運転してくれた人もこの2人も、初めて会ったはずなのになぜかすでにどこかであっているかのような気がした。初対面の気が全くしない。彼らはみんな本土からそれぞれこの島へわたってきている20代の男女だった。
 昨日ちろりん村できいたような音楽をBGMに俺たちはいろんな会話をした。楽器のことや自転車のこと、ちろりんのことや太鼓のこと・・・・それに彼らは俺の為に自分達が買っていた昼ごはんまでわけてくれた。会話も、仕事の話なんて何もない。楽しく、前向きで明るいものばかり自然と話題にあがった。狭い部屋だったけど、俺はこんな雰囲気が大好きで、こんな話題も大好きで、・・・・・ずっと前、まだ子供だった俺がはじめて仲間を集めて冒険を始めたころのことを思い出した。あの頃の俺の部屋の状況ととても拓也の部屋は似ていた。あの雰囲気が俺たちの年代になってもここにはあって、それがとてもよかった。
 時間がきた。俺も仲間になってこの部屋にずっといたいくらいだったけど、俺は拓也と空港へ向かうことにした。次は7月にまた遊びに来るからといって他のみんなとは別れた。空港には5分ほどで到着。拓也ともがっちりと握手して7月の再会を楽しみにしておこうといいながら別れた。
 こうして、4月の3泊4日の竹富滞在は終わった。実は再来週からまた島へ戻る予定にしていたけれど、仕事の都合で7月はいくことは出来なくなった。あの最高に天気のいい、夕日もきれいな7月に行けなくなったのは残念だけど、とりあえず拓也に手紙をかかなければ。それに島で今年再会を誓っていた全国の仲間たちにも言っておかないと「9月には必ず島へ帰ってきます」と。  おしまい




6月19日

 今日はTINKのイベントの日だけど、夕方からのイベントだからちょっと書こう。昨日竹富で出会った釣り師の伸二さんからメールが届いた。なんか島で会った人からメールがくると嬉しい。あのときの時間に戻れたみたいな気がするし、そろそろあの島へ帰らねば・・・今日も竹富の4月19日の話
 さて、俺も拓也達と一緒にちろりんへ行った。久々に行ってみると、この日はブラックライト全開モード!さっそく拓也達と泡盛で乾杯。しかし、美由紀ちゃんはもう1人の女の子と一緒に宿へ戻ってしまった。拓也をここに案内するためだけにきたようだった。まあいいか・・・
 この日もちろりんには北から南から愉快な仲間達が集まっていた。お店のハジメさん達は相変わらず元気だし(でも俺のことは忘れていた)、これまた相変わらずマニアックなカンフー映画が上映中だった。ここには宿で素泊まりをしていた関西のユカリちゃんもいたので拓也と3人で飲みながら映画をみていた。
 ブラックライトのちろりんの中で感じるこの雰囲気はやめられないというか、このまま時間が止まってくれたら・・・と思うほど大好きだ。泡盛を何杯か飲んでそろそろよってきたなぁと思うと、映画が終わった。すると今度はムードが一変。独特のユーロビート系の音楽が流れ出した。この雰囲気に感化されて俺と拓也もカウンターへと場所を移し、テンションアップモードに入った。今度は俺達は渡辺久信似の兄さんと、名古屋から来たと言う女の子達と語らいながら飲みまくった。すると、拓也がカウンターにあったボンゴ風の太鼓をたたき始めた。これがうまい!即興で音楽に合わせて見事にたたき始めた。拓也は石垣島で太鼓をたたいているらしく音楽イベントにも出ているらしい。カウンターで飲みながらリズムにのってみんなとはなしているうちに夜は刻々とふけていった・・・
 ブラックライトとBGMと拓也の太鼓・・・・・日本の端の小さな島の小さなルームにぎっしり詰まっていたそれらのリズムが不思議なムードを作り出し、酔ったせいもあってか、自分自身トランス状態になってきていた。こんなのははじめてだった。でも、最高に楽しい!夜がふけるにつれ、楽しい仲間達が1人ずつちろりんに集まってきた。周りにはみんなの笑顔。話しても話してもそこには笑顔・・・・顔と顔の間にふと時計をみると、日付は20日の火曜となっていた。「ああ・・・今日帰るんだ・・・」ふとそう思ったけど、この世界が終わるのが信じられなかった。脳までしびれさせるようなムードの中、何時の間にか俺はトランス状態となり、何かにすいこまれるような気持ちになっていた・・・・・・・・
 「リュウ!  リュウ!」 拓也の声がするので目をあけると、あれ?いつのまにやら俺は部屋のすみのベンチに寝せられていた。いつの間に…。。時計を見るともう4時だ。ゲゲゲ・・・
 「そろそろ帰ろう」 拓也の一言で帰ることにした。さすがにちろりんにも人が少なくなっていた。かなりきつかったが、2人で歩いて小浜荘まで戻った。
 歩いて帰ったのだが、部屋に戻ったときの記憶がない。ただ、1分も経たないうちに眠ったのだろう。まあ、久々のちろりんはこんなカンジだった。次に行くときはかなり入り浸りになるかも。さて、こんなところでまた暇なときつづきをかこう。






6月10日

 今日は免停開始日。ということで休みをもらって講習にいってきた。講習料だけで13800円・・・・苦しすぎる・・・・
 ついに勇気を出して三線を買った。おとといから練習をはじめているが、するとなんと来月は竹富に長期で行けるような雰囲気だ。たぶん行けないと思って買っただけにこれはまた出費が増えそうだ。でも、7月の夏休み前にあの島ですごすのはほんとに最高だからこっちで貧乏してでも是非行きたい。でも、その前にまだわからない罰金の金額が気がかりだ・・・今日はこの前の話の続きはおやすみ





6月5日

 検定試験があるけど、なんだか緊張の糸が切れてしまった。勉強する気もあまり起こらないし、こんなときはホームページの更新でもしよう。そういえば、この前のNHKは竹富島のあの日のシーンがいくつか出てきてなかなかいい気分だった。裕仁さんや美由紀ちゃんたちもみてたかな・・・
 さて、この前の続きでも書こう。
 4月19日、日が少しずつ西に傾き始めていた。美沙子さんとも写真がとれたし何もすることなしにのんびりとしていると、この日新たにやってきた3人のうちの1人がまずやってきた。美由紀ちゃんとなんと幼馴染という拓也。突然やってきたので美由紀ちゃんもびっくり。美由紀ちゃんと共に去年沖縄へ渡ってきた拓也はいまは石垣島で大工として働いている。俺と同級生ということですぐにうちとけることができた。そして同時にやってきた一人旅の女の子、この子もなんと同級生だ。美由紀ちゃんも合わせて4人の同級生が集まるなんてなかなか珍しい。この子は音楽が非常に好きらしく、美由紀ちゃんが三線の弦をひとつはじくたびに大感激していた。あと1人そのあとやってきたのは小浜荘にはよくくるというお兄さんで、この人は三線がかなりうまいらしく持参していた。彼らと社長(北海道の飲食点の社長)と釣り師の伸二さんたちというメンバーでの最後の夜となった。
 この日は日が暮れてもなぜか、人が多い。みんなカメラを持った中高年だ。どうやらこの日は全日本写真協会という団体がこの島に来ているらしい。夕食後、西桟橋へ夕焼けを見に行こうとしているとその一団に、桟橋まで連れていってといわれて、案内してあげた。しかし、この日は生憎雲も多く、あまりいい夕焼けは見ることが出来なかった。でも、今回は最後の夕方なので桟橋の先端でいろいろとこの3日間を振り返りながら余韻にふけっていると、どうも背後からのざわめきが気になる。振りかえると、桟橋の入り口のところに数十人のカメラマンが陣取って、夕日の方角、つまり俺のほうをとっているではないか。記者会見並のレンズを向けられて(別に俺をとっているわけじゃないけど)妙に意識してしまって、宿に帰ることにした。すると彼らの会話の中から、今日島のどこかで催し物があるという情報を仕入れた。一体どんな催しだろう、みてみたいな。と思いながら宿へ戻ると、入り口に社長と伸二さんが出ていて、手招きをする。これは、飲みにいくんだなと思うとやはりそうだった。ま、最後の夜だから行ってみるかということで、ついていった。
 社長の行き付けの店でもある「朝日食堂」で乾杯をした。なかなかいい沖縄の歌が流れている。社長はこのリズムに酔いしれて、食堂の大将にいろいろと感想を述べている。特に喜納昌吉の「花」が流れたときは、さすがに俺もジーンときた。食堂に来ていた島に住むほかのおじさん達もリズムに合わせて手拍子をしている。社長がアンコールというので、再び「花」が流された。明日帰るけど、また必ず近いうちにここに帰ってこよう。って、この歌を竹富島で聞いて強く思った。
 「この歌はね悲しい歌なんだよ」と、社長が言う。どうやら社長は悲しい歌が好きなようだ。そこで、「マスター悲しい歌をいれてよ」と社長、「わかった」と大将。ここまではよかった。さあどんな曲かと思うと、なぜかリズミカルなお囃子風の実に楽しそうな歌が流れてきたので、俺と伸二さんは笑いすぎて違った意味で涙が出てきてしまった。社長も思った曲と違って苦笑い「いや、これも琉球の言葉を理解できたら悲しい歌なんだよ」と必死にフォローしていた。
 そんなカンジで音楽をききながら飲み、食堂を出た。帰っていると、遠くで三線と歌が聞こえてくる。その方向を見るとライトアップされているようだ。ああっ、催し物があってる。3人で急いでそこへ行くと、何とさっきの写真協会の人達が写真をとりまくっている。何をとっているかというと、三線を弾き、それにあわせて踊るミンサー織りの着物を着た島の人たちの姿だ。だんだん三線のリズムも増し、踊りも盛り上がってくると、この島に泊まっている人たちも混ざって踊り始めた。これは楽しい!この島にきてこのような光景を見たのは初めてだった。どうやら写真協会の為に特別に開いたらしい。踊りには参加しなかったが、みているだけで楽しくなってくる。日本にいながらとっても遠いところ、そしてずっと遠い時代にきたような気がした。
 最後のほうからみたので、この祭りはすぐに終わった。終わったのに社長が「花」を弾いてもらうと豪語し、直訴しようとしていた。でも、俺は同級生のみんなと楽しく過ごしたかったので宿に戻ることにした。宿へと歩いていると、道でばったりと美由紀ちゃん拓也そしてあと1人の女の子と会った。
 「どこにいきよると?」 美由紀「ちろりんに送って行ってあげてるの」  ちろりんか!最後の夜にふさわしい場所。 拓也「リュウは行かないの?」 もちろん「行くよ」と言った。久しぶりのちろりん村、この日の夜は長くなりそうだ。
 ということで、ちろりん村での出来事はまた次に書こう。はっきりいって竹富での生活はいろんなことが体験できて病みつきになっている。来月は長期で行く予定だったのですが、仕事の都合で行けそうもないのが残念。7月はじめが行くとしたらベストだったんだけど、長期で行くのは秋になりそうだ。どうしても来月行くとすると土日の一泊二日になりそう、つらすぎる・・・・






5月22日

 最近、公私共にいいことがない。来週のイベントでパーっとやるしかなさそうだ。それでは、この前の続きでも書こう。
 4月19日・・・昼食を2人で食べて小浜荘へと戻る途中、向こうの家の石垣の上から白い日傘が見える。そしてマイクも・・・これは、間違いない。紺野美沙子だ!そう思ってその場所へ行くと、紺野美沙子さんがいた!撮影中だった。でも、さすが女優ということだけあって輝きというか、オーラが出ていてきれいだなぁと思った。まだ撮影は続けるようなので急いで宿へと戻り、おばちゃんと美由紀ちゃんに伝えた。そしてみんなでもう一回撮影している路地裏まで行くと、ちょうど撮影が終わってバスに乗ろうとしているところだった。そして声をかけるまもなくバスは走り去っていった。一足遅れてきたおばちゃんは紺野さんをみることができなかった。「よーし、バスを追いかけるぜ!」 みんなでバスが走り去った方向へと探しにいったが、とうとうだめだった。残念がっていると美由紀ちゃんが、紺野さんが「あさひ食堂」で休憩中で、そのあと安里さんちで撮影するという有力な情報を仕入れてくれた。さすが竹富島!この島を出ない限り情報は確実にはいってくるのだ。
 美由紀ちゃんの紹介で安里さんの家で待つことにした。この家は竹富島民謡で有名な「安里屋クヤマ」の生家だ。俺と美由紀ちゃんは安里さんの家にいたが、当の安里さんは潮干狩りに出かけていってしまった。しばらくすると、スタッフが続々と集まってきた。彼らは俺たち2人を安里クヤマの子孫と思っているようだった。まあ、違いますということは説明したあと、いよいよ本題にはいる。美由紀ちゃんが俺のかわりに言ってくれた。
 「すみません、紺野美沙子さんと写真をとらせてもらえませんか?彼がぜひとりたいそうなんですよ」
 若いスタッフは「・・・・紺野美沙子さんとですか?・・・」ちょっとの間の後「マネージャーさんに聞いてください」 よし、そうしよう。
 スタッフの人たちと話していると、家の前にバスが止まった。そして紺野美沙子さんとマネージャーの女性が出てきた。美沙子さんと目があっただけで鳥肌が立つ。マネージャーは・・・・いい人そうだ!!こりゃいける!急いでおばちゃんも宿をほったらかして駆けつけてきた。そして社長も一緒に駆けつけた。裕仁さんはどこへいったのかな?
 マネージャーさんに、またも美由紀ちゃんがお願いしてくれた。なんていい子だ。すると快くOK。やったぜ!おばちゃんと美由紀ちゃんと俺と美沙子さんで縁側でとることにした。女優さんはなんと顔が小さいんだと感激してると縁側の冊子に頭を激突。 美沙子さん「だ・・大丈夫ですか?」  俺「は・・はい。全然OKです」 なんでこんなに緊張しなきゃいけないんだと思いつつ、写真を撮って大満足だった。
 そして撮影は始まった。撮影は、先程写真を撮った縁側で行われた。そこへ裕仁さんがタッチの差でやってきて残念そう。しかし、撮影が終わってもう一度お願いしようと意欲まんまんだ。俺は安里家の住民になりきって、撮影中も美沙子さんと会話を交わしながら家の中のセッティングを手伝った。カラス、水牛車、そして俺達に何度か邪魔されながらも撮影は無事に終了。すかさず裕仁さんも写真をお願いした。俺も一緒に写っていいということで、今度は3人でたっての記念撮影。立って並ぶと、ヒールを履いていることもあるけど美沙子さんは俺よりも背が高かった。そこで撮影役のスタッフが「いちたすいちは?」と・・おお!美沙子さんと「いちたすいちは?にー!」で一緒に写れるとは・・・と感激しながら3人で「にー」をしたけど、なんと!スタッフがカメラ操作を間違えて失敗した。ゲ!なんてことを!と思いつつ、3人でずっこけているとそこをパチリと一枚。まあ、自然なところがとれてよかったなということで結果オーライ。さらにもう一枚とって、十分満足だった。有名人と会いたいと常々思っていた俺にとっては会話もできたし「にー」も出来たし、夢のような時間だった。先日裕仁さんからその写真が届いたが、背後に社長もしっかりと写っていたので驚いた。社長が「にー」をしたショットもぜひ見たかった・・・・
 今日はもう何もしなくていいや・・・・と満足して外のテーブルでのんびりとくつろいでいた。そうか・・・俺は明日帰るんだ。・・いかんいかん!現実に戻っては。
 夕方には裕仁さんも島を出ていった。この宿にくる限りいつかまた会うことが出来るだろうな・・・宿に帰ってきた伸二さんは美沙子さんと会えなくて残念そう・・・一緒に過ごした人達が次々に出ていくかわりに、またこの日も新しく宿に3人の一人旅の人達が入ってきた。日は傾き、今回の旅での竹富最後の夜が近づいていた。

つづく


 美沙子さんは、NHKの歌のルーツを探す番組のナレーターとして撮影に来ていた。喜納昌吉さんの「花」をとりあげるので沖縄にきていたのだ。その放送もいよいよ今日の夜だ。その放送を見ればまた心だけ竹富にとんでいってしまうだろう。今日は小浜荘に電話しとかないと。





5月8日

 今日は暑い。日差しもいいカンジだったので、さっきまで体を焼いていたところだ。せっかく竹富で夏色になったから次に行くまでずっとキープしておきたい。
 ということで、今日は竹富生活3日目の4月19日の話をしよう。
 この日は、朝から晴れ間が見えてどうやら昨日よりももっといい天気になりそうだ。今日もビーチで泳ぎまくろう。でも、この日はいままで一緒だった人たちがかなり出ていってしまう日だった。あのおじさんも、耕平、高子さんも弘子ちゃんも敬子ちゃんも午前中のうちに島を出ていった。これから旅をまだまだ続ける人、本土に帰る人とそれぞれだったが、竹富を離れるのには違いなかった。
 宿は静かになり、ちょっと寂しくなったので、コンドイビーチへ泳ぎに行った。昼には裕仁さんと昼食をとることにしてたので、昼前に宿に戻った。この日はとにかく暑かった。4月だけど、おそらく30度はあっただろう。宿に戻ると、栄子おばさんがセミをとってきてくれと美由紀ちゃんに言っていた。どうやら以前この宿にきた人がここのセミの事を知りたがっているようで、そのためみたいだ。そういえば、本土ではきいたことがないような声でセミが鳴いている。今日は暑いのでかなりのセミが鳴いている。俺は子供の頃セミとりは得意だったので、網を持って美由紀ちゃんとセミが鳴くところまで行った。あまりにいろんなところで聞こえるので、どこで鳴いているのかわからなかったが、遂に一匹発見して捕獲成功。そのセミは俺も初めてみるセミで、アブとセミの中間のような不思議なやつだった。お腹が丸くアブのようで、頭は間違いなくセミだ。体はかなり小さく、捕まえていても鳴かないおとなしいやつだった。急いで栄子おばさんがセミを探していた人に連絡をとったが、なんとその人はもうセミは手に入れたとのこと。そこでそのセミを逃がしてやると葉っぱの上では安心するのか鳴き始めた。生き物に興味がある俺にとってはいい時間つぶしとなった。
 さてご飯の時間だと思っていると、おばさんが今日竹富に紺野美佐子さんが来ているらしいといった。さっきコンドイへいったそうだよー。・・・って、俺と入れ違いやんかー!うおおー・・会いたかった。あとでいってみようかなぁ。この狭い島だからなんとしても会わねば。そうしていると裕仁さんが部屋から出てきたので、ご飯を食べにいくことにした。今日は、「やらぼ」で八重山そばにしよう。日差しはますます厳しくなり、景色は同時にますます美しくなっていた。

つづく


 19日はいろいろと盛りだくさんの日だったので、続きは次に書くことにしよう。あー・・今月も竹富に帰りたいなぁ、といってもいまは本当に一文無し。貸越で生活してるので、ボーナスまでは我慢だ。





5月1日

 今日から5連休だ。といっても予定は2日間しかいれてないし、もうお金もないのでおとなしく過ごすことになりそうだ。
さっきひげを剃った。あの「キレテナーイ」のCMのやつだ。はじめて使ってみるのでどんなものかと思って使ってみたら、なんと血だらけになってしまった。「キレテナーイ」も時と場合によるというわけだ。
 さて、先週に続いて竹富島での出来事の続きでも書こう。
 4月18日・・・朝から少し晴れ間も見えてきて、17日よりもいい天気になりそうな感じだ。朝食を済ませてビーチまで自転車で向かう。コンドイビーチまでの道の脇にはハイビスカスが咲き乱れ、たくさんの蝶が飛び交っている。とても美しいそんな風景がごく普通にあの島にはある。
 ビーチにはすでに泳いでいる人がいる。でもまだ少し水が冷たいようなので晴れるまでのんびりと待っていると、どんどんと晴れてきて夏の暑い日差しが注いできた。さあ泳ぐかと思っていると、宿で一緒だった高子さんもやってきたので一緒に泳ぐことにした。2人組みの敬子ちゃんと亜希子ちゃんはビーチにはきたけど水着は持ってきてなかったので残念そう・・・この島では一年中水着が必要なのを忘れちゃいけない。
 宿のほかのみんなは・・・・トオルさんは波照間島へと渡っていき、社長は朝から宿でオリオンビールを飲みまくり、伸二さんは釣りに没頭した。カメラマンの耕平はどこかへ写真を撮りにいった。そしてあのおじさんもビーチへとやってきて俺たちと合流した。
 遠浅のコンドイビーチは、引き潮だったら1キロ近く遠くまでも楽に歩いていけるので俺と高子さんでかなり沖まで歩いていったのだが、この景色の美しさには高子さんも感激。これでまた竹富ファンが一人増えたというわけだ。
 それにしても日差しは痛いほど強く、完全に夏の景色がそこにあった。昼はおじさんと高子さんと敬子ちゃんと弘子ちゃんとで水牛車に乗った。何度も竹富には来ていたけど水牛車に乗ったのははじめてだった。強い日差しの中で景色は色鮮やかに輝き、水牛車のおじさんが歌う「安里節」が、いつも普通に歩いている島の町並みを違ったものに見せてくれた。
 夕方も近くなり、けっこう日に焼けて、いい気分で宿に帰った。宿には新たにもと福岡県民の裕仁さん、そして奈良からきたという不思議な雰囲気の女の子も入ってきた。昼間はそれぞれ違った時間の過ごし方をしたけど、夜はまたみんな一緒になって飲んで楽しんだ。奈良からきた女の子は途中で失踪、どうやらちろりん村へいったようだ。俺も明日にでもいこう。
 この日も話ははずみ、気がつけば真夜中になっていた。今月の竹富生活も半分が終わり、明日からちょっと憂鬱かなぁと思いながらこの日は眠りに落ちた。
 あの島のことはあまり多くの人には知られたくないような気もするし、知ってもらいたい気もするし・・・どっちにしてもこれからもかわらずにあのままであって欲しい。






4月24日

 4月の17日から20日まで竹富島へ行っていた。今年は3月に続いて2回目だった。竹富はすでに夏で、晴れると30℃を超え、毎日のようにコンドイビーチで泳ぎ、いいカンジに体も焼けた。あの時間の流れがまだ体に残っているので天気のいい今日のような日は青空を見ただけで島のことを思い出してしまう。
 17日は天気もいまいち。でも暑い。石垣からフェリーで港に着くと、民宿小浜荘のヘルパーの美由紀ちゃんが出迎えてくれた。その彼女が着ているTシャツはなんとベルシャツ!TINKを愛してくれる女の子の粋なはからいはとても嬉しかった。
 この時期はもずく採りの最盛期で美由紀ちゃんもおばちゃんも浜へ出て忙しそうだった。やがて日は暮れて食事タイムとなった。寮とは格段に違う家庭の味を堪能したあとは、外のテーブルでいつものごとく2次会だ。今回も宿には全国から旅人が集まっていた。北海道の飲食店の社長さん、そして群馬のラガーマンのトオルさん、川崎の釣り師の伸二さん、同じく川崎のお姉さんの高子さん、それに俺の寮のすぐ近所からやってきたというカメラマンの耕平、そして九州以外のすべてを知り尽くしている謎のおじさん、そして元同級生同士の女の子の敬子ちゃんと亜希子ちゃんと俺で全国の話で盛り上がりながら時間を忘れて酒を飲みながら語り合った。途中、美由紀ちゃんがつい先日買ったという三線(沖縄の三味線)をきかせてもらって欲しくなってしまった。ボーナスが出たら買おうかな・・・
 この日は曇っていて夕焼けすらも見ることができなかった。それにしてもみんなとはなしていると自分の言葉は全国では通用しないんだなぁと痛感してしまった。やっぱり博多弁は博多弁なんだなぁ。
 3月から始まった99年の長い夏もまだ2ヶ月目。明日晴れればいいなぁと思いつつ2次会をお開きにして眠りについた。18日の出来事は、また次にでもかいてみよう。





4月10日


先日、元メンバーの、ひだりちゃんから今宿野外活動センターのアルバイトがなくなるということをきいた。3月の終わりにみんなでお別れ会をするって。
これも不況のせいだろうな。
俺にとって、あの場所で働いていた時間はとても貴重で、楽しく、忘れないものだ。毎日がなんだか修学旅行のようなワクワクした楽しさがあったし、Daiや文香をはじめ、あそこで知り合った仲間達も多い。
子供達にご飯の炊き方を教えたり、キャンプファイヤーで火を囲んでみんなで踊ったり歌ったり、夜の星をみんなでみたり・・・・ずっと続いていたそんなインストラクター達がいた風景も、  インストラクターのみんなで「体育館掃除」ことバレーボールをしたり、毎晩開かれる楽しい打ち上げや、夏の最後のお祭りでみんなでフィーバーしていた楽しかった世界も、センターからなくなってしまうと思うと、なんだか寂しい。
あのアルバイトがなくなってしまうと知って、あらためて今宿での日々を振り返ると、自分があんな生活をしていたのが夢のように思えてくる。でも、夢なんかじゃなくてほんとだった。暑く楽しかったあの夏・・・俺も、Daiも内山田も、あちゃかわも文香もみんな確かに自然に囲まれたあの場所にいた。
あの夏は、アルバイトがなくなってしまっても、ずっと心の中に生きつづける。ほかのみんなもきっとそうだと思う