ホーム ニュース Q & A 「うい」紹介 リンク
   
  続・おたより  
   
  不適格 ココロニュース51号 おたより  
 

神奈川県教委、3度の諮問機関答申を無視して、君が代不起立者の氏名収集強行!(不起立起立個人情報保護裁判原告 外山喜久男)

私たちの裁判は思想・良心の自由の侵害を直接問題にしているのではなく、県が自ら定めた個人情報保護条例に反して不当に個人情報が取り扱っていることを問題とした裁判です。その上で、以下を読んで頂けるとありがたいです。

※※※

去る1月20日、神奈川県個人情報保護「審査会」は君が代不起立者の氏名収集を継続している県教委に対して、その情報の「利用不停止決定」を取り消すよう答申を出しました。すなわち収集情報を使って人事考課、人事異動などに利用してはならないとしたのであり、実質的にこの収集が違法であると判断したようなものです。

神奈川県個人情報保護条例はその第6条で公権力が原則として思想信条情報を取り扱ってはならないと定めています。また、それには例外規定があり「審議会」に諮って正当事務行為として認められた場合は取り扱うことができることとなっています。条例の逐条解説には、この条項について「内面の思想そのものまで統制しようとした過去の苦い経験を踏まえたもの」とあり、過去の反省を総括して条文化されたものであることを明確にしています。

県教委による不起立者の氏名収集は2006年春から始まりました。その個人情報の収集が思想信条情報にあたるとして、教職員16名が審査会に異議申立を行い、2007年10月、審査会は氏名収集が思想信条情報の収集であり、「不適」との答申を出したのでした。それに対し県教委はそれまでの収集情報を破棄する一方で、氏名収集の継続をはかろうと第6条の例外規定の適用を求めて審議会に諮問しました。しかし、2008年1月、審議会もその諮問に対して「不適」との答申を出しました。2度目の「不適」答申です。しかし、県教委は条例上、最終的な職権行使は実施機関である県教委にあるとして、氏名収集継続を決めてしまいました。そのため、2008年春に収集されたうちの19名が再度審査会に異議を申し立てる一方で、18名(3月1日現在23名)が「君が代不起立個人情報保護裁判」提訴に踏み切りました。

審査会は1年以上の長きにわたって審議し、その結論が冒頭で紹介した答申です。諮問機関による3度目の氏名収集「不適」答申となります。答申はその中で審議会答申を無視する県教委に対して、諮問機関制度が設けられているのは、「諮問機関の決定(答申)を慎重に検討し、これに十分な考慮を払い、特段の合理的な理由のない限りこれに反する職権行使をしない」ことが、県教委による職権行使の適正、公正さを担保するものであるとして、県教委を批判しています。しかし、答申から2週間もたたない2月2日、神奈川県教育委員会定例会は、条例や2つの諮問機関からの再三の「不適」答申について特に検証することもなく、また「特段の合理的理由」を示すことなく1時間も議論しないうちに、「服務」として収集は必要であるとの理由で氏名収集継続を決定してしまいました。松沢知事は後日、これは「例外」であると述べています。「服務」を理由に思想信条情報を収集してよいということになれば公務員にはこの条例の保護が受けられないことになり、法の下の平等に反することになります。 メンバーも異なる2つの諮問機関から2度、3度と「不適」を答申されてもなお、それを無視して氏名収集を継続することはきわめて違法性が強く、悪質でもあります。

県教委はこの氏名収集について「不起立理由を聴いていないので思想信条情報ではない」としています。しかし、不起立者がなぜ不起立であるかの理由に「日の丸・君が代が担ってきた歴史に対する否定的評価」が根底にあることは20年以上にもわたる闘いの一方の当事者である県教委は十分承知しているのであって、その上での氏名収集はまさに思想調査といえます。

なぜ県教委が条例無視、審査会答申無視をしてまで氏名収集にこだわるのか。ここにこそ「日の丸・君が代」強制の本質があらわれているといえるでしょう。「日の丸・君が代」を前にしては条例も無視され、諮問機関答申も「判断停止」とされてしまう。法規よりも「日の丸・君が代」が上位にあることを意味します。「日の丸・君が代」強制とは、主権者であるはずの国民を、国家に従属する存在におとしめようとする攻撃であり、松沢知事のいう「例外」とは「日の丸・君が代」が法規を超えた特別の存在であるとの宣言です。このようなことを絶対許してはなりません。自ら制定した個人情報保護条例を自らの手で形骸化している県教委に対して、ぜひ「審査会答申を守れ、氏名収集をやめろ」の抗議と要請をお願いするとともに、私たちの裁判闘争への支援者になっていただくことをお願い致します。

教育委員会への意見はこちらからできます。
https://cgi.pref.kanagawa.jp/contents/form_mail/request_form.php




「日の丸・君が代」3年目の春に
吉田康子(河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会・影書房)


東京の教員・根津公子さんと知り合い、東京都教育委員会による「日の丸・君が代」強制反対運動に関わるようになって三年目の春です。「仕事がちっとも進まない」「売上がめっきり落ちている!」「運動よりもまずは仕事だろ!!」と思いつつも、都庁前でのチラシまきや都教委への要請書を書いたりするのをやめられないのは、なぜなのか。

戦争責任の問題、歴史認識の問題等々ありますが、やはり、ここまで私を突き動かしているのは、自分が受けた学校教育への恨みだろうと思います。

ずっと学校にはなじめませんでした。学校で学んだことは「出る杭は打たれる」ということ。それに気づいてからは、何も感じないで、心を動かされないようにしていれば、傷つかないでいられる。のっぺらぼう人間になろう。そうして、気持ちを強くもって、偏差値を上げて、地元を出ようと決意しました。よし、受験はこなした、これで自由になれる、自分を生きられる、と思ったころには、いくら自分の頭の中を引っ掻き回してみても、自分を語る言葉は見つからなくなっていました。自分を立て直すのに、ものすごい時間がかかったし、本当に恥ずかしい思いもした。

のっぺらぼう人間のふりをしているつもりが、本当にそうなってしまって、自分のことも、そして、他人のこともまったくわからなくなってしまった。自分のことも他人のことも、つまり人間というものがわからない、その鈍感さが、人として生きる上でとても不幸なことだ、と今となってはすごく思います。そんな鈍感さをわたしに植えつけたのが、学校教育だと、そういう訳でわたしは学校を恨んでいます。

                    *

侵略戦争の際、勢力の誇示に使った「日の丸・君が代」。アジアの人を日本に屈服させるために使った旗と歌。そんなものをまたぞろ持ち出して、わたしのような空虚な人間を再生産するつもりか、企業や国のあやつり人形をつくるつもりかなのか、日本の侵略や植民地支配に苦しめられた人たちの痛みってものがまったくわからない奴等だな、という思いでやってきましたが、この三年、「日の丸・君が代」にかかわる中で思い出すのは、自分が忘れてきた人たちのことです。

ほかの教科はからきしダメなのに、社会科だけはいつも満点だった中学の同級生でテキ屋の息子のこと。高校の同級生に対する「ほんとうは朝鮮人なんだって」というささやき。〝キムコ〟と呼ばれていた彼女は、早慶上智どこにでも入れる頭だったのに亜細亜大学を選んだのはなぜだったんだろう、今は何をしているのか。中学の卒業式の予行練習のとき、超保守オヤジの数学の先生が「立ちなさい!」と叫んでいたこと、誰に向けてだったのか当時も気にしていなかった。高校の通学途中の乗換駅で、いつもチマチョゴリの制服を着た朝鮮学校の女子生徒たちを見かけていたこと。そして高校の時に、朝鮮学校の生徒のスカート切り裂き事件があったこと。

歴史は、ちゃんと自分の目の前も通っていっていたのに、みすみす見逃して、しかも、すっかり忘れてしまっていた、その鈍感さが憎らしい。

「強制連行はなかった」なんて言う右翼がいるけど、それを見ていた日本人がいるはずで、私は知ってますよ、見ましたよ、と声をあげる日本人が出てこないのはどういうことか、と不思議に思っていたし、そうした「ジコチュー」で「国民的健忘症」の日本人のことを、しょうもないと思ってきたけれど、しっかり自分もそうであったということが、おかげさまでわかりました。

だから、わたしは、自分のそうした鈍感さを憎みつつ、「日の丸・君が代」にかかわっていくことになるだろうと思います。




★こころこうき

前号で「次号ニュースはいつになるか…」というようなことを書いて1年近くが経ってしまいました。最高裁からは、一切なんの声も聞こえてきません。要塞のような建物の中で仮面をつけて生きる人たちに対して、こちらからかける言葉も今は持ち合わせません。原告団は、今もそれぞれの現場を生きており、まだまだ私たち一人一人の生き様をぶつけることで変えうる社会を現場として生き続けていることを、これまで支援し共に歩んでくださっているみなさんへ、わずかでもお伝えできればとニュースレターを送ります。

原告事情も、定年退職から若年退職したものと、一人二人と離れていくことも現実ですし、現場で「こだわってきたこと」の明快さを欠いているのも事実です。次の一手を、次世代や目の前の子どもたちに見せつけることも簡単なことではありません。

そんな昨年秋、小さな縁あって福岡市内の大学でココロ裁判について話す機会を持ちました。そこに集まった福岡市内近辺のいくつかの大学生数十人の中に、なんと数名の学生がココロ原告の一人と教室で出会っていたのです。これはものすごい確率です。もちろん、そういう学生であるから集うような場ではありましたが、そのほかの学生たちも、交流会で口々に「教師になりたい」と純粋に語っていました。人と関わる、子どもとふれあい、自分を試されていく仕事を選んでいる学生がそこにいることに、妙な感慨すら覚えました。

永井さんが「種を播いています」、横山さんが「変わらないもののために闘う」と、目には見えにくとも積み重ねられた時と思いを確実に実感しています。また、東京の「解雇させない会」で積極的に活動を担い始めた吉田さんは、「君が代」と出会って自分自身を奪い返しています。ココロ裁判が、自分を取り戻したいと必死で生きている人たちと響き合い、その一端を少しでも担うきっかけになれたのなら、私たち原告団の存在は名も無き民衆としての歴史を人間を創り出してきたのではないか、と、やっと少しだけ思えるようになりました。ちょっと遅いかな…。

(たけもりまき)

 
 

©2003-06 北九州がっこうユニオン・うい
本サイトの内容を無断で他に転載,複写する事を禁じます。