コンコード駅で、三、四歳くらいの、空色のアイスクリームを食べている女の子とお父さんと知り合いになった。やさしく紳士的なパパだった。
コンコードの目抜き通りで、不動産屋のショウウインドウに見入った。たいしたことのない家に、二億という数字がついていた。いまや、高級住宅地なのだ。

 コンコードの家の工事をしていた労働者たちと
黒人の労働者は、郊外になるとまったく見当たらない。右のアルフレッドは、アイリッシュで、左はドイツ系だ。

オルコットの家
 この家でメイ・オルコットが『若草物語』を書いた。リトルウーマンに出てくる花壇も庭に残っている。僕がここを訪れたのは、特にオルコットの父のことがあるからである。オルコットの父は僕と同じ小学校の教師をしていた。アメリカは、今も昔も、教師の社会的地位は低く、もちろん収入も貧しかった。そのわけは、今もそうだが、人間形成の場として学校はなく、教科の教え込みの場なのだ。人格形成は、教会、家庭、地域の仕事である。
 そんなアメリカの教育状況の中、父オルコットは、ボストンで、体罰によらない、全人教育の小学校を開いた。評判はすぐに上がった。
しかし、彼は、自分の小学校に、黒人少女の入学を許可した。そのときからすざましいブーイングの嵐が起こった。保護者は、最後に自分を取るか、黒人をとるかといきまいた。オルコットは、無論自分の教育信念をとった。で、たちまち学校はつぶれ、オルコット家は、また貧乏暮らしに戻った。
 だけど、そんな父をメイオルコットは愛した。その思いは、『若草物語』にみゃくみゃくと受け継がれている。だから僕は、『若草物語』が好きなのである。
 近くに、『オルコット小学校』があった。全米に姉妹校がある。もちろん筆者はすぐに尋ねて行った。

ウオルディン湖を泳ぐ筆者
 ヘンリー・ソロー(1817-62)は、『森の生活ウオルディン』でわが国でも馴染み深い。彼は、ソクラテスのように、生きることの本質を求めた人である。2年間コンコードのはずれの森で一人住んだ。世をはかなんだからではない。真の生活の実験を明るく真摯に行っている。
 ソローの実験生活の背景には、アメリカの農民、商人たちの皮相な欲望への問題提議がある。彼は、黒人問題、メキシコ侵略戦争を批判し、納税拒否をした。ほとんどの人々と違う道を選び堂々としていた姿に、感銘を受ける。『非国民』の非難は、無数に受けただろうに。
また彼は、納税拒否をしたために、牢へ入れられた。親友のエマソンが心配して牢屋へやってきた。その時、「何だって君はこんな所にいるのだね。」と言うエマソンに、「君は何だってそちらにいるんだね。」とやり返した話は、僕は大好きである。
 ソローのような人々は、確かにアメリカにいるのである。ただし今でも少数派なのだが。

 コンコードはボストンの北、汽車で40分ぐらいのところにある。立派な木々が伸びやかに茂っている。19世紀、ここには、エマソン、ソロー、ホーソン、オルコットなどが、ひとつ通りに住んでいた。写真は、コンコード駅からウオルディン湖へ向かった道である。この通りと平行した通りに彼らは住んでいた。
ボタン ニューヨーク ネイティブアメリカンの詩 プリマス

緑なすコンコード



コンコードにて

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