若い経営者に織田信長ファンが多いようです。でも上司に仕えるとなるとちょっとと言う感じです。単純に憧れたり やりすぎと思うだけでなく、その劇的生涯・カリスマ性とは何かを考えてみるのも 面白いのじゃないかと思います。

1.生い立ち 

織田弾正忠家 信秀(尾張守護職斯波家の1家老 織田大和守の、その又家老。役名は検察庁の下級役人クラスであるが新興勢力として戦国にかなりの勇名を馳せます)の長男に生まれます。幼少より那古野城で乳母・傳役と共にあり、父母の愛情の欠如、特に弟信行贔屓の母親土田御前への複雑な思いはドラマによく描かれている所です。

しかし 信長の勃興する市場経済への確かな目(港・市を支配して貨幣を手に入れる事で軍事力を手に入れる)、勝つことへの執念と戦術眼(大将1人生き延びれば復興は可能、戦略ポイントとしての再三の城換え、工務的戦術等)はまさに父親譲りです。

ただ 一方これとは別に 弟贔屓の土田御前に対するコンプレックスが信長の狂暴な人格に影響がなかったとは言い切れぬと思います。

2.父親との死別と抹香事件、平手政秀諫死事件、近親との争い、斉藤道三との会見 

いずれも信長物ドラマの見せ場です。

抹香事件は常識を超越した信長の 長短余りにも性格を受け継いだ父信秀への痛切な思いが有ります。

政秀諫死事件は堺屋太一氏が昔 諫死というより 信長の発想する新しい軍制と政秀に代表される旧軍制の対立と捉えられました。説得力があります。

信長の新しい軍制とは 農村共同体に立脚する豪族兵士に対するに“銭で雇う兵士”による軍団です、これが いつでも戦ができる兵農分離を可能にし、機能による人材評価を可能にしました。市場合理主義こそ信長理解の第一のキーワードです。

面白いのは兵農分離に一長一短あります。堺屋氏曰く この“銭で雇う兵士”めちゃ弱かったそうです。

村落共同体からドロップアウトした兵士は逃げ足が速いのです、忠誠心もありません。

現代経営における機能主義評価万能への問題点を思い起こさせます。

(あのトヨタは終身雇用・年功序列を旗印にしているそうですね)

弱みもある“銭で雇う兵士”にプラスして 信長の戦略的発想が 勝利をもたらします。

農繁期を狙った執拗な攻撃、大量の鉄砲等新型兵器の購入、城攻めに見る人海戦術 そして後に見る鉄板船の建造等 いずれも 経済力と情報力を駆使します。

その経済力を生み出したものが 世界初ともいえる自由経済政策“楽市楽座”です。

3.桶狭間の戦い、美濃攻略、足利義昭を奉じて上洛

戦国の世といえ、清洲城攻略・信行謀殺・美濃攻略等に見るように信長は希代の謀略家です。そして 桶狭間の戦いで大国今川義元を討ち取ります。

情報・機密への配慮・神速さ等 奇襲攻撃とは言えないでしょうが 小よく大を撃つ、素晴らしい動きです。詳しくは類書が幾らでもあります。

衆議を拒絶、己のみの決断で 情報と後追う機能軍団のみ頼りに 先駆けます。

一概に信長は“であるか”としか言わないと言われるほど 無口だったそうです。

しかし 道三との会見・桶狭間に駆ける際に見られるパフォーマンス、義昭への対応(5か条御掟、17か条意見書)、安土宗論(法華・浄土論戦)等世論操作における饒舌性は目を見張るものがあります。安土城建設という一種芸術もその表れです。

口で言うよりあらゆる媒体を通して 自らの理念を発していたと申せましょう。

五体から湯気が発するほど活気があふれていたそうです。単なる謀略家ではありません。一命を 自らの理念実現に賭していたからのことと思います。

勝つために手段を選びません。利用できるものは何でも利用します、そして利用し終わったと見れば捨て去ります。義昭を利用し、捨て去り、天皇に擦り寄り利用し、

やがて対立していきます。善悪は言えません。新しい価値・勢力が旧勢力を排除しようとすれば必然ともいえます。それが歴史と言うものでしょう。

4.義昭との対立、朝倉・浅井との抗争、比叡山焼き討ち、石山本願寺との壮絶な長期戦

なんとも激しい戦いの一生です。しかも幾度も窮地に陥り その度なりふりかまわず 将軍義昭や正親町天皇の助けを求めます。(戦況不利は勅命和議で切り抜け、有利になると和議打ち切り)

井沢元彦氏が 本願寺が先に手を出したとか、講和協定を破ったとか、信長は宗門を滅ぼそうとしたが宗教を弾圧した訳ではない(政教分離)と弁護されていますが 余り意味がないように思います。井沢氏自身おっしゃっているように信長は“神”になろうとしたのです。宗門が黙って引き下がれる筈がありません。

本願寺 時の宗主顕如の事は知りませんが 井沢氏が擬似天皇制の完成者と位置づけた蓮如は むしろ信長とは全く逆に天才的オルガナイザーであり農民コンミューンの結成者、ならばこそ一向宗は 信長とは絶対に相容れない存在だったのじゃないでしょうか。

新体制と旧体制の対立を超えた理念の対立です。

浅井の離反以降 信長の焦燥と凶暴性は高まります。

朝倉・浅井髑髏杯の宴、比叡山ジェノサイド、本願寺皆殺し、何より増して長島砦での騙し撃ち等目を覆いたくなる虐殺ですが 歴史上他にないとも言えません。

足利義満は天皇に成ろうとしました。しかし信長の物欲はウルトラ級です。天皇をも仏をもしのぐ存在“神”になろうとします。

安土城の設計に現れた天道思想(儒教・道教・仏教・神道・キリスト教を包含する

絶対的神の座を信長は占めようとした)や惣見寺での生き神信長様拝礼強制(ジョーク?)お馬揃えでの天皇恐喝等 正親町天皇・本願寺顕如をしのぎ 神に上り詰めようと

焦燥します。自ら神になろうとした男に一抹の宗教心も有るとは思えません。

宗教心とは何か大いなるものに対し恐れを持つ心ではないでしょうか?

神を恐れぬ男、これが私の信長理解第2のキーワードです。

何者も利用つくし自ら勝利の道を切り開く若き信長の精神に 歴史的使命の実現者として崇高なものを感じます。しかし その精神の行き着くところ 彼は自ら神に成ろうとしました。そこに 許されぬ精神の一人歩きというか 空恐ろしい気がします。

神をも恐れぬゆえに 信長の暴虐はとどまるところを知らず、念願の本願寺を手に入れた後、朝廷(前関白近衛前久)、前将軍義昭、毛利・細川等、イエズス会等の包囲網、そして光秀の反逆に屈します。

周りの非合理性に対するに早すぎた近代精神との評価もありますが 神を恐れなかった

信長にいびつな狂性を感じます。発祥期近代に避け得なかった鬼子のような気がします。

しかし やはり信長は天才です。“是非に及ばず”といさぎよく死を受け入れた信長は その瞬間自ら成ろうとした神をその目で見たのかも知れません。

おっと 今日は話が大きすぎました。

経営なるもの 最終的決断は経営者の判断と責任によらねばなりません。

但し 耳と目をしっかり開いて決断することが大切です。その際必要な心の持ち様は

何か大いなるものを恐れる心ではないでしょうか?

信長のことを考えていて 逆に蓮如のようなオルガナイザーの事が気になりました。

組織作りとは 同志と同じものを喰らい、同じ事に怒り、同じ事を歓ぶ そして シンプルで明快なメッセージを発するところから始まるのでしょうか?又の機会に考えたいと思います。


年表
西暦 年齢 内容
1534 1 織田信秀の嫡男(三男)として誕生。幼名吉法師。
1546 13 元服、織田三郎信長
1551 18 父信秀没し、家督を継ぎ、上総介を名乗る
1553 20 斎藤道三と尾張の聖徳寺で会見、平手政秀諫死
1555 22 叔父信光と謀り、守護代織田信友を殺害。清洲城を奪取、移転
1556 23 弟信勝を擁し林秀貞、柴田勝家背く。信長、林らを破り和す
1559 26 岩倉城の織田信安を追放、ほぼ尾張を統一。
1560 27 桶狭間の戦いで今川義元を倒す
1562 29 三河の松平元康(家康)と同盟。尾張統一、美濃進出
1564 31 美濃攻略のため、清洲城から小牧山城へ移る
1567 34 斉藤龍興を破り稲葉城攻略、小牧山城から移る
1568 35 足利義昭を奉じて上洛、義昭を将軍職に就けるがまもなく関係悪化
1569 36 三好三人衆、義昭を包囲、信長上洛。義昭のため二条第を竣工
1570 37 朝倉攻め、浅井の反乱、逃げ帰る、義昭の斡旋で和議
1571 38 義昭と通じた比叡山焼き討ち
1572 39 三方ケ原の戦。徳川家康、武田信玄に完敗
1573 40 浅井・朝倉を滅ぼし、義昭追放
1574 41 伊勢長島の一向門徒二万人を焼殺
1575 42 長篠の戦い。織田-徳川連合軍が武田勝頼を破る
1576 43 安土城建設、石山本願寺攻め
1577 44 安土山城下町掟を公布。楽市楽座とする
1578 45 別所長治、荒木村重反乱、毛利攻め。法華・浄土争論
1579 46 誠仁親王の第五皇子を猶子とし、二条の新邸を献上
1580 47 石山本願寺と和議、顕如退出
1581 48 天覧馬揃え、正親町天皇譲位を求め三役推任を断る、惣見寺完成
光秀丹後・丹波進攻、勝家加賀進攻、秀吉山陰・中国地方進攻等
安土城女房衆殺害事件
1582 49 武田勝頼滅亡、六角義賢をかくまった恵林寺快川和尚焼殺。
本能寺の変

文献

司馬遼太郎    国取り物語
山岡荘八      織田信長
堺屋太一      織田信長の技術・組織革命
安部龍太郎    信長燃ゆ
安部龍太郎    天才信長を探しに旅に出た
秋山 駿      信長
武田鏡村      大いなる謎・織田信長
井沢元彦      逆説の日本史 天下布武と信長の謎
今谷明       信長と天皇

 

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