戦後の歴史(年表)
私が生きて泣いて笑った激動の日本戦後史を書き残したく思いました。世に年表の類数多くありますが、極力歴史的出来事の要因や謎、それぞれの時代の意義を追い、主観的思いをも取り混ぜながら”読む年表”を心がけた積もりです。
皆様の自分史作成の資料になれば幸いです。(excel版年表を無償で差し上げます。ご自分の歴史を書き込んで自分史を作っていただけば幸いです)

    近現代史 詳細解説は こちらから


復興期

西暦

和暦

内閣

事件

文化・流行語

1945

S20

東久迩宮稔彦
幣原喜重郎

8.15終戦

ポツダム宣言受諾は無条件降伏か?(軍隊については勿論無条件降伏、日本から申し出られた国体護持の条件については無視されたまま受託に至った)
原爆投下とソ連参戦を受けて天皇の”聖断”で”不可能を可能にする終戦”が実現した。
”・・・帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉じ非命に倒れたる者およびその遺族に想いを致せば五内(ゴダイ)為に裂く・・・)
あの石原莞爾はじめ多くの国民はあっけらかんと平和に転換
急遽用意された米軍向け特殊慰安施設
東久邇首相”・・・事ここに至ったのは勿論政府の政策がよくなかったからであるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。
この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う”
”一言一行ことごとく天皇に帰一し奉り、いやしくも過たざることこそ臣子の本分であります”
戦争責任は
一億総懺悔に切り替えられた


マッカーサー”メルボルンから東京まで思えば長かった。長い長いそして困難な道のりであった。しかし、これで万事終わったようだ”
”過去の出血と殺戮の中から信仰と理解に基礎付けられた世界が、また人間の威厳とその抱懐する希望のために捧げられるよりよき世界が、自由と寛容と正義のもとに生まれ出んことを・・・”

鈴木貫太郎内閣、ポツダム宣言受託
東久邇稔彦内閣はポツダム宣言受諾を主として陸海軍に納得させるための皇族内閣
行政に不慣れな東久迩に代わって、マッカーサーとの折衝はあの近衛文麿前首相が行った
近衛の”天皇上奏”とマッカーサーへのレクチャーに曰く
”満州事変から太平洋戦争に至る動きは軍閥とマルキシトとの結合勢力によって推進された、封建制力と財閥は、むしろこれにブレーキをかけた”
反共の米国に対する阿り・抗弁と思ったが、松本清張氏によれば、近衛は本気でそのように信じていたらしい
”軍と左翼の結合”とは北一輝らが窮乏農民同情しての反地主・反資本家蜂起を説いた事に触発された青年将校達が蜂起した事で明らかという
しかも この近衛の言は”皇道派”の真崎甚三郎ら自身が”満州組”の系統を引く”統制派”が共産勢力と結託していたと近衛に吹き込んだ事によるらしい
確かに北一輝や皇道派青年将校には”国家社会主義的”心情が有ったであろう
(王城楽土を夢見た満州派の石原莞爾にもその色彩が無かったとも言えないが)
しかし二・二六事件で青年将校達に推戴された真崎自身が”統制派(満州派)軍人がアカだった”と貶め、”軍国主義”で国家統一、国民を戦線に送り込んだ近衛が軍と左翼と結合を真に受け、自分たち貴族勢力はブレーキをかけたと弁明するのは如何にも筋が通らない
これじゃ”皇道派””統制派”似たり寄ったり、単に軍の派閥争いと自ら暴露するようなものだが、理想に殉じた皇道派・青年将校達も浮かばれまい
近衛達の弁明は、”何でも悪いのは共産党”と言う風潮に悪乗りしたのだろう
往生際の悪い人たちだ

そして近衛はマッカーサーから憲法改正を委嘱されたと誤解、”又も俺の出番”と新憲法作成、新党結成に張り切り出す、しかしマッカーサーも甘くない
司令部から戦犯逮捕令を受け、巣鴨行きの前日薬物自決

闇市
浮浪児
”バラック”
”パンパン”
文字通り”荒涼たる風景”

町に流れる”リンゴの唄”
子供達は”ギブミーチョコレート”と進駐軍の兵隊を追いかけた
DDT・ペニシリンに驚愕

双葉山引退
”平凡”創刊
”日米英会話手帳”ベストセラーに
枕崎台風
 
丸山真男”超国家主義の論理と心理”

天皇、マッカーサー(連合国最高司令官)訪問
威儀を正し緊張の極みにあった天皇に、マッカーサーは手をポケットに入れたまま、欧米の風習とはいえ、日本国民は敗北を噛みしめ涙をのんだ

幣原は第二次若槻内閣外相を最後に野にあったが、過去の欧米協調外交をかわれて吉田が推挙

マッカーサー、幣原喜重郎首相に婦人解放、労働組合奨励など5大改革要求

連合軍指令
主要戦犯逮捕(東条英機自殺未遂)
検閲制度廃止
5大改革
@婦人解放
A労働者団結権
B教育民主化
C秘密審問司法制度撤廃
D経済機構民主化

GHQ(連合軍総司令部)の民主化政策
@日本軍体解体
A軍国主義・超国家主義者追放(公職追放・東京裁判開始)
B潜在的戦力除去(軍需産業撤去)
C政治の民主化(政治犯釈放・男女同権・新憲法制定へ)
D経済の民主化(財閥解体・農地改革・労働組合育成
E教育の民主化(軍国主義教育・歴史・地理の授業中止、教育基本法制定へ)
E国家と神道の分離(天皇の神格化否定)

政党・ジャーナリズムの復活、21年新選挙法による選挙へ

飢餓きわまれる中で闇市大繁盛
渋沢蔵相”1000万餓死の恐れ”
次々出されるGHQ指令、無策の政府は天皇への戦争責任追及を恐れるのみ

総選挙第1党となった自由党総裁鳩山一郎が組閣寸前にGHQから追放指定、追放解除までの条件付で吉田茂に総裁に委任(鳩山は吉田に一時預けを吹聴、饒舌は名家・鳩山家の血筋?) 吉田茂
土佐自由民権運動闘志・竹内綱の5男、富商・吉田健三の養子に、牧野伸顕(大久保利通の次男)の娘と結婚、将来を約される
中国各地の総領事を歴任、”シナ屋”と見られる
”東方会議”にも参画した大陸進出主義者、”殖産興業・富国強兵・天皇絶対主義・官僚主義”等、実父より岳父・大久保利通の気質を継ぐ
貴族趣味ながら、軍人や官僚に非妥協の反骨
一方で国際的力関係を良く認識、”日本統治のために派遣された最高権力者”マッカーサーを恃み、労働運動指導者を”不逞の輩”南原東大総長を”曲学阿世の徒”と決めつけ憚らなかった
朝鮮特需で経済を立て直し、アメリカとの単独講和条約、安全保障条約を締結
5回の組閣を通じて独裁をふるった
大磯に引退後も、キングメーカーとしての厳然たる勢力を発揮、通称”吉田学校”で池田・佐藤等官僚出身の政治家を育成した


天皇の人間宣言
日本国憲法公布
独占禁止法・公正取引委員会
東京裁判開始
公職追放
 A。戦争犯罪人
 B。職業陸海軍軍人
 C。極端な国家主義者
 D。大政翼賛会、翼賛政治界などの有力者
 E。日本膨張に関係した金融機関、開発機関職員
 F。占領地総督や行政長官などの官吏
マッカーサーは独裁権限を持ち、GHQの”政令”は全てに優先した
公職追放で経験豊かな政治家の多くが失脚したが、幸い役人は追放を免れその穴を埋め、中級官僚が台頭、行政面から政治面に進出した


野坂参三延安より帰国
 共産党つかの間の”愛される共産党”を謳歌

憲法制定事情
近衛がマッカーサー指示を誤解して佐々木惣一博士と改正案作成に張り切りだす 一方内閣側は松本丞治博士中心に憲法問題調査会(S20.10)
松本4原則(天皇主権護持)
国家神道廃止(修身、日本歴史、地理教育停止)のGHQ指示
マッカーサーは天皇の神格化を否定する事で戦争責任を問わない事をねらった
幣原、マッカーサー会談で天皇の罪を問わない事と戦争放棄を合意(S21.1)
マッカーサー指針でホイットニー(民政局)が憲法草案検討にはいる
@天皇は国家元首だがその職務権能を憲法に基づき行使
A国権の発動たる戦争の廃止
B封建制度廃止
米側が主権在民・象徴天皇の憲法草案提示(S21.2)
当時内閣は預金封鎖・新紙幣引換の金融緊急措置法検討中
幣原はマッカーサーと折衝したがマッカーサーは断固草案受諾を迫る
最終的に天皇の聖断で決定

松本清張氏によれば
@日本軍隊が天皇の命令一つで無条件に武装解除した事を見て、マッカーサーは天皇の呪術的権威が日本統治に不可欠と認識
A一方、日本の復讐を恐れるソ連等は天皇を戦犯として裁けと主張
彼らに天皇制存続を説得する交換条件として戦争放棄を規定を憲法に入れた
Bしかし米ソ冷戦状態入りで、日本の”戦争放棄”の憲法規定は米国にとってすこぶる不都合になった、結果マッカーサーの”失政”と認めざるを得なくなった
Cマッカーサーは米国国内の非難をかわすため”あれは幣原首相が申し出た事だ”と証言
Dいずれにしても憲法・農地改革・普通選挙等、米国の”押し付け”で無いものはなかった
当時飢餓線上の日本国民にとって”憲法論議”どころでは無かったが戦争を放棄した”平和憲法”を問題なく歓迎した

E23年には総司令部は”憲法再検討”を示唆したがソ連の圧力でうやむやとなった
25年、マッカーサーは戦争放棄は”防衛のための戦争を含まず”と強調

赤線・青線
カストリ文化隆盛

NHK”素人のど自慢”大人気
”サザエさん”登場
プロ野球・六大学野球復活

1946

21

吉田茂

経済安定本部設置
政財界の寄り合い世帯ながらGHQの指導の下、資源の割り当てなど戦後統制経済を取り仕切る
取られた経済政策は
傾斜生産方式
(鉄鋼業、鉄道、海運、化学肥料に資金の重点配分)
GHQ
とのパイプ役は都留重人

当時の資金事情から”傾斜生産方式”は恐らくやむを得ない選択だったろうが、その資金を復興金融金庫債の日銀引き受けで調達、戦時中の日銀券増発、戦後処理のための赤字国債発行等と相まって、急激な戦後インフレを呼び込む結果となった
勿論戦後インフレは敗戦国の通例であり、復興金融公庫債発行のみが原因ではないが、是非は兎も角、インフレによる国民窮乏は覚悟の上で基幹産業復興に最重点が置かれた
事態はS24年ドッジ博士によるディスインフレ政策とその後の大不況によってやっと終息
爾後国債の日銀直接引き受けが禁止される事になる

チャーチルの”鉄のカーテン”演説、冷戦の始まり

ソ連を中心として共産圏伸張、冷戦体制始動(S21.3チャーチルの鉄のカーテン演説、S23.5イスラエル建国、S23.6ベルリン封鎖)

国内でも共産勢力が伸張(S21.5米よこせメーデー等)


日本は”西側の一員”としての役割を負い、日本の経済政策も米国経済政策の一環としての性格が強められる

1947

 22

片山哲(社会党連立政権)

マッカーサーが2・1ゼネスト中止命令
GHQのお墨付きで急成長した労働運動は戦後インフレ下生活改善を求め空前の盛り上がりを見せ、吉田総理と対決、吉田の”不逞の輩”呼ばわりにゼネスト実施を宣言する。時あたかも国際的共産主義運動の高まりに恐れをなしたGHQはマッカーサーの名においてゼネスト中止を命令。
民主化を推し進めてきたGHQが鎧の下から見せた強権、労働運動の限界、日本共産党の挫折(占領当初徳田球一などは総司令部前で万歳三唱するなど占領軍を解放軍と規定していたが思惑が全く外れた)
伊井弥四郎官公庁共闘議長はラジオで涙ながらにゼネスト中止指令を放送した


第1回経済白書で都留教授はヤミ利潤の圧縮、賃金物価の安定を主張
マルクス経済学者は賃金固定主義に批判

NHK”鐘のなる丘””向こう三軒両隣”人気
後に小学校から”鐘のなる丘”の映画鑑賞(もう一度見てみたい)
ベビーブーム
ニコヨン(日当240円)
オンリー(高級街娼)
流行歌”星の流れに””東京ブギウギ”
映画キスシーンにため息、ストリップ”額縁シュー”超満員

総選挙で社会党を中心とした日本最初の合法無産政党内閣成立
社会党第1党は書記長・西尾自身予期せぬ結果
吉田に連立を申し出るがすげなく拒絶され、民主党・国民協同党と連立、親任式当日まで組閣が決まらず、左派からの突き上げもあり国会運営は混迷した

内務省解体・民法改正

”グズ哲”と称された調停派の片山だったが、”党内野党”左派・鈴木茂三郎の予算拒否にあって民主党・芦田に政権を譲る

1947年〜49年のベビーブームによる人口突出が後の”団塊の世代”(戦争を知らない子供達の世代)を形成する

1948

 23

芦田均
吉田茂

帝銀事件
GSの意向で出来た芦田政権だったが、G2の陰謀とも言われる
昭電疑獄事件で芦田内閣崩壊
第2次〜第5次吉田内閣は54.12月までの長期政権に

ロイヤル米陸軍長官演説
日本は共産主義に対する防壁

流行語・斜陽族(没落貴族)の生みの親
太宰治の入水自殺
流行歌”あこがれのハワイ航路”
サマータイム実施
アロハシャツにリーゼント
小倉競輪スタート

東京裁判でA級戦犯25被告に有罪判決

極東軍事法廷
 A。軍事指導者”平和に対する罪”
 B。国際法上の戦争犯罪人
 C。人道に対する罪の実行者
裁判の意義
 日本の現代史を裁く
 復讐の儀式
 日本国民の啓蒙教化
裁判の筋書き
”犯罪的軍閥である陸軍の大陰謀”と言う事で英、濠、ソの主張する天皇訴追がかわされた、結果戦争遂行責任は不明、”共同謀議”なる幻の訴因が作り上げられた
兎も角S23.11判決、純A級裁判続行の予定が世界情勢急迫を受けて急遽終結
岸信介、児玉与志夫、鮎川義介等が釈放される事になる

終始、勝者アメリカのご都合だった

1949

 24

吉田茂

下山(日銀総裁)轢死事件
三鷹無人列車暴走事件
松川列車転覆事件
(アメリカ諜報機関の陰謀か日本共産党の陰謀か謎のまま)

米ドッジ博士来日してディスインフレ政策を強行
ドッジ・ライン(経済安定9原則)
 総合予算均衡
 徴税強化
 信用拡張制限(復興金融金庫廃止)
 賃金安定
 物価統制強化
 外国為替統制強化
 輸出増進
 鉱工業生産増強
 食糧供出促進
 経済自立(完全雇用・貿易バランス)を目標に
 1ドル=360円の為替レートを実質GHQが決定(S46年まで)

統制経済から自由経済へ、生産管理政策から需要管理政策への転換の為の大手術ではあったが
日本経済は大人員整理時代(安定恐慌)に突入

労働争議の頻発、アプレゲールの暴走

自転車操業・竹馬経済
”アプレゲール”
”サカサくらげ”
”トイチ”の高利貸
流行語”アジャパー””ギョツ”

戦後最大のスター美空ひばり登場

映画”青い山脈””長崎の鐘”

湯川秀樹ノーベル賞

”ふじやまのトビウオ”古川広之進・世界新記録

中華人民共和国成立

 

GHQ内部勢力の保革交代(占領政策の右旋回)
民政局(GS、ホイットニー准将やケーディス大佐を中心とするニューディーラー達)は新日本に民主主義の理想を託したが、冷戦の進行と共に、保守派の参謀第2部(G2)・”赤狩り”のウイロビー少将などが勢力を占め、日本占領政策も急速に
右旋回していく事になる
(吉田は急速にG2に接近、片山・芦田を支持するGSを軽視)

ワシントンがケナンを特使としてマッカーサーに迫る
 @改革・追放の停止、戦犯裁判の早期終結
 A日本国民不満解消のため経済復興重視
 B日本独立に向けた講和を視野に入れ警察強化(再軍備)
 C沖縄・横須賀基地確保
マッカーサーは再軍備への歩みに強硬に反対、トルーマンの不興をかう
しかし結局ワシントンの意向には逆らえず
 GHQ勢力は民政局からウイロビーを中心とするG2に代わる
 民政局ホイットニーは山崎首班工作等で抵抗するが
 不成功に終わり帰国、吉田2次政権成立

右傾化の背景
@ソ連の伸張
戦後チェコ・ポーランド・ハンガリー・ブルガリア・ルーマニア(対独戦の通過路であった)への軍隊駐留、共産化
東西ドイツ及びベルリンの分割統治
原爆開発競争
AS24.10中共成立(S22.7から国民党と闘争)
BS25.6朝鮮戦争(南北分離は日本軍降伏処理を米ソに分けた事に始まる、S23.8分離独立)
日本は米国のアジア戦略(共産主義浸透の防波堤)に組み込まれる事になった

当時、経済論壇では貿易立国論の中山伊知郎達と国内開発・地域開発を重視した有沢広巳・都留重人達が論争、結果としてアメリカを盟主とする自由貿易体制に組み込まれる事で、貿易立国に活路を定めGATTIMFに加入、後の高度成長を可能にした

1950

 25

朝鮮戦争

S25.6
北朝鮮38度線越え、ソウル陥落
S25.9
マッカサー・国連軍の仁川上陸作戦により形成逆転
中国人民解放軍参戦
S28.7
休戦協定

朝鮮戦争始まり、日本は朝鮮特需に潤う
  日本は国連軍の前進補給基地
  国連空軍の攻撃発信基地
  兵站基地となる
 
 GHQは軍需物資を日本民間から直接買付
  ”ガチャ万、コラ千”セメント、肥料、紙の”三白景気”
  トヨタ、ソニー等発展の基礎となる

特需景気(1950.61951.6

日本の資本主義再建は朝鮮戦争のお陰とも言える(少なくともこの頃までは戦争は儲かった)

降って沸いた糸ヘン・金ヘン景気
アルサロ
後楽園でナイター球戦
ダンス・ブーム
特急列車復活”つばめ”
ミス日本・山本富士子

ジェーン台風

マッカーサー、共産党幹部追放を指令、幹部は地下潜入へ

シャウプ税制勧告実施

警察予備隊設置
吉田首相は抵抗したが米の要求(憲法九条改正論が姦しいが、アメリカが日本人に強制したのは戦力不保持よりも再軍備だったかも)

旧軍人の追放解除始まる

1951

 26

トルーマン米大統領、マッカーサー最高司令官を解任

鳩山一郎、岸信介、石橋湛山、三木武夫等政界復帰     
S26 鳩山派結成、禅譲の約束を楯に吉田の対米柔軟路線を責める

追放解除になった鳩山に吉田は禅譲を拒否、鳩山は三木武吉・河野一郎などを率いて脱党、改進党と合同して日本民主党を結成、後の政権奪取に備える

民放ラジオ局開局
パチンコ大ブーム
トリスバー
社用族
”新平家物語”ベストセラー
NHK”第一回紅白歌合戦””ラジオ体操””三つ歌”人気
民放開始”ちゃっかり夫人”
流行歌”上海帰りのリル”
”羅生門”グランプリ、カラー映画”カルメン故郷に帰る”
プロ野球”第一回オールスター”川上哲治

日本共産党 武装闘争方針採択

サンフランシスコで対日平和条約と日米安保条約調印

日米同盟への流れ
S25.2
中ソ友好同盟援助条約締結
単独講和(吉田)対全面講和  吉田の”曲学阿世”発言
S25.4 池田特使訪米の工作
  単独講和
  条約締結後の米軍駐留を認める
  (日本政府から依頼の形でも良い)
S25.6 ダレス特使来日、講和条約に関し交渉
  直後に朝鮮戦争勃発
  日本再軍備、基地貸与の要請
S25.8  軍隊の”卵”として 警察予備隊 結成
ウイロビーの”服部(森)機関”画策は敗れ、旧軍人は排除
吉田は表面上再軍備に反対したが
長期・段階的な軍備を認め
”自衛のための戦力は合憲である”と宣言
S26.9 講和条約締結
 当事国は損害賠償権の放棄
 ソ連・チェコ・ポーランドは拒否、中国は
  国連未加入、結果ソ連・中国などとの
  領土問題は未解決のまま今日に至る
 同時に日米安保条約締結
 駐留軍基地を何処にするかが不明
 事前協議制度を欠く
  
戦力上米軍管理下にある沖縄の
  統治権はいずくにありや

1952

 27

対日平和条約発効、占領終了、駐留施設の一部返還

講和条約発効に応じてGHQの統制はなくなる
西側盟主としての米国関与・影響力は残る
講和及び安保締結後
天皇は退位をほのめかすが、なお日本再出発の象徴として止まる事を強いられたようである

IMF加盟

経済安定本部は経済審議庁に改組
(安本は本質的に資源配分、経済統制のために設置されたものであるから、その役割を終え、統制経済が終了したと言って良い)

占領からの独立
子供心に国旗を掲揚し国歌を歌う事を許された事がただ嬉しかった

石川県・内灘基地闘争

”恐妻”や
”エッチ”なる言葉がもう出来たらしい

ジャズなど米文化の流入
江利チエミ、デビュー

ヘルシンキ五輪参加(古橋敗戦、本当に悲しかった)
白井善男チャンピオンに

血のメーデー”事件はじめ相次ぐ騒擾事件
破壊活動防止法公布

 

1953

 28

ソ連スターリン首相死去(スターリン暴落)・朝鮮戦争休戦
独禁法緩和(カルテル認可制へ)
戦前の経済水準回復

審議庁”岡野構想:我が国経済の自立について”

NHK”君の名は”大人気
流行歌(伊藤久雄、近江俊郎、淡谷のりこ、灰田勝彦、ディックミネ等)
テレビ元年
ジャズブーム
花菱アチャコ人気
中国・ソ連から引き揚げ
李承晩ライン問題

吉田首相バカヤロー解散
頑固な人だったが、吉田の敷設した日米同盟と低軍備路線が日本経済大国への道を開いた事は否定出来ない

1954

 29

鳩山一郎


造船疑獄(指揮権発動で佐藤栄作逮捕をまぬがる)


神武景気(1954.1257.6


審議庁、国民所得統計公表

戦後急速な経済復興を可能にした要因
米国の管理下にあったものの、終戦直後から1955年までの10年間、平均成長率8%強、見事な経済復興を遂げ、その後の高度経済成長を準備した
@戦争破壊後の旺盛な復興需要
A非軍事化憲法下、僅かな軍事予算
B官民一体民主化を信じ、強烈なエネルギーで経済復興に当たった(確かに日本人は勤勉で優秀、更に復興への大いなる夢と使命感があった)
C米国の財政援助(ガリオア・エリア資金S22〜S25年)
D割安の対米為替、1$=¥360
E勿論、朝鮮特需(S25年〜S30年代まで、8億〜4億ドル)が大きい

力道山ブーム
復古調の波
アプレゲール
ビキニ環礁水爆実験・死の灰
映画”七人の侍”
ヘップバーン”ローマの休日”
怪獣ゴジラ誕生
流行歌”お富さん”(春日八郎)

高度成長期

1955

 30

 

鳩山一郎内閣成立

55年体制への経緯
吉田首相 政策は池田勇人、佐藤栄作、岡崎勝雄党務は大野伴睦、広川弘禅
鳩山一郎、岸信介、石橋湛山、三木武夫等政界復帰     
S26 鳩山派結成、禅譲の約束を楯に吉田の対米柔軟路線を攻める
吉田の長期ワンマン政権にもほころびが来る
池田通産相”中小企業の倒産・自殺はやむをえない”で辞任
吉田首相”バカヤロー”解散
佐藤幹事長の造船疑獄、犬養法相の指揮権発動
鳩山・岸は日本民主党結成、
吉田は辞任、自由党を離れる
鳩山内閣成立、戦前政党政治家で固める
 中国・ソ連と国交回復 及び
 再軍備・憲法改正を掲げる
危機を感じた社会党左右合同
それを見て保守も合同
旧民政党・三木武吉対旧政友会・大野伴睦の角逐
55年体制へ 

クレージーキャッツ誕生
ヌード喫茶
ノイローゼ
流行歌(島倉千代子、ひばり・チエミ・いずみの三人娘)
映画”エデンの東”(元祖アイドル・ジェームス・ディーンの夭折)

保守合同で自民党結成、55年体制

審議庁は経済企画庁に改組、経済計画に意欲
経済自立5カ年計画公表

日本共産党六全協で路線変更
(徳田球一死して旧国際派が主導権を握り武装闘争に終止符)

米の統制解除(最終的に統制撤廃)

GATT加盟

砂川基地闘争

1956

31

石橋湛山

国連加盟

経済白書”もはや戦後ではない”S30〜S32”神武景気”


石原慎太郎・大江健三郎・開高健登壇
石原裕次郎デビュー
NHK”お笑い三人組”
深夜喫茶
団地族
裏口入学
”ドライ&ウェット”
南極観測隊
”昭和史論争”
丸山真男”現代政治の思想と行動”
週刊誌創刊ブーム

日ソ国交回復(ソ連はスターリン批判のフルシチョフ、領土問題は棚上げ)

しかし鳩山の変わらぬ饒舌は命取りとなる

石橋湛山政権、病気のため短命に終わる

フルシチョフ、ハンガリー動乱に軍事介入

1957

32

岸信介

岸信介
岸は戦前満州で活躍した”革新官僚”、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物”弐キ参スケ”の1人に数えられた
太平洋戦争開戦時東条の幕僚であった(戦争末期には東条倒閣にも動いたが)事から、A級戦犯被疑者として巣鴨に拘留された

戦後は自由党から民主党へ、保守合同を主導して自由民主党幹事長に
戦前の夢忘れがたく、積極的タカ派国防論を主張
”憲法は自衛のため核兵器保有を禁ずるものではない”
戦前戦後を通じての”昭和の妖怪”と称される
吉田と並ぶ大物政治家ではあったが、その強引な手法は国民の反感を買った
勤務評定で日教組と対決
憲法改定は見送ったが安保改定強行


経済審議会はで
中山伊知郎、東畑精一、有沢広巳氏が中心になりMITで混合経済体制(経済理論的には古典派総合)を学び新長期経済計画立案
後の所得倍増計画を準備する

”シネスコ”映画
テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫の
三種の神器
”よろめき”ブーム(三島)
松本清張ブーム
ロカビリー、カリプソ
シスターボーイ

ソ連スプートニク打ち上げ

 

1958

33

警察官職務執行法改正案国会に提出、野党の抵抗で廃案

”景気循環の復活”白書

即席ラーメン
フラフープ・ブーム
月光仮面
若栃時代
川上引退・長島デビュー

岩戸景気(1958.761.12

 

1959

34

キューバ革命

”貿易為替自由化方針”決定

王デビュー(ON時代、歴史的天覧試合)
全学連
カミナリ族
映画”人間の条件””十戒”
少年サンデー、少年マガジン創刊
流行歌(ザ・ピーナッツ、三橋三智也、三波春夫、橋幸夫)

皇太子ご成婚”ミッチーブーム
”愛される皇室”路線にTVが活躍

ソ連月ロケット打ち上げ

1960

35

日米安保条約改定・反対のデモ隊国会突入
騒然たる社会模様

安保闘争

伝統的(戦前革新官僚の首魁、A級戦犯)保守政治家・岸は佐藤・池田の吉田学校出の官僚政治家も抱き込み安保改定に着手。
@国連重視
A日米地位協定(米国は日本防衛義務、日本は憲法の範囲内で在日米軍への攻撃に対し積極的軍事行動をとる、岸首相はそれを日米平等、日本の真の独立と解釈した)
極東に於ける国際平和及び安全維持に日本は協力
国民世論は第5福竜丸事件などで平和主義が高まり、社会党や全学連を中心とする革新陣営がその世論を利して岸内閣が企てた警察権力再強化、日米安保路線に抵抗する。
そのピークが
安保闘争であった。
燃え上がるデモ騒動の中で岸は衆議院強行採決、参議院自然承認(自然成立を迎えた夜、真っ暗な国会議事堂を10万人以上と言われる学生・労働者・市民たちが取り囲み、”魂しずめ”のためか、クレージーキャッツの”赤とんぼ”が流れた、そして学生や知識人の挫折、左翼運動の分裂が始まった)

保革痛み分けで再浮上したのは吉田学校の優等生 佐藤・池田、60年代の政治を担い、経済主義が定着、戦後日本はまごうことなき経済国家として国際社会に復帰する。

”ダッコちゃん”ブーム
”性生活の知恵”ベストセラー
インスタント食品
カラーTV
ツイスト・ドドンパ・チャールストン
”家付きカー付ババア抜き”

丸山真男”忠誠と反逆”

 36

池田勇人

岸の安保退陣後、池田勇人内閣成立、吉田が狙った軽武装・通商貿易国家・経済第一への足固め
国民所得倍増計画”(池田勇人=下村治)併せ貿易自由化プログラム決定
投資が投資を呼び、期待が期待を呼ぶ設備投資主導の高成長が続く、危惧された所得格差も所得増大でかえって縮小、
59年〜61年11%代の高成長(岩戸景気)
安保反対闘争の中心となった学生達の多くは”デモは終わった、さあ就職だ”と企業戦士に
嵐の如き高度経済成長
すでに S30〜S35でGNP平均成長率は10.4%一人当たり給与は2.7倍、失業率も3%を切った
大衆消費時代の到来鉄鋼・石油コンビナート建設

高度成長達成要因
@欧米諸国にタッチアップする過程で、既存技術の導入模倣で生産性を高める事ができ、それが積極的民間設備投資を支えた
A農業機械化が農村から都市への安価な労働力移転を可能にした
B”三種の神器”など欧米文化への憧れが根強い”消費ブーム””モータリゼション”をもたらした(消費需要)
一方、順調な労働者賃金の上昇は高い貯蓄率をも維持せしめた
C当時、石油等一次産品の価格が安定していた
D1$=¥360の割安為替レートで輸出を伸ばせた
E軍事負担が小さかった

所得倍増計画

後藤誉之助(成長率4〜5%)・下村治(成長率10%以上)成長論争
池田=下村治の所得倍増計画
マクロ面で公共的介入、ミクロは原則自由とする混合経済政策(政府は小さければ良いという訳ではない)
政府(公共部門)の役割は
 景気変動を少なくする財政の役割
 長期的固定資本の形成
 セフティネット(社会保障)の整備
更に政府は民間の成長を促すべく税金面・金融面などで保護介入
民間部門もシェア拡大を狙う積極投資を期待
最終的に経済成長7.2%を目標
民間部門は予測的数字、公共部門は政府が或る程度責任を持つ数字を提示した
一方都留重人や伊藤光晴らは”輸入増大による経常収支の悪化、生産性格差インフレーション”を懸念、社会党などは二重構造による格差の拡大を問題視した
結果的に”投資が投資を呼ぶ”デモンストレーション効果で10%を上回る成長を遂げた
社会資本の不足と言う現象も生じなかった(ルーズな計画が逆に効をそうした)
農村からの人口流出で労働不足にも成らなかった
賃金上昇で消費者物価は上がったが卸売物価は安定していた
(下村氏は消費者物価の上昇は労働価値の上昇で恐れるに足らずとした)

1973年(オイルショック)までの高度成長時代
時に国際収支の天井と言うネックに阻まれながらも、雇用は完全雇用に近づき、基本的には高度成長の”良き時代”を形成
大企業・中小企業の”二重構造論”も”補完的共存共栄論”に埋もれていった
高度成長の果実として、国際化の進展、先進国入り、経済大国への道が準備された
徐々に国際的責任も大きくなり貿易・資本の自由化進展
池田財政の功績と言うより、日本の経済潜在力を見抜いた慧眼と言えよう

一方で大企業中心の間接金融、システムとしての護送船団方式など戦後経済レジームを形成(政府金融は公共部門に重点)
やがて物価・賃金問題、環境問題、福祉問題などに不安も芽生えてくる
(65年には企画庁内に国民生活局開設)


 

浅沼稲次郎暗殺
三池鉱山スト

 

1961

36

ケネディー大統領就任

主婦の店ダイエー日本最大のスーパー展開

丸山真男”日本思想”
ロストウ”経済成長の諸段階”
スーダラ節(植木等)
坂本九”上を向いて歩こう”
映画”用心棒”
TV”シャボン玉ホリデー”
マイカー時代へ
六本木族
大鵬・柏戸の活躍
”現代っ子”
”女子大生亡国論”

ガガーリン宇宙へ

ベルリンに壁

1962

37

アメリカ在ベトナム軍事司令部設置

企画庁の宍戸寿雄氏は”転型期”論で過剰投資を警戒したが、予想以上に好循環、1967年からのいざなぎ景気を実現する

時代を象徴した
植木等の”無責任時代”
ツイスト
”カワイ子ちゃん”
吉永小百合・伊藤・中尾・園の新三人娘
堀江謙一太平洋横断
TV”ベンケーシー”
”バカンス”
”ピンク映画”人気
”三ちゃん農業”
サルトル”弁証法的理性批判”
サルトル・レヴィ=ストロース論争

朝日新聞阪神支局襲撃事件

結果的に経常黒字が定着、73年まで強気の自由主義経済政策は概ね高回転した

キューバ危機(ケネディー&フルシチョフ一触即発の危機)

社会党の構造改革路線”江田ビジョン”

1963

38

オリンピック景気1962.1164.10

 

鉄腕アトム、NHK大河ドラマ”花の生涯”
BGからOLへ
三井三池鉱山爆発事件
ボーリング人気
吉展ちゃん事件

ケネディ暗殺

 

1964

39

佐藤栄作

東京オリンピック
新幹線開通(夢の超特急)
OECD加盟
IMF8条国へ

経常黒字定着、外貨割当制撤廃

 

昭和元禄
ウルトラC
俺に付いてこい(大松女子バレー監督)
カギっ子
カラ出張
みゆき族
流行歌(北島三郎、朝丘雪路)

池田首相病気退陣後
佐藤栄作内閣成立(〜72年、7年8ヶ月の長期政権)
中期経済計画
日米繊維交渉

佐藤内閣
中期経済政策で福祉・環境問題重視の”社会開発”を掲げたが、経済はそれほど本腰を入れてやった訳ではなかった
官僚掌握力で長期政権維持

文部省”期待される人間像”発表

在ベトナム米軍トンキン湾攻撃

ベトナム戦争
後に見る如く、米国凋落の最大原因となった

1965

40

 

日米貿易収支逆転の中で
そろそろ高度成長の副作用が露呈
@労働力不足
Aインフレ
B公害問題
C地方の過疎化、二重構造
Dエネルギー転換による労働争議
E石油依存経済は後に石油危機ショック

エレキ・ブーム
モンキー・ダンス
野村克也三冠王に
スモッグ警報
日本テレビ”イレブンPM”(巨泉)
”モーテル”
映画”007シリーズ””サウンドミュージック”

40年後半から41年にかけて証券不況
山陽特殊鋼・サンウエーブ工業倒産、山一証券経営危機

ジョンソン北爆指令(ベトナム戦争)”ベ平連”結成


構造不況論争
供給力過剰と見る構造不況論者、財政均衡論者は引き締めを主張、一方下村氏は金利引き下げ、
企業減税、公債発行で需要拡大を主張

日韓基本条約調印

いざなぎ景気(1965.1170.7

1966

41

建国記念日制定

赤字国債発行

ビートルズ来日
グループサウンズ全盛
新三種の神器
(カー・クーラー・カラーTV)
”巨人の星2
大塚久雄”社会科学の方法”
川島武宣”日本人の法意識”

中国で文化大革命はじまる

1967

42

イスラエル&エジプト”6日間戦争”勃発

対内投資自由化(第1次資本自由化)

昭和元禄
ウルトラマン放映
フーテン族
シンナー遊び
リカちゃん人形
核家族
赤塚ギャグ漫画

中国核実験

吉田元首相国葬
沖縄返還
美濃部都知事当選(革新地方首長ブーム)

1968

43

ベトナム・ソンミ村虐殺事件

消費者保護基本法成立

ラジオ深夜放送に人気
吉本隆明”共同幻想論”
3億円事件

パリのカルチェ・ラタン学生騒動”5月革命”

プラハの春

日本ではベビーブーマーの学生運動”全学連”激化

1969

44

大学紛争、新左翼内ゲバ激化、東大・安田講堂落城事件
覆面とゲバ棒、内ゲバと言われた血みどろの内部闘争、難解な用語と文字を連ねたアジ看板、”とめてくれるなおっかさん、背中のいちょうが泣いている、男東大どこへゆく”当時流行の東映任侠映画をもじった東大駒場祭のポスター
少なくとも困窮民救済を掲げた戦前右翼や左翼とは全く無縁のちんぴらヤクザ的屈折・心情と言われても仕方なかろう

対外投資自由化(第2次資本自由化)

廣松渉”マルクス主義の地平”
フーコ”臨床医学の誕生”
造反有理を掲げゲバ棒をふるう学生
一方にヒッピー族
やエコノミック・アニマル
アングラ映画盛況
メキシコ・オリンピック
金嬉老事件
”竜馬がゆく”ベストセラーに
人類”月に立つ”
映画”男はつらいよ”第1作
森・青江らのご当地ソング

この頃 水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、川崎ぜんそく等公害病が問題化

1970

45

大阪・日本万国博覧会

富士・八幡製鉄合併
(企業合併弊害論と大規模生産利益論の対立)

米国アベグレン”日本株式会社論
日本において政府と企業が緊密な協調関係にあり、この関係が経済発展を促進したとする主張、従来政官財の「癒着」と批判的に捉えられた”日本的経営”を肯定的に評価
しかし日米貿易摩擦の激化と共に”日本株式会社論”は”日本異質論”として日本的経営批判の対象になる

ウーマンリブで元気な女性
一方に三無主義、しらけ

トフラー”未来の衝撃””第3の波(80)”は
脱工業化社会の”情報革命”の到来を告げ、”生産消費者”など新しいマーケッティング概念を提示してベストセラーに
映画”イージーライダー”
藤圭子ヒット
”冠婚葬祭入門”ベストセラーに

赤軍派(全共闘残党)よど号乗っ取り事件

三島由紀夫割腹自殺(経済第一主義・昭和元禄に抗して?)

中ソ対立から米ソの緊張緩和へ(デタント)

1971

46

沖縄返還協定調印(核の問題はうやむやにされたが日本の戦後は一応終わったか?)

 

バルト”零度のエクリチュール”

米国大統領・ニクソン
中国訪問と
金ドル交換停止

ニクソン・ショックとブレトン・ウッズ体制崩壊(戦後最大の国際金融事件)
第2次世界大戦後の通貨体制は、ドルと金との交換比率を固定し、各国通貨はドルと交換比率を固定することで通貨の裏付けとするブレトン・ウッズ体制下にあった
1960
年代米国はベトナム戦争や対外的な軍事力増強などによって大幅な財政赤字と国際収支が悪化
大量のドル紙幣の発行は金の準備をはるかに越え、金との交換を保証できなくなった
1971
815日、突然米大統領ニクソンはドルと金の交換停止を発表する。
これによりブレトンウッズ体制は崩壊、良くも悪くも米国の膨大な消費とドルへの信認で維持されてきた世界経済は未曾有の大混乱に陥る
当初ドル為替の大幅な切り下げに成功(スミソニアン協定)したかに見えたが、米国の貿易赤字は更に拡大、国際金融は2年後、固定相場制から変動相場制に移行
スミソニアン協定(1$=308円)
円の切り上げで日本不況に
第4次資本自由化

大久保清事件

アンノン族
ホットパンツ流行
カップヌードル発売
”仮面ライダー”放映
小柳・南・天地の新三人娘活躍

バルト”零度のエクリチュール”

1972

47

連合赤軍集団リンチと浅間山荘人質事件
(赤軍残党は自ら引き起こした壮絶な事件で自滅、国民の多くは保守的経済志向に流れていった)

田中角栄

高等小学校卒の土建屋の”オヤジ”、”吉田学校”で政治を学び、その”金力”と”庶民的行動力”で岸・池田・佐藤内閣で着々と頭角を現す
ついに政界の優等生・福田赳夫を破り首相に
”コンピューター付ブルドーザー”の迫力で”日本改造論”を引っさげて登場、”今太閤””国民的英雄”とまで騒がれる
高速交通網と地方への分散投資で公共投資を拡大
評判は良かったが、結果的に土地価格を高騰せしめ、景気を益々加熱
おりしも第1次石油ショックの影響もあって”狂乱物価”を招く

バルト”モードの体系”
レヴィ=ストロース”構造人類学”
メルロ=ポンティ”弁証法の冒険”
ゴルフ会員権ブーム
横井庄一元軍曹28年ぶりの帰国
西城・郷・森昌子・アグネス・キャンディーズ等アイドル歌手
”太陽にほえろ”放映

日本赤軍テルアビブ乱射事件

田中角栄

佐藤の後継者争い”三角大福戦争”
田中角栄首相に”日本列島改造論
列島改造景気(1971.1273.11

日中国交回復・共同声明

1973

48

金大中事件
米ウォーターゲート事件

変動相場制移行

超能力ブーム
ハイセイコー活躍
花の中3トリオ(山口百恵・桜田淳子・森昌子)
南こうせつの”神田川”
江川卓・甲子園で活躍

第5次資本自由化(100%)決定

第4次中東戦争で第1次石油ショック(2$→20$)

第1次石油危機不況(1973.1175.3

物価高騰(20%)
トイレットペーパー騒動
不景気下のインフレ(スタグフレーション)

70年代からエネルギーの石油シフトが完成していた日本にとって石油高騰は非常に影響が大きかったが比較的うまく対応出来たと言えよう 
しかし低成長下での賃金上昇、物価への影響が問題となる 
(
石油ショックで物価が上がり、賃金・公共料金が上がったまま硬直)
福田蔵相は狂乱物価の全治3年克服を宣言
 @緊急物価対策(石油関連商品の統制)
 A日本流所得政策として
  産業労働懇話会での賃金折衝
 
B同時に産業構造転換がうまく行き
  (石油消費の劇的節約)
いちはやく国際収支赤字は黒字に転換、物価も素早く沈静化出来た

安定成長期

1974

49

三木武夫

田中首相は金脈問題に倒れ三木武夫首相

経済安定成長に軌道修正
総需要抑制政策(金利引き上げ)
戦後初めてマイナス成長
赤字国債発行

立花隆”田中角栄の研究〜その金脈と人脈”
”日中国交回復と列島改造を叫んで華やかに登場してきた男が、実はいま金権政治の元凶として裁かれている”首相の座が金で買われ、政治が金で動かされていった戦後保守支配体制下最大の構造的腐敗の暗部を、厖大な取材データの分析で実証


重厚長大産業(エネルギー多消費素材産業)から
軽薄短小産業(自動車・機械等組立省エネ産業)への構造転換及び企業の減量経営で
75年には回復(5%)

セブンイレブン1号店開店

ベルばらブーム
長島引退”巨人軍は不滅です”
三菱重工爆破事件
陽水・さだまさし等フォークソング隆盛
映画”エクソシスト””エマニエル夫人”

廣松渉”資本論の哲学”
アルチュセール”資本論を読む”
バルト”表徴の帝国”

1975

50

ベトナム戦争終わる(サイゴン陥落)

石油問題を中心課題として第1回サミット

広島赤ヘル軍団リーグ優勝
暴走族

山口昌男”文化と両義性”
フーコ”狂気の歴史”

堺屋太一が小説”油断”で石油不足時代を警鐘

1976

51

ロッキード事件

アメリカ上院外交委員会で暴かれたロッキード社の国際的リベート事件
日本では田中前総理をはじめ、戦前右翼のトップ・フィクサー児玉誉士夫・小佐野賢治、丸紅会長、全日空社長などが収賄・外為法違反疑惑で逮捕、政・官・財界を激震
田中は刑事被告人の身ながら、三木・福田に代わる大平正芳(大角連合)・鈴木善幸・中曽根康弘の歴代総理を擁立、”闇の帝王”の実力を遺憾なく発揮する
しかし”田中曽根内閣”とまで言われた中曽根は総選挙敗北とともに田中から離反、
田中派次世代リーダーと目された竹下登も”創政会”を立ち上げ田中派から分離独立、中曽根内閣を継承
”政治とは金を配る事”と心得た稀代の政治家・角栄は脳梗塞に倒れる、失意の内に他界
現在に至るも”国民的オヤジ”田中の行動力を懐かしむ声、ロッキード事件謀略説も多い

モントリオール五輪でコマチネ活躍
”泳げたいやきくん”ヒット
具志堅用高チャンピオンに
フォークシンガー・ユーミンのヒット

堺屋太一”団塊の世代”

毛沢東死去
中国・天安門事件

 

田中前首相逮捕

 

南北ベトナム統一

 

福田赳夫

田中派の”三木おろし”で
福田赳夫首相

ロッキード事件真相解明に政治生命をかけた三木武夫は自民党内での倒閣運動を呼び起こす
田中派・大平派・椎名派更にはかっての政敵・福田赳夫も首班のポストと引き替えに”三木おろし”に荷担(大福密約)

1977

52

日航機ハイジャック事件(赤軍派)
ミニ不況(1977.177.10

鉄鋼・カラーテレビで対米輸出自主規制

キャンディーズ引退
ピンクレディー全盛
カラオケ・ブーム
一方”たたりじゃー”の横溝正史映画
王貞治世界のホームラン王に
ビューティーペアの女子プロ人気

バルト”テクストの快楽”
フーコ”監獄の誕生”
レヴィ=ストロース”悲しき熱帯”

1978

53

日中平和友好条約調印

ボン・サミットで日本機関車論(日本のみ大きく期待されたが)

”不確定性時代”(ガルブレイス)
省エネ・ブームで日本経済は比較的順調だったがサラ金地獄
や家庭内暴力で世情は荒れ模様
”口裂け女””なんちゃってオジサン”流行

柄谷行人”マルクスその可能性の中心”
山口昌男”知の遠近法”

大平正芳

大平正芳首相
しびれを切らした大平、”大福密約”を反古にして福田に挑戦、角栄の支持を取り付け”角影内閣”を組閣、”敬虔なクリスチャン”とも思えぬ寝技を発揮

 

小此木啓吾”モラトリアム人間の時代”

イラン・イスラム革命

第2次石油ショック

蓮實重彦”フーコ・ドゥルーズ・デリダ”

1979

54

官公庁不正摘発続発

東京サミット(石油割り当て)

 

英国・サッチャー政権発足

サッチャーリズム
ハイエクの”新自由主義”を旗印
”英国病”は前労働党の”高福祉経済”がもたらしたとして
@規制緩和
A民営化
B”大きな政府”から”小さな政府”へ
C所得税減税と消費税増税
まさにレーガン・中曽根から小泉に至る”新自由主義””市場原理主義”政策の嚆矢であり、故に賃金低下・失業率上昇・格差拡大・税負担の増大等による国民不満ももたらした

冷戦下、資本主義はケインズ的修正資本主義(福祉国家体制)で諸矛盾を克服しようとした。しかし諸問題は累積、時に共産圏の弱体化を好機として”市場原理主義”への回帰に望みをかける事になった。その意味で”新自由主義”は”修正資本主義”へのアンチテーゼと言えよう。

三菱銀行猟銃人質事件
流行歌、関白宣言・YMCAヒット
公費天国でサラリーマンはしこしこインベーターゲーム
機動戦士ガンダム放映
ウォークマン、パソコンPC8001発売
”熟年”層は”ダサイ・ウザイ”で”窓際族”に
キュリア・ウーマンが頭角
TV
”金八先生”人気

ボードリヤール”消費社会の神話と構造”

40日抗争(大平&福田・三木)
日米同盟姿勢、増税発言など強硬姿勢に79年衆院選挙敗北、田中派以外の退陣要求に”辞めろと言う事は死ねという事か”と根強い政権固執で対応、不信任案決議可決の対し衆院解散で応え、衆参同日選挙にもつれ込む

 

 

1980

55

伊藤正義


40日抗争からの党内”怨念”を押しての衆参同日選挙最中、大平急死、伊藤は臨時代理、幸いか不幸か”弔い選挙”で自民は大勝

 

ビートたけし以下漫才ブーム
竹の子族、ぶりっ子、ヘッドホン族
山口百恵引退、松田聖子デビュー
”たのきん”トリオ

栗本慎一郎”経済人類学””幻想としての経済”

金属バット尊属殺人事件

鈴木善幸

第2次石油危機不況(1980.283.2

 

イラン・イラク戦争

1981

56

ライシャワー”核積載米戦艦日本寄港”を証言

 

米国・レーガン政権発足

対米自動車輸出自主規制

レーガノミクス
”新自由主義”の流れ、前民主党の政策を批判
供給面を重視する”サプライサイド経済学”に立脚
@歳出削減による財政収支の改善
A大幅減税による貯畜・投資の刺激
B規制緩和
C安定的な金融政策(インフレ抑制のため金融引き締め、高金利ドル高容認)
一方”強いアメリカ”を標榜して軍事費を増大
そのため結果的に財政赤字と対外債務(ふたごの赤字)をもたらし、プラザ合意で政策転換

ノーパン喫茶盛況
TV”北の国から”ヒット
”フォーカス”創刊
千代の富士横綱に
タモリ人気
角栄”ハチの一刺し”に刺される
田中康夫”なんとなくクリスタル”

1982

57

日航機羽田沖墜落事件(原因は機長の心身症)

映画”E・T””セーラー服と機関銃”ヒット
TV”積木くずし””おれたちひょうきん族”ヒット
落合三冠王
アイドル黄金時代
エアロビクス流行
”宅急便”
”ネクラ”

ホテル・ニュージャパン違法建築で火災

三越事件(岡田社長解任・逮捕)

中曽根康弘

鈴木首相は行政改革・財政再建至らず自ら退陣
中曽根康弘首相
外交、行政改革、総選挙に手腕を発揮して5年の長期政権
”日本列島は日米防衛の浮沈空母”発言の真意定かでないが
その信条が防衛・経済での日米同盟強化であったのは善し悪し別として確か


フォークランド紛争勃発(サッチャーの活躍)

IBM産業スパイ事件

1983

58

財政改革(土光敏夫)と官業民営化

NHK”おしん”がブーム
東京ディズニーランド開園
エイズ・パニック
”愛人バンク”
”ニャンニャンする”

戸塚ヨットスクール
”しごき教育”事件

東京地裁・田中元首相に実刑判決

 

浅田彰”構造と力”
柄谷行人”隠喩としての建築”
蓮實重彦”映画 魅惑のエクリチュール”
中沢新一”チベットのモツァルト”

三宅島大噴火

1984

59

長野県・西部地震

つくば科学万博

 

グリコ・森永事件
ロスアンゼルス五輪
”疑惑の銃弾”報道
マイケルジャクソン・マドンナのヒット
映画”お葬式”
TV”おニャン子クラブ”
浅田彰”逃走論”
”飽食の時代”
”ソープランド”
”キャバクラ”
”ピーターパン症候群”
”まる金・まるビ”
”いじめ問題”深刻化

1985

60

豊田通商事件(金取引詐欺商法で永野会長刺殺)

対米貿易摩擦、ジャパンパッシング、”日本異質論”
経常黒字”近隣窮乏化論”に対する反論は
@黒字は日本努力の結果
A国際収支は地域別でなく全体で見るべき、資本収支も含めて見よ
Bアメリカが行動すべきで日本は何もしなくて良い
結局中曽根政府は対米協力

阪神タイガース(吉田監督)21年ぶりの優勝

日航ジャンボ御巣鷹山墜落事件

プラザ合意
中曽根政権はドル売りの協調介入、日本経済はデフレ、企業収益の大幅減、円高不況へ
円高不況(1985.686.11
前川リポート(経常黒字増大批判を受けて内需拡大方針に転換)
為替レートの調整では米国赤字是正に効果がなかったが、
前川報告の主張した内需拡大政策(減税、公共投資)によって87年には景気回復、黒字不均衡も縮小した
但し 内需拡大を金融政策に偏重したがため
資産価格(主に株式と土地)の上昇を招き後のバブル要因ともなった

ファミコン・ブーム
うざったい
新人類
金妻

三浦和義ロス疑惑で逮捕

蓮實重彦”物語批判序説”
柄谷行人”内省と遡行”

民営化NTT、JT発足

ゴルバチョフ、ソ連共産党書記長に

1986

61

ソ連・チェルノブイリ原発事故

日米半導体協定
一人当たりGDPが米国を抜く

家庭内離婚
円高差益
テレクラ
土地ころがし

社会党土井たか子委員長(土井旋風を巻き起こす)

 

使い捨てカメラ”写ルン”
ホラー・ブーム
行列ブーム
ハイレグ水着
”亭主元気で留守がいい”
清原・桑田プロ入り

中沢新一”野ウサギの走り”
ドゥルーズ=ガタリ”アンチ・オイディプス”
リオタール”ポストモダンの条件”

三原山噴火
バブル景気(1986.1191.2)、財テク・ブーム

バブル経済(実体経済を乖離しての資産価格の投機的高騰、いつかは弾ける経済現象)
原因
@プラザ合意による円高(1$=¥240→¥120)
A円高不況を防ぐための金融緩和、その低金利政策は当時国際公約と捉えられそのままの継続が見込まれた
B日系資本は米国債等ドル建て資産から為替リスクのない国内資産に逃避
C中曽根内閣(前川リポート)以降、国際的に約束させられた国内需要と財政拡大
D金融緩和による過剰流動性は不動産や株式等の投機に向かい、土地神話に支えられた銀行も後押しした
E資産価格の高騰が資産効果で消費を刺激

1987

62

ルーブル合意

日米半導体摩擦

財テク
NTT
株フィーバー
レトロ・ブーム
”カウチポテト”族
地上げ屋
”花キン”(花の金曜日)
”ボディコン”
”朝シャン”ブーム
”スーパードライ”発売
ベストセラー”サラダ記念日”
アイドル光GENJIや”国民的美少女”後藤久美子

NTT株上場

国鉄民営化

米国株式市場”暗黒の月曜日”

竹下登

竹下登首相

バブル期から長期低迷期へ

1988

63

竹下登

リクルート疑惑に揺れる中
消費税法案強行採決
”ふるさと創生事業”で全国自治体に一億円ずつバラ撒き、地方は乱費ブーム

 

インサイダー取引
”フリーター”
”おたく族”
”お局様””オバタリアン”
”セクハラ”
ソウル五輪
南海ホークス、ダイエーホクスへ

青函トンネル、瀬戸大橋開通
なだしお事故

 

中沢新一”悪党的思考”

1989

H1

昭和天皇逝去

 

ぬれ落ち葉
ほたる族

堺屋太一”知価革命”で脱工業社会(情報化社会)の到来を提唱
2003年の東大講義録”文明を解く”でより詳しく解説

ソ連・ペレストロイカ

消費税スタート

宇野宗佑

竹下はリクルート汚職と消費税導入・バラマキ財政に倒れ
宇野内閣、しかし破廉恥スキャンダルで3日天下

日米構造協議

海部俊樹

海部俊樹首相(若さとクリーンを売りにだったが力不足だったか?)

 

ベルリンの壁崩壊・冷戦終結

佐藤・中曽根は領土・安全保障にも関心、経済主義以上のものを加味した、福田・大平は経済主義ながら東南アジア・アジア太平洋への地域政策を推進、日本外交に新しい国際的所在を設定する事も試みる。そして冷戦終結が”日本の戦後”を終わらせる。
平和に背く活動は一切しないと言う戦後平和主義の時代は終わり、世界平和に貢献する方途を求める局面を迎える。国連平和維持活動(PKO)への参加、自衛隊海外派遣、日米安保条約の拡充等

東欧革命

総選挙で社会党大勝、土井委員長は”山が動いた”と表現、後に村山社会党の自民連立内閣に繋がったが、結果的には社会党崩壊のもととなった(何やら現在の民主党に似ていなくもない)

北京、天安門事件

ソニー米国コロンビア買収

1990

2

大阪・花の万博

不動産融資総量規制でバブル崩壊(10年間で土地・株1400兆円の資産損失)

バブル後遺症で失われた10年へ
@過剰債務、過剰人員、過剰設備
A不良債権と銀行の貸し渋り
B政府は財政再建と公共投資拡大の繰り返し
金融引き締めは後手に回り、しかも信用崩壊以降も金融引き締めを継続した政策ミスも言われている

経済改革は先送りされ、不良債権処理も進まず、97年金融危機に突入
更に企業の輸出ドライブにより円高が進行した

宮崎義一教授は“複合不況”論で 
株価・地価の資産価格大幅下落に注目した

あげまん
おやじギャル
ボーダレス
アッシーくん

イラク・クエートの侵入

東西ドイツ統一

1991

3

湾岸戦争(米国中心の多国籍軍イラク爆撃)
 米軍ピンポイント攻撃の威力を世界に見せつけた

 

130億ドル負担

若貴ブーム、北の富士引退

雲仙噴火

宮沢内閣公共事業拡張策

四大証券損失補填発覚

 

ソ連邦崩壊

ソ連崩壊の原因
@生産性を向上出来ず国民の経済不満をもたらした計画経済
A中央集権的管理国家の破綻
B力頼みのソ連邦多民族抑圧体制の破綻
Cアメリカに対抗しての軍事費負担

過労死
ヘアヌード解禁
清潔シンドローム
バツイチ

宮沢喜一

宮沢内閣(財政支出派)
政策通との事だったが、折からの不況深刻化と金丸信副総裁汚職発覚でなすすべなく、自民党は分裂新党ブーム、非自民非共産連立細川内閣に政権を譲る結果となる

平成不況(1991.22002.2

生活大国5カ年計画

宮沢内閣から細川内閣にかけて財政支出を行ったが景気浮揚の効果がなかった、その流れの上に立っての平岩レポートによる構造改革、
しかし実効的に実行されなかった、又橋本内閣による実行は個別政策採用のタイミングを失した

財政支出が効果を発揮しなかった要因
@公共投資の不効率
A不良債権問題でマネーサプライが増えなかった
B円高状況

日本の高度成長を支えてきた”日本的経営”体質がグロバリゼーションと名付けられたアメリカ型経営によって批判解体されていく
日本的経営:
@終身雇用
A年功序列
B企業別組合

1992

4

米国クリントン大統領

PKO
協力法案可決(国際協力)

 

複合不況
就職氷河期
セックスレス夫婦
ほめ殺し
分煙

PKOで自衛隊初の海外派兵

 

ドゥルーズ”差異と反復”

金丸議員・佐川急便疑惑で逮捕

 

バルセロナ五輪

1993

5

細川護煕

細川首相(構造改革派)
宮沢内閣不信任、自民分裂の中で”日本新党”を立ち上げ、非自民非共産の連立で政権奪取
この殿様・陶芸プロの文人宰相、日本人には珍しいスマート振りを見せてくれたが、気が向かぬとあっさり降板

平岩リポート、規制緩和を中心に構造改革をうたいあげる
平岩リポート
4つの改革目標
@開かれた透明な経済社会として規制緩和
A創造的で活力のある経済社会(ベンチャー企業などの育成)
B生活者優先経済社会
C世界と調和し世界から共感を得られる経済社会

経済規制原則撤廃方向へ

インターネット
ブルセラ
リストラ
コギャル

小林よしのり”ゴーマニズム宣言”
ベンヤミン”パサージュ論”

欧州連合12国単一市場始動

ゼネコン汚職(金丸・仙台市長・宮崎県知事等)

サッカーJリーグ開幕
イチロー効果

1994

6

羽田孜

羽田首相(新生党、細川連立内閣を継承)

東京協和、安全の2信用組合破綻

ヤンママ
同情するなら金をくれ

松本サリン事件

教祖にマインドコントロールされたオウム真理教徒が
坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件等日本未曾有の宗教殺人(ポア)・テロ事件を起こし、国民を恐怖に陥れる
(日本犯罪史上最悪の凶悪事件)
@教祖麻原は別として、リーダー層の殆どは真面目な青年知識層だった
A影の内閣を作り、権力の転覆(武装クーデター)を企てた
Bサリンなど大量化学兵器を生産使用
Cロシア等に組織を広め、武器やヘリコプターを輸入
D教義はチベット仏教の流れを汲むと言うが、脳内刺激やLSD等を駆使してマイルドコントロール

村山富市

村山連立(自社さ)政権成立
自民党分裂弱体化の中で自民(橋本龍太郎)が打った窮余の一策、村上社会党首を首班に押し立てる事で自社さ連立政権を樹立、与党自民を復活せしめた
村山首相は阪神大震災やオウム事件、住専問題等難問題を一応無難に処理、終戦50周年では歴史的談話(謝罪)を世界に発信、評判は悪くなかったが、なにぶん自民に擁立された首班であったため、その保守よりの政策転換は党内の分裂を招き、後に社会党崩壊を招く
(”自衛隊合憲・日米安保堅持”の発言)

構造改革のための経済社会計画

 

14兆円総合対策(それなりに95〜96年の景気浮揚に繋がった)

ドゥルーズ=ガタリ”千のプラトー”
アルチュセール”マルクスのために”

NATO、ボスニア空爆

ゼネコン汚職(中村前建設相)

記録的猛暑と水不足

1995

7

阪神淡路大震災

住専問題(公的資金注入論争)
95
96年は景気は小康状態(成長率3〜4%)
$1=¥80

官官接待
NOMO
キムタク
ベル友

1996

8

橋本龍太郎


橋本内閣、自民単独政権を樹立(後に公明党を抱き込む)
”火だるま構造改革”強行は時期悪く失敗

規制緩和、官民の役割分担、情報開示の3本柱
行政改革・財政改革・社会保障構造改革・経済構造改革・金融システム改革(金融ビッグバン)・教育改革の六大改革強行
財政改革法は文字通り緊縮政策
@国債発行停止
A消費税増税
B医療費負担の値上げ
大蔵省中心の増税、社会負担増、公共投資抑制政策で財政再建を急いだため、消費税UP駆け込み需要の後、景気は一挙に先折れ金融危機へ

IT革命の旗手、ソフトバンク(孫正義)
ヤフージャパンを設立

携帯電話
プリクラ
おやじ狩り
援助交際
ストーカー
ジベタリアン
へそ出しルック

大腸菌O157騒動
不登校問題

ペルー、日本大使館人質事件

薬害エイズ”ミドリ十字”が謝罪

東京銀行・三菱銀行合併
金融界再編ブーム

オウム裁判

 

住専に6850億公的資金投入

 

菅・鳩山民主党結党、小選挙区制選挙

 

大澤真幸”虚構の時代の果て”

厚生省汚職事件

 

大腸菌O-157騒動

ペルー日本大使公邸人質事件

 

アトランタ五輪

1997

9

神戸で小学生殺傷事件

 

 

香港、中国に返還

金融危機

三洋証券・北海道拓殖銀行・山一証券・徳陽シティ銀行など相次ぐ金融機関の経営破綻
山一証券社長は”私らが悪い、社員は悪くない”と何か訳の解らぬ涙の謝罪

第1次リストラ(解雇)ブーム、終身雇用制崩壊、デフレーション
橋本首相が提唱した金融ビッグバーンで
間接金融から直接金融へ、独禁法改定、持株会社解禁

三木谷浩史、電子マーケット”楽天”創業

チャイドル(子役タレント)
ビジュアル系

消費税5%に値上げ

四大証券・総会屋利益供与事件
大蔵省・日銀幹部収賄事件

金融界にMOF
”新しい歴史教科書をつくる会”発足

1998

10

小渕恵三

ロシア、プーチン大統領

小渕
恵三首相(世界の”借金王”を自認したバラマキ財政)
米国から”冷めたピザ”中曽根から”真空総理”と皮肉られたが
強面の橋本に比べ、バラマキでも何でもほっとさせてくれた
しかし過労で殉死

アジア通貨危機
米国のヘッジファンドを主とした機関投資家による通貨の空売りによって惹起されたタイ通貨の暴落に始まる
タイ・インドネシア・韓国等東アジア・東南アジア経済に打撃を与え緊縮財政下日本にもダブルパンチ
ロシア財政危機、ブラジル通貨危機にも波及

毒入りカレー事件

”切れる”若者
凡人・小渕、軍人・梶山、変人・小泉(田中真智子)
クリントン不倫事件
雑草魂・上原、リベンジ・松阪

和歌山カレー毒物混入事件

日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の一時国有化

東浩紀”存在論的、郵便的”

1999

11

NATO軍ユーゴスラビア爆撃

日銀ゼロ金利政策
失業率が米国を上回る

長野オリンピック

全日空機乗っ取り事件

地域振興券のバラマキ
カリスマ理容師
ヤマンバファッション

東海村核施設臨界事故

神奈川県警不祥事発覚

欧州連合単一通貨”ユーロ”導入

加藤典洋”戦後的思考”
高橋哲哉”戦後責任論”
西尾幹二”国民の歴史”
デリダ”法の力”

2000

12

日比谷線脱線事故

介護保険制度スタート

シドニ・オリンピックで田村亮子や高橋尚子が活躍

森喜朗

小渕首相緊急入院、内閣

BRICS(中でも中国)の台頭

森首相”Eジャパン構想”を発表
IT革命(インターネット、電子商取引、情報メディア等の普及)による高速で安価な通信網や国家制度の確立をめざす所信を声明

ユニクロのフリース旋風

福岡行き高速バス乗っ取り事件

韓国・金大中大統領北朝鮮訪問、金日成と会談

雪印乳業事件

そごう倒産

三宅島噴火

旧石器発掘捏造事件

2001

13

ロシア、プーチン大統領就任

 


竹中金融相が主宰した”経済諮問会議”や”骨太方針”
東浩紀”動物化するポストモダン”

実習船えひめ丸、米海軍原潜と衝突沈没

 

小泉純一郎

米大統領ブッシュ当選
米国同時テロ


小泉純一郎首相へ
”聖域なき構造改革”として、国民に対して痛みを伴う改革を主張、新資本主義的
構造改革を推進
その素晴らしく潔いパフォーマンス(小泉劇場)で大衆を魅了
経済は兎も角、自民党人気は復活

改革無くして成長無し
小泉=竹中平蔵金融相の”構造改革”政策

従来の不況対策は
“貨幣説”
デフレ解消には貨幣の増発が有効であるとする説だが、ベースマネーを増発しても
通貨量は増えず、投資も増えなかった
“有効需要説”
有効需要を増やすため 
91年 宮沢内閣の公共事業拡張策
95年 村山内閣の減税・公共投資拡大
99年 小淵内閣の減税、地方振興税交付
など財政拡張政策が取られてきたが、
効果が少なく財政再建が遠のくばかりであった
小泉首相がパフォーマンス鮮やかに提唱したのが
“構造改革論”
”新自由主義”に立脚、供給面を重視

@民営化(郵政民営化、道路公団民営化)
A規制緩和(労働者派遣事業法改定、独立行政法人や政策金融機関の統廃合、構造改革特区、グローバルスタンダード推進)
B中央から地方への三位一体改革(国庫支出金の改革、地方交付税交付金の改革、税源移譲を含む税源配分の見直し)
C更に思い切った“金融再生プログラム”で不良債権撲滅に乗り出す
規制緩和と言うより”弱きを切り捨て強きを助ける”厳しき大手術、色々副作用も遺したが、力業で日本経済の大転換に着手した
兎にも角にも”仕事をする政治家”を見せてくれたが、”役立たずの自民党はぶっつぶせ”の言葉通り、その後自民後継者は低迷

大阪教育大附属池田小学校に凶悪犯乱入・殺人

日銀は量的緩和政策

日本初の狂牛病感染

米国・9・11同時多発テロ(ニューヨク世界貿易センタービル)
米国ITバブル崩壊

英米軍アフガニスタン空爆、日本自衛隊もアフガンに派兵

狂牛病

2002

14

雪印食品牛肉偽装事件(7月には日本ハムも発覚)

景気は02年ついに底を打ち、景気回復の道を進める
景気回復理由
@ 80年代後半の異常な投機的上昇が整理されたA 技術革新
B なによりも米国・EU・中国等世界景気の上昇で輸出が拡大した
C 銀行の改革
小泉ブームで自民党人気は大いに回復したが
労働者派遣業事業法改定などで非正規雇用拡大、賃金は低下、一人当たりGDPは低落
格差(所得格差、地方格差)拡大と福祉切り捨てで
ダラダラ続いた”イザナミ景気”は大方の国民にとって実感無きも景気回復となった
一方株主権限を重視する会社法改定などで金融技法を駆使するIT長者も誕生

 サッカーW杯日韓共同大会開催

鈴木宗男収賄疑惑で逮捕

小泉首相北朝鮮訪問、金正日”拉致”を認める

拉致被害者5名帰国

バリ島テロで日本人2名を含む190名以上死亡
いざなみ景気(2002.22007.10

2003

15

米軍イラク攻撃開始

溝内財務官の円安誘導為替介入

少年・少女がらみの凶悪事件続発

中国・ベトナムにSARSの脅威

2004

16

陸上自衛隊イラク派兵

庶民が景気回復を実感出来ない状況の中でIT長者の活躍をまざまざと見せつけられる事になる
IT長者:IT(情報技術)を応用した企業を興して成功、莫大な利益を手に入れた人々

鳥インフルエンザ
台風12号、
新潟中越地震

イラクで日本人人質拘束

アテネ5輪
宮台真司”亜細亜主義の顛末に学べ”

ロシアでチェチェン独立闘争

2005

17

NHK不祥事で海老沢会長辞任

IT長者と言われる堀江貴文(ライブドア元CEO)の華々しいデビュー
2004年 プロ野球参入をめぐって楽天と競合
2005年 日本放送買収、富士テレビと闘争
  竹中金融相のお墨付きで総選挙立候補  落選
2006年 証取法違反で逮捕
  (村上ファンド・村上世彰も)
2011年 実刑判決
2013年 仮釈放、今も意気軒昂である
ざっとこんな所だが、通信市場や電子マーケットを革命的に開拓したソフトバンク・孫正義や楽天・三木谷浩史らと同列に論じられようか?
堀江氏も村上氏もファンドマネージャーとして財をなした大金持ちだがITイノベーターと言えるだろうか
確かに孫氏や三木谷氏も、M&A手法を駆使して”経営資源の有効利用”に成功したが
堀江氏達がM&A等で得ようとしたのは単に株式売買による差益であった気がする?
M&Aと言う新しい装いをこらした”乗っ取り”、グリーンメーラーと名付けられた”総会屋的恐喝”で無かったか?
別にお金儲けはITに限らないが、新しい時代を切り開いたIT産業が誤解されないよう一言

ネグリ=ハート”マルチチュード”

ライブドア・ニッポン放送騒動

福岡ソフトバンクホークス誕生

高橋哲哉”靖国問題”

明治安田生命保険法違反

コクド堤義明会長証券取引法違反で逮捕

福知山線脱線事故

ペイオフ解禁

北京で反日デモ

カネボウ上場廃止

郵政選挙で小泉圧勝

首相靖国参拝で中国の反日運動激化

2006

18

ライブドア堀江社長逮捕

”団塊の世代”の多くは企業戦士としてシコシコ頑張ったが、反体制に挑んだ全共闘は自滅、オウム教徒は権力によって壊滅、組織の兵士に飽き足らず時代を先読み出来た人材はIT長者として財をなした

ライブドア事件
日銀量的緩和解除

銭転がしから会社転がし
堀江、村上などはITのあだ花だったのか、
釈放後も結構稼いで居られる様です
王ジャパンWBC優勝

フセイン元大統領死刑

村上世彰インサイダー取引で逮捕

北朝鮮核実験

安倍晋三


安倍晋三第1次内閣


名人・小泉に比べ安倍・福田・麻生とも如何にも小ぶりだったか、パフォーマンスも思うに任せず短命政権が続く

2007

19

福田康夫

福田康夫内閣

耐震偽装事件

2007年問題(団塊の世代の定年期)

社会保険庁年金記録
 不備騒動
郵政公社民営化
暖冬と猛暑

2008

20

麻生太郎

麻生内閣

リーマン不況
2008.9
米国リーマンブラザーズ破綻ショックが発端となり米国住宅バブルが崩壊(サブプライムローンと住宅ローンの証券化が起因)、世界的不況に
日本への影響ルートは
米国需要減→米国の雇用を支える外国人の雇用減→日本の途上国向け輸出減→米国利下げで国債需要が米国から日本に→円高、更に輸出減

日本政策金融公庫(国民生活金融公庫、農林漁業金融公庫、中小企業金融公庫合併)

 中国製餃子中毒事件
 北京オリンピック

2009

21

鳩山由紀夫

オバマ大統領就任
米国GM経営破綻
衆院選で民主党圧勝
鳩山内閣

行政事業仕分け作業公開でTVを賑わす

ついに政権は自民から民社に
しかし政権批判に明け暮れてきたおぼっちゃま宰相は献金問題、小沢一郎問題、普天間基地問題などで失政を繰り返し、なすすべなく辞任

 マイケル・ジャクソン死去 

2010

22

菅直人

菅内閣
市民運動家出身実力派の菅直人が鳩山の後を継いだが
”イラ菅”の異名通り、官僚操縦に欠け墓穴を掘る
とりわけ在任中の東日本大震災と原発破壊は彼にとっても不幸の極みだった

鳩山由紀夫政治資金規制法違反で告発

日本航空会社更生法申請
欧州ソブリン危機
2009.10
ギリシャを発端としてギリシャ・スペイン・イタリア等に財政危機
ユーロ圏共通通貨の根本問題
@ユーロ各国は金融緩和・レート切り下げ等独自の金融政策が出来ない
A一方財政は別なため、支援を期待出来ない

 記録的猛暑
 宮崎口蹄疫騒動

2011

23

野田佳彦

野田内閣

小沢一郎政治資金疑惑で強制起訴

島根県の無人島”竹島”を韓国大統領が訪問、”従軍慰安婦問題”とからめ領有権主張

橋下徹”大阪都”構想を掲げて大阪市長に
石原都知事と組んで何かとお騒がせ

中国GDP世界2位に(日本を抜く)
米国債ショック

東日本大震災、原発破壊、電力危機
1995年阪神大震災に続くこの大震災は新資本主義的競争原理に明け暮れていた日本人につかの間の共同体意識をもたらした
殆どの国民は悲しみを我が事とし、復興増税も覚悟、出来る限りの救助を申し出ようとした
残された大問題、”原発安全神話”を失ったエネルギー問題

 なでしこジャパンW杯

2012

24

安倍晋三

北朝鮮金正恩、金正日を嗣ぐ、ミサイル発射騒動
衆院選で自民党圧勝
安倍第2次内閣

尖閣諸島国有化、中国の反日デモ高まる
山中教授、Ips細胞でノーベル賞

アベノミクス

長く続いたデフレをの脱却して日本再興、名目経済成長3%を目指して安倍首相が表明した経済政策
”3本の矢”
@大胆な金融政策(2%のインフレターゲット)
A機動的な財政政策
(財政拡大と公共投資)
B民間投資を喚起する成長戦略
(競争、規制緩和、民営化、高等教育の充実、貿易自由化など)
2012年11月自民党政権奪回が明らかになる頃から為替と株式市況がいち早く反応、アベノミクス表明で急激な円安と株高、
浜教授等は実体経済好転なき”ミニバブル”と批判、5月”成長戦略”発表と共に”目新しいもの”なしと株式は反落、円も反騰した
確かに金融市場(特に外人投資家)に振り回されているきらいはあるが
もともと”経済政策”にそれ程目新しいものが有る訳でもなく、”国民の信認”と”海外情勢”のタイミングがポイントだ(財政拡大に成功した池田、失敗した角栄、構造改革に失敗した橋本、成功した小泉)
日銀総裁の首を据え変えてもインフレターゲット、拡張財政に向かう凛としたアナウンスメント、更に今世界の経済リーダーが殆ど金融緩和財政拡大を提唱しているタイミングである
一方に中国と欧州経済に抱えた爆弾、アベノミクスは是と出るか非と出るか?