戦後の歴史(年表) 私が生きて泣いて笑った激動の日本戦後史を書き残したく思いました。世に年表の類数多くありますが、極力歴史的出来事の要因や謎、それぞれの時代の意義を追い、主観的思いをも取り混ぜながら”読む年表”を心がけた積もりです。 皆様の自分史作成の資料になれば幸いです。(excel版年表を無償で差し上げます。ご自分の歴史を書き込んで自分史を作っていただけば幸いです) 近現代史 詳細解説は こちらから |
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西暦 |
和暦 |
内閣 |
事件 |
文化・流行語 |
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1945 |
S20 |
東久迩宮稔彦 |
8.15終戦 |
鈴木貫太郎内閣、ポツダム宣言受託 東久邇稔彦内閣はポツダム宣言受諾を主として陸海軍に納得させるための皇族内閣 行政に不慣れな東久迩に代わって、マッカーサーとの折衝はあの近衛文麿前首相が行った 近衛の”天皇上奏”とマッカーサーへのレクチャーに曰く ”満州事変から太平洋戦争に至る動きは軍閥とマルキシトとの結合勢力によって推進された、封建制力と財閥は、むしろこれにブレーキをかけた” 反共の米国に対する阿り・抗弁と思ったが、松本清張氏によれば、近衛は本気でそのように信じていたらしい ”軍と左翼の結合”とは北一輝らが窮乏農民同情しての反地主・反資本家蜂起を説いた事に触発された青年将校達が蜂起した事で明らかという しかも この近衛の言は”皇道派”の真崎甚三郎ら自身が”満州組”の系統を引く”統制派”が共産勢力と結託していたと近衛に吹き込んだ事によるらしい 確かに北一輝や皇道派青年将校には”国家社会主義的”心情が有ったであろう (王城楽土を夢見た満州派の石原莞爾にもその色彩が無かったとも言えないが) しかし二・二六事件で青年将校達に推戴された真崎自身が”統制派(満州派)軍人がアカだった”と貶め、”軍国主義”で国家統一、国民を戦線に送り込んだ近衛が軍と左翼と結合を真に受け、自分たち貴族勢力はブレーキをかけたと弁明するのは如何にも筋が通らない これじゃ”皇道派””統制派”似たり寄ったり、単に軍の派閥争いと自ら暴露するようなものだが、理想に殉じた皇道派・青年将校達も浮かばれまい 近衛達の弁明は、”何でも悪いのは共産党”と言う風潮に悪乗りしたのだろう 往生際の悪い人たちだ そして近衛はマッカーサーから憲法改正を委嘱されたと誤解、”又も俺の出番”と新憲法作成、新党結成に張り切り出す、しかしマッカーサーも甘くない 司令部から戦犯逮捕令を受け、巣鴨行きの前日薬物自決
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闇市 |
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天皇、マッカーサー(連合国最高司令官)訪問 |
幣原は第二次若槻内閣外相を最後に野にあったが、過去の欧米協調外交をかわれて吉田が推挙
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マッカーサー、幣原喜重郎首相に婦人解放、労働組合奨励など5大改革要求 連合軍指令 |
GHQ(連合軍総司令部)の民主化政策 @日本軍体解体 A軍国主義・超国家主義者追放(公職追放・東京裁判開始) B潜在的戦力除去(軍需産業撤去) C政治の民主化(政治犯釈放・男女同権・新憲法制定へ) D経済の民主化(財閥解体・農地改革・労働組合育成) E教育の民主化(軍国主義教育・歴史・地理の授業中止、教育基本法制定へ) E国家と神道の分離(天皇の神格化否定) 政党・ジャーナリズムの復活、21年新選挙法による選挙へ |
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飢餓きわまれる中で闇市大繁盛 |
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総選挙第1党となった自由党総裁鳩山一郎が組閣寸前にGHQから追放指定、追放解除までの条件付で吉田茂に総裁に委任(鳩山は吉田に一時預けを吹聴、饒舌は名家・鳩山家の血筋?) |
吉田茂 土佐自由民権運動闘志・竹内綱の5男、富商・吉田健三の養子に、牧野伸顕(大久保利通の次男)の娘と結婚、将来を約される 中国各地の総領事を歴任、”シナ屋”と見られる ”東方会議”にも参画した大陸進出主義者、”殖産興業・富国強兵・天皇絶対主義・官僚主義”等、実父より岳父・大久保利通の気質を継ぐ 貴族趣味ながら、軍人や官僚に非妥協の反骨 一方で国際的力関係を良く認識、”日本統治のために派遣された最高権力者”マッカーサーを恃み、労働運動指導者を”不逞の輩”南原東大総長を”曲学阿世の徒”と決めつけ憚らなかった 朝鮮特需で経済を立て直し、アメリカとの単独講和条約、安全保障条約を締結 5回の組閣を通じて独裁をふるった 大磯に引退後も、キングメーカーとしての厳然たる勢力を発揮、通称”吉田学校”で池田・佐藤等官僚出身の政治家を育成した |
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天皇の人間宣言 日本国憲法公布 独占禁止法・公正取引委員会 東京裁判開始 公職追放 A。戦争犯罪人 B。職業陸海軍軍人 C。極端な国家主義者 D。大政翼賛会、翼賛政治界などの有力者 E。日本膨張に関係した金融機関、開発機関職員 F。占領地総督や行政長官などの官吏 マッカーサーは独裁権限を持ち、GHQの”政令”は全てに優先した 公職追放で経験豊かな政治家の多くが失脚したが、幸い役人は追放を免れその穴を埋め、中級官僚が台頭、行政面から政治面に進出した 野坂参三延安より帰国 共産党つかの間の”愛される共産党”を謳歌 |
憲法制定事情 |
赤線・青線 |
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1946 |
21 |
吉田茂 |
経済安定本部設置 |
当時の資金事情から”傾斜生産方式”は恐らくやむを得ない選択だったろうが、その資金を復興金融金庫債の日銀引き受けで調達、戦時中の日銀券増発、戦後処理のための赤字国債発行等と相まって、急激な戦後インフレを呼び込む結果となった |
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チャーチルの”鉄のカーテン”演説、冷戦の始まり |
日本は”西側の一員”としての役割を負い、日本の経済政策も米国経済政策の一環としての性格が強められる
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1947 |
22 |
片山哲(社会党連立政権) |
マッカーサーが2・1ゼネスト中止命令 GHQのお墨付きで急成長した労働運動は戦後インフレ下生活改善を求め空前の盛り上がりを見せ、吉田総理と対決、吉田の”不逞の輩”呼ばわりにゼネスト実施を宣言する。時あたかも国際的共産主義運動の高まりに恐れをなしたGHQはマッカーサーの名においてゼネスト中止を命令。 民主化を推し進めてきたGHQが鎧の下から見せた強権、労働運動の限界、日本共産党の挫折(占領当初徳田球一などは総司令部前で万歳三唱するなど占領軍を解放軍と規定していたが思惑が全く外れた) 伊井弥四郎官公庁共闘議長はラジオで涙ながらにゼネスト中止指令を放送した |
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NHK”鐘のなる丘””向こう三軒両隣”人気 |
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総選挙で社会党を中心とした日本最初の合法無産政党内閣成立 社会党第1党は書記長・西尾自身予期せぬ結果 吉田に連立を申し出るがすげなく拒絶され、民主党・国民協同党と連立、親任式当日まで組閣が決まらず、左派からの突き上げもあり国会運営は混迷した 内務省解体・民法改正 |
1947年〜49年のベビーブームによる人口突出が後の”団塊の世代”(戦争を知らない子供達の世代)を形成する |
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1948 |
23 |
芦田均 |
帝銀事件 |
ロイヤル米陸軍長官演説 |
流行語・斜陽族(没落貴族)の生みの親 |
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東京裁判でA級戦犯25被告に有罪判決 |
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1949 |
24 |
吉田茂 |
下山(日銀総裁)轢死事件 |
米ドッジ博士来日してディスインフレ政策を強行 ドッジ・ライン(経済安定9原則) 総合予算均衡 徴税強化 信用拡張制限(復興金融金庫廃止) 賃金安定 物価統制強化 外国為替統制強化 輸出増進 鉱工業生産増強 食糧供出促進 経済自立(完全雇用・貿易バランス)を目標に 1ドル=360円の為替レートを実質GHQが決定(S46年まで) 統制経済から自由経済へ、生産管理政策から需要管理政策への転換の為の大手術ではあったが |
自転車操業・竹馬経済 |
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中華人民共和国成立 |
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GHQ内部勢力の保革交代(占領政策の右旋回) |
右傾化の背景 |
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1950 |
25 |
朝鮮戦争 S25.6 北朝鮮38度線越え、ソウル陥落 S25.9 マッカサー・国連軍の仁川上陸作戦により形成逆転 中国人民解放軍参戦 S28.7 休戦協定
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朝鮮戦争始まり、日本は朝鮮特需に潤う 日本は国連軍の前進補給基地 国連空軍の攻撃発信基地 兵站基地となる GHQは軍需物資を日本民間から直接買付 ”ガチャ万、コラ千”セメント、肥料、紙の”三白景気” トヨタ、ソニー等発展の基礎となる 特需景気(1950.6〜1951.6) 日本の資本主義再建は朝鮮戦争のお陰とも言える(少なくともこの頃までは戦争は儲かった) |
降って沸いた糸ヘン・金ヘン景気 |
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マッカーサー、共産党幹部追放を指令、幹部は地下潜入へ |
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シャウプ税制勧告実施 |
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旧軍人の追放解除始まる |
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1951 |
26 |
トルーマン米大統領、マッカーサー最高司令官を解任 |
鳩山一郎、岸信介、石橋湛山、三木武夫等政界復帰 |
民放ラジオ局開局 |
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日本共産党 武装闘争方針採択 |
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サンフランシスコで対日平和条約と日米安保条約調印 |
日米同盟への流れ |
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1952 |
27 |
対日平和条約発効、占領終了、駐留施設の一部返還 |
経済安定本部は経済審議庁に改組 |
占領からの独立 |
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”血のメーデー”事件はじめ相次ぐ騒擾事件 |
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1953 |
28 |
ソ連スターリン首相死去(スターリン暴落)・朝鮮戦争休戦 |
審議庁”岡野構想:我が国経済の自立について” |
NHK”君の名は”大人気 |
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吉田首相バカヤロー解散 |
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1954 |
29 |
鳩山一郎 |
造船疑獄(指揮権発動で佐藤栄作逮捕をまぬがる) |
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力道山ブーム |
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高度成長期 |
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1955 |
30 |
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鳩山一郎内閣成立 |
55年体制への経緯 |
クレージーキャッツ誕生 |
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保守合同で自民党結成、55年体制 |
審議庁は経済企画庁に改組、経済計画に意欲 |
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日本共産党六全協で路線変更 |
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米の統制解除(最終的に統制撤廃) |
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GATT加盟 |
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砂川基地闘争 |
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1956 |
31 |
石橋湛山 |
国連加盟 |
経済白書”もはや戦後ではない”S30〜S32”神武景気” |
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日ソ国交回復(ソ連はスターリン批判のフルシチョフ、領土問題は棚上げ) |
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石橋湛山政権、病気のため短命に終わる |
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1957 |
32 |
岸信介 |
岸信介 |
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”シネスコ”映画 |
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ソ連スプートニク打ち上げ |
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1958 |
33 |
警察官職務執行法改正案国会に提出、野党の抵抗で廃案 |
”景気循環の復活”白書 |
即席ラーメン |
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岩戸景気(1958.7〜61.12) |
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1959 |
34 |
キューバ革命 |
”貿易為替自由化方針”決定 |
王デビュー(ON時代、歴史的天覧試合) |
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皇太子ご成婚”ミッチーブーム” |
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ソ連月ロケット打ち上げ |
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1960 |
35 |
日米安保条約改定・反対のデモ隊国会突入 |
安保闘争
伝統的(戦前革新官僚の首魁、A級戦犯)保守政治家・岸は佐藤・池田の吉田学校出の官僚政治家も抱き込み安保改定に着手。 |
”ダッコちゃん”ブーム |
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36 |
池田勇人 |
岸の安保退陣後、池田勇人内閣成立、吉田が狙った軽武装・通商貿易国家・経済第一への足固め |
所得倍増計画 |
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浅沼稲次郎暗殺 |
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1961 |
36 |
ケネディー大統領就任 |
主婦の店ダイエー日本最大のスーパー展開 |
丸山真男”日本思想” |
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ガガーリン宇宙へ |
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ベルリンに壁 |
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1962 |
37 |
アメリカ在ベトナム軍事司令部設置 |
企画庁の宍戸寿雄氏は”転型期”論で過剰投資を警戒したが、予想以上に好循環、1967年からのいざなぎ景気を実現する |
時代を象徴した |
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朝日新聞阪神支局襲撃事件 |
結果的に経常黒字が定着、73年まで強気の自由主義経済政策は概ね高回転した |
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キューバ危機(ケネディー&フルシチョフ一触即発の危機) |
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社会党の構造改革路線”江田ビジョン” |
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1963 |
38 |
オリンピック景気(1962.11〜64.10) |
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鉄腕アトム、NHK大河ドラマ”花の生涯” |
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ケネディ暗殺 |
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1964 |
39 |
佐藤栄作 |
東京オリンピック |
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昭和元禄 |
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池田首相病気退陣後 |
佐藤内閣 |
文部省”期待される人間像”発表 |
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在ベトナム米軍トンキン湾攻撃 |
ベトナム戦争は |
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1965 |
40 |
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日米貿易収支逆転の中で |
エレキ・ブーム |
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40年後半から41年にかけて証券不況 |
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日韓基本条約調印 |
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いざなぎ景気(1965.11〜70.7) |
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1966 |
41 |
建国記念日制定 |
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ビートルズ来日 |
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中国で文化大革命はじまる |
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1967 |
42 |
イスラエル&エジプト”6日間戦争”勃発 |
対内投資自由化(第1次資本自由化) |
昭和元禄 |
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中国核実験 |
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吉田元首相国葬 |
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1968 |
43 |
ベトナム・ソンミ村虐殺事件 |
消費者保護基本法成立 |
ラジオ深夜放送に人気 |
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パリのカルチェ・ラタン学生騒動”5月革命” |
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プラハの春 |
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日本ではベビーブーマーの学生運動”全学連”激化 |
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1969 |
44 |
大学紛争、新左翼内ゲバ激化、東大・安田講堂落城事件 |
対外投資自由化(第2次資本自由化) |
廣松渉”マルクス主義の地平” |
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この頃 水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、川崎ぜんそく等公害病が問題化 |
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1970 |
45 |
大阪・日本万国博覧会 |
富士・八幡製鉄合併 |
ウーマンリブで元気な女性 |
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赤軍派(全共闘残党)よど号乗っ取り事件 |
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三島由紀夫割腹自殺(経済第一主義・昭和元禄に抗して?) |
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中ソ対立から米ソの緊張緩和へ(デタント) |
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1971 |
46 |
沖縄返還協定調印(核の問題はうやむやにされたが日本の戦後は一応終わったか?) |
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バルト”零度のエクリチュール” |
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米国大統領・ニクソン |
ニクソン・ショックとブレトン・ウッズ体制崩壊(戦後最大の国際金融事件) |
大久保清事件 |
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1972 |
47 |
連合赤軍集団リンチと浅間山荘人質事件 |
田中角栄
高等小学校卒の土建屋の”オヤジ”、”吉田学校”で政治を学び、その”金力”と”庶民的行動力”で岸・池田・佐藤内閣で着々と頭角を現す |
バルト”モードの体系” |
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日本赤軍テルアビブ乱射事件 |
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田中角栄 |
佐藤の後継者争い”三角大福戦争” |
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日中国交回復・共同声明 |
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1973 |
48 |
金大中事件 |
変動相場制移行 |
超能力ブーム |
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第5次資本自由化(100%)決定 |
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第4次中東戦争で第1次石油ショック(2$→20$) |
物価高騰(20%) |
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安定成長期 |
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1974 |
49 |
三木武夫 |
田中首相は金脈問題に倒れ三木武夫首相 |
経済安定成長に軌道修正 |
ベルばらブーム |
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1975 |
50 |
ベトナム戦争終わる(サイゴン陥落) |
石油問題を中心課題として第1回サミット |
広島赤ヘル軍団リーグ優勝 |
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1976 |
51 |
ロッキード事件 |
アメリカ上院外交委員会で暴かれたロッキード社の国際的リベート事件 |
モントリオール五輪でコマチネ活躍 |
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毛沢東死去 |
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田中前首相逮捕 |
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南北ベトナム統一 |
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福田赳夫 |
田中派の”三木おろし”で |
ロッキード事件真相解明に政治生命をかけた三木武夫は自民党内での倒閣運動を呼び起こす |
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1977 |
52 |
日航機ハイジャック事件(赤軍派) |
鉄鋼・カラーテレビで対米輸出自主規制 |
キャンディーズ引退 |
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1978 |
53 |
日中平和友好条約調印 |
ボン・サミットで日本機関車論(日本のみ大きく期待されたが) |
”不確定性時代”(ガルブレイス) |
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大平正芳 |
大平正芳首相 |
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小此木啓吾”モラトリアム人間の時代” |
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イラン・イスラム革命 |
第2次石油ショック |
蓮實重彦”フーコ・ドゥルーズ・デリダ” |
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1979 |
54 |
官公庁不正摘発続発 |
東京サミット(石油割り当て) |
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英国・サッチャー政権発足 |
サッチャーリズム |
三菱銀行猟銃人質事件 |
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40日抗争(大平&福田・三木) |
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1980 |
55 |
伊藤正義 |
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ビートたけし以下漫才ブーム |
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鈴木善幸 |
第2次石油危機不況(1980.2〜83.2) |
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イラン・イラク戦争 |
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1981 |
56 |
ライシャワー”核積載米戦艦日本寄港”を証言 |
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米国・レーガン政権発足 |
レーガノミクス |
ノーパン喫茶盛況 |
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1982 |
57 |
日航機羽田沖墜落事件(原因は機長の心身症) |
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映画”E・T””セーラー服と機関銃”ヒット |
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ホテル・ニュージャパン違法建築で火災 |
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三越事件(岡田社長解任・逮捕) |
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中曽根康弘 |
鈴木首相は行政改革・財政再建至らず自ら退陣 |
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1983 |
58 |
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財政改革(土光敏夫)と官業民営化 |
NHK”おしん”がブーム |
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東京地裁・田中元首相に実刑判決 |
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浅田彰”構造と力” |
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三宅島大噴火 |
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1984 |
59 |
長野県・西部地震 |
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グリコ・森永事件 |
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1985 |
60 |
豊田通商事件(金取引詐欺商法で永野会長刺殺) |
対米貿易摩擦、ジャパンパッシング、”日本異質論” |
阪神タイガース(吉田監督)21年ぶりの優勝 |
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日航ジャンボ御巣鷹山墜落事件 |
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プラザ合意 |
ファミコン・ブーム |
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三浦和義ロス疑惑で逮捕 |
蓮實重彦”物語批判序説” |
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民営化NTT、JT発足 |
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ゴルバチョフ、ソ連共産党書記長に |
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1986 |
61 |
ソ連・チェルノブイリ原発事故 |
日米半導体協定 |
家庭内離婚 |
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社会党土井たか子委員長(土井旋風を巻き起こす) |
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使い捨てカメラ”写ルン” |
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三原山噴火 |
バブル経済(実体経済を乖離しての資産価格の投機的高騰、いつかは弾ける経済現象) |
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1987 |
62 |
ルーブル合意 |
日米半導体摩擦 |
財テク |
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NTT株上場 |
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国鉄民営化 |
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米国株式市場”暗黒の月曜日” |
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竹下登 |
竹下登首相 |
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バブル期から長期低迷期へ |
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1988 |
63 |
竹下登 |
リクルート疑惑に揺れる中 |
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インサイダー取引 |
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青函トンネル、瀬戸大橋開通 |
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中沢新一”悪党的思考” |
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1989 |
H1 |
昭和天皇逝去 |
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ぬれ落ち葉 |
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ソ連・ペレストロイカ |
消費税スタート |
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宇野宗佑 |
竹下はリクルート汚職と消費税導入・バラマキ財政に倒れ |
日米構造協議 |
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海部俊樹 |
海部俊樹首相(若さとクリーンを売りにだったが力不足だったか?) |
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ベルリンの壁崩壊・冷戦終結 |
佐藤・中曽根は領土・安全保障にも関心、経済主義以上のものを加味した、福田・大平は経済主義ながら東南アジア・アジア太平洋への地域政策を推進、日本外交に新しい国際的所在を設定する事も試みる。そして冷戦終結が”日本の戦後”を終わらせる。 |
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東欧革命 |
総選挙で社会党大勝、土井委員長は”山が動いた”と表現、後に村山社会党の自民連立内閣に繋がったが、結果的には社会党崩壊のもととなった(何やら現在の民主党に似ていなくもない) |
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北京、天安門事件 |
ソニー米国コロンビア買収 |
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1990 |
2 |
大阪・花の万博 |
不動産融資総量規制でバブル崩壊(10年間で土地・株1400兆円の資産損失) |
あげまん |
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イラク・クエートの侵入 |
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東西ドイツ統一 |
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1991 |
3 |
湾岸戦争(米国中心の多国籍軍イラク爆撃) |
130億ドル負担 |
若貴ブーム、北の富士引退 |
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雲仙噴火 |
宮沢内閣公共事業拡張策 |
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四大証券損失補填発覚 |
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ソ連邦崩壊 |
ソ連崩壊の原因 |
過労死 |
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宮沢喜一 |
宮沢内閣(財政支出派) |
生活大国5カ年計画 |
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1992 |
4 |
米国クリントン大統領 |
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複合不況 |
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PKOで自衛隊初の海外派兵 |
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ドゥルーズ”差異と反復” |
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金丸議員・佐川急便疑惑で逮捕 |
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バルセロナ五輪 |
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1993 |
5 |
細川護煕 |
細川首相(構造改革派) |
平岩リポート、規制緩和を中心に構造改革をうたいあげる |
インターネット |
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欧州連合12国単一市場始動 |
ゼネコン汚職(金丸・仙台市長・宮崎県知事等) |
サッカーJリーグ開幕 |
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1994 |
6 |
羽田孜 |
羽田首相(新生党、細川連立内閣を継承) |
東京協和、安全の2信用組合破綻 |
ヤンママ |
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松本サリン事件 |
教祖にマインドコントロールされたオウム真理教徒が |
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村山富市 |
村山連立(自社さ)政権成立 |
構造改革のための経済社会計画 |
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14兆円総合対策(それなりに95〜96年の景気浮揚に繋がった) |
ドゥルーズ=ガタリ”千のプラトー” |
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NATO、ボスニア空爆 |
ゼネコン汚職(中村前建設相) |
記録的猛暑と水不足 |
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1995 |
7 |
阪神淡路大震災 |
住専問題(公的資金注入論争) |
官官接待 |
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1996 |
8 |
橋本龍太郎 |
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規制緩和、官民の役割分担、情報開示の3本柱 |
携帯電話 |
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薬害エイズ”ミドリ十字”が謝罪 |
東京銀行・三菱銀行合併 |
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オウム裁判 |
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住専に6850億公的資金投入 |
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菅・鳩山民主党結党、小選挙区制選挙 |
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大澤真幸”虚構の時代の果て” |
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厚生省汚職事件 |
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大腸菌O-157騒動 |
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ペルー日本大使公邸人質事件 |
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アトランタ五輪 |
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1997 |
9 |
神戸で小学生殺傷事件 |
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香港、中国に返還 |
三洋証券・北海道拓殖銀行・山一証券・徳陽シティ銀行など相次ぐ金融機関の経営破綻 |
チャイドル(子役タレント) |
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消費税5%に値上げ |
四大証券・総会屋利益供与事件 |
金融界にMOF担 |
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1998 |
10 |
小渕恵三 |
ロシア、プーチン大統領 |
アジア通貨危機 |
毒入りカレー事件 |
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和歌山カレー毒物混入事件 |
日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の一時国有化 |
東浩紀”存在論的、郵便的” |
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1999 |
11 |
NATO軍ユーゴスラビア爆撃 |
日銀ゼロ金利政策 |
長野オリンピック |
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全日空機乗っ取り事件 |
地域振興券のバラマキ |
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東海村核施設臨界事故 |
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神奈川県警不祥事発覚 |
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欧州連合単一通貨”ユーロ”導入 |
加藤典洋”戦後的思考” |
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2000 |
12 |
日比谷線脱線事故 |
介護保険制度スタート |
シドニ・オリンピックで田村亮子や高橋尚子が活躍 |
||
森喜朗 |
小渕首相緊急入院、森内閣 |
BRICS(中でも中国)の台頭 |
ユニクロのフリース旋風 |
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福岡行き高速バス乗っ取り事件 |
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韓国・金大中大統領北朝鮮訪問、金日成と会談 |
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雪印乳業事件 |
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そごう倒産 |
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三宅島噴火 |
旧石器発掘捏造事件 |
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2001 |
13 |
ロシア、プーチン大統領就任 |
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竹中金融相が主宰した”経済諮問会議”や”骨太方針” 東浩紀”動物化するポストモダン” |
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実習船えひめ丸、米海軍原潜と衝突沈没 |
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小泉純一郎 |
米大統領ブッシュ当選 |
改革無くして成長無し |
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大阪教育大附属池田小学校に凶悪犯乱入・殺人 |
日銀は量的緩和政策 |
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日本初の狂牛病感染 |
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米国・9・11同時多発テロ(ニューヨク世界貿易センタービル) |
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英米軍アフガニスタン空爆、日本自衛隊もアフガンに派兵 |
狂牛病 |
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2002 |
14 |
雪印食品牛肉偽装事件(7月には日本ハムも発覚) |
景気は02年ついに底を打ち、景気回復の道を進める |
サッカーW杯日韓共同大会開催 |
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鈴木宗男収賄疑惑で逮捕 |
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小泉首相北朝鮮訪問、金正日”拉致”を認める |
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拉致被害者5名帰国 |
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バリ島テロで日本人2名を含む190名以上死亡 |
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2003 |
15 |
米軍イラク攻撃開始 |
溝内財務官の円安誘導為替介入 |
少年・少女がらみの凶悪事件続発 |
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中国・ベトナムにSARSの脅威 |
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2004 |
16 |
陸上自衛隊イラク派兵 |
庶民が景気回復を実感出来ない状況の中でIT長者の活躍をまざまざと見せつけられる事になる IT長者:IT(情報技術)を応用した企業を興して成功、莫大な利益を手に入れた人々 |
鳥インフルエンザ |
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イラクで日本人人質拘束 |
アテネ5輪 |
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ロシアでチェチェン独立闘争 |
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2005 |
17 |
NHK不祥事で海老沢会長辞任 |
IT長者と言われる堀江貴文(ライブドア元CEO)の華々しいデビュー 2004年 プロ野球参入をめぐって楽天と競合 2005年 日本放送買収、富士テレビと闘争 竹中金融相のお墨付きで総選挙立候補 落選 2006年 証取法違反で逮捕 (村上ファンド・村上世彰も) 2011年 実刑判決 2013年 仮釈放、今も意気軒昂である ざっとこんな所だが、通信市場や電子マーケットを革命的に開拓したソフトバンク・孫正義や楽天・三木谷浩史らと同列に論じられようか? 堀江氏も村上氏もファンドマネージャーとして財をなした大金持ちだがITイノベーターと言えるだろうか 確かに孫氏や三木谷氏も、M&A手法を駆使して”経営資源の有効利用”に成功したが 堀江氏達がM&A等で得ようとしたのは単に株式売買による差益であった気がする? M&Aと言う新しい装いをこらした”乗っ取り”、グリーンメーラーと名付けられた”総会屋的恐喝”で無かったか? 別にお金儲けはITに限らないが、新しい時代を切り開いたIT産業が誤解されないよう一言 |
ネグリ=ハート”マルチチュード” |
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ライブドア・ニッポン放送騒動 |
福岡ソフトバンクホークス誕生 |
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明治安田生命保険法違反 |
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コクド堤義明会長証券取引法違反で逮捕 |
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福知山線脱線事故 |
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ペイオフ解禁 |
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北京で反日デモ |
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カネボウ上場廃止 |
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郵政選挙で小泉圧勝 |
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首相靖国参拝で中国の反日運動激化 |
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2006 |
18 |
ライブドア堀江社長逮捕 |
”団塊の世代”の多くは企業戦士としてシコシコ頑張ったが、反体制に挑んだ全共闘は自滅、オウム教徒は権力によって壊滅、組織の兵士に飽き足らず時代を先読み出来た人材はIT長者として財をなした
ライブドア事件 |
銭転がしから会社転がし |
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村上世彰インサイダー取引で逮捕 |
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北朝鮮核実験 |
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安倍晋三 |
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2007 |
19 |
福田康夫 |
福田康夫内閣 |
耐震偽装事件 2007年問題(団塊の世代の定年期) |
社会保険庁年金記録 |
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2008 |
20 |
麻生太郎 |
麻生内閣 |
リーマン不況 |
中国製餃子中毒事件 |
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2009 |
21 |
鳩山由紀夫 |
オバマ大統領就任 |
ついに政権は自民から民社に |
マイケル・ジャクソン死去 |
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2010 |
22 |
菅直人 |
菅内閣 |
日本航空会社更生法申請 |
記録的猛暑 |
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2011 |
23 |
野田佳彦 |
野田内閣 |
中国GDP世界2位に(日本を抜く) |
なでしこジャパンW杯 |
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2012 |
24 |
安倍晋三 |
北朝鮮金正恩、金正日を嗣ぐ、ミサイル発射騒動 |
アベノミクス |
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