戦後経済史 まとめ
    wikipedia 中村隆英(昭和経済史) 小峰隆夫(平成の経済)等 参照

私が生まれた頃はパソコン・テレビは勿論見たこともなく、洗濯機は洗濯板でゴシゴシ、冷蔵は氷で冷やして居ました
戦争があって、敗戦・闇市を経て、バブル・平成不況。
夢のような三種の神器(白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機)新三種の神器(カー・クーラー・カラーTV)も手に入りました
でも一方、コロナ禍とかロシア・中国の他国侵略、異常気象とかで社会との接し方も変化を余儀なくされています
とても変化に富んだ、面白い時代に生を受けたものと感慨一入です。苦しい煩悶も今となれば甘味な思い出。
主に日本経済の年表を作成、プライベート・ヤードも設け、社会の変化と自分のささやかな人生を絡ませての回顧に興じています。
併せその時代時代の経済政策とか諸先生の論争を自分の理解できる範囲で整理させて頂きました
人様にお見せ出来る様なものでもない”素人の手慰み”ですが、皆様も人生を振り返る一助になればと思い、プライベート・ヤードを消去してアップすることにしました
プライベート・ヤードに皆様の年譜を書き込んで頂ければと思います
年表はコピーしてエクセルに貼り付ければ編集できると思いますが、ご希望なら原本を無償でお届けします
もっと勉強して、次には”幕末から維新、太平洋戦争”の流れ、更に”中世王朝政治から武士誕生”と遡りたく思って居ます

    
hisao_hidaka@outlook.com       日高久雄

     目次  

 戦後経済史年表                    

 敗戦と復興
 高度成長期
 ドル危機
 バブル下の経済政策
 バブル崩壊
 小泉構造改革
 民主党政権
 アベノミクス

 経済論争
 マネーサプライ論争
 産業政策論争
 構造改革
 財政論争
 リフレ派
 MMT理論
  諸政策の比較
 現下の金融問題
 日本的経営
  まとめ

資料(略年表、統計グラフ等)


戦後経済史年表    目次に戻る

戦後経済史年表
復興期 目次に戻る
西暦 和暦 内閣 事件 経済 文化・流行語 米国 ロシア 中国 プライヘート
廃墟からの再建 1945−51年
1945 S20 東久迩宮稔彦
幣原喜重郎
8.15終戦
ポツダム宣言受諾は無条件降伏か?(軍隊については勿論無条件降伏、日本から申し出られた国体護持の条件については無視されたまま受託に至った)
原爆投下とソ連参戦を受けて天皇の”聖断”で”不可能を可能にする終戦”が実現した。
”・・・帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉じ非命に倒れたる者およびその遺族に想いを致せば五内(ゴダイ)為に裂く・・・)
あの石原莞爾はじめ多くの国民はあっけらかんと平和に転換
急遽用意された米軍向け特殊慰安施設
東久邇首相”・・・事ここに至ったのは勿論政府の政策がよくなかったからであるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。
この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う”
”一言一行ことごとく天皇に帰一し奉り、いやしくも過たざることこそ臣子の本分であります”
戦争責任は一億総懺悔に切り替えられた


空襲激化、大中都市灰燼に
沖縄上陸、広島長崎原爆投下
ソ連参戦
敗戦


占領体制(間接統治)
S21〜22年 非軍事化・民主化政策
 降伏後に於ける初期の対日方針
 降伏後に於ける初期の基本的指令
  日本軍事力と現存経済的基盤破壊
  労働運動・農民運動奨励・労働三法
  公職追放・財閥解体・独占禁止法・集中排除
  農地改革
  自力更生
  国民の生活水準は侵略されたアジア以下、1930〜34年の水準に
生産設備での現物賠償
  憲法改正

失業・インフレ・生産減退・食糧不足
財産税と経済緊急措置
 (新円発行と預金封鎖)
戦時補償打ち切り
石橋湛山”ケインズ主義”にたった復興金融公庫創設
傾斜生産方式(石炭・鉄鋼)
経済安定本部成立
 





闇市
浮浪児
”バラック”
”パンパン”
文字通り”荒涼たる風景”

町に流れる”リンゴの唄”
子供達は”ギブミーチョコレート”と進駐軍の兵隊を追いかけた
DDT・ペニシリンに驚愕

双葉山引退
”平凡”創刊
”日米英会話手帳”ベストセラーに
 
丸山真男”超国家主義の論理と心理”
トルーマン
天皇、マッカーサー(連合国最高司令官)訪問
威儀を正し緊張の極みにあった天皇に、マッカーサーは手をポケットに入れたまま、欧米の風習とはいえ、日本国民は敗北を噛みしめ涙をのんだ
マッカーサー”メルボルンから東京まで思えば長かった。長い長いそして困難な道のりであった。しかし、これで万事終わったようだ”
”過去の出血と殺戮の中から信仰と理解に基礎付けられた世界が、また人間の威厳とその抱懐する希望のために捧げられるよりよき世界が、自由と寛容と正義のもとに生まれ出んことを・・・”
繊維など民需産業は殆ど壊滅状態だったが、軍需に支えられた重化学工業設備の多くは残存、戦後復興の礎になった
マッカーサー、幣原喜重郎首相に婦人解放、労働組合奨励など5大改革要求
連合軍指令
主要戦犯逮捕(東条英機自殺未遂)
検閲制度廃止
5大改革
@婦人解放
A労働者団結権
B教育民主化
C秘密審問司法制度撤廃
D経済機構民主化
下請制度、金融系列、役所の行政指導、企業別労働組合、所有と経営の分離等の制度的要因も戦後に引き継がれた
戦時中の物価と米の統制も、戦後農地改革の礎になった
GHQ(連合軍総司令部)の民主化政策
@日本軍体解体
A軍国主義・超国家主義者追放(公職追放・東京裁判開始)
B潜在的戦力除去(軍需産業撤去)
C政治の民主化(政治犯釈放・男女同権・新憲法制定へ)
D経済の民主化(財閥解体・農地改革・労働組合育成)
E教育の民主化(軍国主義教育・歴史・地理の授業中止、教育基本法制定へ)
E国家と神道の分離(天皇の神格化否定)
飢餓きわまれる中で闇市大繁盛
渋沢蔵相”1000万餓死の恐れ”
次々出されるGHQ指令、無策の政府は天皇への戦争責任追及を恐れるのみ

政党・ジャーナリズムの復活、21年新選挙法による選挙へ
降伏文書調印
戦犯逮捕
財閥解体指令
農地改革に関する覚え書き
1946 21 吉田茂 天皇の人間宣言
日本国憲法公布
独占禁止法・公正取引委員会
東京裁判開始
公職追放
 A。戦争犯罪人
 B。職業陸海軍軍人
 C。極端な国家主義者
 D。大政翼賛会、翼賛政治界などの有力者
 E。日本膨張に関係した金融機関、開発機関職員
 F。占領地総督や行政長官などの官吏
野坂参三延安より帰国”愛される共産党”
憲法制定事情
近衛がマッカーサー指示を誤解して佐々木惣一博士と改正案作成に張り切りだす 一方内閣側は松本丞治博士中心に憲法問題調査会(S20.10)
松本4原則(天皇主権護持)
国家神道廃止(修身、日本歴史、地理教育停止)のGHQ指示
マッカーサーは天皇の神格化を否定する事で戦争責任を問わない事をねらった
幣原、マッカーサー会談で天皇の罪を問わない事と戦争放棄を合意(S21.1)
マッカーサー指針でホイットニー(民政局)が憲法草案検討にはいる
@天皇は国家元首だがその職務権能を憲法に基づき行使
A国権の発動たる戦争の廃止
B封建制度廃止
米側が主権在民・象徴天皇の憲法草案提示(S21.2)
当時内閣は預金封鎖・新紙幣引換の金融緊急措置法検討中
幣原はマッカーサーと折衝したがマッカーサーは断固草案受諾を迫る
最終的に天皇の聖断で決定
憲法改正草案
金融緊急措置発表
戦時補償打ち切り決定、企業再建整備
傾斜生産方式開始
赤線・青線
カストリ文化隆盛

NHK”素人のど自慢”大人気
”サザエさん”登場
プロ野球・六大学野球復活
経済安定本部設置
政財界の寄り合い世帯ながらGHQの指導の下、資源の割り当てなど戦後統制経済を取り仕切る
取られた経済政策は傾斜生産方式
(鉄鋼業、鉄道、海運、化学肥料に資金の重点配分)
GHQとのパイプ役は都留重人
当時の資金事情から”傾斜生産方式”は恐らくやむを得ない選択だったろうが、その資金を復興金融金庫債の日銀引き受けで調達、戦時中の日銀券増発、戦後処理のための赤字国債発行等と相まって、急激な戦後インフレを呼び込む結果となった
勿論戦後インフレは敗戦国の通例であり、復興金融公庫債発行のみが原因ではないが、是非は兎も角、インフレによる国民窮乏は覚悟の上で基幹産業復興に最重点が置かれた
事態はS24年ドッジ博士によるディスインフレ政策とその後の大不況によってやっと終息
爾後国債の日銀直接引き受けが禁止される事になる
チャーチルの”鉄のカーテン”演説、冷戦の始まり
日本は”西側の一員”としての役割を負い、日本の経済政策も米国経済政策の一環としての性格が強められる
ソ連を中心として共産圏伸張、冷戦体制始動(S21.3チャーチルの鉄のカーテン演説、S23.5イスラエル建国、S23.6ベルリン封鎖)
国内でも共産勢力が伸張(S21.5米よこせメーデー等)
1947 22 片山哲(社会党連立政権) トルーマン共産主義封じ込め宣言
マッカーサーが2・1ゼネスト中止命令
GHQのお墨付きで急成長した労働運動は戦後インフレ下生活改善を求め空前の盛り上がりを見せ、吉田総理と対決、吉田の”不逞の輩”呼ばわりにゼネスト実施を宣言する。時あたかも国際的共産主義運動の高まりに恐れをなしたGHQはマッカーサーの名においてゼネスト中止を命令。
民主化を推し進めてきたGHQが鎧の下から見せた強権、労働運動の限界、日本共産党の挫折(占領当初徳田球一などは総司令部前で万歳三唱するなど占領軍を解放軍と規定していたが思惑が全く外れた)
伊井弥四郎官公庁共闘議長はラジオで涙ながらにゼネスト中止指令を放送した

第1回経済白書で都留教授はヤミ利潤の圧縮、賃金物価の安定を主張
マルクス経済学者は賃金固定主義に批判
スト中止指令
物価体系発表
 物価は戦前の65倍、賃金は23倍
 物価統制しながら生産回復
国営貿易再開
NHK”鐘のなる丘””向こう三軒両隣”人気

ベビーブーム
ニコヨン(日当240円)
オンリー(高級街娼)
流行歌”星の流れに””東京ブギウギ”
映画キスシーンにため息、ストリップ”額縁シュー”超満員
内務省解体・民法改正
1948 23 芦田均
吉田茂
帝銀事件

昭電疑獄事件で芦田内閣崩壊
第2次〜第5次吉田内閣は54.12月までの長期政権に
ロイヤル米陸軍長官演説
”日本は共産主義に対する防壁”
流行語・斜陽族(没落貴族)の生みの親
太宰治の入水自殺
流行歌”あこがれのハワイ航路”
サマータイム実施
アロハシャツにリーゼント
小倉競輪スタート
東京裁判でA級戦犯25被告に有罪判決
極東軍事法廷
 A。軍事指導者”平和に対する罪”
 B。国際法上の戦争犯罪人
 C。人道に対する罪の実行者
裁判の意義
 日本の現代史を裁く
 復讐の儀式
 日本国民の啓蒙教化
裁判の筋書き
”犯罪的軍閥である陸軍の大陰謀”と言う事で英、濠、ソの主張する天皇訴追がかわされた、結果戦争遂行責任は不明、”共同謀議”なる幻の訴因が作り上げられた
兎も角S23.11判決、純A級裁判続行の予定が世界情勢急迫を受けて急遽終結
岸信介、児玉与志夫、鮎川義介等が釈放される事になる
米ソ冷戦を背景に
ドレーバー、ケナン来日 
 NSC13/2で占領軍の権限委譲
S23 米の占領政策は日本を復興させアジアでの味方にすべく方針転換
1949 24 吉田茂 米ドッジ博士来日してディスインフレ政策を強行
ドッジ・ライン(経済安定9原則)安定恐慌
 総合予算均衡
 徴税強化
 信用拡張制限(復興金融金庫廃止)
 賃金安定
 物価統制強化
 外国為替統制強化
 輸出増進
 鉱工業生産増強
 食糧供出促進
 経済自立(完全雇用・貿易バランス)を目標に
 1ドル=360円の為替レートを実質GHQが決定(S46年まで)
統制経済から自由経済へ、生産管理政策から需要管理政策への転換の為の大手術ではあったが
日本経済は大人員整理時代(安定恐慌)に突入

労働争議の頻発、アプレゲールの暴走

下山(日銀総裁)轢死事件
三鷹無人列車暴走事件
松川列車転覆事件
(アメリカ諜報機関の陰謀か日本共産党の陰謀か謎のまま)

ドッジラインでインフレ→デフレ
日本経済竹馬論(政府の補助金、米の経済援助に依存するな!)
 特別会計を含む総予算の均衡
 補助金の表面化と削減
 復金債発行禁止
 実現を見届けた上で
 1ドル=360円為替レート設定
 財政は210億円支払超から373億円の揚超に→民間は金詰まりに
(実は物価体系政策でドッジライン以前から物価は落ち着き始めていた、又揚超の一方で日銀民間銀行を通して金詰まりを緩和した)
企業に自力で競争に耐え、合理化・コストダウンを迫った効果があった
自転車操業・竹馬経済
”アプレガール”
”サカサくらげ”
”トイチ”の高利貸
流行語”アジャパー””ギョツ”

戦後最大のスター美空ひばり登場

映画”青い山脈””長崎の鐘”

湯川秀樹ノーベル賞

”ふじやまのトビウオ”古川広之進・世界新記録
毛沢東
中華人民共和国成立

GHQ内部勢力の保革交代(占領政策の右旋回)
民政局(ホイットニー准将やケーディス大佐を中心とするニューディーラー達)は新日本に民主主義の理想を託したが、冷戦の進行と共に、保守派の参謀第2部(G2)・”赤狩り”のウイロビー少将などが勢力を占め、日本占領政策も急速に右旋回していく事になる
ワシントンがケナンを特使としてマッカーサーに迫る
 @改革・追放の停止、戦犯裁判の早期終結
 A日本国民不満解消のため経済復興重視
 B日本独立に向けた講和を視野に入れ警察強化(再軍備)
 C沖縄・横須賀基地確保
背景
@ソ連の伸張
戦後チェコ・ポーランド・ハンガリー・ブルガリア・ルーマニア(対独戦の通過路であった)への軍隊駐留、共産化
東西ドイツ及びベルリンの分割統治
原爆開発競争
AS24.10中共成立(S22.7から国民党と闘争)
BS25.6朝鮮戦争(南北分離は日本軍降伏処理を米ソに分けた事に始まる、S23.8分離独立)
日本は米国のアジア戦略(共産主義浸透の防波堤)に組み込まれる事になった

シャウプ勧告 直接税中心主義
国鉄・電電・専売など政府直営から公社に
国鉄大量首切り→下山事件・三鷹事件・松川事件等騒然

マッカーサーは再軍備への歩みに強硬に反対、トルーマンの不興をかう
しかし結局ワシントンの意向には逆らえず
 GHQ勢力は民政局からウイロビーを中心とするG2に代わる
 民政局ホイットニーは山崎首班工作等で抵抗するが
 不成功に終わり帰国、吉田2次政権成立
当時、経済論壇では貿易立国論の中山伊知郎達と国内開発・地域開発を重視した有沢広巳・都留重人達が論争、結果としてアメリカを盟主とする自由貿易体制に組み込まれる事で、貿易立国に活路を定めGATT、IMFに加入、後の高度成長を可能にした
1950 25 朝鮮戦争始まり、日本は朝鮮特需に潤う
  日本は国連軍の前進補給基地
  国連空軍の攻撃発信基地
  兵站基地となる
 GHQは軍需物資を日本民間から直接買付
  ”ガチャ万、コラ千”セメント、肥料、紙の”三白景気”
  トヨタ、ソニー等発展の基礎となる
特需景気(1950.6〜1951.6)
S25.6 北朝鮮38度線越え、ソウル陥落
S25.9 マッカサー・国連軍の仁川上陸作戦により形成逆転
中国人民解放軍参戦
S28.7 休戦協定


朝鮮戦争勃発を受けて米国の方針転換
警察予備隊設置指令
朝鮮特需で経済復興、軍需生産再開
(1953年スターリンが亡くなり米ソの雪解けは日本の軍需生産の歯止めとなった

いずれにしろ、戦後の経済社会の基礎は、この時期に出来上がった
降って沸いた糸ヘン・金ヘン景気
アルサロ
後楽園でナイター球戦
ダンス・ブーム
特急列車復活”つばめ”
ミス日本・山本富士子
シャウプ税制勧告実施
マッカーサー、共産党幹部追放を指令、幹部は地下潜入へ
警察予備隊設置
吉田首相は抵抗したが米の要求(憲法九条改正論が姦しいが、アメリカが日本人に強制したのは戦力不保持よりも再軍備だったかも)
旧軍人の追放解除始まる
1951 26 トルーマン米大統領、マッカーサー最高司令官を解任 鳩山一郎、岸信介、石橋湛山、三木武夫等政界復帰     
S26 鳩山派結成、禅譲の約束を楯に吉田の対米柔軟路線を攻める
民放ラジオ局開局
パチンコ大ブーム
トリスバー
社用族
”新平家物語”ベストセラー
NHK”第一回紅白歌合戦””ラジオ体操””三つ歌”人気
民放開始”ちゃっかり夫人”
流行歌”上海帰りのリル”
”羅生門”グランプリ、カラー映画”カルメン故郷に帰る”
プロ野球”第一回オールスター”川上哲治
日本共産党 武装闘争方針採択
サンフランシスコで対日平和条約と日米安保条約調印
S25.2 中ソ友好同盟援助条約締結
単独講和(吉田)対全面講和  吉田の”曲学阿世”発言
S25.4 池田特使訪米の工作
  単独講和
  条約締結後の米軍駐留を認める
  (日本政府から依頼の形でも良い)
S25.6 ダレス特使来日、講和条約に関し交渉
  直後に朝鮮戦争勃発
  日本再軍備、基地貸与の要請
S25.8  軍隊の”卵”として 警察予備隊 結成
  ウイロビーの”服部(森)機関”画策は敗れ、旧軍人は排除
  吉田は表面上再軍備に反対したが
  長期・段階的な軍備を認め
  ”自衛のための戦力は合憲である”と宣言
S26.9 講和条約締結
   当事国は損害賠償権の放棄
    ソ連・チェコ・ポーランドは拒否、中国は国連未加入、結果ソ連・中国などとの領土問題は未解決のまま今日に至る
   同時に日米安保条約締結
   駐留軍基地を何処にするかが不明
   事前協議制度を欠く
 戦力上米軍管理下にある沖縄の統治権はいずくにありや
サンフランシスコ講和条約、日米安保条約調印
政令諮問委員会(農地改革保証金・軍人恩給・独占禁止法等ポッツダム政令の再検討、重化学工業への傾斜、国内開発主義か貿易立国主義かなど様々に議論されたが、兎に角戦前・S9-12年水準までの経済復興が共通目的だった)→世界経済の発展に助けられ、順調に輸出成長力(世界輸入成長力の倍)を伸ばし高度成長の時代に入った
日本輸出入銀行(輸出のための長期資金)日本開発銀行(産業の設備投資資金)創設
電力・鉄鋼・海運・石炭業に重点投資
1952 27 対日平和条約発効、占領終了、駐留施設の一部返還

講和条約発効に応じてGHQの統制はなくなる
西側盟主としての米国関与・影響力は残る
講和及び安保締結後
天皇は退位をほのめかすが、なお日本再出発の象徴として止まる事を強いられたようである

IMF加盟



経済安定本部は経済審議庁に改組
(安本は本質的に資源配分、経済統制のために設置されたものであるから、その役割を終え、統制経済が終了したと言って良い)


”強兵”なき”富国”1952〜65年
企業合理化促進法交付(加速特別償却制度、診断勧告して補助金、カルテル認可と行政指導、技術導入のための外資割当、原材料の輸入割当制、銀行の窓口規制等)
GHQ武器製造許可指令(新特需開始)
新産業の成立、家庭電気機械の登場、コンビナートの建設、金融系列の形成
二重構造(大小企業の賃金格差、下請制度)
農業の過疎化
総評を中心とする労働運動
日本的経営(年功序列型賃金体系・終身雇用制・企業別労働組合)
30年代は3.4年で繰り返される国際収支危機(好景気29.33.37.40年)
石川県・内灘基地闘争

”恐妻”や
”エッチ”なる言葉がもう出来たらしい

ジャズなど米文化の流入
江利チエミ、デビュー

ヘルシンキ五輪参加(古橋涙をのむ)
白井善男チャンピオンに
”血のメーデー”事件はじめ相次ぐ騒擾事件
破壊活動防止法公布
1953 28 ソ連スターリン首相死去(スターリン暴落)・朝鮮戦争休戦
独禁法緩和(カルテル認可制へ)
戦前の経済水準回復
審議庁”岡野構想:我が国経済の自立について” 独占禁止法改正(不況・合理化カルテル認可制)
国際収支赤字化して金融引き締め
企業合理化に伴う大争議多発
NHK”君の名は”大人気
流行歌(伊藤久雄、近江俊郎、淡谷のりこ、灰田勝彦、ディックミネ等)
テレビ元年
ジャズブーム
花菱アチャコ人気
中国・ソ連から引き揚げ
李承晩ライン問題
アイゼンハワー マレンコフ首相
フルシチョフ
吉田首相バカヤロー解散
1954 29 鳩山一郎 造船疑獄(指揮権発動で佐藤栄作逮捕をまぬがる)
神武景気(1954.12〜57.6)
審議庁、国民所得統計公表

戦後急速な経済復興を可能にした要因?
米国の管理下にあったものの、終戦直後から1955年までの10年間、平均成長率8%強、見事な経済復興を遂げ、その後の高度経済成長を準備した
@戦争破壊後の旺盛な復興需要
A非軍事化憲法下、僅かな軍事予算
B官民一体民主化を信じ、強烈なエネルギーで経済復興に当たった(確かに日本人は勤勉で優秀、更に復興への大いなる夢と使命感があった)
C米国の財政援助(ガリオア・エリア資金S22〜S25年)
D割安の対米為替、1$=¥360
E勿論、朝鮮特需(S25年〜S30年代まで、8億〜4億ドル)が大きい
神武景気(29〜32年)、大型設備投資     不況から数量景気へ 力道山ブーム
復古調の波
アプレゲール
ビキニ環礁水爆実験・死の灰
映画”七人の侍”
ヘップバーン”ローマの休日”
怪獣ゴジラ誕生
流行歌”お富さん”(春日八郎)
高度成長期
1955 30 米ベトナム戦争(〜1975年)
鳩山一郎内閣成立
経緯
吉田首相 政策は池田勇人、佐藤栄作、岡崎勝雄
       党務は大野伴睦、広川弘禅
鳩山一郎、岸信介、石橋湛山、三木武夫等政界復帰     
S26 鳩山派結成、禅譲の約束を楯に吉田の対米柔軟路線を攻める
吉田の長期ワンマン政権にもほころびが来る
池田通産相”中小企業の倒産・自殺はやむをえない”で辞任
吉田首相”バカヤロー”解散
佐藤幹事長の造船疑獄、犬養法相の指揮権発動
鳩山・岸は日本民主党結成、
吉田は辞任、自由党を離れる
鳩山内閣成立、戦前政党政治家で固める
 中国・ソ連と国交回復 及び
 再軍備・憲法改正を掲げる
危機を感じた社会党左右合同
それを見て保守も合同
旧民政党・三木武吉対旧政友会・大野伴睦の角逐
55年体制へ 
クレージーキャッツ誕生
ヌード喫茶
ノイローゼ
流行歌(島倉千代子、ひばり・チエミ・いずみの三人娘)
映画”エデンの東”(元祖アイドル・ジェームス・ディーンの夭折)
保守合同で自民党結成、55年体制 審議庁は経済企画庁に改組、経済計画に意欲
経済自立5カ年計画公表
日本共産党六全協で路線変更
(徳田球一死して旧国際派が主導権を握り武装闘争に終止符)
米の統制解除(最終的に統制撤廃)
GATT加盟
砂川基地闘争
1956 31 石橋湛山 国連加盟
経済白書”もはや戦後ではない”S30〜S32”神武景気”
石原慎太郎・大江健三郎・開高健登壇
石原裕次郎デビュー
NHK”お笑い三人組”
深夜喫茶
団地族
裏口入学
”ドライ&ウェット”
南極観測隊
”昭和史論争”
丸山真男”現代政治の思想と行動”
週刊誌創刊ブーム
日ソ国交回復(ソ連はスターリン批判のフルシチョフ、領土問題は棚上げ) 高度成長期(1956〜73年)
石橋湛山政権、病気のため短命に終わる
1957 32 岸信介 A級戦犯容疑者だった岸信介氏が首相に就任

岸信介
積極的タカ派国防論者
”憲法は自衛のため核兵器保有を禁ずるものではない”
勤務評定で日教組と対決
警職法改正
憲法改定は見送ったが安保改定強行


経済審議会はで
中山伊知郎、東畑精一、有沢広巳氏が中心になりMITで混合経済体制(経済理論的には古典派総合)を学び新長期経済計画立案
後の所得倍増計画を準備する

32−34年国際収支赤字で金融引き締め ”シネスコ”映画
テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫の三種の神器
”よろめき”ブーム(三島)
松本清張ブーム
ロカビリー、カリプソ
シスターボーイ
ソ連スプートニク打ち上げ
1958 33 警察官職務執行法改正案国会に提出、野党の抵抗で廃案 ”景気循環の復活”白書 なべ底景気
即席ラーメン
フラフープ・ブーム
月光仮面
若栃時代
川上引退・長島デビュー
エネルギー革命(石炭→石油)
1959 34 キューバ革命 景気急回復、岩戸景気(35〜36年) 王デビュー(ON時代、歴史的天覧試合)
全学連
カミナリ族
映画”人間の条件””十戒”
少年サンデー、少年マガジン創刊
流行歌(ザ・ピーナッツ、三橋三智也、三波春夫、橋幸夫)
皇太子ご成婚”ミッチーブーム”  設備投資ブーム
ソ連月ロケット打ち上げ ”貿易為替自由化方針”決定
1960 35 日米安保条約改定・反対のデモ隊国会突入
騒然たる社会模様
伝統的(戦前革新官僚の首魁、A級戦犯)保守政治家・岸は佐藤・池田の吉田学校出の官僚政治家も抱き込み安保改定に着手。
@国連重視
A日米地位協定(米国は日本防衛義務、日本は憲法の範囲内で在日米軍への攻撃に対し積極的軍事行動をとる、岸首相はそれを日米平等、日本の真の独立と解釈した)
極東に於ける国際平和及び安全維持に日本は協力
国民世論は第5福竜丸事件などで平和主義が高まり、社会党や全学連を中心とする革新陣営がその世論を利して岸内閣が企てた警察権力再強化、日米安保路線に抵抗する。
そのピークが安保闘争であった。
燃え上がるデモ騒動の中で岸は衆議院強行採決、参議院自然承認(自然成立を迎えた夜、真っ暗な国会議事堂を10万人以上と言われる学生・労働者・市民たちが取り囲み、”魂しずめ”のためか、クレージーキャッツの”赤とんぼ”が流れた、そして学生や知識人の挫折、左翼運動の分裂が始まった)

保革痛み分けで再浮上したのは吉田学校の優等生 佐藤・池田、60年代の政治を担い、経済主義が定着、戦後日本はまごうことなき経済国家として国際社会に復帰する。
安保闘争
岸退陣して池田勇人内閣
  所得倍増計画
 労働力不足
 貿易自由化
 テクノストラクチュア、法人資本主義
 高度成長の波及 
 (輸送手段・農業も急変化)
 労働節約的技術の普及
 春闘が定着(実質賃金が向上、
 総中流意識が定着したが、
 生産性向上に限度が有る自営業種や
 サービス業種の消費者物価上昇)
”ダッコちゃん”ブーム
”性生活の知恵”ベストセラー
インスタント食品
カラーTV
ツイスト・ドドンパ・チャールストン
”家付きカー付ババア抜き”

丸山真男”忠誠と反逆”
池田勇人 岸の安保退陣後、池田勇人内閣成立、吉田が狙った軽武装・通商貿易国家・経済第一への足固め
”国民所得倍増計画”(池田勇人=下村治)併せ貿易自由化プログラム決定
投資が投資を呼び、期待が期待を呼ぶ設備投資主導の高成長が続く、危惧された所得格差も所得増大でかえって縮小、
59年〜61年11%代の高成長(岩戸景気)安保反対闘争の中心となった
学生達は”デモは終わった、さあ就職だ”政治より経済へ
嵐の如き高度経済成長へ
すでに S30〜S35でGNP平均成長率は10.4%一人当たり給与は2.7倍、失業率も3%を切った
大衆消費時代の到来鉄鋼・石油コンビナート建設

高度成長達成要因
@欧米諸国にタッチアップする過程で、既存技術の導入模倣で生産性を高める事ができ、それが積極的民間設備投資を支えた
A農業機械化が農村から都市への安価な労働力移転を可能にした
B”三種の神器”など欧米文化への憧れが根強い”消費ブーム””モータリゼション”をもたらした(消費需要)
一方、順調な労働者賃金の上昇は高い貯蓄率をも維持せしめた
C当時、石油等一次産品の価格が安定していた
D1$=¥360の割安為替レートで輸出を伸ばせた
E軍事負担が小さかった
浅沼稲次郎暗殺
三池鉱山スト
1961 36 ケネディー大統領就任 丸山真男”日本思想”
ロストウ”経済成長の諸段階”
スーダラ節(植木等)
坂本九”上を向いて歩こう”
映画”用心棒”
TV”シャボン玉ホリデー”
マイカー時代へ
六本木族
大鵬・柏戸の活躍
”現代っ子”
”女子大生亡国論”
ケネディ
ガガーリン宇宙へ
ベルリンに壁
1962 37 アメリカ在ベトナム軍事司令部設置 企画庁の宍戸寿雄氏は”転型期”論で過剰投資を警戒したが、予想以上に好循環、1967年からのいざなぎ景気を実現する 金融引き締め 時代を象徴した
植木等の”無責任時代”
ツイスト
”カワイ子ちゃん”
吉永小百合・伊藤・中尾・園の新三人娘
堀江謙一太平洋横断
TV”ベンケーシー”
”バカンス”
”ピンク映画”人気
”三ちゃん農業”
サルトル”弁証法的理性批判”
サルトル・レヴィ=ストロース論争
朝日新聞阪神支局襲撃事件 結果的に経常黒字が定着、73年まで強気の自由主義経済政策は概ね高回転した
キューバ危機
社会党の構造改革路線”江田ビジョン”

1963 38 オリンピック景気(1962.11〜64.10)

鉄腕アトム、NHK大河ドラマ”花の生涯”
BGからOLへ
三井三池鉱山爆発事件
ボーリング人気
吉展ちゃん事件
ジョンソン
ケネディ暗殺
1964 39 佐藤栄作 東京オリンピック

新幹線開通(夢の超特急)
OECD加盟
IMF8条国へ
経常黒字定着、外貨割当制撤廃
再度金融引き締め
IMF8か条国へ移行、OECD加盟
昭和元禄
ウルトラC
俺に付いてこい(大松女子バレー監督)
カギっ子
カラ出張
みゆき族
流行歌(北島三郎、朝丘雪路)
ブレジネフ
池田首相病気退陣後
佐藤栄作内閣成立(〜72年、7年8ヶ月の長期政権)
中期経済計画
日米繊維交渉
佐藤内閣
中期経済政策で福祉・環境問題重視の”社会開発”を掲げたが、経済はそれほど本腰を入れてやった訳ではなかった
官僚掌握力で長期政権維持
文部省”期待される人間像”発表
在ベトナム米軍トンキン湾攻撃 ベトナム戦争は
後に見る如く、米国凋落の最大原因となった
1965 40 日米貿易収支逆転の中で
そろそろ高度成長の副作用が露呈
@労働力不足
Aインフレ
B公害問題
C地方の過疎化、二重構造
Dエネルギー転換による労働争議
E石油依存経済は後に石油危機ショック
40年後半から41年にかけ証券恐慌、長期国債(赤字公債)発行決定 エレキ・ブーム
モンキー・ダンス
野村克也三冠王に
スモッグ警報
日本テレビ”イレブンPM”(巨泉)
”モーテル”
映画”007シリーズ””サウンドミュージック”

ジョンソン北爆指令(ベトナム戦争)”ベ平連”結成

山陽特殊鋼・サンウエーブ工業倒産、山一証券経営危機
構造不況論争
供給力過剰と見る構造不況論者、財政均衡論者は引き締めを主張、一方下村氏は金利引き下げ、
企業減税、公債発行で需要拡大を主張

いざなぎ景気(1965.11〜70.7)
経済大国1966〜75年
40-45年10%成長持続
輸出競争力向上で国際収支黒字定着
30年代債務国から43年には債権国へ
重化学コンビナートの展開
自動車製造、電子工業、住宅、生活関連機器、中堅・中小企業、国民生活も変容
大型合併(39年三菱重工、41年日産・プリンス、45年八幡・富士製鉄、46年第一銀・勧銀)
公害問題深刻化、農業人口減少、女子労働力やパートの増加
大学紛争・市民運動、国際経済摩擦
日韓基本条約調印
1966 41 建国記念日制定 赤字国債発行

ビートルズ来日
グループサウンズ全盛
新三種の神器
(カー・クーラー・カラーTV)
”巨人の星2
大塚久雄”社会科学の方法”
川島武宣”日本人の法意識”
中国で文化大革命はじまる
1967 42 イスラエル&エジプト”6日間戦争(第3次中東戦争)”勃発 対内投資自由化(第1次資本自由化) 資本取引自由化発表 昭和元禄
ウルトラマン放映
フーテン族
シンナー遊び
リカちゃん人形
核家族
赤塚ギャグ漫画
中国核実験
吉田元首相国葬
沖縄返還
美濃部都知事当選
1968 43 ベトナム・ソンミ村虐殺事件 消費者保護基本法成立 GNPは世界第2位へ ラジオ深夜放送に人気
吉本隆明”共同幻想論”
3億円事件
パリのカルチェ・ラタン学生騒動”5月革命”
プラハの春
日本ではベビーブーマーの学生運動”全学連”激化
1969 44 大学紛争、新左翼内ゲバ激化、東大・安田講堂落城事件
覆面とゲバ棒、内ゲバと言われた血みどろの内部闘争、難解な用語と文字を連ねたアジ看板、”とめてくれるなおっかさん、背中のいちょうが泣いている、男東大どこへゆく”当時流行の東映任侠映画をもじった東大駒場祭のポスター
少なくとも困窮民救済を掲げた戦前右翼や左翼とは全く無縁のちんぴらヤクザ的屈折・心情と言われても仕方なかろう
対外投資自由化(第2次資本自由化) 海外物価騰貴抑制のため金融引き締めたが国際収支黒字は更に拡大
(円を徐々に切り上げるべきだった)
日米繊維交渉難航(46年妥結)
廣松渉”マルクス主義の地平”
フーコ”臨床医学の誕生”
造反有理を掲げゲバ棒をふるう学生
一方にヒッピー族
やエコノミック・アニマル
アングラ映画盛況
メキシコ・オリンピック
金嬉老事件
”竜馬がゆく”ベストセラーに
人類”月に立つ”
映画”男はつらいよ”第1作
森・青江らのご当地ソング
ニクソン
この頃 水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、川崎ぜんそく等公害病が問題化
1970 45 大阪・日本万国博覧会 富士・八幡製鉄合併
(企業合併弊害論と大規模生産利益論の対立)
ウーマンリブで元気な女性
一方に三無主義、しらけ

トフラー”未来の衝撃””第3の波(80年)”は
脱工業化社会の”情報革命”の到来を告げ、”生産消費者”など新しいマーケッティング概念を提示してベストセラーに
映画”イージーライダー”
藤圭子ヒット
”冠婚葬祭入門”ベストセラーに
赤軍派(全共闘残党)よど号乗っ取り事件
三島由紀夫割腹自殺(経済第一主義・昭和元禄に抗して?)
中ソ対立から米ソの緊張緩和へ(デタント)
1971 46 沖縄返還協定調印(核の問題はうやむやにされたが日本の戦後は一応終わったか?) バルト”零度のエクリチュール”
米国大統領・ニクソン
中国訪問と
金ドル交換停止
(ドル危機)

ニクソン・ショック→スミソニアン協定
第2次世界大戦後の通貨体制は、ドルと金との交換比率を固定し、各国通貨はドルと交換比率を固定することで通貨の裏付けとするブレトン・ウッズ体制下にあった
1960年代米国はベトナム戦争や対外的な軍事力増強などによって大幅な財政赤字と国際収支が悪化
大量のドル紙幣の発行は金の準備をはるかに越え、金との交換を保証できなくなった
1971年8月15日、突然米大統領ニクソンはドルと金の交換停止を発表する。
これによりブレトンウッズ体制は崩壊、良くも悪くも米国の膨大な消費とドルへの信認で維持されてきた世界経済は未曾有の大混乱に陥る
当初ドル為替の大幅な切り下げに成功(スミソニアン協定)したかに見えたが、米国の貿易赤字は更に拡大、国際金融は2年後、固定相場制から変動相場制に移行
スミソニアン協定(1$=308円)
円の切り上げで日本不況に
第4次資本自由化
円切り上げの対抗して金融大幅緩和、公共投資増大→過剰流動性→折しも列島改造論での不動産投機ブーム、石油ショックもあって物価が狂乱騰貴 大久保清事件

アンノン族
ホットパンツ流行
カップヌードル発売
”仮面ライダー”放映
小柳・南・天地の新三人娘活躍

バルト”零度のエクリチュール”
1972 47 沖縄復帰

連合赤軍集団リンチと浅間山荘人質事件
高等小学校卒の土建屋の”オヤジ”、”吉田学校”で政治を学び、その”金力”と”庶民的行動力”で岸・池田・佐藤内閣で着々と頭角を現す
ついに政界の優等生・福田赳夫を破り首相に
”コンピューター付ブルドーザー”の迫力で”日本改造論”を引っさげて登場、”今太閤””国民的英雄”とまで騒がれる
高速交通網と地方への分散投資で公共投資を拡大
評判は良かったが、結果的に土地価格を高騰せしめ、景気を益々加熱
おりしも第1次石油ショックの影響もあって”狂乱物価”を招く
バルト”モードの体系”
レヴィ=ストロース”構造人類学”
メルロ=ポンティ”弁証法の冒険”
ゴルフ会員権ブーム
横井庄一元軍曹28年ぶりの帰国
西城・郷・森昌子・アグネス・キャンディーズ等アイドル歌手
”太陽にほえろ”放映
日本赤軍テルアビブ乱射事件
田中角栄 佐藤の後継者争い”三角大福戦争”
田中角栄首相に”日本列島改造論”
列島改造景気(1971.12〜73.11)
日中国交回復・共同声明
1973 48 金大中事件
米ウォーターゲート事件
変動相場制移行 公共投資拡大、福祉元年宣言(ケインズ型経済政策) 超能力ブーム
ハイセイコー活躍
花の中3トリオ(山口百恵・桜田淳子・森昌子)
南こうせつの”神田川”
江川卓・甲子園で活躍
第5次資本自由化(100%)決定
第4次中東戦争で第1次石油ショック(2$→20$)


第1次石油危機不況(1973.11〜75.3)
物価高騰(20%)
トイレットペーパー騒動
不景気下のインフレ(スタグフレーション)

70年代からエネルギーの石油シフトが完成していた日本にとって石油高騰は非常に影響が大きかったが
比較的うまく対応出来たと言えよう 
しかし低成長下での賃金上昇、物価への影響が問題となる
(石油ショックで物価が上がり、賃金・公共料金が上がったまま硬直)
福田蔵相は狂乱物価の全治3年克服を宣言
 @緊急物価対策(石油関連商品の統制)
 A日本流所得政策として産業労働懇話会での賃金折衝
B同時に産業構造転換がうまく行き(石油消費の劇的節約)
 直後の国際収支赤字を黒字転換、物価も素早く沈静化出来た
円フロート制に移行
物価上昇全面化で金融引き締め
48〜50年 戦後最大不況(鉱工業生産指数19%減、スタグフレーション、減量合理化経営・女子パート等の解雇、財政危機)
安定成長期
1974 49 三木武夫 田中首相金脈問題に倒れ三木武夫首相 立花隆”田中角栄の研究〜その金脈と人脈”
日中国交回復と列島改造を叫んで華やかに登場してきた男が、実はいま金権政治の元凶として裁かれている。首相の座が金で買われ、政治が金で動かされていった戦後保守支配体制下最大の構造的腐敗の暗部を、厖大な取材データの分析で実証

経済安定成長に軌道修正
総需要抑制政策(金利引き上げ)
戦後初めてマイナス成長
赤字国債発行

重厚長大産業(エネルギー多消費素材産業)から
軽薄短小産業(自動車・機械等組立省エネ産業)への構造転換及び企業の減量経営で
75年には回復(5%)
強力な金融引き締めでインフレは沈静化したが。高度成長期は終焉 ベルばらブーム
長島引退”巨人軍は不滅です”
三菱重工爆破事件
陽水・さだまさし等フォークソング隆盛
映画”エクソシスト””エマニエル夫人”

廣松渉”資本論の哲学”
アルチュセール”資本論を読む”
バルト”表徴の帝国”
フォード・ジュニア
1975 50 ベトナム戦争終わる(サイゴン陥落)
石油問題を中心課題として第1回サミット 古典的経済への回帰 1975年以降
戦後最大不況へ
広島赤ヘル軍団リーグ優勝
暴走族

山口昌男”文化と両義性”
フーコ”狂気の歴史”
1976 51 ロッキード事件 アメリカ上院外交委員会で暴かれたロッキード社の国際的リベート事件
日本では田中前総理をはじめ、戦前右翼のトップ・フィクサー児玉誉士夫・小佐野賢治、丸紅会長、全日空社長などが収賄・外為法違反疑惑で逮捕、政・官・財界を激震
田中は刑事被告人の身ながら、三木・福田に代わる大平正芳(大角連合)・鈴木善幸・中曽根康弘の歴代総理を擁立、”闇の帝王”の実力を遺憾なく発揮する
しかし”田中曽根内閣”とまで言われた中曽根は総選挙敗北とともに田中から離反、
田中派次世代リーダーと目された竹下登も”創政会”を立ち上げ田中派から分離独立、中曽根内閣を継承
”政治とは金を配る事”と心得た稀代の政治家・角栄は脳梗塞に倒れる、失意の内に他界
現在に至るも田中の”国民的オヤジ”行動力を懐かしむ声、米ユダヤ資本のロッキード事件謀略説も多い
モントリオール五輪でコマチネ活躍
”泳げたいやきくん”ヒット
具志堅用高チャンピオンに
フォークシンガー・ユーミンのヒット
空席
毛沢東死去
中国・天安門事件
田中前首相逮捕
南北ベトナム統一
福田赳夫 田中派の”三木おろし”で
福田赳夫首相
ロッキード事件真相解明に政治生命をかけた三木武夫は自民党内での倒閣運動を呼び起こす
田中派・大平派・椎名派更にはかっての政敵・福田赳夫も首班のポストと引き替えに”三木おろし”に荷担(大福密約)
1977 52 日航機ハイジャック事件(赤軍派)
ミニ不況(1977.1〜77.10)
鉄鋼・カラーテレビで対米輸出自主規制 貿易黒字増大で円レート急上昇(輸出産業不況) キャンディーズ引退
ピンクレディー全盛
カラオケ・ブーム
一方”たたりじゃー”の横溝正史映画
王貞治世界のホームラン王に
ビューティーペアの女子プロ人気

バルト”テクストの快楽”
フーコ”監獄の誕生”
レヴィ=ストロース”悲しき熱帯”
カーター
1978 53 日中平和友好条約調印

イラン革命
ボン・サミットで米・独・日本機関車論(日本のみ大きく期待されたが) ”不確定性時代”(ガルブレイス)
省エネ・ブームで日本経済は比較的順調だったがサラ金地獄
や家庭内暴力で世情は荒れ模様
”口裂け女””なんちゃってオジサン”流行

柄谷行人”マルクスその可能性の中心”
山口昌男”知の遠近法”
李先念
(ケ小平)
大平正芳 大平正芳首相
しびれを切らした大平、”大福密約”を反古にして福田に挑戦、角栄の支持を取り付け”角影内閣”を組閣、”敬虔なクリスチャン”とも思えぬ寝技を発揮
小此木啓吾”モラトリアム人間の時代”
イラン・イスラム革命 第2次石油ショック 蓮實重彦”フーコ・ドゥルーズ・デリダ”
1979 54 官公庁不正摘発続発 東京サミット(石油割り当て)
英国・サッチャー政権発足 サッチャーリズム
ハイエクの”新自由主義”を旗印
”英国病”は前労働党の”高福祉経済”がもたらしたとして
@規制緩和
A民営化
B”大きな政府”から”小さな政府”へ
C所得税減税と消費税増税
まさにレーガン・中曽根から小泉に至る”新自由主義””市場原理主義”政策の嚆矢であり、故に賃金低下・失業率上昇・格差拡大・税負担の増大等による国民不満ももたらした
金融財政引き締め続行でインフレ阻止
石油ショックをうけて省エネ合理化
産業構造の変化、ME革命
→輸出拡大で経済摩擦
→円高を呼び輸出産業に打撃

第2次石油ショックは早手回しの引き締め政策で、投機・卸売物価の高騰を抑え、第1次の時のような狂乱物価騰貴は起らなかった
素材産業を中心とする不況業種に対しては特定産業安定法等不況対策
財政赤字には間接税増徴、行政改革等
三菱銀行猟銃人質事件
流行歌、関白宣言・YMCAヒット
公費天国でサラリーマンはしこしこインベーターゲーム
機動戦士ガンダム放映
ウォークマン、パソコンPC8001発売
”熟年”層は”ダサイ・ウザイ”で”窓際族”に
キュリア・ウーマンが頭角
TV”金八先生”人気

ボードリヤール”消費社会の神話と構造”
40日抗争(大平&福田・三木)
日米同盟姿勢、増税発言など強硬姿勢に79年衆院選挙敗北、田中派以外の退陣要求に”辞めろと言う事は死ねという事か”と根強い政権固執で対応、不信任案決議可決の対し衆院解散で応え、衆参同日選挙にもつれ込む
1980 55 伊藤正義
40日抗争からの党内”怨念”を押しての衆参同日選挙最中、大平急死、伊藤は臨時代理、幸いか不幸か”弔い選挙”で自民は大勝
輸出増大・輸入停滞で経済摩擦拡大
日米金利差が大きいと→米の金利高→ドル高、円安→米の貿易赤字
更に日本に蓄積された資金が米国に投入され、一層のドル高を招いた
ビートたけし以下漫才ブーム
竹の子族、ぶりっ子、ヘッドホン族
山口百恵引退、松田聖子デビュー
”たのきん”トリオ

栗本慎一郎”経済人類学””幻想としての経済”
鈴木善幸 第2次石油危機不況(1980.2〜83.2)
イラン・イラク戦争
金属バット尊属殺人事件
1981 56 ライシャワー”核積載米戦艦日本寄港”を証言 対米自動車輸出自主規制
米国・レーガン政権発足 レーガノミクス
”新自由主義”の流れ、前民主党の政策を批判
供給面を重視する”サプライサイド経済学”に立脚
@歳出削減による財政収支の改善
A大幅減税による貯畜・投資の刺激
B規制緩和
C安定的な金融政策(インフレ抑制のため金融引き締め、高金利ドル高容認)
一方”強いアメリカ”を標榜して軍事費を増大
そのため結果的に財政赤字と対外債務(ふたごの赤字)をもたらし、プラザ合意で政策転換
80年代は高度成長期の反動で
 大きな政府から小さな政府へ
 民間は借入・消費から貯蓄へ
 ケインズ政策からマネタリズムへ
 労働運動も停滞、政治的保守化傾向
 地域格差の解消、第3次産業の拡大
 古典的経済への回帰
輸出は急増(競争力が強化されたのに、対アメリカの金利差が大きく、為替レートが安いため貿易黒字拡大→貿易摩擦)
ノーパン喫茶盛況
TV”北の国から”ヒット
”フォーカス”創刊
千代の富士横綱に
タモリ人気
角栄”ハチの一刺し”に刺される
田中康夫”なんとなくクリスタル”
レーガン
1982 57 日航機羽田沖墜落事件(原因は機長の心身症) フォークランド紛争勃発(サッチャーの活躍)

IBM産業スパイ事件

株価は 1982.10底値から上昇、1987年米ブラックマンデーの反動を経てバブルへ(1990年崩壊)
地価は1983年から上昇、91年ピークには都市圏4倍強、地方圏2.4倍
映画”E・T””セーラー服と機関銃”ヒット
TV”積木くずし””おれたちひょうきん族”ヒット
落合三冠王
アイドル黄金時代
エアロビクス流行
”宅急便”
”ネクラ”
アンドロポフ
ホテル・ニュージャパン違法建築で火災
三越・岡田社長解任・逮捕 臨調”増税無き財政再建”答申
中曽根康弘 鈴木首相は行政改革・財政再建至らず自ら退陣
中曽根康弘首相
外交、行政改革、総選挙に手腕を発揮して5年の長期政権
”日本列島は日米防衛の浮沈空母”発言の真意定かでないが
その信条が防衛・経済での日米同盟強化であったのは善し悪し別として確か
1983 58 戸塚ヨットスクール”しごき教育”事件 財政改革(土光敏夫)と官業民営化 世界のインフレ沈静化 NHK”おしん”がブーム
東京ディズニーランド開園
エイズ・パニック
”愛人バンク”
”ニャンニャンする”
東京地裁・田中元首相に実刑判決 浅田彰”構造と力”
柄谷行人”隠喩としての建築”
蓮實重彦”映画 魅惑のエクリチュール”
中沢新一”チベットのモツァルト”
三宅島大噴火
1984 59 長野県・西部地震

つくば科学万博
第2次石油ショック後の不況がほぼ収まり設備投資などピーク グリコ・森永事件
ロスアンゼルス五輪
”疑惑の銃弾”報道
マイケルジャクソン・マドンナのヒット
映画”お葬式”
TV”おニャン子クラブ”
浅田彰”逃走論”
”飽食の時代”
”ソープランド”
”キャバクラ”
”ピーターパン症候群”
”まる金・まるビ”
”いじめ問題”深刻化
チェルネンコ
1985 60 豊田通商事件(金取引詐欺商法で永野会長刺殺)
対米貿易摩擦、ジャパンパッシング(特に非関税障壁)
経常黒字”近隣窮乏化論”に対する反論は
@黒字は日本努力の結果
A国際収支は地域別でなく全体で見るべき、資本収支も含めて見よ
Bアメリカが行動すべきで日本は何もしなくて良い
結局中曽根政府は対米協力
阪神タイガース(吉田監督)21年ぶりの優勝 ゴルパチョフ
日航ジャンボ御巣鷹山墜落事件
プラザ合意
中曽根政権はドル売りの協調介入、日本経済はデフレ、企業収益の大幅減、円高不況へ
円高不況(1985.6〜86.11)
前川リポート(経常黒字増大批判を受けて内需拡大方針に転換)
為替レートの調整では米国赤字是正に効果がなかったが、
前川報告の主張した内需拡大政策(減税、公共投資)によって87年には景気回復、黒字不均衡も縮小した
但し 内需拡大を金融政策に偏重したがため
資産価格(主に株式と土地)の上昇を招き後のバブル要因ともなった 
GNPは米の1/3・世界2位、輸出合計は米の3/4、外貨準備世界3位、一人当たり国民所得は米の7割
日本の急成長、輸出超過はECやアジア諸国からも反感を買うことになった
ファミコン・ブーム
うざったい
新人類
金妻
三浦和義ロス疑惑で逮捕 蓮實重彦”物語批判序説”
柄谷行人”内省と遡行”
民営化NTT、JT発足
ゴルバチョフ、ソ連共産党書記長に
1986 61 ソ連・チェルノブイリ原発事故 日米半導体協定
一人当たりGDPが米国を抜く
家庭内離婚
円高差益
テレクラ
土地ころがし
社会党土井たか子委員長(土井旋風を巻き起こす) 使い捨てカメラ”写ルン”
ホラー・ブーム
行列ブーム
ハイレグ水着
”亭主元気で留守がいい”
清原・桑田プロ入り

中沢新一”野ウサギの走り”
ドゥルーズ=ガタリ”アンチ・オイディプス”
リオタール”ポストモダンの条件”
三原山噴火
バブル景気(1986.11〜91.2)、財テク・ブーム

原油価格一旦沈静(30ドル近くから10ドル台へ)

バブル経済へ(〜1991年)
(実体経済を乖離しての資産価格の投機的高騰、いつかは弾ける経済現象)

原因
@プラザ合意による円高(1$=¥240→¥120)
A円高不況を防ぐための金融緩和、その低金利政策は当時国際公約と捉えられそのままの継続が見込まれた
B日系資本は米国債等ドル建て資産から為替リスクのない国内資産に逃避
C中曽根内閣(前川リポート)以降、国際的に約束させられた国内需要と財政拡大
D金融緩和による過剰流動性は不動産や株式等の投機に向かい、土地神話に支えられた銀行も後押しした
E資産価格の高騰が資産効果で消費を刺激

バブルの経済的背景
@資産のインカムゲインが拡大
A低金利が継続
B資産価格の上昇期待が自己増殖的に高まり
→資産価格が上昇
1986年〜89年日本のマクロ経済は
5〜6%の高経済成長
税収が増え、財政バランスが好転、輸入増しで懸案の経常収支黒字減少、雇用情勢好転等経済パフォーマンスが大いに改善
一方 ”持てるものが益々持ち太る”事への社会的不満
土地・株式・金融取引を巡って社会的不祥事続発(地上げ、リクルート・イトマン事件、金融機関の不正、美術品騰貴等)
1986 バブル下の経済政策
1987 62 ルーブル合意 日米半導体摩擦 財テク
NTT株フィーバー
レトロ・ブーム
”カウチポテト”族
地上げ屋
”花キン”(花の金曜日)
”ボディコン”
”朝シャン”ブーム
”スーパードライ”発売
ベストセラー”サラダ記念日”
アイドル光GENJIや”国民的美少女”後藤久美子
NTT株上場
国鉄民営化
米国株式市場”暗黒の月曜日”
竹下登 竹下登首相
バブル期から長期低迷期へ(平成史)
西暦 和暦 内閣 事件 経済 文化・流行語
1988 63 竹下登 リクルート疑惑に揺れる中
消費税法案強行採決
”ふるさと創生事業”で全国自治体に一億円ずつバラ撒き、地方は乱費ブーム
電子工業など花形分野で立地拡大
土地・株価急騰
インサイダー取引
”フリーター”
”おたく族”
”お局様””オバタリアン”
”セクハラ”
ソウル五輪
青函トンネル、瀬戸大橋開通
なだしお事故
中沢新一”悪党的思考”
1989 H1 昭和天皇逝去、平成改元
日経平均最高値38,915円
三重野総裁 豪腕バブル潰し 利上げ
ぬれ落ち葉
ほたる族
ブッシュ 江沢民
ソ連・ペレストロイカ 消費税スタート
宇野宗佑 竹下はリクルート汚職と消費税導入・バラマキ財政に倒れ
宇野内閣、しかし破廉恥スキャンダルで3日天下(竹下→宇野→海部)
日米構造協議始まる
海部俊樹 海部俊樹首相(若さとクリーンを売りにだったが力不足?)
ベルリンの壁崩壊・マルタ会談→冷戦終結 佐藤・中曽根は領土・安全保障にも関心、経済主義以上のものを加味した、福田・大平は経済主義ながら東南アジア・アジア太平洋への地域政策を推進、日本外交に新しい国際的所在を設定する事も試みる。そして冷戦終結が”日本の戦後”を終わらせる。
平和に背く活動は一切しないと言う戦後平和主義の時代は終わり、世界平和に貢献する方途を求める局面を迎える。国連平和維持活動(PKO)への参加、自衛隊海外派遣、日米安保条約の拡充等
日経平均最高値(38,915)
東欧革命 総選挙で社会党大勝、土井委員長は”山が動いた”と表現、後に村山社会党の自民連立内閣に繋がったが、結果的には社会党崩壊のもととなった(何やら現在の民主党に似ていなくもない)
天安門事件 ソニー米国コロンビア買収
1990 2 大阪・花の万博 日銀金融引き締め・不動産融資総量規制で地価・株価暴落、バブル崩壊(10年間で土地・株1400兆円の資産損失)
平成不況へ(〜2002年、第1次91〜93年、第2次97〜99年、第3次2000〜2002年)
バブル後遺症で失われた10年へ
@過剰債務、過剰人員、過剰設備
A不良債権と銀行の貸し渋り
B政府は財政再建と公共投資拡大の繰り返し
金融引き締めは後手に回り、しかも信用崩壊以降も金融引き締めを継続した政策ミスも言われている

経済改革は先送りされ、不良債権処理も進まず、97年金融危機に突入
更に企業の輸出ドライブにより円高が進行した

宮崎義一教授は“複合不況”論で 
株価・地価の資産価格大幅下落に注目した
あげまん
おやじギャル
ボーダレス
アッシーくん
イラク・クエートの侵入
ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一

1991 バブル崩壊
1991 3 湾岸戦争(米国中心の多国籍軍イラク爆撃)
米軍ピンポイント攻撃の威力を世界に見せつけた
韓国・北朝鮮 国連加盟
130億ドル負担 1986年から続いたバブル景気が崩壊
若貴ブーム、北の富士引退 エルツィン
雲仙噴火 宮沢内閣公共事業拡張策
四大証券損失補填発覚
ソ連邦崩壊
共産主義の一句悔い
ソ連崩壊の原因
@生産性を向上出来ず国民の経済不満をもたらした計画経済
A中央集権的管理国家の破綻
B力頼みのソ連邦多民族抑圧体制の破綻
Cアメリカに対抗しての軍事費負担
過労死
ヘアヌード解禁
清潔シンドローム
バツイチ
損失補填
宮沢喜一 宮沢内閣(財政支出派)
政策通との事だったが、折からの不況深刻化と金丸信副総裁汚職発覚でなすすべなく、自民党は分裂新党ブーム、非自民非共産連立細川内閣に政権を譲る結果となる

平成不況(1991.2〜2002.2)
公定歩合小出しの引き下げ 生活大国5カ年計画

宮沢内閣から細川内閣にかけて財政支出を行ったが景気浮揚の効果がなかった、その流れの上に立っての平岩レポートによる構造改革、
しかし実効的に実行されなかった、又橋本内閣による実行は個別政策採用のタイミングを失した

財政支出が効果を発揮しなかった要因
@公共投資の不効率
A不良債権問題でマネーサプライが増えなかった
B円高状況
1992 4 PKO協力法案可決(国際協力)

細川内閣誕生(38年ぶり非自民政権)
EU発足
不良債権増大
宮沢首相は早くも公的資金投入を提案したが実を結ばず
証券恐慌
長期国債(赤字公債)発行決定
証券取引等監視委員会発足
ポンド急落
複合不況
就職氷河期
セックスレス夫婦
ほめ殺し
分煙
PKOで自衛隊初の海外派兵 ドゥルーズ”差異と反復”
金丸議員・佐川急便疑惑で逮捕 バルセロナ五輪
1993 5 細川護煕 Jリーグ開幕
自民党分裂
細川首相(非自民連立政権、構造改革派)
宮沢内閣不信任、自民分裂の中で”日本新党”を立ち上げ、非自民非共産の連立で政権奪取
この殿様・陶芸プロの文人宰相、日本人には珍しいスマート振りを見せてくれたが、気が向かぬとあっさり降板
平岩リポート、規制緩和を中心に構造改革をうたいあげる
平岩リポート
4つの改革目標
@開かれた透明な経済社会として規制緩和
A創造的で活力のある経済社会(ベンチャー企業などの育成)
B生活者優先経済社会
C世界と調和し世界から共感を得られる経済社会
東京サミット
GATTウルグアイラウンド合意(コメ部分開放)
経済規制原則撤廃方向へ
インターネット
ブルセラ
リストラ
コギャル

小林よしのり”ゴーマニズム宣言”
ベンヤミン”パサージュ論”
クリントン
欧州連合12国単一市場始動(EU発足)
ヨーロッパ、EUできてひとくくりさ(1993)
ゼネコン汚職(金丸・仙台市長・宮崎県知事等)
サッカーJリーグ開幕
イチロー効果
1994 6 羽田孜 羽田首相(新生党、細川連立内閣を継承) 東京協和、安全の2信用組合破綻 ヤンママ
同情するなら金をくれ
小選挙区比例代表並立制
松本サリン事件
教祖にマインドコントロールされたオウム真理教徒が
坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件等日本未曾有の宗教殺人(ポア)・テロ事件を起こし、国民を恐怖に陥れる
(日本犯罪史上最悪の凶悪事件)
@教祖麻原は別として、リーダー層の殆どは真面目な青年知識層だった
A影の内閣を作り、権力の転覆(武装クーデター)を企てた
Bサリンなど大量化学兵器を生産使用
Cロシア等に組織を広め、武器やヘリコプターを輸入
D教義はチベット仏教の流れを汲むと言うが、脳内刺激やLSD等を駆使してマイルドコントロール
公共投資基本計画(投資総額630兆円)
村山富市 村山連立(自社さ)政権成立
自民党分裂弱体化の中で自民(橋本龍太郎)が打った窮余の一策、村上社会党首を首班に押し立てる事で自社さ連立政権を樹立、与党自民を復活せしめた
村山首相は阪神大震災やオウム事件、住専問題等難問題を一応無難に処理、終戦50周年では歴史的談話(謝罪)を世界に発信、評判は悪くなかったが、なにぶん自民に擁立された首班であったため、その保守よりの政策転換は党内の分裂を招き、後に社会党崩壊を招く
(”自衛隊合憲・日米安保堅持”の発言)

構造改革のための経済社会計画
14兆円総合対策(それなりに95〜96年の景気浮揚に繋がった) ドゥルーズ=ガタリ”千のプラトー”
アルチュセール”マルクスのために”

イチロー効果
同情するならカネをくれ

NATO、ボスニア空爆
記録的猛暑と水不足
1995 7 阪神大震災
住専問題(公的資金注入論争)
   公的資金投入6850億円
95〜96年は景気は小康状態(成長率3〜4%)
$1=¥80
WTO(世界貿易機関)発足
官官接待
NOMO
キムタク
ベル友
青島幸男”無党派”

がんばろうKOBE
地下鉄サリン事件
宮台真司”終わりなき日常を生きろ”
沖縄米軍による少女暴行事件
東京協和・安全両信金乱脈融資事件 野茂新人王 NOMO
1996 8 社会党→社会民主党へ 携帯電話
プリクラ
おやじ狩り
援助交際
ストーカー
ジベタリアン
へそ出しルック

有森裕子”自分で自分を褒めたい”
長嶋茂雄”メークドラマ”
橋本龍太郎
橋本内閣、自民単独政権を樹立(後に公明党を抱き込む)
”火だるま構造改革”強行は時期悪く失敗
規制緩和、官民の役割分担、情報開示の3本柱
行政改革・財政改革・社会保障構造改革・経済構造改革・金融システム改革(金融ビッグバン)・教育改革の六大改革強行
財政改革法は文字通り緊縮政策
@国債発行停止
A消費税増税 5%
B医療費負担の値上げ
大蔵省中心の増税、社会負担増、公共投資抑制政策で財政再建を急いだため、消費税UP駆け込み需要の後、景気は一挙に先折れ金融危機へ
薬害エイズ”ミドリ十字”が謝罪 東京銀行・三菱銀行合併
金融界再編ブーム
オウム裁判
住専に6850億公的資金投入
菅・鳩山民主党結党、小選挙区制選挙 大澤真幸”虚構の時代の果て”
厚生省汚職事件 大腸菌O-157騒動
ペルー日本大使公邸人質事件 アトランタ五輪
1997 9 神戸で小学生殺傷事件 アジア通貨危機
金融危機
三洋証券・北海道拓殖銀行・山一証券・徳陽シティ銀行など相次ぐ金融機関の経営破綻
山一証券社長は”私らが悪い、社員は悪くない”と何か訳の解らぬ涙の謝罪

第1次リストラ(解雇)ブーム、終身雇用制崩壊、デフレーション
橋本首相が提唱した金融ビッグバーンで
間接金融から直接金融へ、独禁法改定、持株会社解禁
日銀法改正
チャイドル(子役タレント)
ビジュアル系

渡辺淳一”失楽園”
四大証券・総会屋利益供与事件
大蔵省・日銀幹部収賄事件
消費税5%に値上げ 金融界にMOF担
”新しい歴史教科書をつくる会”発足
1998 10 小渕恵三 小渕恵三首相(自民・自由・公明連立政権、世界の”借金王”を自認したバラマキ財政)
米国から”冷めたピザ”中曽根から”真空総理”と皮肉られたが
強面の橋本に比べ、バラマキでも何でもほっとさせてくれた
しかし過労で殉死
金融監督庁発足、金融再生関連法成立
アジア・ロシア 通貨危機
米国のヘッジファンドを主とした機関投資家による通貨の空売りによって惹起されたタイ通貨の暴落に始まる
タイ・インドネシア・韓国等東アジア・東南アジア経済に打撃を与え緊縮財政下日本にもダブルパンチ
ロシア財政危機、ブラジル通貨危機にも波及
速水日銀総裁 ゼロ金利政策
”切れる”若者
凡人・小渕、軍人・梶山、変人・小泉(田中真智子)
クリントン不倫事件
雑草魂・上原、リベンジ・松阪

佐々木主浩 ハマノ大魔神
長野オリンピック
和歌山カレー毒物混入事件
日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の経営破綻・一時国有化 東浩紀”存在論的、郵便的”
1999 11 NATO軍ユーゴスラビア爆撃
日銀金融緩和・ゼロ金利政策・バラマキ財政 長野オリンピック
全日空機乗っ取り事件 リストラ・ブーム、失業率が米国を上回る 地域振興券のバラマキ
カリスマ理容師
ヤマンバファッション
松坂大輔”リベンジ”上原浩治”雑草魂”

ブッチホン
東海村核施設臨界事故 大手15行に7兆5千億円公的資金投入
神奈川県警不祥事発覚
介護保険制度スタート
整理回収機構(RCC)発足
欧州連合単一通貨”ユーロ”導入 加藤典洋”戦後的思考”
高橋哲哉”戦後責任論”
西尾幹二”国民の歴史”
デリダ”法の力”
2000 12 日比谷線脱線事故 シドニ・オリンピックで田村亮子や高橋尚子が活躍
森喜朗 小渕首相緊急入院、森内閣 日銀ゼロ金利解除(早すぎ?) ユニクロのフリース旋風

IT革命
プーチン
福岡行き高速バス乗っ取り事件
韓国・金大中大統領北朝鮮訪問、金日成と会談
沖縄サミット
中央省庁再編
雪印乳業事件
そごう倒産
三宅島噴火 旧石器発掘捏造事件
2001 13 BRICS(中でも中国)の台頭
ロシア、プーチン大統領就任
米国、アフガン空爆→イラク・フセイン処刑
改革無くして成長無し
小泉=竹中平蔵金融相の”構造改革”政策
従来の不況対策は
“貨幣説”
デフレ解消には貨幣の増発が有効であるとする説だが、ベースマネーを増発しても
通貨量は増えず、投資も増えなかった
“有効需要説”
有効需要を増やすため 
91年 宮沢内閣の公共事業拡張策
95年 村山内閣の減税・公共投資拡大
99年 小淵内閣の減税、地方振興税交付
など財政拡張政策が取られてきたが、
効果が少なく財政再建が遠のくばかりであった
小泉首相がパフォーマンス鮮やかに提唱したのが
“構造改革論”
”新自由主義”に立脚、供給面を重視
@民営化(郵政民営化、道路公団民営化)
A規制緩和(労働者派遣事業法改定、独立行政法人や政策金融機関の統廃合、構造改革特区、グローバルスタンダード推進)
B中央から地方への三位一体改革(国庫支出金の改革、地方交付税交付金の改革、税源移譲を含む税源配分の見直し)
C更に思い切った“金融再生プログラム”で不良債権撲滅に乗り出す
日銀福井俊彦総裁、”量的金融緩和政策”
東浩紀”動物化するポストモダン”

聖域無き構造改革
ワイドショウ内閣
ブッシュ・J
実習船えひめ丸、米海軍原潜と衝突沈没
小泉純一郎 小泉純一郎首相
”聖域なき構造改革”として、国民に対して痛みを伴う改革を主張、新資本主義的構造改革を推進
その素晴らしく潔いパフォーマンス(小泉劇場)で大衆を魅了
経済は兎も角、自民党人気は復活
中央省庁再編
郵政民営化
政府・与党・地方財政三位一体改革
主要行、不良債権半減目標達成


USJ開業

アメリカ同時多発テロ


大阪教育大附属池田小学校に凶悪犯乱入・殺人 量的金融緩和
日本初の狂牛病感染
米国・9・11同時多発テロ(ニューヨク世界貿易センタービル)
米国ITバブル崩壊
英米軍アフガニスタン空爆、日本自衛隊もアフガンに派兵 狂牛病
2002 14 雪印食品牛肉偽装事件(7月には日本ハムも発覚) 景気は02年ついに底を打ち、景気回復の道を進める
景気回復理由
@ 80年代後半の異常な投機的上昇が整理されたA 技術革新
B なによりも米国・EU・中国等世界景気の上昇で輸出が拡大した
C 銀行の改革
小泉ブームで自民党人気は大いに回復したが
労働者派遣業事業法改定などで非正規雇用拡大、賃金は低下、一人当たりGDPは低落
格差(所得格差、地方格差)拡大と福祉切り捨てで
ダラダラ続いた”イザナミ景気”は大方の国民にとって実感無きも景気回復となった
一方株主権限を重視する会社法改定などで金融技法を駆使するIT長者も誕生
いざなみ景気(2002.2〜2007.10) 胡錦濤
鈴木宗男収賄疑惑で逮捕 金融再生プログラム発表
小泉首相北朝鮮訪問、金正日”拉致”を認める 日朝平壌宣言
拉致被害者5名帰国
バリ島テロで日本人2名を含む190名以上死亡
2003 15 米軍イラク攻撃開始(イラク戦争)
りそな銀行に公的資金投入 マニフェスト
少年・少女がらみの凶悪事件続発
中国・ベトナムにSARSの脅威 溝内財務官の円安誘導為替介入
2004 16 陸上自衛隊イラク派兵 三菱東京FGとUFJHD経営統合 鳥インフルエンザ
イラクで日本人人質拘束 郵政民営化閣議決定 宮台真司”亜細亜主義の顛末に学べ”
北島康介”チョー気持ちイイ”
ロシアでチェチェン独立闘争
2005 17 NHK不祥事で海老沢会長辞任 ネグリ=ハート”マルチチュード”
ライブドア・ニッポン放送騒動 小泉劇場
ホリエモン”想定内”
高橋哲哉”靖国問題”
明治安田生命保険法違反
コクド堤義明会長証券取引法違反で逮捕
福知山線脱線事故
ペイオフ解禁
北京で反日デモ
カネボウ上場廃止
個人情報保護法
合計特殊出生率 過去最低に1.26
参院選(郵政選挙)で小泉自民圧勝
首相靖国参拝で中国の反日運動激化
2005 小泉構造改革
2006 18 新会社法施行
ライブドア堀江社長逮捕
日銀量的緩和解除(ゼロ金利政策) 銭転がしから会社転がし
堀江、村上などはITのあだ花だったのか、
釈放後も結構稼いで居られる様です
荒川静香”イナバウアー”
藤原正彦”品格”
村上世彰インサイダー取引で逮捕
北朝鮮核実験
安倍晋三 安倍晋三第1次内閣
参院選は民主党勝利でねじれ国会
2007 19 耐震偽装事件 名人・小泉に比べ安倍・福田・麻生とも如何にも小ぶりだったか、パフォーマンスも思うに任せず短命政権が続く
高齢化率21%突破
郵政民営化、日本郵政グループ誕生 東国原英夫”ドゲントセントイカン”
石川遼”ハニカミ王子”
福田康夫 福田康夫内閣 バリバ・ショック→リーマン・ショック
2008 リーマン・ショック
2008 20 麻生太郎 麻生内閣 白川方明日銀総裁
リーマン不況、日本政府はデフレ宣言

2008.9米国リーマンブラザーズ破綻ショックが発端となり米国住宅バブルが崩壊(サブプライムローンと住宅ローンの証券化が起因)、世界的不況に
日本への影響ルートは
米国需要減→米国の雇用を支える外国人の雇用減→日本の途上国向け輸出減→米国利下げで国債需要が米国から日本に→円高、更に輸出減
アラフォー メドヴェージェフ
2009 民主党政権
2009 21
鳩山由紀夫 衆院選で民主党圧勝
鳩山由紀夫内閣
裁判員制度発足
日米構造協議始まる 日経平均7,054円のバブル後の最安値
経済成長-5.4%
オバマ
2010 22 菅直人 菅内閣
市民運動家出身実力派の菅直人が鳩山の後を継いだが
”イラ菅”の異名通り、官僚操縦に欠け墓穴を掘る
とりわけ在任中の東日本大震災は彼にとっても不幸の極みだった

日本航空経営破綻
欧州ソブリン危機
2009.10ギリシャを発端としてギリシャ・スペイン・イタリア等に財政危機
ユーロ圏共通通貨の根本問題
@ユーロ各国は金融緩和・レート切り下げ等独自の金融政策が出来ない
A一方財政は別なため、支援を期待出来ない
日銀、円高で市場介入、ゼロ金利復活
2011 23 野田佳彦 野田内閣
東日本大震災、電力危機
フレー(20)!フレー!人々(11)、皆被災。
米国債ショック
円が一時1ドル=75円の市場最高値
消費税増税法案、民主・自民・公明合意
なでしこジャパン
2012 24 安倍晋三 衆院選で自民党圧勝
安倍第2次内閣
東京スカイツリー開業
中東革命”アラブの春”
アベノミクス ワイルドだろぉ プーチン 習近平
2013 25 政府・日銀インフレターゲット2%合意
日銀黒田東彦総裁、異次元金融緩和
林修”今でしょ!”
お・も・て・な・し
倍返し
2014 26 中東、イスラム国樹立宣言 消費税8%引き上げ、10%への引き上げは先送り
7年ぶりの円安(一時1ドル=121円)株高(18,000円回復)経済成長0.4
TPP交渉大筋合意
軽減税率導入
集団的自衛権
2015 27 慰安婦問題日韓合意 ギリシャ金融危機
中国アジア・インフラ投資銀行主導
米FRBがゼロ金利政策解除
爆買い
2016 28 熊本地震
出生率100万人割れ
マイナンバー制度スタート
英国、EU離脱の国民投票
マイナス金利導入
消費税引き上げは再延期
長短金利操作付き量的質的金融緩和
神ってる
2017 29 米トランプ政権(〜21年)、TPPから離脱 インスタ映え
忖度
トランプ
2018 30 拉致事件問題 日長首脳会談  そだねー
2019 31 令和改元
働き方改革法案成立
消費税10%
2020 R 2 菅義偉 新型コロナウイルス世界的大流行
緊急事態宣言 東京オリンピック延期

志村けん、岡江久美子コロナで死去
鬼滅の刃 
三密  
アベノマスク GOTOキャンペーン
ソーシャルヂスタンス
2021 3 岸田文雄 東京オリンピック トランプ支持者国会議事堂乱入
アメリカ大統領 トランプ→バイデン
松山英樹・大谷翔平 世界的活躍
うっせぇわ リアル二刀流
バイデン
2022 4 ロシア軍ウクライナ侵攻 米国の金利高で24年ぶりの円安
対露経済封鎖で物価高

敗戦と復興 目次に戻る
1945年 GHQの民主化指令
 @日本軍隊解体 
 A軍国主義者・超国家主義者追放、東京裁判開始
 B軍需産業撤去
 C政治の民主化・男女同権・新憲法制定へ
 D経済の民主化(財閥解体・農地改革・労働組合育成)
 E教育の民主化
 F神道・天皇の神格化否定
 日本の防衛力・経済の破壊が目的だったとする意見もあるが
 経済力はすでに破壊されていた、民主主義にリスタートさせるに、実に行き届いた戦略だったと思います
1946年 経済安定本部設置 全面的なGHQの指導と援助の下、戦後統制経済と傾斜生産方式(有沢広巳・都留重人らがパイプ役)
 GHQ民政局草案に基づく(日本国会はほぼ形式的に目を通して採択)新憲法制定
1947年 高まる国際共産運動にトルーマンは共産主義封じ込め宣言
  GHQのお墨付きで急成長した日本の労働運動も、GHQ自らが抑制に乗り出し、ゼネスト中止指令 
1948年 帝銀事件、昭電疑獄事件
1949年 国鉄三大ミステリー事件(下山・三鷹・松川事件
  GHQの陰謀か共産運動の陰謀か解りませんが、ハイパーインフレ・人員整理・闇経済・政治腐敗が渦巻く暗い時代だった
国際的社会主義勢力の拡大、共産運動の高揚を背景に、アメリカの対日政策も”非軍事化・民主化”から”日本の経済自立を促し、共産主義の 防壁に”(ロイヤル陸軍長官)大きく転換します(GHQ内部では左の民政局から右のG2に勢力転換)
日本経済の立て直し、ドッジ・ライン・シャウプ税制もその一環でした
 新憲法制定も労働運動抑制も猛烈なインフレの収束も米国の手を借りなければ、どうしようもない時代だったドッジ・ラインの思い切った経済引き 締め、しかしその反動で日本は安定恐慌に突入
1950年 GHQは”警察予備隊”設置を要求、防衛出費を恐れる吉田首相は抵抗しながらも受け入れた
 朝鮮戦争勃発
 朝鮮特需 その額は1950年から1952年までの3年間に特需として10億ドル、1955年までの間接特需として36億ドルと言われる
1946年から51年にかけて日本がアメリカから受けた援助は、総額約18億ドル(内13億ドルは無償援助)と言う
 金額の大きさもさりながら、戦後援助は主として食料・医療品・衣料であったが、特需は文字通り日本製品が売れドルが入手された
 企業はそのドルで原材料を購入、拡大再生産のループが形成された
 朝鮮特需をもって日本は戦後初めて、順調な資本主義拡大再生産のシステムを手にすることが出来た、後にはアジアに先駆ける高度成長に向 けての基盤、資本の蓄積が形成された
 今も北朝鮮のミサイル実験が結果的に日本の憲法改定・軍備拡張を後押ししているが、朝鮮動乱が日本資本主義復活を可能にせしめたのは全 く皮肉だ
1951年 サンフランシスコで対日平和条約と日米安保条約調印
 西側陣営との単独講和ながら、日本は独立した
 安保条約は勿論”地位協定”等丸山真男博士に指摘されるまでもなく不平等条約だったが、時の吉田首相は不平等を承知の上で締結、左翼陣 営は”アメリカべったっり”と吉田を批判、日本の”従属国家論”を展開
1960年 岸首相もアメリカからの真の独立をと安保改定、何故か国論を2分する大論争
 60年安保時代ノンポリ学生だった小生、未だに条約の中身も読んでないので、これ以上論ずることを避けたいが
 要は岸首相は”日本有事の際にはアメリカの参戦を義務とする”と明記させて不平等条約を是正したとの事
 一方安保改定反対論者は”アメリカ有事なら日本の参戦も義務になる”と双務条約に反対
 (米軍は何時でも何処でも駐留基地を確保できる)地位協定は手つかずのままだったらしい
 時代下って、ベトナム戦争で傷ついたアメリカ、トランプの”アメリカン・ファースト”(世界の警官は辞める、君たち自衛しろ)で俄然”自衛論”が再過 熱
 ”国防をアメリカに任せて、真の独立国と言えるか!” "憲法9条破棄、軍事予算増額せよ!”
 厳しい状況下で最善を尽くしてくれたと思う名宰相・吉田茂さえ、”アメリカべったり”だったと今度は保守陣営から叩かれている、
 第2次世界大戦 =米ユダヤ金融資本の陰謀論さえ賑々しい

高度成長  目次に戻る
戦後高度成長を支えたもの   
@高い教育水準と勤労意欲・技術力   
A朝鮮動乱・冷戦による特需、一方”平和憲法”のお陰で極限にまで軍事費を節減できた  
B円安気味の対ドル固定相場   
C高い貯蓄率と官僚主導の投資戦略   
Dエネルギー革命の進展と安価な石油

1950-1953 神武景気    
1958-1961 朝鮮特需に支えられた
岩戸景気    
1960年   池田内閣 
所得倍増計画
1.鉄道・道路・港湾・用水など、相対的に立ち遅れた社会資本の整備   
1.産業構造の高度化、すなわち重化学工業化へ向けての誘導、生産性の高い部門へ労働力の移動   
1.自由貿易の推進と上記の重化学工業による生産性向上により輸出競争を勝ち抜くこと   
1.人的能力の向上と科学技術の振興により、従来経済と切り離されていた教育・研究などの文教問題を経済成長と関連付け、文教政策に積極的に取り組む   
1.二重構造の緩和と社会的安定の確保。   
1.経済的成長の背面に噴出が予想される産業構造の転換にともなう摩擦的失業、資金格差などの問題への対処。社会福祉と福祉政策の推進 当初経済学者等から実現を危ぶまれていたが、倍増計画を上回るベースで経済成長、1968年には米に次ぐ世界第2位の経済大国となる  
現実にどのような施策が行われたか(”投資が投資を呼ぶ”ケインズ主義的施策が好回転したと思われる)、専門外なので知らないが、
”計画”と言うより敗戦や国論を2分した安保騒動にうみ疲れた人心に  ”経済成長すれば、必ず豊かになる”と夢を与え、日常の仕事にかき立てた功績が大きい 栄光は勤勉に働いた国民にあろう  
急速な技術革新と設備投資   
三種の神器(白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機)に憧れて懸命に働いた国民が”東洋の奇蹟”を成し遂げた  
現代の中国同様に”エコノミックアニマル・成長第一主義・手段を選ばぬ利己主義”等と揶揄されながらも、  真面目に働けば良いことがある、”信じれば救われる”時代だった(経済成長の副作用が顕れるまでは) 
1963-1964 
オリンピック景気  東名高速・新幹線開通
1965-1970 
いざなぎ景気   
1965年 オリンピック景気の反動で66年にかけ
証券不況、赤字公債発行  
1966-1973年 内需主導から外需主導に、IMF体制の安定、ベトナム特需と背景に
第2次高度成長へ  
旺盛な輸出拡大、開放経済を求めて貿易・資本の自由化、重化学コンビナートの建設  
消費欲望をかき立てた新たな神器 3C(カラーテレビ・車・クーラー)  
しかし一方でようやく高度成長の副作用が露わになってくる  
公害問題(水俣病・富山のイタイイタイ病・四日市ぜんそく・新潟の第2水俣病等)人手不足、都会の過密・農村の過疎、二重構造問題等  
わけても 
1971年 
ニクソン・ショックに始まるIMF体制(ブレトンウッズ体制、金・ドル本位制)崩壊(変動相場制へ)  
1973年 
オイルショック(あたかも田中角栄が”日本列島改造論”を掲げての大型公共投資の最中)と狂乱物価が決定的だった
*田中角栄
高等小学校卒ながら並外れた集金力と人心掌握力で、土建屋のオヤジから総理になった正に”今太閤”、
その庶民的言動と”コンピューター付ブルドーザー”と言われた行動力に衆目の目を奪った
不幸にもオイルショックと重ならなければ、”列島改造”も”狂乱物価”を招かなかったかも知れない
しかし余りの”辺り構わぬ物神崇拝”、”ロッキード事件”で司直の手に落ちた
1974年 
マイナス成長、日本の高度成長期は終焉、不況期の到来
80年代 欧米はケインズ主義の限界を認識して、レーガン・サッチャーらの”
新自由主義”旋風
 @歳出削減による財政収支の改善
 A大幅減税による貯畜・投資の刺激
 B規制緩和
 C安定的な金融政策(インフレ抑制のため金融引き締め、高金利ドル高容認)
1979年 折しも  
第2次オイルショック
省エネルックに身を固めた大平首相はイマイチ人気だったが、日本の”ものつくり”にとって重厚長大型産業から軽薄短小型への多様化に目を向ける良い機会になった(問題は後発国にすぐ真似られる事だが)
省エネに向けて産業構造変換も伴いながら、なんとか凌げるかに見えた日本だったが、
立ちはだかったのがドル危機、ブレトンウッズ体制の崩壊だった

ドル危機  目次に戻る
1971年 ニクソン・ショック ドルと金との交換停止 
大きな原因はベトナム戦争の長期化でドル=金の大量流出、ドルの金兌換が不可能になった
(戦争は途方もなく大きな代償を伴う、 アメリカがやった戦争だから、アメリカに責任を取らせようとは言うまい
アメリカは資本主義防衛の大名目で戦い、各国も諸手を挙げて協賛した
基軸国の痛みは同盟国全体にのしかかるのは当然
それが証拠にトランプが”もう他国の為に戦うのは辞めた”と表明したときの各国の慌て振りはどうだろう)
ドルの金兌換を前提としたドル・金本位制のブレトンウッズ体制が崩壊した
ドルの”基軸通貨”としての役割は機能不全に、世界中の為替が混乱状態に陥った
1971年 スミソニアン協定では新レート(ドル切り下げ)での固定相場を維持しようとしたが、ドルの売り圧力止まらず
1973年 世界は変動相場制へ
80年代レーガンは”新自由主義・市場原理主義”を掲げながらも、
”強いアメリカ”に拘り(勿論アメリカが倒れれば世界的一大事だが)、 軍事予算拡張、金融引き締め(インフレ抑制目的)、減税政策
レーガンの市場原理主義は嘘っぱちだったのか?
しかし今になって考えればソ連との軍備拡張競争の大詰め、仕方なかったのかも知れない
ついにソ連が根を上げ、1991年ソ連邦自滅崩壊を勝ち取る
(めでたくスターリン型帝国主義は崩壊したが、今や又このような形でロシア帝国が復活するとは
中国の毛沢東型帝国主義も復活、帝国主義とは如何程根強いものか
共産主義だからと言う意見もあるが、もともと”共産”は隠れ蓑、周回遅れの帝国主義に過ぎなかったと私は思う)
しかし米国は益々財政赤字増大。貿易赤字・財政赤字の”双子の赤字”によって純債務国へ
1985年 
プラザ合意 インフレーションが沈静した米国は金融緩和が進行、景気は回復、
しかし貿易赤字増大に拍車、金利低下により、 貿易赤字国の通貨である米ドルの魅力が薄れ、ドル相場は次第に不安定になり、
さすがにレーガンもドル安に路線変更
こうした状況の下、1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、
自由貿易を守るため、協調介入でドル安路線を図ることで合意した。
とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著だったため、実質的に円高ドル安に誘導する内容だった。
これがプラザ合意である
併せ米国は日米貿易不均衡(貿易赤字)の原因は日本にあるとしてジャパンパッシング、日本の内需拡大を要請した
時の中曽根政権はドル売りの協調介入、日本経済はデフレ、企業収益の大幅減、円高不況へ (
円高不況 1985.6〜86.11)
内需拡大を主張した前川リポート 為替レートの調整では米国赤字是正には余り効果がなかったが、
内需拡大政策(減税、公共投資)によって87年には景気回復、黒字不均衡も縮小した
但し ドル買い円売りに応ずるため散蒔かれた過剰流動性は 資産価格(主に株式と土地)の上昇を招き、日本バブル突入 。
1986-91年  
バブル景気
*為替変動要因 三菱UFJモルガン・スタンレー証券 https://www.sc.mufg.jp/learn/products/exchange/factor.html
       なぜ為替レートは動くのか?|為替相場に影響を与える要因 (lfx.jp)
                 

中長期的要因       
@金利差 金利が高くなった国の通貨は上昇、金利が低くなった国の通貨は下落する傾向
A貿易収支 貿易収支黒字→通貨高、輸入増→通貨安
B物価変動 インフレ→通貨安
短期的要因としては
C中央銀行の為替介入
D政治的要因(政府要人の発言など)
E経済指標の発表(市場の予想と違う実績値の発表)
F地域紛争・戦争

*為替変動の影響
通貨高→輸入品が安く手に入る、輸出企業に打撃、貿易収支悪化
通貨安→輸出競争力が有利になる、輸入企業に打撃、輸入品の物価高、外資の流出、交易条件悪化

**マクロ経済学 標準理論
*ISーLM曲線と財政・金融政策

拡張的財政政策(歳出拡大・減税等)→IS曲線右(上)シフト→シフト後の均衡点では利子率上昇→クラウディング・アウト(民間投資を阻害)
拡張的金融政策→LM曲線右(下)シフト→クラウディングアウトは生じない(金融政策が有効?)
但しゼロ金利等利子率が極めて低ければ、LM曲線は水平になって、マネーサプライを拡大しても利子率を変動できない(流動性の罠)→金融政策無効となる(財政政策が有効?)
*マンデル=フレミング・モデル(財政政策の限界?)
財政金融政策の効果に関して標準的なケインズ型のモデルを,海外との資本移動,為替レートの変化などを含めた開放型の経済にあてはめた理論。経済の理論は,それを国内だけで考えるか,海外との貿易・資本移動を考慮して考えるかで結論が違ってくる場合がある。
これによると,金融政策は為替レートの変化によって効果が増幅され,財政政策の効果は,逆に為替レートによって相殺されることになる。これは金融政策の場合,金利を引上げると,それが投資を増やすのに加えて為替レートを低下させることにより輸出がふえるからである。財政政策の場合は財政支出をふやすと,金利が上がってレートが上昇し,輸出が減るので,財政支出増の効果が相殺されてしまう。

バブル下の経済政策   目次に戻る
1985年プラザ合意→為替協調介入後、急激な円高(¥250/ドル→¥120/ドル)
@貿易赤字に悩む米国が”日米構造協議”で日本の貯蓄投資のアンバランス是正、内需拡大を強く主張
A”円高不況”のトラウマ
B金利を引き下げて円高を直接抑制
かような理由で政府は、景気上昇期にあるに関わらず民間住宅投資・都市開発の促進、 民間設備投資の促進、個人消費の喚起等”内需拡大”に邁進した(86年前川リポート)
→公共事業拡大(87年には過去最大6兆円の事業規模)、公定歩合引き下げを繰り返した(5%→86年 2.5%)

*内需拡大政策の問題点
@経常収支・貿易収支は国民福祉に直接関係せず、政策目標とするのはナンセンス
A景気対策は経常収支ではなく、物価・雇用等マクロな経済情勢によって判断すべき
B日本が内需を拡大しても米国の貿易収支が縮小するかどうかは迂遠な効果
C円高は輸出産業に厳しいが、それに堪える過程で産業構造の変化を促し、日本企業の効率化・スリム化をもたらす (一般的には円高は交易条件を改善し国民生活を向上させる面がある)

*小宮隆太郎氏は下記のようにアメリカの圧力を批判
@アメリカの貿易赤字の主因は、その貯蓄率の低さと財政赤字の多大さにある(ISバランス論)
A円高によって一時的に対日貿易赤字を減らせたとしても、 Bその分だけ日本のGDPが縮減され、ひいては円が切り下がることとなるので、結局のところ、当初の目的(対日貿易赤字縮小)を達成することはできない 結果的に日本企業のアメリカへの”現地生産・販売”策が正解だった

1987 ブラックマンデー 日米構造協議開始
1989 日経平均最高値・地価高騰→三重野日銀総裁 豪腕バブル潰し(金融引き締め)
   株転がし、土地転がしによる余りの地価高騰に マスコミ・庶民は”鬼の三重野”に喝采
   しかし不況になると、”何故バブルを潰した”エコノミストと言われる方のなかにも”バブル何故悪い?”バブル懐かしの声      
      だから世論が常に正しいとは限らない、庶民の英雄が正しいとは限らない
   第2次大戦突入もマスコミ・庶民が強力に後押しした(私事だが、次回昭和史の整理に取り組みたい)
1990 日銀の金融引き締めに対応して 不動産融資総量規制→地価・株価暴落

バブル崩壊  目次に戻る
経済的背景
@資産のインカムゲインの低落(株価地価が下落→逆資産効果で経済低迷→配当地代の減少→資産価格下落)
A1989年以降の金利引き下げ
B資産価格の下落期待
経緯  
迷走した景気判断 
1989年頃まで資産価格の高騰に強い反感    
平成の鬼平・三重野総裁1989年90年の金利引き上げ(以後は金融緩和へ)
1990年〜93年頃、バブルの認識、バブルの全否定、バブルつぶし   
1990年不動産融資規制 バブルに不満を持った世間が(バブルつぶしを求めた)
1992年〜93年頃には景気減速に景気対策の繰り返し(歳出増し、金利下げ)、しかし伝統的財政金融政策では対応しきれないことが明らかになっていく、 バブルでは
@バブル期の政策運営が過度に刺激的だった
A崩壊当初は過度にバブル警戒的
B金融引き締めから刺激への転換が遅すぎると言う評価が一般的である
債務・設備・雇用の過剰
不良債権(企業金融機関バランスシート毀損)問題 当初政府も楽観的で不良債権の定義も狭かったが、
 2002年には40兆円と倍増 
 バブル期の貸付・借入の増大→資産負債両建て膨張→資産価格の下落でバランスシート毀損、担保割れ→銀行破綻、金融の危機へ
 94年 東京協和信組・安全信組、 
 95年 コスモ信組、兵庫銀行・木津信組 破綻→東京共同銀行(後の整理回収機構)を設立、引き継ぎ 
住専問題 不動産融資総量規制(90年)の抜け道として銀行→住専→不動産業者のルートが拡大、バブル崩壊で住専に不良債権が集中
 住専損失6.4兆円を母体行3.5兆円債権放棄、一般銀行1.7兆円債権放棄、農林系5.3億、公的資金6850億円投入して住専7社消滅させた
1997年 アジア通貨危機  海外からの投資資金に支えられ、順調な経済成長を遂げていたタイが引き金  
 @タイ・バーツがドル・ペッグしていたため、1995年以降”強いドル政策”でのドル高進展とともに実質為替レートが実力以上に増価
 A大幅な経常収支赤字を短期資本流入でファイナンスしていたが、先行きに懸念した短期資本が急速連鎖的に海外逃避
  (ヘッジファウンドが中心)
 B政府は外貨準備を崩して懸命に買い支えたが、抗しきれず変動相場制を採用、タイ・バーツ急落、IMFに支援を要請  
  IMFは緊縮財政や構造改革を求めたが、かえって経済縮小、危機の深刻化を招いた
  同様のメカニズムは インドネシア・韓国・マレーシア、・香港・フィリピンに波及、
  1998年にはロシア財政危機、99年ブラジル通貨危機に波及
 日本でも97年 三洋証券倒産(戦後初のインターバンク・コール市場でのデフォルト)→北海道拓殖銀行破綻、
 山一証券破綻(とばし、損失補てん等不祥事も)
金融システム安定化策 98年預金保険法改正、金融機能安定化緊急措置法→30兆円(後に60兆に増額)の公的資金枠
 金融再生法→日本長期信用銀行・日本債権信用銀行の経営危機で”一時国有化”のスキーム
デフレ対策
デフレ議論前史
@内外価格差議論 94年村山首相が内外価格差是正を政策目標
一物一価の法則が成立するならば、国内でも海外でも同じ商品は同じ水準の価格で取引され、 また為替(かわせ)相場は同じ商品を同じ水準の価格にするような相場に均衡することになる。 この相場を購買力平価という。
内外価格差の計算方法は、購買力平価÷為替相場である。 たとえば、日本で1個200円で売られている商品がアメリカで1個1ドルで売られていた場合、購買力平価は1ドル=200円ということになる。 実際の為替相場が1ドル=100円だとすると、この商品は日本で200円なのにアメリカでは100円(1ドル)で買えることになり、内外価格差が2倍程度あるということになる。 購買力平価が高くなるか、実際の為替相場が安くなれば内外価格差は縮小することになる。(ニッポニカ:内外価格差)
小峰教授のコメント:貿易財については為替レートで長期的には一物一価になるはずだから、内外価格差は解消される つまり内外価格差問題の本質は国内の製造業と非製造業の生産性格差にあるとする
A羽田政権の実質的所得倍増計画  物価を下げることを政策目標にした、デフレの弊害認識は皆無だった
Bディスインフレ論 94年経済白書では 物価上昇率低下が次の理由で実体経済にマイナスに作用する可能性に言及
 @実質金利の上昇(期待物価上昇率の低下が名目金利の低下が追いつかない場合)
 A債務者にとって将来債務負担がより大きく意識され投資意欲にマイナス作用)
金融政策枠組みの再構築
@日銀法改正、独立性付与  政治圧力はインフレ方向へのバイアスを持つと言う国際的潮流
 A金融庁 2001年 金融行政は大蔵省から内閣府の外局・金融庁(金融機関の検査監督機能、企画立案機能)に移管
金融緩和の進展(日銀)
 1998年 無担保コールレートを0.25%前後に推移させる方針決定
 1999年 無担保コールレートを0.15%の”手数料”以下に、ゼロ金利政策
2000年 ゼロ金利政策一旦解除  大蔵省・経済企画庁等政府筋は反対意見
2001年 米のITバブル崩壊等を受けて、ゼロ金利解除を撤回、量的緩和政策へ
 量的金融緩和政策(2001−2006年)
  市中銀行保有の国債を買いオペで日銀準備預金に変換
  (ゼロ金利の”流動性の罠”を回避して直接マネタリーベースを増加する金融緩和政策)
2013年  異次元金融緩和(黒田日銀総裁)   
 異次元緩和と銘打って国債の大幅買いオペ(長期金利抑制が目的だが、結果的に貨幣発行権を持つ日銀が政府債務の肩代わり)   
 更にはETF(上場投資信託)J-REIT(上場不動産投資信託)等リスク資産も直接購入(確かに金融マーケットには強力なテコ入れでしょうよ) 2022年 10年国債の0.25%利回りで無制限買い入れ
構造改革
 1996年 橋本総理
@行政改革(省庁再編)  内閣機能の強化、省庁のリストラ、独立行政法人導入、公務員定員の削減 内閣府下に設けられた”経済財政諮問会議”はマクロ経済運営の基本指針設定、省庁横断的調整機関として小泉内閣に受け継がれた 行政改革は相次ぐ役人不祥事への社会の不満を背景に行われたが、消費税増税・アジア通貨危機等多忙な時に 行政改革の本来目的を果たせたかは疑問
A金融システム改革(金融ビッグバン)
B財政再建   財政構造改革法:2005年までに財政赤字のGDP比3%以下に、公債依存度を97年度水準にまで引き下げる 数字目標を掲げ 消費税率引き上げ・特別減税廃止
 勿論他にも原因があったが、いかにもタイミングが悪く、景気・支持率は大幅に後退、財政構造改革法国会通過を待つことなく辞任
積極財政への転換
 1998年 橋本総理の後を継いだ小渕総理は積極財政に大転換、”財政構造改革法”を凍結して 20兆を超える”緊急経済対策”の大盤振る舞 い(世界一の借金王を自称、経済再生内閣) 総額7000億円の地域振興券配布も行われた(ナンセンスだったが)
1999年 日銀はゼロ金利政策  無担保コールレートを0.15%の”手数料”以下に 
2000年 小渕急逝の後を継いだ森総理も公共事業推進を中心に11兆円”日本新生のための新発展政策”
  財政赤字は橋本時の18.5兆円から37.5兆円に

小泉構造改革 目次に戻る
2001.4〜2006.9在位   
背景に 2002.1〜2008.2戦後最長の景気拡大期(いざなみ景気) 
その特徴は @物価下落傾向が続く中での景気拡大
A名目成長率より実質成長率が高い
Bだから景気回復の実感に乏しかった
C途中2回の足踏み(2000年後半〜03年前半、04年後半〜05年前半)
7つの改革プログラム  市場原理重視、公共投資抑制、個性有る地域発展、構造改革審議の基幹組織として”経済財政諮問会議”を重視
@民営化、規制改革プログラム  ”新自由主義”的競争原理の導入である
Aチャレンジャー支援プロ  金融の貯蓄から投資へ 等
B保険機能強化プロ 持続可能な公的年金制度の再構築、医療サービスの効率化
C知的資産倍増プロ ライフサイエンス・IT・環境・ナノテクノロジー・材料の分野への戦略的重点化
D生活維持プロ  保育所待機児童ゼロ、バリアフリー化等推進して男女共同社会参画
E地方自治・活性化プロ 市町村再編、国庫補助負担金の整理合理化して”地域の個性的発展”
F財政改革プロ 公共投資を抑制して国債発行30兆円以下、プライマリーバランスの黒字化を遂げ”小さな政府”
 *プライマリーバランス
  国や地方自治体などの基礎的な財政収支のこと。 一般会計において、歳入総額から国債等の発行(借金)による収入を差し引いた金額と、歳出総額から国債費等を差し引いた金額のバランスを見たもの。 プライマリーバランスがプラスということは、国債の発行に頼らずにその年の国民の税負担などで国民生活に必要な支出がまかなえている状態を意味。 逆に、プライマリーバランスがマイナスということは、国債等を発行しないと支出をまかなえないことを意味。 日本は膨大な財政赤字を掲げる、それがどうした?と言う論が根強い

改革の内容については、橋本構造改革で設計図が引かれたものだったが、見事な事は小泉氏の身をていしても退かない実行力とパフォーマンスだった とりわけ経済財政の総合戦略、予算編成の基本方針において官邸機能・総理のリーダーシップを強化した”経済諮問会議”の役割が大きい、 前身の”経済審議会”が有識者のみで構成されていたのに比べ、総理(議長)有力閣僚・日銀総裁という政策執行責任者が参加、実効性を強化した 又財界人や経済学者(竹中氏の弟子筋が中心?)で構成される民間議員(4割以上)が事前に”民間議員ペーパー”を作成、 これを本会議での叩き台として竹中平蔵経済財政担当相がとりまとめ小泉裁断で決着させる仕組み、 (私も現役時代、”物事を決めて整理しない会議は単なる時間つぶし、本会議以前のすり合わせこそが大切等”会議の手法、”喧嘩の仕方”を大いに学ばせて頂いた、 兎に角小泉・竹中コンビの豪腕に舌を巻いたものだ)
国家予算の基本的骨格(骨太方針)は”経済諮問会議”に委ねられることで、予算の大綱を小泉総理が握ることになった
1.デフレ対策  @不良債権処理  金融再生プログラム@資産査定の厳格化A自己資本の充実Bガバナンスの強化
膿を出させて、潰れるべきところはぶっ潰す、大切なのはそのショック波及を如何に吸収するかである
A企業再生 ”産業再生機構”機構が再生可能と判断できた企業の再建を買い取り企業再生に乗り出す
 (勿論只で融資するのじゃない、経営権を取り上げる)
 ”再生機構”は2003年から4年間、企業再生に取り組み、精算で国庫からの資金は全て返却  
 職業柄、再生手術の事案を2・3読んでみたが、さすがプロの仕事と感服した  
 金融機関には預金保険法改正”危機管理特別措置”で”一時国有化”の手法
B金融緩和  小峰氏によれば不良債権処理は2005年までに終了、金融システム不安も解消、企業収益も改善したが
  脱デフレは実現しなかった(何か問題でも?株価が戻らなかったから?)  
 やはり”金融緩和”が脱デフレの本道か?かくてアベノミクスの異次元緩和へと進んでいく
2.財政改革
@小さな政府を目指し、歳出削減に力点(消費税は引き上げない)
  国債発行額を30兆円以下に抑制(但し 実現したのは2002年のみ)
 郵政選挙で圧勝後、竹中氏は経済財政相から総務相に、自民政調会長であった与謝野馨と交代、
 諮問会議主導の政策運営に微妙な批判が持ち上がる
 竹中氏対与謝野・吉田羊諮問議員間の”成長率・金利論争” 
  竹中氏(プライマリーバランスを均衡化しながら金融緩和で金利より高い経済成長を主張)
  与謝野氏(プライマリバランス均衡だけでは国の借金比率は上昇続けるから更なる歳出削減、増税が必要)
 →歳出・歳入一体改革   
  @プライマリーバランスを黒字化して、次に債務残高のGDP比を引き下げる  
  A先ずは歳出削減、それでも残る部分は増税で対応  
  B 2011年にプライマリバランスを黒字にするには、歳出削減か増税で16.5兆円が必要
A財政出動型景気対策は殆ど行わず
3.郵政民営化(参議院の法案否決に衆議院解散して民意を問う郵政選挙に大勝して再提案、両院を通過させた豪腕は見事だったが
 郵貯・簡易保険会社を傘下にした日本郵政(株式の大半は政府所有)設立に如何程の意味があったか?
4.地方自治体の補助金・税・交付税の三位一体改革 
善し悪し別として、地方自治体の合理化・独立採算を迫った、市民生活に直結する社会保障・福祉への影響はいかがなものか、専門家に分析し て欲しい
5.規制改革 ”官から民へ” 構造改革特区、市場化テスト
 今になって私が残念に思うのが、労働者派遣事業法改定 派遣労働者の不合理な待遇差を解消し、
 派遣労働者を保護する目的の派遣事業法改正であったが
逆に企業にとって雇用調整に便利な非正規労働者を増やす一因にもなったのではなかろうか
日本の伝統的労働慣行(終身雇用制度・年功序列賃金制度・退職金制度・企業別労働組合・新卒一括採用等)の打破は
合理的生産性向上に避け得ない側面があったものの、若者の労働に対する意識も変っていった
人手不足の中で、定職を持たない若者の増加する現在の社会情勢に繋がる所が有るのでは?
不況時の就職難もあって若者達が卒業後取り敢えず派遣企業に就職、その後決まった技術も身につかず、
 転々とする事が増えたように思う(後述”日本的経営”)
人材は社会それぞれの持ち場で働くことで育っていく(労働は決して時間の切り売りでは無い筈)、昔は企業ももっと真剣に人材を育てたように思う 私が昔勤めた企業では、工場内に高卒資格を取れる学校があり、女工さんがそこで学科ばかりか習い事、サークル活動まで楽しんでいた
6.社会保障改革  医療制度・年金改革  国民負担の増加は不可欠とする
7.道路公団民営化、政策金融改革
 (政策投資銀行・商工中金民営化、国民公庫・農林漁業金融公庫・中小企業金融公庫等日本政策金融公庫に合併)
量的金融緩和(日銀)
2000年ゼロ金利解除したが、
2001年景気後退局面に入った事で消費者物価マイナス継続 金利引き下げ、
ロンバート型貸出制度採用(担保さえあれば銀行に、日銀は自動的に資金供給)
そしてついに量的緩和政策導入(2001年ー2006年) 
@金融市場調整の操作目標を無担保コールレートから日銀当座預金に変更 (当初の5兆円程度から毎年拡大、2004年には30〜35兆円、 大規模なドル買い市場介入に円資金を投入したまま不胎化、銀行保有の株式、資産担保証券買い入れ)
A消費者物価指数の前年比上昇率が安定的にゼロ以上になるまで量的緩和を継続とアナウンス
2002年より”物価下落下での戦後最長景気拡大”に突入
2006年 量的緩和解除(政府・与党の時期尚早意見を押し切って)
政権交代前夜
所得格差批判(全般的所得減少、05年賃金水準97年より7.5%ダウン)
市場原理主義批判
社会保障費削減(増加抑制)
2008年 米国 
リーマン・ショック
 原因 サブプライム・ローンの破綻(住宅価格の頭打ちで)
     ローンの証券化
 ベア・スターンズの破綻には公的資金を投入して救済したが、その批判から今回は投入がためらわれた
金融危機は世界的に波及、以後公的資金投入の枠組みが出来た
日本政府は当初影響を軽んじていたが、輸出・設備投資が大幅な落ち込み
 麻生政権は事業費27兆、過去最大の”生活対策”、57兆円の追加経済対策
先進各国の中央銀行もいち早くスワップ協定を締結して国際協調 各国中央銀行は政策金利引き下げに踏み切ったが、
日銀は引き下げに及び腰、日米金利差逆転、円高が進んだ

民主党政権 目次に戻る
2009年衆院選挙に民主党圧勝して政権交代
バラ色の政策”脱官僚・政治主導”のマニュフェストを実行しようとしたが、迷走
国家戦略会議  自民の経済財政諮問会議に倣ったが人材不足 官僚支配の象徴・事務次官会議廃止と張り切ったが、無理筋で”各府省連絡会議”と名を変えて復活 政策プロの官僚に頼らずして、政策立案実行は無理だろう
デフレ宣言をしたが、当初デフレ対策不在 2009年ドバイショックで相対的安全資産として円が買われて円高 日銀は徐々に金融緩和
マニュフェストの大盤振る舞いと甘い財源手当 例えば2010年度予算 大臣要求総額95兆円、
公開”事業仕分け”はパフォーマンス倒れ →マニュフェストの修正と財政赤字拡大
問題意識の足りなかったマクロ経済運営
鳩山”新成長戦略”   2020年までに環境・健康・観光3分野で1000兆円の新たな需要創出(根拠不明) ”幸福度”指標の主張(具体性無く、熱意は沈静化・消滅) 鳩山は普天間基地移設問題迷走等もあって、支持率低迷、2010年の参院選前に小沢幹事長ともに辞任
菅内閣 参院選に向けて軌道修正、消費税10%引き上げも自民にすり寄ったが参院選惨敗、”ねじれ国会”へ
日銀は 円高に対抗して”包括金融緩和”導入
@ゼロ金利政策復活
 A消費者物価上昇率1%が展望できるまでゼロ金利継続(時間軸設定)
 B資産買い入れ基金35兆円創設してJ-REIT等リスク資産も買入れ
そして2011年東日本大震災・原発事故(菅首相は陣頭指揮で張り切ったが、イラ管ぶりに大不評) 電力供給制約・サプライチェーン寸断、景気は大幅に減速したが、半年程度で収束、復興需要 貿易収支の赤字も短期でおさまった
野田内閣 社会保障・税の一体改革、消費税についても、2014年8%15年10%引き上げで3党合意(小沢氏他反対票を投じ集団離党)
7つの戦略分野の成長戦略を重点として、強い経済・強い財政・強い社会保障で国民生活の充実を目指す
第3の道”日本再生戦略”を掲げる (公共事業中心の第1の道、行き過ぎた市場原理に基づく第2の道ではなく)
結局責任政党になれば、自民党と代わり映えしないお題目を掲げざるを得なくなるか?そして革新党の存在意義が疑われ人気が崩落する (村山富市政権が社会党消滅の切っ掛けになったように)
2012年前原経済財政相が、より強力な金融緩和を日銀協力を求め、アベノミクス・インフレターゲット政策に接近

アベノミクス 目次に戻る
2012年第2次安倍内閣にて 三本の矢
@大胆な金融政策、A機動的財政運営、B民間投資を喚起する成長戦略
@デフレ・円高から脱却して、名目3%以上の経済成長を目指す(前民主党政権に比べ経済再生と企業重視を最重点する姿勢)
安倍総理は就任以前から 無制限の金融緩和、マイナス金利、建設国債の日銀引き受けを主張 →市場は円安・株高に反映→衆院選勝利して政権交代
2013年  日銀総裁にリフレ派大御所・黒田東彦氏を登用 物価安定目標2%のインフレ・ターゲット(日銀はすでに2011年”量的緩和”で実質的にインフレ・ターゲット策を実行していたが) 黒田日銀総裁は、2年程度の時間軸を設定して、物価目標を達成する為何でもやると決意を表明、
異次元緩和(量的・質的金融緩和)策発表   
金融緩和操作目標を無担保コールレートからマネタリーベスに変更(資金供給を毎年60〜70兆円増加)   
長期国債買い入れを拡大(買入れ国債の年限も拡大、白川前総裁時に導入した”資産買入基金”方式による買入枠も撤廃した)   
ETF(上場投資信託)J-REIT(上場不動産投資信託)等リスク資産の購入も拡大
強いアナウンスメント効果でデフレ期待を払しょく、イールドカーブの低下、ポートフォリオ・リバランシング(リスク資産への資産運用促進)を狙った  *イールドカーブ(縦軸に債権利回り、横軸に償還期間を取った利回り曲線、不況時には長期債権利回り<短期債権利回りの逆イールド)
A機動的財政運営は要するに思い切った公共投資拡大で財政再建には消極的
B成長戦略として”日本再興戦略”(規制緩和、法人税減税等で投資促進、女性参画など人材活用、TPPなどで世界協調、農業医療分野などで新需要創出等)

最初は極めて上手く行き経済パフォーマンスは好転(株価上昇と資産効果、円安進展で企業収益・物価上昇、14年消費税引き上げを見込んだ駆け込み需要)
しかし主に円安に支えられた政策の効果は短期的で賃金上昇に結びつかず実感のないものに終わった、
消費税増税の14年以降景気は足踏み状態となった
16年には世界経済の持ち直しによる輸出増で上向くが、
18年にはトランプの保護主義宣言の影響で再度足踏み
消費者物価・経済成長と言ったマクロ経済変数に時間軸をおいた数値目標を掲げると、ショッキング効果はあるものの、 逆に政策運営の手足をしばり、国民迎合的だが効果の薄くなった過剰金融財政施策に固執しやすい
金融政策の軌道修正
2016年、新三本の矢では範囲が広がって、強い経済(2020年までに戦後最大の名目GDP600兆円)、夢つぐむ子育て支援(1億人口、希望出生率1.8)、安心の社会保障(介護離職ゼロ) 18年働き方改革関連法  職能給(メンーシップ型)からジョブ型(同一労働同一賃金)へ 地方創生で人口増
2016年”マイナス金利付き量的・質的金融緩和”も、さして投資促進の効果がなかった(かえって将来不安を高めた)
アベノミクスで円安、当初企業収益は増えたが、継続が期待された訳でないから、賃金引き上げ、設備投資に向かわなかった(異次元金融緩和の限界か?)


同年”長短金利操作付き量的・質的金融緩和”発表
 https://www.findai.com/yogo0001/h0014m.html”金融大学”の解説が解りやすかったので拝借
検証:「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」について、一定の効果を発揮したが、
@原油価格下落、
A消費増税後の消費停滞、  
B新興国経済の減速、
C国際金融市場の不安定化等の外部要因により、「2年で物価上昇率2%」という目標は達成できなかった、と説明
次のように金融緩和の副作用にも言及
日銀保有国債が総発行残高の3分の1超に達しており、今後の国債購入の限界が懸念される点、マイナス金利導入によって 金融機関の収益悪化や生保・年金の運用難といった弊害がみられると正直に検証
しかし異次元緩和を強化するのか、出口に向かうのか解りにくい所 政策の軸足を”量”から”金利”に修正(オーソドックスな手法に転換?)
金融市場調節の操作目標を長期と短期の金利操作(イールドカーブ・コントロール)に移し、物価上昇率2%を目指す ポイントは「イールドカーブ・コントロール」と「オーバーシュート型コミットメント」 (従来日銀は長期金利のコントロールは難しく望ましくもないと否定的だった) 短期金利の操作は、現行のマイナス金利政策を維持する。今回の会合では、政策金利残高に対して、 マイナス金利「−0.1%」の適用を据え置く 長期金利の操作は、日本銀行が長期国債を買い入れることで、10年物国債の金利を0%程度で推移するよう操作 年間増加額約80兆円を目途に買い入れ また新しいオペレーション手段として、「指し値オペ」を導入 (国債を買い入れる際に、利回りを指定して買い入れるという手法)

量的金融緩和でイールドカーブがフラット化したため 「長期金利0%程度、短期金利−0.1%」という金利の期間構造へ誘導するイールドカーブ・コントロールを行う
長短の金利差が大きくなると、利ざやが稼げるため、金融取引が活発になる事を期待 10年物国債金利を0%に誘導することで、
@10年超の国債金利はプラスになる、
A短期金利のマイナス幅を拡大しても長期金利はゼロ以下には落ちない
オーバーシュート型コミットメントとは、日本銀行が、物価上昇率が安定的に2%を超えるまで金融緩和をやめないと約束した事 今まで通り「金融緩和を続ける」という強く明確な意思表示をすることで、人々の期待インフレ率を高めようとした
しかし 2018年にはこの約束が消え、僅かながら長期金利の上昇を容認する
財政政策
アベノミクスは”財政再建”にはあまり熱心でなかった 一般的に国民は消費税増税等歳入増し、社会保障費等歳出削減を嫌う→国民の意思に従っていては財政・社会保障問題の解決を望めない
1989年から2019年公債依存度は11.8%から32.1%に上昇(2021年債務残高はGDPの2.6倍) 名目成長率と長期金利がほぼ等しいと仮定すると、プライマリーバランスが均衡または黒字であれば、財政赤字は発散しない 日本の財政はサスティナビリティ(維持可能性、政府債務の名目GDP比が拡大していくと国債信用度が低下、引き受け手がいなくなる)を大きく欠く
2013年も2018年も骨太方針では財政健全化目標を決めた   
2020年までにプライマリーバランスの黒字化目標を掲げたが、今に至るも実現の見通しは無い
消費税引き上げ
民主党時代の3党合意に基づき、14年には8%にあげたものの、15年約束の10%上げは2度に渡って延期 、19年増税に備え軽減税率も導入した(経済学的には余り意味の無い制度だが)、引き上げ延期は民意・民主党も同意した)   
8%の引き上げは、直前の駆け込み需要で消費がアップしたものの、その反動の方が大きかった   
引き上げについても、その使途は消費税増税を上回る額が”人つくり革命””生産性革命”目的の支出に廻され   
当初の目的だった財政収支改善に貢献することはなかった ”コスト先送り”と言えよう
通商政策 安倍政権は通商政策の根幹としてTPP(環大西洋経済提携)の成立に注力した
経緯を振り返れば
@1990年代半ばまで古典的経済摩擦(日米貿易摩擦と構造協議の時代)  米国の貿易赤字からの”イチャモン”だったが、日本の不況突入、輸出減で米国の攻撃目標も失われた
A1990年代半ば以降 WTO(世界貿易機関)を中心とする多国間通商交渉の行き詰まり→地域間自由貿易・経済連携に注力  途上国の反グローバリズムでWTOラウンド沈滞、日本はシンガポール、メキシコ、マレーシャ、チリ等と個別協定
B民主党政権では”アジア経済圏創設””第3の開国”等はスローガン倒れで実行伴わず
C安倍政権以降、トランプなどが保護主義にお転換する中で、TPPを中心とする自由貿易に注力  
農産物関税撤廃問題を解決、2015年最終合意、発効を待つ段階で、中国との関税引き上げ競争の米トランプ政権が離脱  
米離脱でTPPは崩壊したが、日本が中心になって米国抜きの11カ国TPP11合意に努力、2018年発効  更にEUとも経済連携協定交渉をすすめ 、RCEP(東アジア地域包括的経済連携)合意を目指す

*安倍晋三 ”アベノミクス”についてゴチャゴチャ言ってるうちに、大変な事件
安倍晋三氏、度々の病魔に中断され”今度こそは政治信条実現の完成”と意を決しておられたかどうか?訳の解らぬ”殺人鬼”の凶弾に倒れ
政治的背景が有ろうと無かろうと、”人殺し”わけても沢山の人々から期待されている一国のリーダーを殺すなんて絶対に許せない
無差別殺人やテロが起こる風潮を徹底的に糾弾すべきと思います(私は若者達が”寄る辺”を失ってしまった社会も大きな原因と思いますが)
ところでマスコミは今の鬱陶しい状況でテロが起こるなんて、考えたくもないのか、 焦点は犯人が”凶行に及んだ理由は統一教会の集金活動への恨み、その統一教会を応援する安倍氏”と自供したことから 専ら”国会議員と宗教団体の癒着問題”に移っているようです
勿論国会内での”宗教的パワハラ”など品位を疑いますが、票のためなら”何時でも何処でも”が議員の仕事、 統一教会で”おべんちゃら演説”したって、それほど重大問題でしょうか?
安倍さんの肩を持つわけじゃないけど、結果的に犯人の”思うつぼ”になってませんか? (安倍さんに関しては、森友事件もそうですが、なんと”脇が甘い”と感心しましたが、それだけの事、 幸いにも公明党の創価学会、故石原慎太郎氏らの霊友会との関係程じゃ有りません、尤もマスコミの標的が其処までに至る深謀遠慮なら別ですが)
安倍政治の目標は勿論”憲法改定”、
”憲法改定”の目標は”核兵器保有に繋がる軍備増強(今日偶々”広島平和記念式典、出席の方々が口を酸っぱくスピーチ、”核抑止論”は”多分使わないだろう”の誠に危うい前提に立っています)
”アベノミクス”はその為の”地ならし”に過ぎません
”国葬”も”憲法改定”のため安倍氏は英雄になって貰わねばの思惑? (”死せる孔明生ける仲達を走らす”結構じゃないですか)

*余談(国防論)

中国・北朝鮮の挑発、これほどせっつくなら”日本国民も”平和憲法”維持を諦めざるを得ないか?
偶々参院選の際、ポストに入っていた共産党のチラシ
”自衛隊は段階的に縮小”と言いながら”もし他国が侵略してきたら自衛隊を先頭に断固戦います”(ちょっと矛盾してないか?)
確かに国土は自衛しなければならない
私だって史上有名なチェンバレンの”宥和政策”は失敗だったと思う
でも どの国も”自衛”の為に”軍”を拡充、希望に満ちた、いたいけない子供を撃ち殺しても”平和”の為と嘯く
”平和”のための”核抑止力”を名目に核兵器を開発してきた国が、”核を使うぞ”と脅しをかける
(尤も保有して使うぞと脅さなければ”抑止”出来ないが、いつ本当に使ってもおかしくない)
更に核兵器の今一つの問題は”先制攻撃”しか防御手段がないこと
軍事予算の増額のみが唯一の道だろうか?
もし米軍が撤退すれば、それをカバーする軍事予算は全歳出の30%、ほぼ現在の社会保障費 に匹敵する額が必要らしい(2022年現在軍事費は総予算の5%程度)、現実的だろうか?
お金だけではない、自衛官の話では移動式ミサイルを多発されれば、それを未然に探索破壊する技術はアメリカさえ難しいらしい
軍備拡張以外に戦争を避ける道は無いだろうか?その道を模索する方々を”平和ボケ”と片付けてはいけないと思います
ドストエフスキーが提示した恐怖の”公案” “必要ならば人の命を奪っても許される人間がこの世の中にはごく僅かだがいるのだ”
戦争は一般市民にまで”人殺し”の権利を与え、公然の”任務”とする
もう祈るしかないのか?

*與謝野晶子
君死にたまふことなかれ(旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)

あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたもふことなかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや
十月も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ

経済論争 目次に戻る    日本の経済論争wikipedia参照

マネーサプライ論争 目次に戻る
狂乱物価を巡って小宮隆太郎氏らが日銀を批判、 対して日銀当座預金や日銀券の増減は民間銀行の貸出の増減の結果として起こるものであって、 日銀が直接統制に訴えることなしには日銀当座預金と日銀券の残高を金融政策によって操作することはできないと主張(日銀理論)1990年代前半にもバブル突入を巡って、岩田規久男・翁邦雄(日銀)間に同様の論争が華々しく論じられた
金融政策の有効性を巡る根幹的議論,リフレ派岩田氏の対日銀前哨戦だった
岩田氏はアベノミクスで副総裁として日銀入り、理論の正しさを自らを実証せんとする
*狂乱物価(1973−74年)の原因
@第1次オイルショック
A田中角栄の列島改造計画及び円高防衛策で取られた過剰流動性
金融の仕組みは マネー通信(https://economy-and-assetformation.com/2019/01/14/monetary-base/)の解説が解りやすい
*マネーサプライ(マネーストック)   
銀行以外の民間部門が保有する通貨残高 M1=現金通貨(日本銀行券、補助貨)と預金通貨(当座、普通、通知等要求払い預金)の合計 M2=M1+定期性預金 M2+CD(譲渡性預金)
*マネタリーベース(ハイパワードマネー)
日銀が統制できるのはマネタリーベースのみ
日本銀行が供給する通貨=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」


産業政策論争
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80年代日本の高度成長は大蔵省・通産省を中心とする行政指導・補助金行政等 開発主義(主に国家の経済的・工業的な開発・成長・発展を優先する思想・政策)に支えられアジア各国からも範とされた
(共産下後のロシア・中国の急速な経済発展も強力な中央集権のメリットが反映されたものだろう)
しかし1980年代からの”新自由主義”の国際的風潮の中で、規制緩和、大きな政府批判、日本的経営慣行の効率的合理的脱却 年金・社会保障の見直しが叫ばれる
”新自由主義”は”小さな政府”を理想として”大きな政府”を批判 そして日米貿易摩擦、バブル、バブル崩壊を経て小泉構造改革では中央省庁再編
でも”バブル”は”大きな政府”だから起こったのか?
逆に企業の限りなき欲望、拡大志向が生んだのでは?
不良債権処理でさえ、”公的資金投入”という国家財政を使わなければ二進も三進も行かなかった
これは新自由主義批判だが、勿論国家権力の拡大にもロシア中国を見るまでも無く弊害が大きい
バランスが大事なだけに難しい問題だが、戦争とか革命、荒療治で解決すべき問題で無い

**
新自由主義
@市場への国家の介入を最小限に(小さな政府)
A民営化・規制緩和
B個人の自己責任を重視(公共事業や社会保障削減)
 
1930年代ハイエクの全体主義批判 計画主義批判、自由精神鍛錬の場としての市場
フリードマン 
@社会課題は国家ではなく「市場の自動調整機能」によって解決されるべき(市場原理主義)
Aニューヂィール政策(国家の市場介入政策)批判
B国家の役割は”ルール作りや監視”のみに限定

1980年代 ケインズ的政策(公共投資と福祉)がスタグフレーションを招いたとして
英のサッチャー、米のレーガン、日の中曽根(後の小泉改革も)らが新自由主義を積極的に政策に掲げた
問題点
格差の拡大
社会からのセーフティネットの喪失
企業の活動への影響
労働者の立場の弱体化

ソ連崩壊で自信を強めたアメリカは1900年代”新自由主義”を旗印として”
グローバリズム”を展開、世界の画一化を目指す
グロ−バリズム(地球全体を一つの共同体と見なして、世界の一体化を進める思想、今回は米の経済力・軍事力が背景にした米多国籍企業の世界経済囲い込みだったか?)
@パスポートなしでの国境往来
A国境制限を超えた多国籍企業の発展
BSNS等通信技術の発達
C関税・輸入制限を回避した自由貿易の拡大
1990年代-2000年初 アメリカで 低金利政策と相まって”
IT(インターネット)バブル”(株価急騰、アップル・アマゾン・IT関連ベンチャー等の急成長、日本のIT長者も?)
しかし ITへの過剰な期待への警戒から、2000年利上げとともに崩壊、2008年 リーマンショック
一方グローバリズムの反動、移民の増大、雇用の縮小、格差の拡大等の諸問題から、
昨今”
反グローバリズム”の動きがめざましい
米・”アメリカン・ファースト”を主張するトランプの登場、英・EU離脱、伊・仏・独での国家主義的保守政党台頭 

構造改革  目次に戻る
貨幣改鋳等リフレ政策は古くから有ったが、効果を発揮できず、
戦前からケインズの公共投資による有効需要拡大策(大きな政府)は資本主義延命の画期的手段だった
しかしこれ又財政赤字、スタグフレーション継続で挫折、
80年代レーガン・サッチャーらが主導する新自由主義・市場原理主義・小さな政府論が世界を席巻する
日本も平成不況下、橋本元首相の構造改革が失敗、小渕元首相らが公共投資拡大で切り抜けようとしたが効をそうせず
2001年”改革なくして成長なし”の小泉元首相の”構造改革”
リフレ派?の論客に指摘されるまでも無く手綱を緩める政治家は大江戸の昔から人気が高い、 逆に手綱を締めた財政家は馬鹿チョンの汚名を残す(締めざるを得ない状況だから締めたのにである)
だから民衆に迎合する政治家が立派とも言えない(民主主義の本質的問題点)のだが 試行錯誤の許されない”国家主義”より優位なことは明らか(故に言論の自由は守り異論の存在は認めたい)
そうした中で国民に”痛み”を強いながらも、強力なパフォーマンスで、人気を保ち(劇場型政治) 不良債権処理、プライマリバランス均衡方針等一定の成果を上げた小泉氏は出色の政治家だ (竹中氏という懐刀を得た事、丁度世界経済が持ち直してきた時であった事も幸運だったが)
小泉氏の継承は次の3派に分かれた(2008年総裁選を巡って自民党内論争)

財政論争   目次に戻る
@積極財政派
麻生氏を中心とする積極財政(バラマキ)派が勝利、世界一の財政赤字国に邁進


A財政再建派(財政タカ派、増税派、与謝野馨氏等)
経済と財政の関係において、財政(国家)の収支バランスを取ることが、経済(市場)の安定成長の基礎だと考え、 歳出を可能な限り削減し、それでも不足する歳入の赤字は、国債(借金)に頼るのではなく、増税でまかなうべきだとする立場
B上げ潮派(小泉路線の構造改革派、小池百合子氏等)
経済と財政の関係において、財政(国家)が、経済(市場)に介入することを少なくすること (金融緩和、規制緩和、「小さな政府」)で経済を成長させ、成長率が上がれば税収も自然増となり、消費税の税率を上げなくても財政が再建されるとする立場。

リフレ派 目次に戻る
ポール・クルーグマンやベン・バーナンキといった海外の著名な経済学者 国内では伊藤隆敏、浜田宏一、原田泰、竹森俊平、伊藤元重、野口旭、若田部昌澄、岩田規久男、山形浩生等の経済学者
2000年代不況化、不況脱出=デフレ脱却を前提とするリフレ派は非伝統的な金融政策、日銀による長期国債の買い切りオペや、人々の期待に働きかけるべくインフレ目標を設定する必要を主張
当初翁邦雄氏ら日銀は消極的だったがリフレ派の強硬な批判に、繰り返しマイナス金利等金融緩和政策を取り入れるも、デフレ脱却は実現せず2012年異次元金融緩和、安倍元首相は黒田総裁・岩田副総裁を登用、長期国債他債権の無制限買入、インフレターゲットを含む異次元金融緩和で不屈のデフレ退治を宣言
マネタリーベースを大幅に増加→期待インフレ率を上昇させ、期待実質金利を低下させる→デフレからの脱却を達成し、穏やかなインフレ率をめざす
インフレターゲット+無期限の長期国債買いオペレーション
**以下wiki参照
リフレ派とは、日本が長らく陥っているデフレ不況を脱するために、 量的緩和や日銀の国債引受、ゼロ金利政策の継続など、インフレ目標値を設定した上でのさまざまなマクロ経済政策を推奨する立場に立つ
しかし 多くのリフレ派は”(非伝統的な)金融政策と財政政策を組み合わせたデフレ脱却政策”をリフレーション政策と呼んでいる
野口旭:リフレ派は総需要を増やすために、財政支出の拡大、金融緩和による投資の促進、円安による外需の増加が必要である  
そしてその内、どの手段を重視するのかによって、財政拡張派、金融緩和派・インフレ・ターゲット派、円安促進派という違いが出てくる
田中秀臣:潜在成長率を高めようと主張するが構造改革派であり、潜在成長率自体は減っていないと主張するのがリフレ派である。  
構造改革派は不況の原因は日本経済の潜在的な能力の低下が原因と考えるが、リフレ派は日本経済の潜在的な能力は低下しておらず、需要を増やせば以前と同じ能力を発揮することができると考える  
構造改革派はイノベーションは不況の中から生まれるとしているが、不況下で淘汰が進みますます悪化させるだけであり、需要が生まれる中でイノベーションが生まれるとしている
岩田規久男:日本経済が再生するためには、リフレ政策と構造改革はともに不可欠な政策であるが  
リフレ政策を採用せずに、デフレ下で構造改革だけを進めれば、かえってデフレが深刻となり、失業率は上昇してしまうとしている
*サプライサイド重視の構造改革より、有効需要を重視したいリフレ派、  
レジーム・チェンジを通じて期待インフレ率を上昇させ、期待実質金利を低下させる事(要はみんながインフレになると期待しなければインフレにならない)  
財政政策とのポリシー・ミックスが大切と言うのは、私も解るが、ではリフレ派は政策としてバラマキ財政派とどう違う?  
インフレで失業者をなくそうと言うことだが、名目賃金の硬直性により実質賃金が下がり企業収益に貢献するという本音もちらほら
*反リフレ派
池田信夫:金融政策は短期の安定化政策であり、長期の潜在成長率を変えることはできない。
池尾和人:実質金利を負にして無理矢理に投資を惹起し、当面の需要不足を緩和することになったとしても、効率性の低い資本設備を増大させ、過剰設備の問題を深刻化させることになる
小幡績:「インフレはモノの値段が上がって困るだけ」「弱いものに大きな被害を与えるのがリフレ政策」  
インフレになれば、金利が上がって、国債が暴落する。そうなると、国債を大量に保有する金融機関が大打撃を受け、日本経済全体が壊滅的な被害を受ける 齊藤誠:日銀の大規模な国債買い入れによる量的緩和では、市中に資金が回らず、物価上昇に寄与するとは考えにくい、  その際、金利が連続的に上昇するのは問題ないが、(一気に)0.5パーセントなど非連続に上昇すれば本当に大変だとの警戒感を表明している  
巨額の債務を抱えた国家の長期の金利がこのような低水準であるはずはなく、どこかでファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)を反映した金利に急激非連続に戻り経済が大きく混乱する
奥田宏司:日銀の量的緩和でマネタリーベースを増加させても貸出の増加によってマネーサプライが増加しなかった
翁邦雄:現在、政府は財政規律を失い、銀行は経営を圧迫され、株式市場も日銀によって買い支えられるなど、金融の不均衡は著しく増している出口での副作用が心配
白井さゆり:企業のインフレ予想も上昇傾向になく、エコノミスト予想も当初は上昇したものの上昇傾向がない。と指摘している  
金余りでの自然利子率の低下を恐れる
早川英男:非伝統的金融緩和は『やってみなければ、結果は誰にも分からない』という意味で、壮大な社会実験(ないしギャンブル)の性質を持つものだった」
*批判に対するリフレ派の反論
「一たびインフレーションが始まると無限に続けなければならない」ためハイパー・インフレが起きるという批判について、
石橋湛山は「(リフレ政策は)政府または中央銀行が統制し得る」と指摘している
「流動性の罠のもとでは無効」という批判に関して、単にマネーサプライを増やしても流動性の罠のもとでは無効だというのはもとよりリフレ派の経済学者たちが認知しているところで、だからこそ彼らはインフレターゲットの導入を主張した リフレーション政策が単純な貨幣数量説であるという批判に対しては、 松尾匡が「貨幣数量説のリフレ派もいますが、そうでないリフレ派もいますと述べており、リフレ派一般に対する批判としては成り立たない。 また、貨幣数量説的なリフレ派論者にしても長期では貨幣数量説が成り立つと述べているにとどまる点で批判者の述べることと食い違う。
*金融政策
@伝統的金融政策
A法定預金準備率の引き下げ
B短期名目金利の引き下げ
C将来の名目金利引き下げに関するアナウンスメント(時間軸効果)
D為替介入による通貨の減価(為替レートの引き下げ)
E非伝統的金融政策(量的金融緩和、異次元金融緩和) オペレーション(市場操作)対象資産の拡大(外債・社債・株式・不動産投資信託な  ど) インフレ目標、物価水準目標の導入 マイナス金利の導入(金融資産・貨幣に対する保有税の導入)
*金利変動要因
*金利上昇要因
@景気回復 A物価上昇 B円安(→物価高→金利上昇) C通貨量減少 D海外金利上昇(→円安→物価高→金利上昇)
E売りオペ(日銀が金融機関に国債等を売って通貨引き上げ→通貨量減少→金利上昇)
*金利下落要因 @景気後退 A物価下落 B円高 C通貨量増加 D海外金利下落
E買いオペ(日銀が金融機関から国債等を買入れて通貨で支払→通貨量増加→金利低下)
*財政政策 @所得税減税、法人税減税 A消費税の引き下げ[14] B金融政策・財政政策の協調(ポリシーミックス)
C公共投資などの財政支出の拡大D中央銀行の長期国債引き受けによる減税・政府支出の拡大
D政府紙幣の発行
日本銀行が実施した量的緩和政策で日銀が目標としたのはマネーストックの増加ではなく、一定の日銀当座預金残高の維持であり、 当座預金残高の維持だけでは市中に回る貨幣ストックは増えない。要するに量的緩和はリフレ政策ではなかった,
リフレーション政策へと明確なレジーム転換が必要

MMT理論(現代貨幣理論) 目次に戻る
”財政赤字おそるに足らず”、強力な理論です
但し”じゃんじゃん公債を発行すれば良い”とは言っていません、”インフレにならない限り”と明言してるから、文句の付け所が有りません
ポスト・ケインジアンの一角を占める経済理論、日本では中野剛志氏が究極のケインズ主義と紹介され政界・学会の注目を浴びています
コロナ禍やウクライナ戦争で財政のバラマキを余儀なくされ、理論の正否は兎も角、実質的にMMTが採用されているのかと思うほどです
** 中野剛志
京大と通産省を往来する気鋭のエコノミスト、地政経済学の技法でマルクス”史的唯物論”バリに経済とが政治や国際紛争の切っても切れない関係を分析、 平和にとって国力の充実が如何に大切かを説く、
だから"JAの回し者か”と揶揄されながらも、TPOにも猛反対(私は近頃グローバリズムの反動で、米欧でも一般化した保護主義の流れを危惧しますが)
又会沢正志斎、伊藤仁斎、荻生徂徠らプラグマチックな江戸儒学者に光を当てつつ、 渋沢栄一から高橋是清、岸信介、下村治らに至る経世家の事跡を追う、素晴らしい方です
救世の経済学とかトンデモ経済学とか、評価が2分されていますが、 マネタリストも旗色の悪い昨今、我々世代はケインズ卿の名を聞くだに傾聴したくなります
**
マネタリスト  
通貨供給や金利操作などの金融政策の重要性を主張する経済学者 (ケインズ的裁量的財政政策を批判)
単純な貨幣数量説(物価=通貨量/貨幣流通速度)”は否定するが、インフレは通貨の増減で起こる現象とする、
但しマネタリスト元祖・
フリードマンは貨幣の増減はタイム・ラグをもってマクロ経済を乱すので、貨幣供給は裁量よりルールに従うべき、また長期的には実質経済への影響がなくなりインフレにのみ作用するという
一方どのような文脈で語られたか、私は知りませんが”
ヘリコプター・マネー”政策を提示
(”ヘリコプターからマネー(お金・現金)をばらまく”ように、中央銀行や政府が国民に対して無条件に(制限、条件、対価等無く)現金を給付する経済政策、
政府が発行した無利子・永久債を直接中央銀行、日本でいうと日銀が引き受け発行した円を市場に流出させる究極の緩和政策)
ここの所が私は不勉強で解らないのですが
マネタリストは”新自由主義”の旗印になる一方、バーナンキーらの”
インフレ・ターゲット”論(裁量的?)に流れていきます
日本でも”インフレ!インフレを興せ!”と憑かされたようにお金を増やし続けます(フリードマンは貨幣は長期的には”実質経済に中立”と言っているのに)
昨今の”日銀による”国債無条件買入”は”ヘリコプターマネー”策とどう違うのでしょうか?

** MMTは表券主義(管理通貨制度では、政府が納税手段として基盤的価値を付与して法定通貨を流通させる)貨幣理論が基盤
財政政策は財政の均衡ではなく、完全雇用等経済の均衡を目的とする
財政の均衡に囚われず、不況時には無限に公債を発行(通貨補臆見を持つ政府が通貨を発行して買入)公共投資を梃子として有効需要を喚起すべきとする(ケインズ的有効需要の拡大)
マネタリーベース拡大だけではインフレは起こらないし(”日銀理論”が言う様に需要がなければ日銀当座預金の”ブタ積み”が起こるだけ) インフレを目的としても不況から脱出できないとリフレ派批判
かってケインズ政策は”財政赤字増大”と”スタグフレーション(不況下のインフレ)”で抹殺された
”現代貨幣理論”は財政赤字については”公債が自国通貨建てなら政府債務がどれだけ増加しても、 政府は通過発行で当該債務の償還が可能なため債務不履行(デフォルト)には陥らない”という
インフレについては逆手に取る
インフレは何故起こるのか、通貨の増減ではなく、単純明快に需要>供給、 有効需要に供給が追いつかなくなったのだから、財政支出の抑制及び増税で対処すれば良い インフレになった時が公債発行の停止時、インフレになるまでは需要不足だから、公債を発行、公共投資を呼び水にして投資を刺激せよ インフレでもないのにインフレを恐れるのは無策である 管理通貨制下の税の役割は財源ではなく、法定通貨の基盤的通用力と流動性を確保し、更に民間経済を調節する手段である
骨子 1.徴税や国債の発行による財源を確保する必要なしに、支出することができる。
2.自国通貨建ての債務で債務不履行(デフォルト)を強制されることはない。
3.経済の実物的な資源(労働、資本、資源)の利用が限界に達した場合に発生する、インフレ率の上昇が財政の制約である。
4.徴税で貨幣を経済から取り除くことで、ディマンドプルインフレーションの抑制が可能である(ただし、それを実行する政治的意思が常にあるとは限らない)。
5.国債の発行が民間部門の資金を締め出すことはない(クラウディングアウトは起こらない。
否定的見解
1..ハイパーインフレの懸念 ”アメリカでインフレが起きた際に、それを止める目的でドルの金利上昇や利上げが起きる
その際基軸通貨ドルを借りている途上国を中心に世界経済に混乱をもたらす
日本では今後にこのまま財政赤字が拡大して、インフレ懸念による預金引き出しラッシュ(取り付け騒ぎ)が起きた場合と 日本国債の日本人保有率や円建て国債率が低下して、 外国人保有率・外貨建て債権率が上昇することで円の対外信用が下落したと判断した外国人債権者らによる円の売却ラッシュが起きた場合にはハイパーインフレが起きる”
2..歯止め無き財政拡大が不効率・浪費を招き経済を弱体化させる
財政均衡主義では行われないはずの際限なき財政拡大を招き、経済に対する公的セクターの拡大によって旧ソ連と同じような資源配分の不効率と浪費が発生し、経済が弱体化する.

しかしMMTはインフレにもなっていないのに、何故ハイパー・インフレを心配するのかと一蹴する
MMTは政府・銀行も国民も返済の必要の無い、誰も損しない”借金”の発見?
さて何時までも”マネーはいくらでも刷れる”と言って居れるだろうか
リフレ(良心的なリフレ派は財政出動との共動が必要条件と言っている)であろうがMMT(国債発行は日銀の買いオペが前提)であろうが、 現実政策面でどれほどの違いがあろうか?
確実なのは”通貨の減価”による生き残り策ではなかろうか?
しかし通貨を自国で発行しようと、公債を国内で消化しようと、通貨は国際的な評価にさらされる
その影響は回避できない
昨今の”円安””物価高”が良い例で 政策効果のタイムラグ、不均衡の露呈は突然やってくる”円”の信用失墜・・・取り越し苦労ならば良いが
いにしえマルクスが明示したように、パニックは均衡への回帰現象、貨幣によって均衡回帰を引き延ばされ、不均衡を拡大されてきた経済の行方は?

諸経済政策の比較
どうも私自身、各種経済政策の区別がごっちゃになってきましたので
下記日経新聞が掲げた表を参考に、見直して見ます



2の”通常の財政支出”は税金或いは国債発行で市中から得た資金が財源だからマネー量は不変
但し国債発行で累積債務が増えます、又累積債務の拡大で新国債が市中で消化されない危険があります(デフォルトに通じる)
3の”量的緩和”は財政には影響なくも、日銀が”買いオペ”で市中銀行の国債を買い取り、市中銀行の”日銀当座”を増やして市中への投資資金を拡大します、市中銀行の国債保有と日銀への売却が前提になります(買い取りに応じる市中国債が枯渇しているとの噂もあります)
国債は政府の借金ですから償還期には日銀への返却支出が生じます
(同時に新発債を発行すれば良いから気にする必要なし?)
1の”ヘリコプターマネー”が、これらの問題を解決します
政府が発行した無利子・永久債を直接日銀が引き受け、日銀が新規に印刷した円と交換します
政府は永久債だから返済の必要なしの財政資金を得て国民にバラマキ、日銀はお札を印刷するだけ、みんな万々歳ですが、戦前日本の失敗に懲りて(ハイパーインフレになった)今の日本では法律で禁じられている
そこで2+3の疑似ヘリマネ



国債は 一応 市中銀行が自己資金で買入れるが、それを日銀が買入れて資金投入
(市中銀行のワンクッションにどれほどの意味があるか、私には解りません)
MMT理論は政策論と言うより”財政赤字恐れるの足らず”の理論
”お金より実需”成程そうだとしても、公共投資に必要な資金は”国債発行”
容易に”ヘリコプターマネー”に接近するのじゃないでしょうか?
そうなれば、矢張り”貨幣の減価
短期的には兎も角、長期には金融政策・財政政策よりも”イノベーション”の喚起こそが究極の経済政策だと私は思います

現下の金融問題
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インフレにして不況脱出、インフレ・インフレと言ってるうちに、大変な事になりました
金融緩和では賃金も上がらず、不況も脱出できていないのに、外的要因で予想外の円安と物価騰貴
物価高騰の原因
@コロナ禍の景気落ち込みと米中などの景気回復
Aウクライナ戦争を発端として石油・天然ガス・原油などエネルギー価格高騰
B欧米に置き去りされた金利差→円安で輸入物価上昇 今回の”円安”は諸外国が不況警戒から金融引き締めに転じたのに、日本だけが頑として金融緩和、 主に”内外金利差”によると言われています
アベノミクスから現代に流れる経済政策はインフレを志向した金融緩和策 欧米各国の利上げへの政策転換に黒田日銀総裁は金融緩和継続を頑として表明 インフレが起こっているのにインフレ策?
誠に妙ですが 黒田総裁の気持ちは解ります
反リフレ派も反MMTも金融緩和策出口での不況突入やハイパーインフレを心配していました
金融緩和停止のアナウンス、或いはその素振りを見せるだけで、日本経済失速がほぼ間違いない、慧眼の黒田総裁に解らぬ筈がない
土地融資規制の発表がバブル崩壊の引き金になったように、今誰だって引き金引いて悪名を残したくない
不遜にも私が金融担当であったとしても、今金融を引き締めて庶民を苦しめたくない
バブル崩壊の時はまだしも”バブルで良い思いもしたのだから”と慰められても、今回庶民は”いつ好景気だったの?”
もし金利を上げれば→国債価格下落→ほぼGDP同額(517兆)まで膨れ上がった保有国債の資産価値下落 →日銀の債務超過(保有公債も貨幣価値も下がるからバランス?ちょっと解りませんがイツの世も泣きを見るのは庶民)のシナリオもある
でも ここは下手に騒がず、軟着陸(我々庶民が増税やインフレでゆるーく長ーく”痛み”を被るのは仕方ないとして)を待つのが正解か?
何故か解りませんが、昨今景気指標持ち直しの話もチラホラ

日本的経営 目次に戻る
50年代の高度成長は、先ず第一に”朝鮮特需”による”資本の蓄積”によって可能になったが
内的要因としては”高い教育水準と勤労意欲・技術力"が挙げられる
そしてそれを生み出したのが50年代アメリカの経営学者アベグレンが称揚した”日本的経営”である
具体的には日本企業の人事労務慣行”3種の神器”(@終身雇用A年功序列賃金B企業別組合)を取り上げた
更に日本の経営学者は、”日本型システム”として人事労務以外にも視野を拡大、下記のごとく日本型経営の特徴を分析した
@企業の所有と経営の関係(従業員重視の経営)
A企業内の長期的関係(終身雇用、年功賃金、企業別労働組合→手厚い福祉厚生・労使協調)
B企業間の長期的関係(メインバンク制、企業系列、下請制)
C間接金融優位の資金供給(銀行貸付が中心)
D政府・企業関係(行政指導等)
”日本型経営”のメリットとデメリット
@長期安定型雇用関係  ”新規学卒一括”採用した従業員の”終身雇用”を目指して 企業も手厚く教育訓練、更には福祉厚生の充実をはかる(経営の安定と人材教育、社員の忠誠心)
A年長者の高コスト化、不要人材の整理が困難
B現場指揮系統や系列企業へのパワハラ、オーバーワーク、監督官庁のパワハラ・腐敗
C従業員を平等に扱うと昇進・昇給も平等、高度の能力を持つ技術者等が不満、流出して生産性低下
Dマーケットより組織にばかり目が行き、競争力低下(組織の硬直化、競争力・イノベーション力低下)
E利益分配も従業員への分配の重視に株主の不満が高まった
F産業間・企業間の二重(多重)構造、系列企業は親企業が倒れると一蓮托生
日本は”社会主義国か?”と言われるように、デメリットは社会主義経済のデメリットと符合する
”日本型経営”は高度成長期には”労使一体”で好回転、内外の賞賛を浴びたが、80年代日本経済曲がり角になると 日本経営の弱点として、内外の批判にさらされることになった
そして”日本型経営”の欠点を是正すべく
1995年 日経連”新時代の日本的経営”
@長期蓄積能力活用型グル−プA高度専門能力活用型グループB雇用柔軟型グループ 労働者を3グループに分けて@Aでは年功制から実力主義へ、 階層固定とまでは言わないが現状を是認して派遣・パートの働き方(労働時間の切り売り)を提示した様です
2018年 ”働き方改革推進法” パンフ https://jsite.mhlw.go.jp/tottori-roudoukyoku/content/contents/000521080.pdf
労働者不足の状況下、積年の”日本型経営(終身雇用)”の終焉を告げ、急激に増えてきたパート・派遣労務者等の労働条件を規制した
”問題を明るみに出し、全うに経営出来なければ、舞台を降りてくれ”(小泉構造改革・不良債権処理同様の合理主義です)
元祖”日本的経営”の松下幸之助氏も言っています (赤字企業=社会的罪悪論)
”企業が赤字となれば、これは単にその会社の損失というにとどまらず、社会的に見ても大いなる損失である 天下の金・人・物の無駄遣い、潔く返して他に有効活用して貰え”
”所属型”人事から”職務型”人事へ、法律そのものに文句はないが、”日本型経営”の終焉で”職務熟練”の教育も疎かにならないかを恐れる ”非正規雇用者”(派遣・パート等)が”正規雇用者”に転向出来る道をもっとサポートして欲しいと思った
ところで ”日本型経営”は全面的に否定してよいものだろうか?(私見ですが)
日本的経営がゴーイングコンサーンを前提として企業と従業員の長期的関係を重視する事において”家族主義的”である(善し悪し別として)
上司や先輩が自分のスペア或いは後継者を確保するため、齟齬とを通して慈父や厳しい兄の眼差しで従業員を育み育てる
株主の為目先の利益を追求しなければならない欧米の科学的”近代的経営”とは異なった経営手法かも知れない
知識やスキルの教育に止まらない
長期的雇用関係を維持するに最も大切なのは、仕事に対する姿勢を育む”全人教育”
*松下幸之助氏の言葉から
”いかなる企業であっても、その仕事を社会が必要とするからなりたっているわけです。 企業が、その時どきの社会の必要を満たすとともに、将来を考え、文化の進歩を促進するものを開発、供給していく、 いいかえれば、その活動が人びとの役に立ち、それが社会生活を維持し潤いを持たせ、文化を発展させるものであって、はじめて企業は存在できるのです”
”世の為、人の為になり、ひいては自分の為になるということをやったら、必ず成就します”
”商売や生産はその商店や製作所を繁栄させることにあらず、その働き、活動によって社会を富ましめるところにその目的がある”
”すべての人を自分より偉いと思って仕事をすれば、必ずうまくいくし、とてつもなく大きな仕事ができるものだ”
”自分の金、自分の仕事、自分の財産。自分のものと言えば自分のものだけれど、これもやっぱり世の中から授かったもの。世の中からの預かり物である”
”「ありがとう」と言う方は何気なくても、言われる方はうれしい、「ありがとう」これをもっと素直に言い合おう” "礼儀作法は人間関係を滑らかにする。社会生活の潤滑油である"
”こけたら、立ちなはれ” ”青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気にみちて、日に新たな活動を続けるかぎり、青春は永遠にその人のものである”
”松下電器は人をつくるところでございます。あわせて電気製品をつくっております”
”松下電器は社会からの預かり物である。忠実に経営し、その責任を果たさなければならない”
詰まるところ、”経営”とは”何をすれば社会に役立つか”を見極め、社会に役立つ人材を育てること ”顧客に役立つことで長期安定した利潤を生み出す”のは”近代経営も同じですが その事を従業員の”働きがい・生き甲斐”にまで高めて統率していくのが”日本的経営”でしょうか
”企業”は人を育む”ホーム”だった、そして社会に役立たねば生き残れない”公器”だった
その点同じ”家族主義でも(私的利潤の道具と化した?)”中国の”国営企業”とか伝統的互助組織”幇”や 韓国の”家族経営型大企業”とは大いに異なるところで有る
中国横暴の原因は”忠より孝を大事にする儒教の影響”と称える説にちょっとビックリした
浅学な私は儒教はむしろ”公”を大切にすると思ってきた(過ぎれば”滅私奉公”)、”日本儒教”は孔子の教えと異なるのだろうか?
”日本的経営”は大企業でこそ言える理想論との批判も有ろう、
”家族主義”を隠れ蓑にした”パワハラ”もあろう
仕事より組織を大事にする経済非合理もあろう、
”家族的”が”生きづらい”人も多かろう
世の中には”一人で社会に伍して”行ける優秀な方も沢山居る、左様な方々はITとかで十分”一人勝ち”して頂けば良い(その意味では”新日本的経営”で提示された労働形態に応じた区別も一理ある、望むべくは流動性)
しかし殆どの人はそうも行くまい
だから”日本的経営”に戻れとは言わない、ただ良いところは見直すべきだろう (私事だが昔、大企業出身者は”使い物にならない”とか生意気な事言っていたが、やはり大組織出身者の方が”潰しがきく” 定年退職後も色々社会活動されている方が多いのに驚いた、社会との接し方を鍛錬されてこられたからと思う)
ところで、この様な経営思想の淵源は何か? 日本企業の母体が”村落共同体”だったとか、”家業”だったとか言われるが、どの国でもそうだろう感覚的に言えば、日本民族の特質として”家族主義”が好きだから?
その心性を形成するに果たした”近代天皇制”の役割が大きいと思う
天皇を頂点とした”家制度”の確立で”公と私”の関係が徹底的に追求され、日本人のアイデンティティを形成した
私は侵略主義者に悪用された”皇国史観”(万世一系の天皇による国家統治を日本の歴史の特色とする)を不都合に思いますが
”日本民族は天皇を中心に頂く家族だ”との意識を持たせ、日本人のアイデンティティを確立して国家統合、 求心力を持って開国まもなく日本国の奇跡的成長をもたらした伊藤博文・渋沢栄一らは本当に凄いと思います
”群れなす動物”である人間は社会的求心力なくして生きていけない、アイデンティティなくして生きていけない
(神道とも仏教とも儒教ともつかない”天皇教”、キリスト教も共産主義も市場原理主義も信ずる事で人心の統合を図ってきた宗教?、いいじゃないか)
”家族主義”残滓への警告からだろうが、あの川島武宜博士が言ったらしい ”敗戦後、天皇制は象徴天皇制として生き残り、家制度は家族主義として生き残った” ”日本の家族主義はいたるところで「擬制的家族」を構成する。学校共同体や会社共同体では、 人間関係モデルの理想型として「家族」のようなべったりとした人間関係が唯一のモデルとされやすい”
一方小泉改革で労働供給の弾力性を高めるため、要は雇用者のリストラを容易にするため”派遣事業”が公認・推奨され、 当時就職難のせいもあって、多くの新卒学生が非正規雇用労働者に流れた そして現在貧困層の大半が熟練労働技術を持たない非正規雇用労働者と聞く かって企業が社会の窓口だった、若者達は”企業”という”ホーム”に所属して、仕事を通して社会と接点を持ち、社会に役立って食っていく技術を身に着けた 若者達はそれを誇りとして大人になっていった(甘いかな?) 敗戦で天皇を中心とする”ホーム”を奪われ、それに代わる”心の拠り所の”ホーム”としての企業も その手から遠ざかっていく若者達
所詮人間は”さすらいの旅人”か?若者達、どうか自棄にならないで、新しい”人間関係構築法”を見につけよう

まとめ  目次に戻る
1.戦後復興と高度成長は @軍事費の節減と朝鮮戦争特需
 A開発主義的官僚が主導した傾斜生産BIMF経済体制の安定
 C長期安定雇用の”日本的経営”等に支えられた
1.石油ショックを発端に好循環の安定が崩れた
1.バブルとバブル崩壊は米国経済危機・IMF体制崩壊との関連が大きい
1.金融緩和と財政拡大は同時的に行われる事に意味がある、
短期的には不況脱出に一定の効果が有るかも知れないが、問題を拡大して先送りする政策、
”出口”での代償を如何に凌ぐかが問題、長期的な政策にはなり得ないのでは?
長期的には矢張り商品・販路・環境問題等の開発”イノベーション”が最も重要と思います
1.経営体としては”社会的ニーズに適応するイノベーション”に向けて総力を結集する”ホーム”(共同体)である事が望ましいのでは?
”生き延びると言う人類共通目的”への”国際提携”に成功すれば、”新しい社会主義”への道が日本から開けるかも知れない(大げさ?)