400万年目 人類の誕生 猿人(アウストラロピアテクス)
150万年前 原人 北京原人(シナントロプス・ペキネンシス)ジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトス)
20万年前 旧人 ネアンデルタール人
4万年前 現生人類 クロマニオン人
1万年前 食糧生産革命
5000年前 4大文明成立
200年前 産業革命
多くの人達がこの中間生物の発見に努力した
結果猿人・原人・旧人の化石が発見されたが、一部の宗教家なる者が、相変わらずミッシングリンクが発見されていないと進化論を否定するのは滑稽である
クロマニオン人の文化遺産 スペイン・アルタミラ、フランス・ラスコー等の見事な壁画、骨角器・細石器等の使用
*しかし最初から躓いた
私が中学生の頃、猿人→原人→旧人→新人の人類の進化をイラスト付で習ったものだが、
人類化石が僅かしか見つかっていなかった時代の謬説という事だ
詳しくは 河合信和 ヒトの進化700万年史
篠田謙一 「アウストラロピテクスが最初の人類」は昔の話? 「人類のルーツ」の最新情報をアップデート
東洋経済オンライン (toyokeizai.net)等を参照されたい
ネアンダルタール人より早くホモ・サピエンスが活躍していた
北京原人等は現代人のDNA痕跡は全くなく、人類進化的観点から傍系に過ぎない
@ 700万年前 サヘラントロプスなど初期ヒト族の誕生
エチオピアで発見されたアルディピテクス・愛称“アルディ”、ミトコンドリア・イブ・愛称ルーシーが有名
(但し人類の祖先をイブ或いはアダム一人とするのは無理、でもアフリカ単一起源説はほぼ正しい)
A 250万年前 ホモ・エレクトスなど初期型ホモ族の分岐
B 20万年前 ホモ・サピエンスの出現

そして16万年〜10万年前 アフリカのホモ・サピエンスの壮大な旅が始まる
ヨーロッパ・アフリカ・アジアの各地に分散、自然環境に適応して
コーカサイド(白色人種)ネグロイド(黒色人種)モンゴロイド(黄色人種)等に分かれた
1万年前 食糧生産革命
地球の寒冷化で南下した狩猟民、狩猟には適さないとも言える高温砂漠地帯に辿り着き大河流域で農耕・牧畜の道を発見する(例えば自然の温厚な日本では、狩猟を業とする縄文人の時代が長く続いた)
→治水灌漑事業・土木工事・用水分配の必要から強大な王権と官僚機構の必要→古代国家の誕生
大河川の流域に4大文明
古代四大文明:
@エジプト ナイル川周辺
Aメソポタミア チグリス・ユーフラテス川に挟まれた三日月地帯
Bインド インダス河周辺
C中国 黄河周辺及び揚子江周辺
乾燥地帯の大河周辺を中心に食糧生産革命→大規模灌漑工事→都市国家、領域国家、古代国家の形成に伴い発達した文明
西欧でもヘーゲル等が古代四大文明を強調しているが、これらアジアの文明は結局、大河流域に限られたとして閉鎖性、停滞性を強調し、ヨーロッパ人が大航海時代から世界の海に進出したことという歴史認識があった。
一方日本ではアジアには高い文明が有ったことを強調することで、敗戦に打ちひしがれた日本人を鼓舞しようとの意図があった
共通点 大河の近く、暖かい、文字の開発、青銅器の利用
外にアメリカ大陸に栄えたマヤ・インカ文明も古い
いずれにしても四大文明が早くに統一国家を形成したとは言え、当然そのまま人類文明の祖になった訳では無い。周辺の狩猟民族、遊牧民蔵、海洋民族、イスラム文明、地中海文明更にはゲルマン文明等に融合され或いは飲み込まれて今日の文明が形成された
古代オリエント文明

メソポタミア文明
前3500年 ティグリス・ユーフラテス河畔の肥沃な三日月地帯に展開
ギンガメシュ神話・太陰暦(占星術)・楔形文字・60進法・ギルガメッシュ叙事詩・
ハムラビ法典・ヘブライ人のユダヤ教等
エジプトに比べ統一王朝が変転
シュメール人
系統不明、神権政治(神官や軍人が“神の代理人”として統治)、ウルク・ウル等初の都市国家を樹立
天文学・暦法・楔形文字・等メソポタミア文明の基礎を築く
→前2300年頃セム系民族のアッカド人がメソポタミアを統一(アッカド王朝)サルゴン1世
→シュメール人の都市国家が復興(ウル第3王朝が統一)
→アラビア等の遊牧民(セム系)・アムル人等が侵入(古代バビロニア王国)
ハムラビ法典(復讐法・身分法)
→ヨーロッパ系遊牧民等が侵入してバビロン王朝滅亡
ヒッタイト王国が統一、印欧系民族、山の民、鉄器による軍事活動、交易活動でオリエント世界を形成
海の民に滅ぼされたが、その鉄器文化は後のペルシャ王国に受け継がれる
ミタンニ王国、カッシート王国(バビロン第3王朝)と並立
→海の民(前1200年頃、東地中海上で活動した系統不明の民族。
ヒッタイト、ミケーネ文明をも衰退に追いこみ、エジプト新王国にも侵入するなど、
西アジアに大きな変動をもたらした。)
→メソポタミア北部に興ったセム系アッシリア帝国が前7世紀には後述エジプト・シリア等も征服、
オリエントを統一した(メソポタミア文明+エジプト文明→オリエント文明)
もとは商業民族ながら、ヒッタイトの鉄器を学び、鉄製戦車と騎兵隊の強力な軍事力で各国を制圧、
属州制・総督制・駅伝制の植民地経営は後の多くに帝国に継承された
征服民に対する態度は重税・大規模強制移住策など過酷をきわめたのが早期滅亡の原因となった
最盛期 ニネヴェのアッシュー・バニパル王
→前612年圧政のアッシリア滅亡、
4国分立時代(新バビロニア王国・リディア王国・メディア王国・復活エジプト)
→イラン高原でメディアから独立したアケメネス朝ペルシャが前6世紀中頃オリエントを統一
(BC550-BC330,印欧族・アーリア人、ゾロアスター教)
ゾロアスター教:善悪2元論(光明神・アブラマズラ、暗黒神・アーリマン)
専制政治ではあったが、アッシリアに比べ被征服民の自主性を極力尊重して長期政権
最盛期ダイオレス1世 支配下の民族別に総督を派遣して統治、王の目・王の耳の監視、駅伝制
ギリシャに遠征(後述:ペルシャ戦争)
→ダイオレス3世時ギリシャ・マケドニアのアレクサンドロス大王が東方遠征で滅ぼされる
(イッソスの戦い、アルベラの戦い)
(オリエント文明+ギリシャ文明→ヘレニズム文明)
エジプト文明 前3000年 ハム系民族
+太陽暦、パピルス、ピラミッド、測地術、神としてのファラオ、10進法
エジプトはナイルの賜物 ノモス(都市国家)の誕生と統合,
閉鎖的な地形のため単純な王朝交代、26代の王朝、
神との仲介者・神官の絶大権力と書記(文字の発明と神殿財産の管理)
“神の化身”として、絶対的権力を持ったファラオが特徴
来世的文化(ミイラ、死者の書(冥界のオシリス神)
神聖文字ヒエログリフ
古王朝 首都メンフィス ピラミッドの建設(ギザ・クフ王のピラミッド)
中王朝 首都テーベ 騎馬・戦車に得意な民族・ヒクソス侵入
新王朝 トトメス3世シリア・スーダン征服
アメンホテップ四世 アマルナに遷都 宗教改革(多神教的アメン神→アトン一神教)
ラメス2世 シリアを巡ってヒッタイトと抗争(ガデシュ条約)
古代中国文明 後述世界史メモ2にて
古代インド
インダス川流域にドラビダ人がインダス文明を築いたBC]2300-BC1800年頃
ハラッパー、モヘンジョダロの遺跡が有名、下水道完備した都市計画、焼きレンガ、インダス文字
しかしインダス河の氾濫、都市環境の悪化等で衰退
前2000年頃印欧語族の一派アーリア人が中央アジアから西北インド及びイラン高原に侵入、インダス文明の創造者ドラビダ人を征服、ガンジス川流域にまで移住拡大、多くの都市国家群を形成、抗争
神への賛歌リグ・ヴェーダー、バラモン教
バラモン(司祭者)が民間宗教をバラモン教に統一発展させ、クシャトリア(王侯武士)とともに治者階級を形成
農耕商工業に従事する一般自由民バイシャ、奴隷民シュードラ、不可触民バリアの封建身分制が定着
*数多の職業集団ジャーティが四つのバルナに区分される(カースト)
BC5世紀、ゴータマシッダルタが解脱を説く仏教創設、(国家統一のために利用されたが、徐々に民衆から離れ教学中心となってインドでは衰退)
前4世紀後半初の統一帝国マウリア朝樹立、第3代アショーカ王がほぼインド全土を征服、征服戦争は残虐を極めたが、終盤仏教の慈悲精神に目覚め、仏教に帰依して民衆を導こうとした
その頃アレクサンドル大王が侵入
AD1-3世紀クシャーナ朝 カニシカ王 ガンダーラ美術、大乗仏教
4世紀グプタ朝開設民間宗教・ジャイナ教・仏教などは、より庶民生活に密着したヒンドウー教(輪廻転生・カルマ・ダルマ)に発展、チャンドラグプタ全盛期、マヌの法典、ナンダーラ僧院等
他にヴァルダナ朝(玄奘の時代)チャーラ朝、バーンディヤ朝等
10世紀半ばアフガニスタンに建国(イランのサーマン朝から独立)したトルコ系ガズニ朝の北インド侵入
12世紀半ばガズニ朝に代ったゴール朝の激しい侵略、ゴール朝出身の武将がデーリーにイスラム政権樹立
16世紀トルコ・モンゴル系部族がデーリーを奪ってイスラム系ムガル帝国樹立
第3代アクバル帝が急速に領域を拡大(イスラム・ヒンドウー宥和政策で)
第5代シャージャハン、第6代アウラングゼーブは逆に過酷な人頭税(ジズヤ)等で民衆搾取を強めムガル帝国衰退を早めた
地中海文明
ギリシャ
伝説のエーゲ文明(クレタ文明・ミケーネ文明
クレタ文明 開放的・平和的文明、クノッソス宮殿(エヴァンズ発掘)、
エジプト・シリア等と東地中海交易で繁栄、クレタ絵文字・線文字A
ミケーネ文明
ギリシャ人(イオニア人)第1次南下による
クレタ文明の模倣的、好戦的、小王国の建設、東地中海交易、クレタ線文字B(ヴェントリス解読)
ギリシャ神話 トロイア戦争
の間の10年戦争
BC12世紀頃ミケーネ文化崩壊(ドーリア人南下説、海の民侵入説)
以後400年ほど暗黒時代
ミケ−ネ(王政)の崩壊→暗黒時代を経てポリスが形成→アテネ以外大半のポリスは僭主政(独裁制)へ
但し独裁をコントロールする手段をもっていた
ローマにおいてもエトルリア人を王制と共に追い出したローマの“共和制”も元老院貴族に政治を委ねるとは言え、“民会”とか“護民官”のシステムをもって“独裁”をコントロールした
しかしアテネ的直接民主制ともなると、党争やポピュリズムがつきもの、その意味で民衆の利益を代表した後述ペイシストラストの“僭主制”はプラトンも評価したが、個人的力量には限界がある
→クレイステネスの改革。ペルシャ戦争
BC8世紀頃からポリスの形成(軍事上の動機で集住)中心の丘アクロポリス、広場アゴラ
ポリス・アテネの民主制発展
参政権(裏腹の軍役・武器は自弁)の拡大 貴族・金持ちから平民へ(奴隷は論外)
海外植民地の建設
(今のマルセーユ・マッサリア、今のナポリ・ネアポリス、今のイスタンブル・ビザンティオン)等
→交易・手工業の発展→武器を買えるようになった平民も重装歩兵として参戦→平民も参政権要求
王政→貴族共和制→
ドラゴン立法(BC621年慣習法を文書化して平民にも公開)
→執政官ソロンの改革(BC594年、財産に応じて権利義務の明確化、負債帳消しで債務奴隷救済)
→ペイシストラストがクーデターで僭主政治(平民が支持)
→クレイステネスの改革(オストラキスモス・陶片追放導入、
僭主登場の防止、地域的“区”デーモスの設定で平民の参政権進展)
ペルシャ戦争(BC492年ダイオレス1世、BC490年マラトンの戦い、BC480-479年サラミスの海戦)
200ものポリスに分立している小国ギリシャは何故ペルシャに勝利したのか?
ペルシャ軍は支配の諸民族からの徴兵だったが、ギリシャ軍は祖国防衛戦争だった
勝利したアテネはペリクレスの黄金期
デロス同盟の資金横領でパルテノン神殿(ドーリア式)建設
最高意志決定機関・民会(18歳以上成年男子全てが参集、直接民主制)
将軍以外の公職は抽選、再選禁止
奴隷、女性・在留外人に参政権認めず)
一方スパルタはドーリア人が先住民を征服してつくったポリス
支配者:完全市民(スパルティアタイ)
商工業に従事する劣格市民(ペリオイコイ)
奴隷(ヘロット)
憲法・リュクルゴス制は軍国主義・鎖国主義
しかしアテネの民主政治もスパルタの市民生活も市民のほとんどを占める奴隷制に負っていた
労働蔑視の退廃、ポリス間の団結にヒビが入り
ペロポネソス戦争(BC431年スパルタ中心にアテネ・デロス同盟の横暴に反発、アテネの敗北)
コリント戦争(BC395年新興ポリス・テーベ+ペルシャにスパルタ敗北)
覇権はアテネ→スパルタ→テーベ
農村の荒廃、貨幣経済の浸透、貧富格差拡大、市民の没落、重装歩兵部隊の解体、傭兵の登場、
市民皆兵原則の解体、衆愚政治、扇動政治家
折しも北方のマケドニア進出、
カイロネイアの戦いでBC338年フィリッポス2世がアテネ・テーベ連合を撃破
マケドニアがギリシャを支配、フィリッポスはギリシャに新同盟、コリント同盟(ヘラス同盟)を結ばせる
フィリッポスの息子・アレクサンドリアの大遠征、BC330年アケメネス・ペルシャを破る
(イッソスの戦い、アルベラの戦い、アケメネスペルシャ最後の王はダレイオス3世)
ギリシャの内部矛盾を東方植民で解消せんとするもの
ペルシャを撃退し、シリア・パレスティナ・エジプト・メソポタミア・イラン中央アジアの一部・
インドの一部を支配
ペルシャに勝利するも行政官僚機構を受け継ぎ、ペルシャ人を高官に採用したり、
ペルシャ人との婚礼を奨励するなど融和に努める
ギリシャ文化とオリエント文化の融合、ヘレニズム文化の誕生
アルキメデスは帰路32歳で夭逝
ヘレニズム文化
前進基地バクトリア王国からインドに至り
インド・クシャーナ朝のガンダーラ美術
世界市民主義(コスモポリタリズム、理性を持つ存在として人類皆同じ)
アレクサンドリア死後帝国の分裂
後継者争い・ディアドコイ戦争
アンティゴノス朝
セレコウス朝シリア
バクトリア
アルサケス朝イラン
プトレマイオス朝エジプト(ローマのオクタヴィアヌスに滅ぼされてヘレニズム時代は終焉)
外にホントウス王国、ベルガモン王国等乱立
ローマ
二つのポイント
@政治体制の変化
印欧民族一派ラテン人がティベル河畔に都市国家ローマ建設(貴族パトリキ+自作農平民プレブス)
→BC6C末異民族エトルリア人の王を追放して貴族共和制
元老院+二人の執政官コンスル、非常時に独裁官ディクタトル
→BC5C頃から軍役に従事する平民が参政権要求(ギリシャ同様の身分闘争)
→BC494年聖山事件(平民の軍役ストライキに貴族が妥協して護民官設置、平民会公認)
→BC451年一二表法、BC367年リキニウス法(コンスルの1人を平民から、公有地占有制限)
→287年ホルテンシウス法(平民会の議決が元老院の承認を待たずに国法)
平民から成り上がる新貴族ノビレス登場
A領土の拡大 ポリス(都市国家)→BC272年イタリア半島統一
被征服諸都市を分割統治
植民市(ローマと対等)
自由市(自治を認め免税)
同盟市
(軍役義務あり、市民権無し、同盟市戦争を経てBC88年全イタリアの自由民にローマ市民権)
→AD1世紀後半には地中海世界全体を支配
ポエニ戦争 西地中海を巡って交易都市カルタゴ(フェニキア人)と死闘
第1回(BC264年-BC146年、ローマが勝利してシチリア島を属州に)
第2回(BC219年、英雄ハンニバルの活躍でカルタゴ勝利、カンネーの戦い、
大スキピオの反撃・ザマの勝利)
第3回(BC149年)、小スキピオによってカルタゴ滅亡)
マケドニア戦争(BC216−146年、東地中海、マケドニアの分裂王朝アンティゴノス朝滅亡)
BC133年小アジア西岸ベルガモン王国征服をもって、シリア・エジプトを除く地中海世界征服
共和制下
@騎士・エクイテス(階層)の台頭
平民からの成り上がりだが、名誉家柄を求めて貴族の仲間入りした“新貴族”と違って
商業・大土木工事・徴税請負等を通じて実利を追求した
A中小自作農(平民)の没落(従軍での戦死や耕地荒廃、属州からの安価な穀物流入で)
手放した土地を貴族・ノビレス・エクイテスが買い取り、
戦争奴隷を投入してラティフンディア(大規模農業)経営
B平民で構成された重装歩兵部隊解体
内乱の1世紀
@BC138年 護民官・グラックス兄弟の改革
(大土地所有制限→中小自作農の生活再建→重装歩兵部隊再建の狙い)
有力者階級の妨害で失敗→有力者達の“内乱の1世紀“へ
A平民官・マリウスの兵制改革 傭兵制導入(武器自弁を撤廃、無産農民を兵士に)
→有力者の私兵化現象
Bスラ、ポンペイウス(スパルタクスの乱を鎮圧)、
クラッスス(シリア、パレスチナのセレコウス朝征服)活躍
政治軍事の実権者が相次ぐ反乱を鎮圧→個人への権力集中是認
CBC80年第1回三頭政治 ポンペイウス、クラッスス(パルイア遠征)、カエサル(ガリア遠征)
ポンペイウスが元老院と組んでガリア遠征中のカエサルを裏切る→“賽は投げられた”カエサル反撃
DBC46−44年カエサル独裁 独裁官から終身独裁官、インペラトル(皇帝)
ガリア征服、エジプトも支配下に
ユリウス暦(太陽暦)制定
共和主義者 プルートゥス。カッシウスによって暗殺
E第2回三頭政治 オクタヴィアヌス・アントニウス・レビドゥス
オクタヴィアヌス 対 アントニウス(+クレオパトラ) アクティウムの戦い
Fアントニウス破れクレオパトラも自害、プトレマイオス朝滅亡 BC30年
オクタヴィアヌスによって地中海世界統一、帝政へ
前期帝政BC27-AD284)
@オクタヴィアヌス(アウグストゥス・初代皇帝)時代
AD9年ゲルマン人と戦い(トイトブルク森の戦い)敗北、ライン川が国境になる
ラテン文学黄金時代 ヴェルギリゥスのアエネイウス
2代目ティベリウス キリスト処刑(実行はユダヤ総督ピラト)
5代目暴君ネロ ペテロとパウロ殉教
A五賢帝の時代 AD96-180年
ネルヴァ帝
トラヤヌス帝(ヒスパニア・スペイン出身)ダキア(ルーマニア)メソポタミアを領土に
ハドリアヌス帝 防壁・ハドルアヌスの壁を建設
アントニヌス・ピウス帝
マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝 ストア派の哲人皇帝、自省録
ローマの全盛期 パックス・ローマ
季節風貿易・シルクロード両路を通じて交易発展
ローマ風の都市建設
ロンディニウム(現ロンドン)ヴィンドボナ(現ウイーン)ルテティア(現パリ)
フォルム(広場)には円形闘技場や公衆浴場、上水道・下水道完備
公用語ラテン語・ローマ字、度量衡、貨幣の統一、道路網整備、駅伝システム
属州の有力者にローマ市民権付与
軍人皇帝時代直前のカラカラ帝、アントニヌス勅令(帝国内全自由民に市民権付与)
B軍人皇帝時代 地方軍人が擁立した皇帝が相争う混乱時代
原因
領土の拡大と共に、東にパルティア・ササン朝ペルシャ、北にゲルマン人の脅威
→地方に強い軍事力
経済の遠心化(地方の農業生産がイタリアを上回る状態)
ゲルマン・パルティア・ササン朝の侵入 ヴァレリアヌス帝はササン朝シャープール1世に殺害される
混乱に乗じた奴隷・農民の反乱 ガリア(フランス)の反ローマ農民運動(バガウダエ運動)
後期帝政 AD284年〜
ディオクレティアヌス帝
専制君主制(元老院等無視の個人独裁)
官僚制整備
四分統治(帝国を4分割、4人の皇帝)
皇帝崇拝を強要
キリスト教大弾圧 303年の大弾圧(30年 キリスト 十字架刑と復活)
コンスタンティヌス帝 324年四分統治廃止
キリスト教公認(ミラノ勅令、313年)
ニケーア公会議 325年 三位一体説のアタナシウス派を正統、アリウス派を異端とする
ビザンティウム遷都 330年、コンスタンティノープルと改称
ソリドゥス金貨鋳造
土地緊縛令
ユリアヌス帝
異教の復活、背教者、」ペルシャ起源のミトラ教に心酔?
テオドシウス帝
392年キリスト教国教化
395年帝国の東西分裂
ローマが大帝国になった要因
強力な武器(甲冑と大槍)で武装した軍隊(平時には農事を営む平民から成り立つ)
軍隊は常に道路を造る工兵を連れていた(全ての道はローマに通ずる、軍事目的と失業対策)
“ローマ人は廃墟をつくって、そこを平和と呼ぶ”属州支配は過酷だった(スパルタクスの反乱)
ローマ帝国の崩壊要因
領土が広がりすぎた
ゲルマン人・ササン兆ペルシャ等の外敵
それに備える軍、専制君主を支える官僚郡の膨張による膨大な国家予算
財源として都市部に重税、それを逃れるための有力者の離反、奴隷農民の反乱
ゲルマン民族によって西ローマは滅亡(476年)、東のビザンツ帝国は1543年オスマントルコに征服される
土地所有制度の変遷
BC2世紀半ば ラティフンディア
ローマの海外発展で自作農没落→有力者がその土地を得て戦争奴隷を投入して大規模農業経営
AD2世紀頃から“ローマの平和”で戦争奴隷減少、奴隷達に土地を与え小作契約(コロナトゥス)
奴隷に収穫の一部が残り家族を持てるようになった
コンスタンティウスが徴税の便宜上、小作人(コロヌス)の移動を禁止(土地緊縛令)→農奴の原型
シリア・パレスティナ等地中海東岸
海の民がエジプト新王朝、ヒッタイト勢力を駆逐した政治的空白状態の乗じて
フェニキア人 地中海を中心に海上貿易 ベリトス(ペイルート)シドン、ティルスを拠点、
アルファベットの原型をギリシャ人に伝える
アラム人 陸上通商に得意、ダマスクスを拠点、アラム文字はアラビア文字のもと
ヘブライ人(ユダヤ、イスラエル人)等勢力割拠
ユダヤ民族の歴史
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前20世紀 |
アブラハムが神と契約メソポタミアのウルからカナンへ |
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前17世紀 |
飢饉でエジプトに移住、奴隷となる |
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前15世紀 |
モーゼに率いられて出エジプト、神から十戒を授かる、ユダヤ教の成立 |
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前11世紀 |
イスラエル王国建国(サウル、ダビデ、 ソロモンーエルサレムにヤハウェ神殿建設) |
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前10世紀 |
イスラエル王国南北分裂 |
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BC722 |
北のイスラエル王国、アッシリアによって滅亡 |
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BC586 |
南のユダ王国、新バビロニア(ネブカドネザル王)によって滅亡、バビロンの捕囚時代の始まり |
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BC515 |
新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシャによって解放 |
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BC63 |
アケメネス朝滅亡後、マケドニア王国・セレウス朝シリア等に宗主国が引き継がれ、最終的にローマ帝国の属州となる、この頃ユダヤ教教義も確立 |
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BC4 |
イエス・キリスト誕生 |
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ユダヤ教の特色 |
ヤハウェ信仰の一神教 偶像崇拝禁止 選民思想 メシア待望 |
イスラムの歴史
日本人である私はイスラムと言えば何か如何わしい気がするのも事実だが
マホメットが商人の出であることもあって、その教理は善し悪し別として驚くほど合理的である
六信(神・天使・啓典・預言者・来世・天命)
五行(信仰告白・礼拝・断食・巡礼)
@アッラーへの絶対的帰依(一神教)
アッラーとヤハウェは同一、ムハンマドは最後にして最高の預言者
Aマホメット自身、神であることを否定、イエスも含め予言者の一人であると明言
B神の人格化、偶像化を徹底的に否定、モスクには石ころ一つあるだけとか
C生活規範の徹底、聖職者は認めず(ウラマーはイスラムを勉強した知識人、指導者)
D信徒ムスリムはアッラーの前で皆平等→富裕階級のクライシュ族が反抗、イスラム弾圧
後述 聖遷(メッカからメディナへ)
現在その急進性には目を背けたくなるが、多分に欧米列強に追い込まれたせいも強いのではないか
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通点
@セム系民族A砂漠の宗教B苦難の歴史
参照:hisaoのブログ
イスラームについてのまとめww2.tiki.ne.jp/~h-hidaka/newpage13.htm
セム系アラビア人
遊牧民ベドゥイン
ペルシャ湾岸の交易都市南アラビアにはサーバ王国、ヒムヤル王国など交易都市が繁栄
6世紀ササン朝ペルシャとビザンツ(東ローマ)帝国の抗争の合間を縫って、紅海沿岸のアラビア(ヒジャーズ)の交易・商工業が発展(都市メッカ・メディナ等)→貧富格差拡大(商人貴族クライシュ族と貧民層)
→ムハンマド(自身はクライシュ族ハーシム家)が啓示
2. イスラムの成立(7世紀)
イスラム教徒共同体ウンマ創設、ムハンマド自身剣を取って戦う(その求心的戦闘性が今に至る)
クライシュ族らとバドルの戦い
632年ムハンマドがアラビア半島統一、ムハンマドが夭折したエルサレムに“岩のドーム”建設
イスラム王朝一覧 世界の歴史マップより


3. 正統カリフ時代(632年?661年)
カリフ=ムハンマドの後継者(但しムハンマド同様に立法権、教義決定権は無い)
(ジハードも展開、ビザンツ帝国からシリア・パレスティナ・エジプトを奪う、ウスマーン時コーラン編纂)
4. ウマイヤ朝(661年?750年
ムアーウィヤがカリフとなり、ダマスクスを首都とするウマイヤ朝を建国、(カリフが世襲制に)
スンナ派とシーア派(暗殺されたアリーを支持)分裂
少数派シーア派@ファーティマ朝(10Cエジプト)Aブワイフ朝(10Cイラン)
Bサファヴィー朝(16Cから18Cイラン)
ビザンツ帝国のコンスタンティノーブル攻撃はじめ盛んな聖遷
ジブラルタル海峡を渡って西ゴート王国攻略、イベリア半島支配
更にピレネー山脈を越えてフランク王国と激突、
メロヴィング朝フランク王国の宮宰・カール・マルテルに敗れる(732年:トゥール・ポワティエ間の戦い)
後述651年ササン朝ペルシャを征服、ペルシャ民族のイスラム化とともに、
イスラムがペルシャの科学・技術を吸収、絢爛たるイラン・イスラム文明が築かれていく
イスラム王朝の征服地支配は回収を強制しないことを特徴とする
“イスラム教徒になるか、税金を払うか?両方とも嫌なら剣(戦争)だ”
アラブ人でないイスラム教改宗者=マワーリーに人頭税ジズヤ、土地税ハラージュが課された
ウマイヤ朝滅亡の原因はアラブ人第一主義、反発したマワーリーの不満を吸収した
アブーアルアッパーズがウマイヤ朝を倒してアッバース朝建国(アラブ帝国からイスラム帝国へ)
カリフに
5. アッバース朝(750年?1258年)
アラブ人の免税特権廃止(ハラージュのみの義務)、マワーリーに対してもジズヤ廃止、
世界宗教として急速に発展する
首都 バクダード
イスラム教は民族による差別を否定し、信者の平等を説く。
この世界宗教としての普遍性ゆえに、イスラム教は多くの人々に受入れられ、
やがて各地の地域的・民族的文化の特色も加味して、
イラン・イスラム文明、トルコ・イスラム文明、インド・イスラム文明が形成された
10世紀トルコ人によって建国されたカラハン王朝はイスラム教を国教として
トルコ・イスラムの世界が誕生
アナトリア(小アジア)の片隅に生まれた小君侯国から発展したイスラム王朝であるオスマン朝は、
やがて東ローマ帝国などの東ヨーロッパキリスト教諸国、マムルーク朝などの西アジア・北アフリカのイスラム教諸国を征服して地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国たるオスマン帝国へと発展した(後述)。
しかしさしもの大帝国(オスマン・トルコ)も近代化に遅れて衰退、第1次大戦でドイツ側についたのが致命的となり。1922年滅亡
8世紀後半のイスラム世界はアッバース全盛期
アッバース朝 751年唐とタラス河畔の戦いに勝利 ハールーン・アッラシード 製紙法伝来
ササン朝ペルシャで育ったイラン人官僚が活躍(予算管理)
イスラム法の整備 シャリーア(ウラマーによる解釈法)
ハールーン・アッラシードがバクダードに建設した図書館“知恵の館”
ギリシャ文化(医学・天文学・哲学)の流入と交易(ムスリム商人がダウ船でインド洋を経て中国まで)
コルドバに後ウマイヤ朝
現モロッコ辺りにイドリース朝
6.→10世紀半ばのイスラム世界
分裂の時代(アッバースのカリフは実権喪失、中央アジア全体がイスラム世界に)
原因は軍人奴隷・マムルークを含むアミール達(各地の将軍・総督)が独立
後ウマイヤ朝は最盛期 アブド=アッラフマーン3世カリフを名乗る
アンダルシア地方で灌漑農業発達
北アフリカ・エジプトにファーティマ朝(もとはチュニジアに建国されたシーア派王国)
アズハル学院建設、シチリア島を支配していたアグラブ朝を打倒、地中海貿易覇権獲得へ
現イラン地方にシーア派イラン人の軍人政権ブワイフ朝
946年バクダードを占領してアッバース朝カリフの実権を奪い、イラン・イラクを支配(大アミール)
アッバース朝のスンナ派カリフが、シーア派の大アミールに
イスラム法の執行権をゆだねる代わりにその保護を受けるという見返りを受けた
イクター制導入(軍人に俸給の代わりに徴税権を与え、軍人はその見返りに丙子を養い軍役義務)
ブワイフの北にサーマーン朝、中央アジアのイスラム化促進
その東にカラハン朝(中央アジア初のトルコ系イスラム王朝、11世紀に東西分裂、東カラハンは西遼の支配下、西カラハンはセルジューク朝支配下に)
7→11世紀半ばのイスラム世界
ムラービト朝 イベリア半島南部と北アフリカを支配(ベルべル人)哲学者イブン=ルシュド
西アフリカの黒人国家ガーナ王国を滅ぼす
自身は同じベルベル人のムワッヒド王朝に倒された
ファーティマ朝は依然として紅海沿岸(ヒジャーズ)を支配、紅海商業圏を確保
ブワイフ朝の侵略でペルシャ湾〜バグダードが混乱すると、紅海〜カイロの交易ルートが繁栄
ファーティマ朝に代ってエジプトを支配したアイユーブ朝も(クルド人、サラディンが建国)同様に繁栄
セルジューク朝
創始者トゥグリル=ベク、ブワイフ朝を打倒、アッバース朝カリフからスルタン(非宗教的統治権)の称号、その後マンジケルトの戦いでビザンツ帝国に勝利、小アジア半島を支配下に(ルーム=セルジューク朝開設)→ビザンツ帝国の十字軍派遣
マリク=シャー、宰相ニザーム=アル=ムルク、シーア派のファーティマ朝アズハル学院に対抗してニザーミーヤ学院開設、詩人オマル=ハイヤームの四行詩ルバイヤード
カズナ朝
現アフガニスタンのトルコ系政権
民族叙事詩王の書を著わしたフィルドゥシー
スルタン・マフムードはインドに侵入してイスラム化の端緒
8→13世紀のイスラム世界
マムルーク朝 アイユーブ朝を継いでエジプト・シリアを支配
マムルーク=トルコ人を中心とする奴隷兵(金銭で売買された奴隷で身分は低いが、戦争で活躍、政治的発言権も増大、王朝を創設する者も)
エジプトに建設されたアイユーブ朝のサラディンは第3回十字軍を破ってイスラム防衛
マムルーク朝 四代目のバイバルスは第6回7回十字軍とフラグ率いるモンゴル勢力の挟撃を退けイスラムを守った
サトウキビ生産と紅海インド洋交易で経済的にも繁栄したが、14世紀のペスト流行、ポルトガルによるインド航路開発、ディウ沖海戦での敗北でマムルーク朝は崩壊したが、
イル=ハン国
1258年モンゴルのフラグによってアッバース朝を征服、イスラム世界のど真ん中に打ち立てられた
当初はイスラムを弾圧したが、ガザン=ハンの時代にイラン人の宰相ラシード=ウッディーンの協力で
保護政策に転じた
その他モンゴル帝国が瞬く間に中央アジアを席捲(後述)
ナスル朝 首都グラナダのアルハンブラ宮殿
イベリア半島南部 イベリア半島最後のイスラム王朝 スペイン・イサベルに滅ぼされる
奴隷王朝
インド初のイスラム王朝 ゴール朝の将軍アイバク(マムルーク出身)が建国
短命な5カ国のデリー=スルタン朝が続く
ス−フィー(イスラム神秘主義者)の活躍でインドに浸透
9→15世紀前後のイスラム世界
ティムール帝国
ティムールはモンゴル系、トルコ語を喋りイスラムを信奉
西チャガタイ=ハン国出身、中央アジアのオアシス商人が支援
中央アジアを拠点(首都サマルカンド)にメソポタミア〜インダス河流域まで支配
トルコ=イスラム文化の成熟
アンカラの戦いでオスマン帝国(後述)を破るが、死後トルコ系遊牧民ウズペク族(以後、帝政ロシアに征服される)に滅ぼされる
マラッカ王国
東南アジア、鄭和の大遠征を契機に、明から冊封、朝貢→アラッカ海峡一帯の交易を主導
10→15世紀以降のイスラム世界
再びトルコ人がイスラム世界の覇権を握った
オスマン帝国によってバルカン半島(ヨーロッパの一部)がイスラム世界に編入
16世紀の5大帝国 明・スペイン、そしてイスラム3国(オスマン・サファヴィー・ムガル)
ムガル帝国
ティムール帝国の残党ハーブルが最期のデリー・スルタン・ロディー朝を倒して建国
第3代アクバル帝、第5代シャー=ジャハーンのタージ=マハル廟、
第6代アウラングゼーブ帝は最盛期を誇ったが、ヒンドゥーの弾圧等強引な手法に反抗を受け衰退へ
サファヴィー朝ペルシャ
オスマン朝の東 イスマーイール1世の建国、シーア派を国教としてイラン民族の結束、首長はシャー
第5代アッバース1世、イスファハーンに遷都
オスマン朝と戦いメソポタミアを奪還、ホルムズ島からポルトガル駆逐(英東インド会社が支援)
オスマン=トルコ帝国
11世紀後半からルーム=セルジューク朝の支配下にあった小アジア
→13世紀モンゴルがもたらした混乱に乗じて、オスマン=ベイが自立して建国、首長はスルタン
→14世紀後半バルカン半島に侵入、コソボの戦いでセルビアを撃破、
ニコポリスの戦いでヨーロッパ連合を撃破
→1402年最盛期ティムールとアンカラの戦いに敗北、滅亡の危機に瀕したが
→1453年メフメト2世がコンスタンティノーブルを占領、ビザンツ帝国を滅亡させた
→1517年には「セリム1世がエジプトのマムルーク朝を倒し、そこに避難中のアッバース朝カリフから
カリフの位を奪取
→1529年スレイマン1世ハンガリーを制覇(ハンガリーはハプスブルクと2分)
第1次ウイーン(カール5世)包囲
→ブレヴェザ海戦でスペイン等に勝って地中海制覇
→1683年第2次ウイーン包囲は失敗、カルロヴィッツ条約でハンガリー喪失、
フランスと同盟カビチュレーションを与える(@通商交易の自由・免税A自国法による領事裁判権の恩恵的特権、後に英・蘭にも)
オスマン=トルコ軍事行政システム
兵制:火器を装備し、良く訓練された歩兵常備軍団イエニチェリはオスマン強さの秘密だった(イクター制はティマール制に継承された
デウシルメ:キリスト教徒を強制徴用して改宗・教育・訓練、イエニチェリの先頭に立たせた
ミッレト:非イスラム教徒の共同体も認めた
コーランを補完する解釈法シャリーア、慣習法カーヌーンを盛んに定めた
行政はマドラサ(イスラムの学校)で学んだウラマー(神学者・官吏等知識人)が行った
中央アジア史


現 ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン
西域 敦煌より西、天山・崑崙に囲まれたタリム盆地、タクラマカン砂漠、モンゴル高原に接する
BC1C〜AD6Cの中央アジア
イラン系遊牧民
月氏、匈奴に追われて、アム川流域に定着(大月氏)、フェルガナ地方に大宛国(汗血馬の産地)
トルコ系遊牧民
烏孫族(漢が和番公主)
漢・武帝の西域進出(衛青・霍去病の両将軍、河西4郡設置)
宣帝・和帝が更に奥深く西域都護府設置
オアシス都市が点在するシルクロード(オアシスの道)は イラン系商業民ソグド族などの隊商ルートとして、東西文明の伝播の道だった
中央アジアでは敦煌を起点としてサマルカンドまで、天山北路、西域北道、西域南道に分かれる
クシャーナ朝から西域経由でもたらされた大乗仏教(北伝仏教、鳩摩羅什)
トルファン盆地に高昌(漢人達の植民国家)玄奘 インドへの旅立ち
西アジア起源の彩陶・磨製石斧が中国にもたらされた
仏教が西域経由でもたらされた
西域の僧が中国へ
中国の法顕ホッケン・玄奘ゲンジョウ西域経由でインドへ(・義淨は海路)
ゾロアスター教(?教)ネストリウスはキリスト教(景教)も西域を通して伝わる
製紙法 イスラム世界経由でタラス河畔の戦い)ヨーロッパに
6世紀から10世紀の中央アジア
トルコ系遊牧民・突厥がササン朝ペルシャの支援のもとエフタルを滅ぼし中央アジアを支配
唐の太宗(李世民)高昌を滅ぼし安西都護府を設置
高宗 突厥を滅ぼし中央アジアの殆どを支配
しかし751年タラス河畔の戦いでチベット統一国家吐蕃に敗北
トルコ系民族ウイグルがやってきて勢力拡大トルコ化(マニ教、トルキスタン形成)
アスラム教徒の侵入(ウマイヤ朝・アッバース朝・サーマーン朝)
イラン系サーマーン朝がウイグル等トルコ系民族を傭兵マムルークとして雇用
10世紀半ば中央アジア初のトルコ系イスラム王朝・カラ=ハン朝開設(中央アジア全域のトルコ化)
10世紀以降の中央アジア
その後カラ=ハン朝はアフガニスタン・ガズナ朝に敗北して分裂
西遼(カラ=キタイ、モンゴル系契丹族・耶律大石)とセルジューク朝
→ホラズム朝とトルコ系ナイマン部(クチュルク)の支配
13世紀前半チンギス=ハン、チャガタイ=ハンの支配
→ティムール帝国
→トルコ系ウズペク族が粉砕、モンゴル系ジュンガル部・ウイグル・ウズペクの3国家
(ティムールの残党がインドに逃れ、デリー・スルタン最期の王朝ローディー朝を滅ぼす、パープル)
→最終的に東部(新疆)を清朝(乾髓驕j、西部を帝政ロシア(アレクサンドル2世)が支配
両国はイリ条約で国境確定
北方民族史 モンゴル高原の北狄
匈奴→2C鮮卑→4Cモンゴル系柔然→8Cトルコ系突厥→8Cトルコ系ウイグル→10Cモンゴル系契丹
匈奴 民族系統不明ながら
スキタイ人譲りの騎馬戦術に長ける
最盛期冒頓単于は漢の高祖を破る
漢の武帝 衛青・霍去病を派遣して責め立てられて、東西分裂
1世紀には更に南北分裂、北匈奴はフン族としてゲルマン民族移動の契機となる
長城以南に移住した南匈奴は、その後五胡十六国時代に漢を建国、316年永嘉の乱で西晋を滅亡
鮮卑は同五胡十六国時代、北魏を建国して華北を統一
突厥は北方民族で最初の民族文字をもった(オルホン碑文)
ウイグルは安史の乱で唐を援助→トルキスタンへ
ちなみに
ペルシャ(イラン)の歴史
アーリア人 印欧族のうちイラン高原・インドア大陸に向かった東方系民族
ペルシャ帝国BC550-AD651年
アケメネス朝ペルシャ ゾロアスター教
新バビロニアを征服して、バビロン捕囚のユダヤ人解放
BC500-BC479 ペルシャ・ギリシャ戦争(マラトンの戦い等)
BC331 アレクサンドル大王によって占領され滅亡(ダイオレス3世)
パルティア王国 アルサケス1世 ミトラス教
ササン朝ペルシャ(226−651年) アルデシール1世 パルティアを滅ぼす
混乱の時代にイスラム教が浸透
イスラム帝国セルジューク朝(1038-1308)
モンゴル帝国イル・ハン朝(1258-1353)
モンゴル帝国ティムール朝(1370-1507)
*ペルシャの復活
サファヴィー朝(1501-1736)
イスラム教シーア派12イマーム派を国教として現在イランの基礎を築く
トルコを中心に圧倒的武力で勢力を広げるオスマン帝国に交戦
アッバース1世が立て直し、首都イスファハーンを中心に栄える、しかし国力は徐々に衰退
アフシャール朝(1736-1796)
“ペルシャのナポレオン”ナーディール・シャーが活躍するが、死後衰退
ガージャール朝(1779-1925) イラン北部の一部族、首都をテヘランに
*ヨーロッパに喰われるイラン
1800年第1次・1826年第2次ロシア・ペルシャ戦争に敗北、イギリスに石油資源を奪われ
列強の半植民地状態へ
1906年 イラン立憲革命
1945年第2次世界大戦では英露米に油田・鉄道を奪われた挙げ句米英の傀儡政権化
イラン革命 1979年反政府運動高まる中で亡命先からホメイニ師が凱旋、
イラン・イスラム共和国樹立
イラン・イラク戦争(1980-1988)
発端はイラクがイランの米英アラブはシーア派を警戒してイラク側、イスラエルはイラン側
2007年米ブッシュ大統領、イランの核兵器製造疑惑で経済制裁
ちなみにトルコの歴史年表
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モンゴル帝国の歴史
モンゴル高原の遊牧民モンゴルにあらわれたチンギス・ハン、その勝れた騎兵技術・攻城技術・火炎兵器・勝つために練られた組織力(千戸制)でもって、瞬く間に中国北部・中央アジア・西トルキスタンを制覇、1206年大モンゴル帝国を樹立、その後継者も中国の元、イラン周辺のイル・ハン国、
ロシアのキプチャク・ハン国、中央アジアにチャガタイ・ハン国を樹立、領土を拡大してユーラシア大陸を席捲した

世界の歴史マップより

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西暦 |
出来事 |
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1206年 |
テムジンがモンゴルを統一 |
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1227年 |
シルクロードの西夏を滅ぼす |
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1229年 |
チンギス・カンの息子 オゴタイが第2代ハンに即位 |
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1234年 |
中国北部を占領していた金を滅ぼす |
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1235年 |
チンギス・ハンの孫バトゥがロシアまでの遊牧民の世界を征服 |
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1241年 |
オゴタイが死去し、バトゥは遠征を中止 |
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1246年 |
グユクが第3代ハンに即位 |
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1248年 |
グユクが死去 |
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1251年 |
モンケが第4代ハンに即位 |
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1253年 |
フビライが大理国を降伏させる |
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1255年 |
バトゥが死去 |
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1256年 |
モンケ、弟のフレグに西アジア遠征を命じる |
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1258年 |
フレグ、バグダッドを征服しアッバース朝を滅ぼす |
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1259年 |
高麗を服属させる |
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1260年 |
フビライが第5代ハンに即位 |
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1271年 |
モンゴル帝国を元と改称 |
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1274年 |
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1277年 |
アナトリアの戦い |
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1279年 |
崖山の戦いで南宋を滅ぼす |
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1281年 |
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1288年 |
白藤江の戦い |
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1294年 |
フビライ死去 |
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1305年 |
モンゴル帝国(元)が5つに分裂 |
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1368年 |
明の朱元璋によって、元朝最後の皇帝トゴン・テムルはモンゴル高原に敗走 |
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1634年 |
モンゴル高原は清の支配下に置かれ、北元滅亡 |

150億年前 ビッグバン(宇宙の誕生)
45億年前 地球の誕生