中世文芸論

中世的なものとその展開  西尾 実   岩波書店

図書館でたまたま手にした書籍です。恥ずかしながら良く存じないのですが、辞典編纂に深く関わられ、国語教育にも多大な貢献をされた巨匠のようです。

昭和36年刊行とあります。

中世文芸をその歴史的背景の中で捉えられており、非常に興味深く拝見させて頂きました。

6世紀〜12世紀

古代文芸

皇室を中心とする貴族社会を背景

形態(ジャンル)の創造を中心課題

13世紀〜19世紀

中世文芸

庶民の代表として興った武家階級の発展

様式(スタイル)の創造

19世紀後半以降

近代文芸

資本主義社会の誕生

主義(イズム)の創造

では 中世的なものとは何か。

中世文芸に見る類同性について博士は 言語性に関しては和漢混淆対、様式性に関しては“さび”思惟性に関しては“無常観”を挙げられます。

萌芽はすでに古代に於いても見る所であるが、この様な類同性が確立されるのは南北朝から室町時代の初期にかけてであり、中世社会成立と期を同じくするところである。

そして下限は明治言文一致体や近代世界観によって克服された江戸末期までとする。

「まず“さび”を中世様式として仮定し、その“さび”の構造に於ける主要契機を古典的なものの否定に見いだし、その現実的基盤を地方的、庶民的要素に認め、そう言うものの文化的進出を又文芸的定着を南北朝から室町初期にかけての一時期に認め、武士階級の文化的成熟とともにそれが貴族的都会的契機と庶民的地方的契機との否定的対立として又その止揚的統一としての形成をとげ、さらに武士階級の支配による再建封建社会の整備につれて驚くべき普及と生活化を示しつつ、やがて頽廃の道を辿ったのが江戸時代であった」

国語の先生にしては いささか難しい文章ですが(自分の頭の悪さを棚に上げてすみません)

つまり “さび”=中世文芸様式 は

1.南北朝から室町初期にかけての文化様式

2.武士階級の支配下に消長した封建社会を基盤とする

3.古典的貴族的なものを否定し庶民的地方的なものへ止揚的統一発展する

4.武士階級の消長と共に発展・頽廃

(基盤権力に新興のエネルギーが無ければその文化は頽廃する)

一見いかにも“地味”ではあるが、内に“花やかさ”“高貴さ”“精巧さ”を含蓄する中世文芸の様式美は武士階級の登場(とりわけ東国源氏の台頭)による地方的・庶民的エネルギーを歴史的背景とし、さらに禅を中心とする新興仏教(祈祷仏教・学問仏教としての伝統仏教に対比される信仰仏教・生活仏教)の精神に媒介されたものである。

博士は“平家物語”“つれづれ草”“世阿弥の芸術論”“茶道”“芭蕉の俳諧”等にこのような中世様式美としての“さび”を例証されていきます。

私が何気なく中世文芸に魅力を持ったのは成る程こう言う事だったのか納得させて頂きました。例えばたまたま私が当コラム“源平絵巻”で去りゆく者と興り来る者の交錯する調律、或いは文体として抒情と叙事の交錯する調べに“平家物語”の魅力を話して来たのも 専門家が理論づければこうなるのかと ちょっと気を良くしています。

 

“平家物語”

「平家一門によって受け継がれている古代貴族の権勢と文化滅亡に寄せた深刻な生活感情の披瀝としての哀歌あると同時に 古代貴族の権勢に対抗しその文化を根底的にくつがえそうとして起こった行動的エネルギーの結集が地方庶民を率いてその陣頭にたった源氏の諸英雄の活躍として描かれた劇的な叙事文学」

 

“つれづれ草”

古代に於ける優美・華麗な美的感覚、“あわれ”“をかし”のような情趣美を克服し、行動によって深められ意志によって高められた形而上的奥行きを持つ中世文芸。

深く“無常観”に裏付けられているが、30段以降に見る“詠嘆的無常観”から“自覚された無常観”への転調・前進を見よ。

 

“世阿弥の芸術論”

新興武士階級をパトロンとした世阿弥ですが演能・作能に“能楽”文化を確立、更に日本文芸史上最高峰に輝く芸術論を遺しました。

世阿弥の芸術論は稽古論が中心です。そして究極の美学としての“せぬこころ”

思慮分別を越えた意識しない意識。“わざ”と“わざ”との“ひま”をつなぐ“内心の感”“無心の位”

「世阿弥が生涯をかけて発掘してきた“するわざ”はやがて“せぬこころ”につながっていた。そればかりではない。その“せぬこころ”を発掘してみると、それこそ“するわざ”のすべてをつなぎ、その全てを芸術として生かしている隠された糸であった。そこで彼はこの“せぬこころ”を“一心”と呼び“正位”とも呼んだのである」

これは生涯かけての稽古であるばかりか全生活をあげての稽古、人間そのものの稽古である。

“日々夜々行往座臥にこの心をわすれずして定心につなぐべし”

これは道元の禅の心に通じます。

世阿弥が追求したのは仏教としての禅ではありません、世阿弥の美学を禅で飾ろうとしたのでもありません。ただ彼が極めたところに禅が極めたものと通ずるものがあったのです。

西洋の演劇ではまずドラマがあってそこから演技が生まれますが能に於いては“芸”が本意であり“芸”が根本になって“作”が生まれます。

「世阿弥を中心とする能の“作”の根拠は歌道でありその伝統としての物語、説話であるが“芸”の根拠は仏道わけても禅にある」と博士は主張します。

「“身”をもってする稽古は“心”をもってする稽古を内在させたものであり、“心”をもってする稽古は“身”をもってする稽古を前提としてのみ可能である」

身心一如。“花は心、種は態(わざ)なるべし”

すなわち これが“幽玄”です。

世阿弥は“身”と“心”、稽古と素質、“花”と“わざ”、対立するものを止揚する所に成立する独自の美学を完成しました。

“怒れる風体にせん時は柔らかなる心を忘るべからず”

“身を強く動かす時は足踏みをぬすむべし、足を強く踏む時は身をば静かに持つべし”

“骨”=先天的素質の完成、

“肉”=稽古の完成、

“皮”=素質と稽古の完成によって発揮される弁証法的発展形態

きらびやかな能衣装の内に隠された質実の美

歌人“俊成”によって発見された“幽玄”は世阿弥によってこの“せぬこころ”として完成されました。そしてこの“幽玄”が利休の“わび”茶や芭蕉の“さび”に道を開きます。