中沢新一  悪党的思考  平凡社      
                   魔術王
後醍醐

マジック(魔術)が好きです。自然の理を我が物にする磨き抜かれた術。種も仕掛けも無い様に見えて、実は隠された大仕掛けが常人の目を欺きます。しかしマジシャンは習得した魔界の仕掛けで時にとんでもない悪事をたくらみます。
時空を支配する大魔術”密教”で古代律令的価値体系を覆し中世を呼び込んだ後醍醐天皇。

網野先生の後継者を自認する 人類学者・中沢新一氏は “悪党的思考”(平凡社)に於いて 天皇の持つ伝統的権力の不思議な二重性を分析しています。
一つは“仕切られた空間”を支配する法的秩序の体現者としての天皇、いま一つは“なめらかな空間”の捕獲者としての“魔術王”としての天皇。
「“仕切られた空間”にすみつくすことをせず、それとはおよそ異質な生活技術やエートスをもって“野性的な”生き方を選んでいた人々、ほかの世俗的権力のいっさい立ち入ることの許されないアジールの世界の住人であるとともに“仕切られた空間”同士の環境領域に出来た流動的な水路をたどってスピーディに、変化に富んだ移動をつづけていた人々、“流体のメティエ”からつくりだされる様々な技芸や芸能をもって“仕切られた空間”の内部に出入りして、交通と交易をおこなっていた人々。“なめらかな空間”の致命的な解体者である資本主義を、皮肉にもみずからの内部からつくりだしてしまうことになる人々。そういう人々の生きる世界」
中沢氏は網野先生の“悪党=非農業民”の“なめらかな空間”世界を以上のような美しい言葉で捉えた上で、このような空間を捕獲・支配するに誰よりもたくみであった中世天皇なかでも後醍醐天皇=魔術王の技を解明します。
“建武の新政”を堺にして“王朝的権力構造”が崩壊する。
鎌倉政権は西国にある“王朝的権力”と構造的同一性を持っていた。むしろ“王朝的権力構造”に立ち向かい、歴史の外部に生きるボヘミアンをまるごと捕獲し再構成したのは後醍醐天皇であった。商業の場にあらわれる力を、彼は贄の儀礼構造を利用していっきに掴み取ろうとした(商人の供御人化)。いまだ揺らぎに満ち不均質な“聖なる市の空間”を その形のままに まるごと捕獲しようとした後醍醐の技芸、それは“超=論理”の技である。
中沢氏は古代インドに神話的表現“ミトラ”と“ヴァルナ”でもって天皇権威の二重構造を解明する。
“ミトラ”=太陽神=法的秩序の維持者
“ヴァルナ”=夜の守護神=魔術王
後醍醐は密教の法服を着て、手に法具をたずさえ、護摩をたき、マントラを唱える。即位の儀式は密教僧さながら“狐の王“が取り持つ“輪王潅頂”。自らあやしの聖天供を祀り幕府調伏を祈る。
“魔術王”としての後醍醐の引き出そうとした物、歴史の外枠から揺らぎ生成しきたった“悪党”の引き出そうとした物との共通項、大地・自然に直結する力、自然を捉え自然の秘密をあばきたてる激しい野生の力。
後醍醐天皇の“魔術”の根源はあらゆる自然の力を我が身体に取り込み、流動的空間をコントロールするに最も巧みな“密教”だったのです。
後醍醐天皇や彼の魔術指導者文観と“理趣経”“性の宗教=真言立川流”と隠微な繋がりがささやかれます。
日本的精神風土・アニミズムの息吹に満たされ、インド密教の“マンダラ”を一元化のルツボに放り込んだ“日本的マンダラ”の世界。
商業・職人を直轄しようとし、悪党・非人を軍事力に再編成、あらゆる力を取り込み、大地を体現する王権としての天皇制を立て直そうとした後醍醐の世界。
“日本的マンダラ思想”が政治に表現される時、そこに建武新政をはさむ諸事件を生み、性の領域に目が注がれる時、立川流という表現になったのではないかと中沢氏は分析します。
インド哲学の大家でもある先生は結構おどろおどろした密教がお好きのようですね。
中沢氏は更にこの様な中から生まれ出る近代資本主義にも触れながら歴史の外枠から生まれ出た自由奔放なボヘミアンが均質的資本に転化するカラクリを明かします。
「キャピタリズムはボヘミアン的なる物の中から、その本質を否定するようなかたちで発生する。動揺する変容の中から殻を食い破るように生まれ出てきたのは権力空間の中に新しいタイプの均質性をつくりだす近世の権力と資本主義のエートスであった。
多様体としての“なめらかな空間”は一元的な水路につくりかえられ、境界面に解き放たれたビュシス(自然)の力が、商品に対する欲望という貧しいかたちに鋳直される」
来週は 後醍醐天皇が領導し 現在に於いても 時に青年達を魅了する “あやしの世界”“密教”の功罪に迫ります。
そして中世の歴史と芸能を作り上げた“空海”から“親鸞”“道元”に至る日本思想としての仏教の流れ、更には近代西欧資本主義の精神的支柱“キリスト教”との相違など しばらく 精神世界に遊ぶつもりです。
勿論私には信仰心はありません。あくまで 芸能とか歴史・社会との関連で宗教の世界を覗きます。
ここらでちょっと今後の計画を宣言してみます。

1.webで作る”私が生きた昭和・平成の歴史”
 中世世界にうろちょろしているのはあくまで その準備です。
2.演劇空間としての”経営論”。
 能楽を読んでいるのもその為です。
3.財政問題、年金問題等経済時事解説。

一応 頭の中の計画はこれだけですが 寄り道がひどくて 生きてる内にたどり着くか心配です。
正直 実社会やweb上での色々な方の立派な業績を見ていると、素人の自分のやっている事にどれ程意味があるのかそろそろ疑問も感じています。そこで 自らを鼓舞するために今後の計画を明かしました。御免。