門司港
〜九州の鉄路、ここから。〜
門司港駅
もじこう/JR九州/福岡県北九州市門司区


■九州の北端


 僕が門司港駅を訪れたのは梅雨の合間のよく晴れた日のことだった。駅に降り立つと長いホームが櫛(くし)形に幾本も並んでおり、線路は行き止まりになっていた。この先に駅はない。ここが九州の北端なのだ。

 改札口の手前に大きな黒い石のモニュメントが建っていた。「0哩(マイル)」と刻まれたそれは、ここが鹿児島本線の起点であり、九州の鉄路の起点であることを示していた。*1)

「ここから鹿児島本線が始まるんだ。」と僕は同行のカミさんに言った。
「鹿児島? どうして鹿児島なの?」
「うーん…。とにかく、ここから鹿児島までずーっと線路がつながってて、それを鹿児島本線っていうんだよ。」
「じゃあ、ここから鹿児島行きの電車に乗ったら、鹿児島に着くのね。」
「ええと…鹿児島まで直通する電車はなかったと思うけど…。」
「ふうん…。」

 改札口の左横には「関門連絡船通路跡」と書かれた看板があった。昭和39年に廃止されるまで、ここから下関までを連絡船が結んでいた…という説明が記してあり、かつての通路らしきトンネルが口をふさがれた状態で残っていた。*2)奥を覗き込んでみたものの、暗くてよく見えない。

 改札を出ると、天井が高くて開放的なコンコースが広がっていた。機能重視で味気ない今風の建物とは違って、初めて来たのにどこか懐かしい感じがした。



*1)現在の駅は2代目。初代は、駅前の道を右にしばらく進んだ交差点角の山口銀行の裏あたりにあったらしいです。そこにも「0哩標跡」という記念標識が埋め込まれているそうですが、僕が行ったときには発見できませんでした。どなたか詳しい場所を教えてください。
*2)駅を出て左の桟橋から出ている現在の関門連絡船(関門汽船)は、下関の唐戸(からと)まで約5分で結んでいます。海峡を船で渡るのも気持ちがいいものです。


門司港駅ホーム0哩標


■歴史の証人たち


 僕は広い通路を早足に歩き始めた。行き先はトイレである。入口には「幸運の手水鉢(ちょうずばち)」というブロンズの大きな鉢があって、満々と水をたたえていた。中から出てきた人がちょんと手を突っ込んでは去ってゆく。底には一円玉や五円玉などが幾枚も沈んでいた。

 トイレのすぐ横には「大正時代の水洗便所」というものがあった。看板がなければ今でも駆け込む人がいそうなほど臨場感がある。時を経て看板付きで紹介されることになるとは、このトイレ自身も想像していなかったに違いない。

 この駅舎が建てられたのは大正3年のこと。ここは九州の玄関であると同時に大陸の玄関でもあった。かつて大陸から引き揚げてきた人々が、ここに帰り着いたときにほっと一息ついて喉を潤したという水飲み場が今も残されている。「帰り水」と呼ばれるその水飲み場は、何の変哲もないただの蛇口があるだけのものだが、今まで数え切れないくらい多くの人々を迎えてきたことだろう。
 置いてあったコップでひと口飲んでみたが、特に味はなかった。*3)



*3)関門トンネルが開通したのは昭和17年のこと。トンネルの出口はここ門司港(当時は門司)ではなく、大里(だいり)という小駅と結ばれました。それを機に大里が「門司」に改称され、名前を奪われたこの駅は「門司港」を名乗ることになったのです。

幸運の手水鉢大正時代の水洗便所


■にじみ出る風格


 ホールの柱にはぴかぴかに光った真鋳の台座があり、「切符売り場」や「待合室」などの看板もレトロ調にしつらえてある。待合室にある暖炉は建築当時のものらしい。そこかしこに歴史を重ねたものしか出せない天然の風味がにじみ出ていて、それがまたいい。

 凝った装飾の手すりがある階段を上り、ギシギシと音をたてながら二階の廊下を進むと、門司港周辺の昔の写真や新聞記事が展示されている部屋があった。かつての貴賓室である。窓から外に眼をやると、駅の広い構内ががちらりと見えた。昔の人もこの窓から駅の様子を眺めていたのだろうか。

 駅前の広場に出るとバナナの叩き売りのおじさんがいた。「門司は〜九州ぅ大都会ぃ〜」と吟じている。カメラを向けるとこのおじさん、照れたのかトチってしまった。ここ門司は「バナナの叩き売り発祥の地」*4)だそうで、その口上を収録したCDも発売されていた。

 広場から駅舎を振り返って見ると、銅板葺きの屋根は緑に染まり、それが木造の壁の質感と相まって圧倒的な存在感があった。重厚さと気品とを兼ね備えたその姿は、現役の駅舎でありながら国の重要文化財に指定されているのもなるほどと思える風格が漂う。



*4)シケなどで船の着くのが予定より遅れたときに、熟れすぎた台湾バナナを早く売ってしまおうとして始まったらしいです。(「福岡県JR全駅」弓削信夫/葦書房より)駅前の道には「バナナの叩き売り発祥の地」の記念碑も建っています。

切符売場バナナの叩き売り


■レトロ街


 駅の周辺を15分ほどかけてぶらぶらすると、そこらじゅうでレトロチックな建物に出くわす。どっしりとした煉瓦造りだったり瀟酒な洋館だったりするが、ほとんどが明治大正、昭和初期の銀行や貿易、船舶会社の建物である。日本有数の港町だった門司港の往時が偲ばれる。

 そういえば、この界隈はどことなく小樽や函館、神戸の旧市街と似ている。かつて繁栄を誇った港町特有の気位と、時が止まったようなけだるい空気が、ここ門司港には漂っていた。*5)



*5)門司港ホテルがオープンしてから、レトロ地区の雰囲気も変わりました。1999年3月には「海峡プラザ」という商業施設も開店して、着実に観光客も増えてきているようです。地ビールが飲めるホールもありますが、僕はまだ味わっていません。
*旅行日:1997年6月14日以降数回訪問


旧九州鉄道本社旧三井倶楽部

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