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■■ 藩主いろいろ Ver.0.02 (2005・01・23)
柳河藩の資料はそこそこあるけど、三池藩の資料が揃わない〜。
戦国から離れると興味わかないから、出来あがるか心配。
WEB上にある資料をまんまパクろうか
…とも思ったけど、そのまんまじゃね。
一応、自分の資料と照らし合わせてみました・・・が、
相変わらず、空白だらけの手抜きだ。
(-_-;)
資料によって記述がマチマチだったんで、
あんまり信用出来無いかもしんないッス。

筑後国 三池藩(陸奥 下手渡藩)
◆ 1万石 ◆
藩祖
高橋 統増 → 立花 直次
なおつぐ
高橋鎮種(紹運)の次男 大通院殿玉峯道伯
46歳
高橋紹運の次男。大友家臣であったが、秀吉の九州征伐後、独立大名となる。関ヶ原合戦で西軍に付き改易。後に徳川家に仕え5千石を賜る。その際に「高橋」姓から「立花」姓に改名。
初代
立花 種次たねつぐ
立花直次の長男27歳
父の死後、叔父・立花宗茂の後見を受け、関ヶ原で失った旧領地・三池に1万石の大名に復権を果たし初代藩主となる。27歳の若さで死去。
2代立花 種長たねなが
立花種次の長男

3代立花 種明たねあきら
立花種長の長男

4代立花 貫長ながやす
立花種明の長男(四男?)

5代立花 長煕ながひろ
立花貫長の長男

6代立花 種周たねちか
立花長煕の二男
大番頭・若年寄。
三池領は収公、下手渡へ転封
7代立花 種徳たねのり
立花種周の長男
下手渡(大名ではない)
8代立花 種善たねよし
立花種周の四男
陸奥伊達郡・下手渡藩(大名復帰)
9代立花 種温たねはる
立花種善の長男

10代立花 種恭たねゆき
種温(種善?)の弟・種道の長男
筑後国・三池に再封
大番頭・若年寄・外国事務管掌・会計奉行・会計総裁


筑後国 柳河藩
◆ 10万9千石 ◆
藩祖
立花 鑑連(戸次鑑連・道雪)あきつら
戸次親家の長男
立花鑑載の跡を継ぐ
福厳院殿前丹州太守梅岳道雪
73歳
大友家臣、大友家三家老(豊州三老)の一人。本名は戸次鑑連、道雪は号で、筑前国・立花城主・立花鑑載の謀反後、立花家を継いだ。
初代
立花 宗茂むねしげ
高橋鎮種(紹運)の長男
   ↓
立花鑑連(道雪)の婿養子。
大圓院殿松陰宗茂
74歳
高橋紹運の長男。道雪の娘・ァ千代の婿養子となり立花家を継ぐ。秀吉の九州征伐後に大友家から独立し13万2千石の大名となる。関ヶ原で西軍につき改易。のち許されて5千石を賜り徳川家に仕えた。その後、棚倉1万石を得て大名に復帰、更に1620年には旧領地・柳河に10万9千石の大名として返り咲いた。
2代立花 忠茂ただしげ
立花直次の四男
(養子)
別峯院殿忠厳好雪
64歳

3代立花 鑑虎あきとら
立花忠茂の四男 雪峯院殿英山性俊
58歳

4代立花 鑑任あきとう
立花鑑虎の二男 霊明院殿常心法鑑
39歳

5代立花 貞俶さだよし
立花帯刀茂高の二男(養子) 興源院殿慈雲紹陰
47歳

6代立花 貞則さだのり
立花貞俶の二男 等覚院殿廊融性営
21歳

7代立花 鑑通あきなお
立花貞俶の三男 大應院殿馨徳孔昭
69歳

8代立花 鑑寿あきひさ
立花鑑通の五男 陽徳院殿元剛紹和
52歳

9代立花 鑑賢あきかた
立花鑑通の四男
立花鑑一の長男
體仁院殿博曖元長
42歳

10代立花 鑑広あきひろ
立花鑑賢の長男

11代立花 鑑備あきのぶ
立花鑑賢の二男

12代立花 鑑寛あきとも
立花一族・立花寿俶の子81歳
歴代最年少の家老・立花壱岐(親雄)を大抜擢し、「鼎足運転の法」と呼ばれる藩政改革を断行し成功を収める。藩内には尊皇攘夷と尊皇開国の二派に分かれていたが、鬼才・立花壱岐は早い段階から開国論を主張し、肥後藩の横井小楠の越前招致を画策し成功させ、越前の橋本左内を開国論に立脚させるなど活躍している。壱岐の病によって保守派の勢力が盛り返しのち復権したが、そのまま明治維新を迎えた。新政府に反発した士族の反乱が九州各地で起こったが、壱岐の機略によって柳河藩だけは無血で切り抜けている。その際に柳河城を炎上させ、最近になるまでその真相は柳河ではタブーであったらしい。
鑑寛は維新後 江戸にいたが、晩年は郷里・柳河に戻り、柳河の振興に尽くした。元藩主が領国に戻った例は、この鑑寛と佐倉藩主の堀田正倫があるだけであるそうな。

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