■ 道雪の女婿
米多比氏は薦野氏と祖を同じくし、本姓は「丹治」のち略して「丹」と称し、筑前・米多比山に居城した事により「米多比」氏を称するようになる。
戸次鑑連(立花道雪)が立花城城督として赴任してくると、薦野増時と共に召し出され重用される。道雪は三左衛門の人となりを深く愛し、養女「吉子」を三左衛門の妻としている。彼はのちに「立花」姓を賜り「立花三左衛門鎮久」を名乗るようになる。道雪・宗茂二代の戦陣に臨み殊勲あり常に驍勇絶倫を以って称せられるが、彼は生涯その戦功を人に説くことが無かったといわれる。 |
■ 大虎・小虎
秀吉の朝鮮出兵で朝鮮の地に在陣していた三左衛門は、ある夜山に入って子虎を仕留めて帰陣した。その事を聞いた宗茂は三左衛門を呼んで「子虎を殺せば、必ず親虎が仕返しに来る。くれぐれも油断するな。」と忠告した。これを聞いた三左衛門は再び山に赴き、その親虎を見つけて仕留めてしまった。因みに、後年になってこの時三左衛門が虎を仕留めた鉄砲を「大虎」「小虎」と命名したいう。 |
■ 孝養を尽くす
関ヶ原の後、立花家が改易すると三左衛門は肥後国の加藤家の家臣として仕える様になるが、宗茂と別居中の正室・ァ千代姫とその母・宝樹院母子を引き取り長く孝養を尽くした。
大坂の陣の後、宗茂が柳河城主に返り咲くと三左衛門も呼び戻され、番頭として千石を賜った。 |
初 2000/04/11
改 2005/01/22 |